わたしの、すこしおかしな先輩のはなしをします。
―― プロローグ ――
わたしの先輩は仕事のできる女性です。膝上に揃ったスカートは、毎日ぴっしりとアイロンがあてられていて、もちろん背広にも。姿勢がよくて、つるりとすべる髪の毛も先輩の品格を保って見せました。
ただ、すこし変なのでした。
どんなに忙しくても定時には荷物がまとまっており、脱兎のごとく会社から逃げ出すのです。会社での食事会、いわゆる飲み会の誘いにも、わたしが知る限りでは一度も乗ったことがなく、社内での行事にもとんと顔を出しませんでした。
しかし、笑顔が美しく、優しい先輩を誰も咎めたりはしませんでした。
おかしい!
こんなに非の打ち所の無い先輩なんておかしい! のうのうと生活しやがって! 美人なのに、定時帰宅を決めるのに、呑み会不参加で、いびられもせず、のうのうと社会の戦地を潜り抜けやがって! わたしの疑問は次第に怒りに変わりました。
きっと、先輩には何か弱みがあるはずなのだわ。そうに違いはないの。だって、そんなに早く帰って何をするのかしらん。莫大な借金があって水商売のダブルワークをしているのかもしれないし、ホスト狂いなのかもしれない。先輩に、どこか人間として、そのような欠点がなければ平凡であるわたしは安心できないでいました。
わたしはランチの時間を縮め、いつも過剰にとっている煙草休憩を減らし、先輩と同じ定時で帰宅することに成功しました。二日でなくなるHOPEも、今日はまだ、胸に重さを残しています。先輩は会社最寄りの駅から私鉄に乗り、それからJRに移り、くたびれた駅で下車しました。スーパーで酒を数本購入し、たどり着いた先輩の住処は清潔感のあるハイツでした。
踵まで綺麗な靴のヒールで、カンカンとアルミの階段を蹴って辿り着いた203号室。先輩は慣れた手つきでキーケースから部屋の鍵を滑らせて扉を開けて、消えていきました。言葉通り、先輩は、消えたのです。
淡い光に包まれて、先輩が消え、ゆっくり閉まっていく扉に、わたしは思わず手を伸ばしました。おや、と思う間もなく、わたしの身体はぐんぐんと扉の中に押し込められて、光となって消えました。
以上が、わたしのすこしおかしな先輩のはなしでした。
この件以来、わたしは先輩には会っていません。なぜ? なぜって、それは、わたしがあの扉の中から帰れなくなってしまったからです。
先輩は、今でもあの不思議なハイツから出勤しているのでしょうか。毎日上等なスーツに身を詰め、ぴかぴかのヒールを履いて、髪の毛をふるって、お仕事をしているのでしょうか。
「主君、また文をしたためておいでですか」
「ちがうちがう。これはわたしの自伝のようなものだから、誰かに宛てたりできるような、健全なものではないのですよ」
「ほう。自伝というのならば、いつか我々が目を通す日が来るやもしれませんね」
では、諸君。また会う日まで。
2016.03.xx