「いやあ、与謝野さんのおかげで百貨店なんて珍しいところに来ちゃったなあ」
 それも福沢さんと二人で、と笑う乱歩の楽しさといえばその足取りが教えてくれる。
 福沢は彼方此方をくるくると駆け回る乱歩を追いかけては粗相がないようにひっ捕らえた。ひっ捕らえたものの、少し気を緩めると乱歩はするりと逃げ出してしまうので、またひっ捕らえる。食品売り場と玩具売り場では特に何度も逃げられ、見失い、探してはひっ捕らえた。
 福沢の気持ちは滅入っていた。疲れた。断じて齢のせいではあるまい。福沢はどうにか気持ちを立て直す。乱歩を小脇に抱えながら与謝野に頼まれた買い物目録を眺めては、床に置いた荷物とを照らし合わせる。
 時間を少し遡り、与謝野から買い物を頼まれたのは乱歩だった。すこし語弊があるのだが、与謝野のお使いを買って出たのが乱歩だった。
「ちょっと百貨店で見たいものがあってね」乱歩は云った。
 与謝野は珍しいこともあるもんだと同時に少し不安に思った。この男を百貨店にひとり放って良いものか。然し事務所内はもぬけの殻であった。辺りを見渡しても、いるのはにこにこと笑う乱歩だけである。近頃の同僚は察しが良くて困る。与謝野は仕方がないとため息をつき社長室の扉を叩いた。
 与謝野から乱歩の御守りを頼まれた福沢は、且つて探偵双人と呼ばれていた頃を思い出しては懐かしく感じた。亦、乱歩の「百貨店で見たいもの」に目星がついていたので快く了承した。……すこし後悔している。
「買い物は一通り終えたか」
「じゃあさじゃあさ、このあと甘いものでも食べようよ」
 乱歩は福沢に抱えられたまま身体を揺らし甘いものが食べたいとごねた。今時、子供でもそんな甘え方はしないぞ二十六歳。福沢は言葉の代わりに眉間の皴を深く刻んだ。
「……それより乱歩。お前、見たいものは見れたのか?」
 福沢が云えば、乱歩は急におとなしくなり「ああうんまあまあ」と曖昧な返事をした。それから頭を抱えたり、腕を組んでみては、たいしたモンじゃないしねと云って、自分の言葉に納得したフリをして頷いた。
「催事場だろう。荷物を持たねばならん。自分で歩け」
 乱歩は優しく地面に降ろされ、福沢は荷物を抱えた。催事場は百貨店の最上階だ。福沢はエレベータに向かった。
「ちょ、ちょっと福沢さん! 違うってば! 何を勘違いしているのさ!」
 乱歩は慌てて福沢を追いかける。然し追いついても引き止めることはなく、そのまま探偵双人はエレベータに乗り込んで往った。



些細な顛末で色彩を増やす短夜



 丁度一年前の夏である。
 夏祭りが催されるというので、武装探偵社が入っているビルヂングの一階に店舗を構える喫茶うずまきは昼から賑わっていた。
「乱歩さんも名前ちゃんを誘う好機じゃないですか」
 太宰は乱歩が名前に特別な行為を寄せていることを知っていた。太宰だけでなく、探偵社員なら皆知っていた。おそらく知らないのは名前当人だけではないか。云えば名前も乱歩に好意を寄せているのではないかと思われた。――この時までは。
 この出来事からふたりの関係が崩れてしまったので、話を振った太宰は少なからず「悪いことをしたなあ」と偶に、極偶に思い出しては罪悪感を抱いていたりいなかったりしたそうだ。
 夏祭りといえば浴衣である。きっちりと仕舞われた胸元に反し、無防備にうなじや腕、足首を晒し、袂と裾、それから蝶蝶結びにされた帯を揺らす想い人を想像する。乱歩はもう何日も前から妄想しては楽しみにしていた。名前の浴衣姿はさぞ可愛かろう。然し、だからこそ太宰の言葉はわずら悪しく感じてしまうのだ。
「太宰には関係のないことじゃないか」
 云われなくても誘おうと思っていたのだ。
「きっと可愛いですよ、名前ちゃんの浴衣姿」
 そんなことは知っている。見たことはないが。乱歩にとっては地球が丸いことと名前が可愛いことは同じようなもので当たり前のことであるのだ。然しそれを太宰が語るのはどうもひっかかるのだ。従って「別に普通でしょ」なんて云ってしまったのも太宰が悪い。乱歩はそう思うことでしかやりきれなかった。
「紺も白も捨てがたいけど、矢張り帯は赤が似合うと思います」太宰は引かない。
 太宰と乱歩のやり取りに、他の探偵社員は気が気でなかった。可愛い鐘が鳴る。扉が開く。
「名前みたいなちんちくりん、浴衣を着てどんなにめかし込んでも七五三が関の山だね」乱歩は云った。
 その時、冷房ではない冷気が一気に店内を包み、店内にいた誰もがぶるりと身体を震わせた。開いた扉の向こうに立っていたのは他の誰でもない、苗字名前、その女である。
 店内の視線は名前に集中した。
「浴衣なんて、持っていませんし。着ても、どうせ似合いませんし」
 名前はか細い声で云った。それからくるりと踵を返し、扉は閉まっていった。名前の姿はもう見えない。カランカラン。可愛らしい鐘の音だけが店内に響く。名前の手に握られていたのは、確かに夏祭りの宣伝ビラであった。知らせに来たのか、はたまた誰かを誘いに来たのか――今となっては謎である。
 その夏。ふたりは結局夏祭りには往かなかった。
 太宰は少なからず「悪いことをしたなあ」と偶に、極偶に思い出しては罪悪感を抱いていたりいなかったりしたそうだ? 巫山戯るな! ここまで引っ掻き回しておいて何をいけしゃあしゃあと! 乱歩はこの出来事を思い出す度に一年前の太宰を繰り返し脳内でぎったんぎったんに暴行した。

「僕たちが来る前にそんなことがあったんですね」
 敦は云った。
 与謝野のお使いを回避するために他の探偵社調査員たちが逃げ込んだのは、武装探偵社が入っているビルヂングの一階に店舗を構える喫茶うずまきであった。
 壁には夏祭りを知らせる張り紙が有り、あれからもう一年たつのかと誰からともなく発したのだ。
「あれから?」敦と鏡花が尋ねれば、太宰は嬉しそうに乱歩と名前の仲に亀裂が入った昔話を聞かせてみせた。ところどころ自分の存在を美化しようとする太宰の話の腰を折るのは国木田の役目であった。
「それにしても……乱歩さんと苗字さんの仲が良かったなんて、なんだか想像できません」
「本当に仲が良かったんだけれどね、乱歩さんも謝るタイミングを逃しに逃し一年経ってしまったのだよ。あの人、へんにプライドが高いから」
「貴様はふたりに謝ったのか」
「何故私が謝らないといけないんだい国木田君」
「元はと云えば貴様が引っ掻き回したのが原因だろうが」
「あのじれったいふたりの進展のためには第三者が刺激を与えるしかないと思ったんだ。良かれと思った好意だよ」
「何が好意だバカモノ!」
 太宰は国木田に首を絞められ揺さぶられていた。
「そんなわけで乱歩さんや苗字さんを誘うのは難しいかもしれませんね」賢治が云う。
「せっかくの夏祭りなので皆で往ければと思ったんですけどね」
 敦は残念そうに鏡花と眉を下げた。その時、バーンと扉が開き「僕は往くよ」と声がした。
「乱歩さん!」
 扉を開けた先に居たのは渦中の片割れ、乱歩であった。


▽△▽


 敦と鏡花はその扉を初めて叩いた。
「はぁい」と出てきたのはよく知る先輩であったが、身に着けているのはいつものパリッとした仕事着ではなくゆるい部屋着であった。
「あれ、どうしたの?」
 突然の可愛い後輩の来訪に、名前は驚きながらも嬉しそうにふたりを部屋に招き入れた。
「麦茶しかないけど」
「ちょっとお話があるだけなので玄関先で」敦が返事している最中、鏡花はずかずかと部屋に侵入し「氷多めで」と云った。
「……麦茶しかないんだけど?」
 名前は玄関先にぼうっと突っ立っている敦にもう一度尋ねる。敦は負けたように「僕も氷多めでお願いします」と云った。蝉がジリジリと鳴く。入道雲が今にも襲い掛かってきそうな空だった。
「云ってくれれば氷菓子くらい準備したのに」
「本当に、ちょっとお話があるだけだったので」
「職場では云えないような話なのね」
 そうです、とは云えない。
 敦と鏡花は名前を夏祭りへと誘いに来たのだ。そうして、あわよくば乱歩と仲直りして欲しいのだ。
 乱歩は「綿飴に林檎飴にかき氷、焼きそば焼き鳥フランクフルト、この顔ぶれが一堂に揃うなんてなかなかある事じゃないからね」と夏祭りへの意欲は十分であったが、名前はそんな催し事など知る由もなく颯爽と退社した。名前と乱歩に仲直りしてほしい気持ちもあるし、何よりも敦と鏡花が名前と夏祭りに行きたいという気持ちが大きかった。
 敦は一年前の話を聞き、乱歩が夏祭りに往くことを云えば、名前は夏祭りに往かないような気がしたのだ。逆もまた然り。それから、根拠はないが、名前は敦たちにこの一年前の話をあまり知られたくないような気がしている。従って、なにも知らない顔をして夏祭りに誘いに来たのだ。職場で云えない話かと問われ、そうです、とは云えなかった。普通の誘いを装わねばならない。
「あまりお金は貸さないようにって云われているんだけど」
 名前は思いついたように云った。
「違います!」
 妙な勘繰りをされて敦は慌てる。
「違うの?」
「断じて違います!」
「おかわり。氷多めで」
「鏡花ちゃんお腹壊しちゃうよ」と云いながらも台所に向かう名前はザラザラと氷を盛った。敦のグラスにはまだ半分ほど麦茶が残っていた。水滴でびちゃびちゃになったグラスを掴み、麦茶を一気に煽る。
「名前さん、実は今夜夏祭りがあって――」
 敦は勢いで勝負だと、名前の背中に声を掛けた。


▽△▽


 敦と鏡花の手には、それぞれ五百円玉が握られていた。
「おや、如何したんだいその小銭は」
 太宰は目敏くふたりの手の中を見た。つられて国木田もふたりの手の中を覗く。日はゆっくりと傾き、提燈の灯りがぽっぽと目立ってきた。私の頭もあの提燈同様に吊るし飾り並べたいと言い出しかねないので、国木田はぴったりと太宰に寄り添い歩いていた。
「名前さんからです。お土産を頼まれました」
「麦酒と焼きそば。余ったらお小遣いにしていいって」
 敦と鏡花が交互に言う。
「ふぅむ。ふたり合わせて千円。麦酒と焼きそばを合わせて百円余るくらいだろうか」
「どうしたって小遣いの足しにはならんだろうに……」
「名前ちゃんもケチだなあ!」
 国木田が太宰の頭をぶった。
「非道い! 国木田君も思ったくせに!」
「そんなことは微塵も思っておらん!」
 いいや、それは思っているときの顔だねと太宰は口を尖らせ、国木田は五月蠅い黙れと云いながら人込みに揉まれて往った。アッ太宰さん、と敦が手を伸ばした時にはすでに背は遠かった。

「ありゃ、完全にはぐれちゃったね」
 気が付けば日も落ち、敦と鏡花の姿はない。
「……別に任務ではないのだ。好きに遊べばいい。万が一何かあったとしても、その時は連絡が来るだろう」
「国木田君ってば麦酒とイカ焼きを持って、うんと説得力があるね」
 今しか好機がないと云い、人込みに揉まれながらもその長身を生かし欲しいものを購入しながら人通りの少ない端まで流れて来た国木田は十分に夏祭りを楽しんでいた。太宰は言及しなかったが、その頭には愉快なお面まで乗っていた。
「然し、苗字がお使いを頼んだということは……」
「敦君たち、名前ちゃんを誘いに行ったんだねえ。断られたようだけど」太宰は浴衣美人に手を振りながら返事をする。専ら浴衣美人が見ているのは国木田の愉快な頭であることは承知の上である。
「乱歩さんはどうしているのか……」
「さァ」
 太宰は何か見つけたようで、やけに楽しそうに笑っていた。その笑いは浴衣美人に対してではないと、国木田は直感的に思った。何年双人を組んでいると思っている。云えと問い詰めても云わない顔だ。国木田は「フンッ」とひとつ鼻息を鳴らし、イカ焼きに齧り付いた。


▽△▽


 乱歩は呼び鈴を押すか悩んだ。
 悩みながら、とりあえずと思いドアノブに手を伸ばすと、いとも容易くくるりと回った。途端、ドォンというものすごい破裂音と地響きが起こる。思わずドアノブを引く。そうすれば、自然と扉は開くのだった。
 バラバラと花の散る音が聞こえたと思えば、再び破裂音と地響き。地響きが体の芯を揺さぶるほどの距離だ。部屋は暗く、窓からは花火がよく見えた。
 だんだん花火の打ちあがる感覚は短くなり、それと、扇風機がぐるぐる回る音とで家主は乱歩の存在に全く気が付いていないようであった。
 家主、名前は窓枠に上半身を乗せ頬杖をついていた。花火の灯りに照らされ輪郭が白く光る。ドォン、ドォン、と次々に花火は咲き、地面を揺らす。乱歩の心臓が跳ねた。ゆるい部屋着から伸びる名前の手足は無防備に晒されている。心臓が跳ねるのは、花火の打ち上がるせいだけでは、きっと、ない。

「ギャッ!」
 名前は叫んだ。急に首筋にひんやりしたものが触れたのだ。
「ギャッ!」
 正体を確認するために振り向けば、ぼんやりとした人影が確認でき、名前はまたもや叫ぶ羽目になる。
 花火の灯りを頼りに、目を凝らし確認すれば、同僚の姿が浮かび上がった。
「ら、乱歩さん……?」
「鍵を掛けないなんて不用心じゃない?」
 乱歩が手にしていたのは青いシロップのかかったかき氷であった。首に当てられたものだろう。名前が首筋に手を当てると、水滴が残っていた。
「乱歩さんこそ、不法侵入ですよ」
「同僚の部屋に遊びに来たら鍵が開いていただけですぅ」
「声くらいかけてください」
「かけたよ。花火の音で聞こえなかったんじゃない?」
 名前はぐうの音も出なかった。確かに花火に夢中になって聞こえていなかったかもしれない。然し乱歩は声なんてかけていない。
「何しに来たんですか」
「綿あめ。林檎飴。焼きそば。焼き鳥。フランクフルト。そしてこれがかき氷」
 ちょっと溶けちゃってるけど、と先程首筋に当てたかき氷を最後に、乱歩は夏祭りの成果を広げた。名前は眉を寄せ、嫌がらせですかと云う。
「何で?」
「こんなものを見せつけて、夏祭りに往けないわたしに対しての嫌がらせでしょう!」
 今度は乱歩が眉を寄せる番だ。
「夏祭りに往けない? 其れこそ何で? 往かないの間違いだろ?」
「往かない、こそ間違っています。わたしは夏祭りに往けないんですッ!」
 綿あめ、林檎飴、焼きそば、焼き鳥、フランクフルト、かき氷を挟みふたりは眉を寄せ睨み合った。

「名前みたいなちんちくりん、浴衣を着てどんなにめかし込んでも七五三が関の山だね」

 名前は一年前に乱歩が云った言葉を思い出していた。
 忘れようと思っても、乱歩の顔を見ると如何にもこの言葉が甦り、脳内をぐるぐると駆け回るのだ。丁度一年前、名前はぐるぐる駆け回る悲しい気持ちを抱えながら、こうして部屋で花火を見ては泣いた。今年もまた、乱歩の言葉が脳内で再生されてはぐるぐると駆け回り、一年前と同じ気持ちで花火を見ていた。
 名前は夏祭りに往かないのではなく、往けなかった。
 乱歩に可愛いと云って欲しかったから。

「帰ってください」
 花火の振動で、このままでは涙が零れそうで、震える声で云った。
 ひゅるる、と玉が打ち上がり、尺五寸玉が開く。一瞬、息が止まるかのような衝撃が走る。
「……ねえ、見た? 凄かった」乱歩が云った。
「見えるわけないじゃないですか」
 名前は窓に背を向けていた。視界には乱歩しか映っていない。花火の衝撃で、ほろりと涙が零れた。
「もしかして泣いてる?」
「泣いてません!」
「だってほらこれ」
 乱歩は手を伸ばし名前の頬に触れた。確かに頬は濡れていた。
「先程のかき氷の水滴です」
 またまたぁ、と乱歩は手振りをしてみせて、そんなに尺五寸玉が見たかったのかと笑った。
「まあ見る価値のある、ものすごい花火だったけどね。また来年見ればいいじゃない」
「わたしが探偵社を辞めていなければ、この寮の窓枠から見れますからね」
 云っている間に、机に広げられた乱歩の夏祭りの成果は萎び、乾き、溶けていた。
「これ、名前にお土産だったんだけどなあ」
「……そんなので釣られるとでも思ったんですか」
 そんなの、という言葉にムッときたが、これではいつもと同じになってしまう。乱歩は珍しく年相応の我慢をみせ「もうひとつあるんだけど」と百貨店の紙袋を差し出した。
「なんですか、これ」
「だから、お土産」
「一体なんの……」
「いいから早く開けてみなよ」
 名前は訝しげに紙袋を眺めながら、本当に大丈夫なものですか? と尋ねた。開けた瞬間に飛び出さないですか? 異臭はしませんか? 虫は絶対に厭ですよ。大丈夫。大丈夫。大丈夫だってば。乱歩の言葉に観念したように名前は恐る恐る紙袋を手に取り、出てきた箱の包装紙を丁寧に剥いた。
 とうとうその正体が判ると、名前は乱歩と、贈り物とを見比べ、今度こそ本当に泣いた。
 箱から出て来た贈り物の正体は浴衣であった。
「来年は其れ着て一緒に往こうよ」
「…………どうせ似合いませんし」
 乱歩だって一年間何度も名前のこの言葉を甦らせては脳内でぐるぐると駆け回らせたのだ。
「大丈夫。僕が選んだ。似合う保証は福沢さんのお墨付き」
 名前は浴衣をぎゅぅっと抱きしめた。どうやら気に入ってくれたらしい。乱歩は安心したように微笑む。
「絶対、可愛いからさ」


▽△▽


 名前の家の扉は開いていた。
 花火も終わり、頼まれた焼きそばと麦酒を持った敦と鏡花はそっと家の中を覗く。部屋は灯りが付いておらず、暗く、鏡花には中の様子が窺えなかった。扉が開いているということは、家主の名前の身に何かが起こったのではないだろうか。鏡花は部屋に入ろうと身を乗り出すが、それは敦の手によって阻まれてしまう。
「離して。名前さんの身に何か起こったのかもしれない」
「うん、その、何かは起こってる。起こってはいるんだけど、大丈夫だから」
「何が?」
「それは僕の口からは云えないんだけど! 兎に角、大丈夫だから!」
 全部上手くいったみたいだから、と必死に伝える敦の顔は真っ赤で、湯気でも出そうな雰囲気だった。虎は夜目が効いちゃうのだ。何が、何で、と繰り返し問う鏡花を余所に、敦は玄関に焼きそばの入った袋と、すっかり泡の消えた麦酒を並べ置き、扉を閉めた。
 バタン。
 扉の閉まる音で、乱歩と名前は今まで扉が開きっぱなしだったことを思い出した。
 しまった、と灯りを付ければ、玄関先には焼きそばの入った袋と麦酒が置かれていた。急いで扉を開ければ、敦と鏡花が「何で」と「大丈夫だから」の押し問答をしている。
「何してるの?」
 名前が云った。敦は見つかってしまったと、今度は顔を青くさせる。
「お使いありがとうね」
 敦に何を見られていたとも疑わず名前はにこりと笑いお礼を云うと、名前の後ろからひょっこりと乱歩が顔を出した。
「子どもたちは早くおうちに帰るんだよ」
 乱歩が云うと、鏡花はおかしそうに首を傾げた。
「ふたりとも舌が真っ青」
 乱歩と名前は顔を見合わせる。
「お揃い」
 鏡花の言葉に、三人は顔を真っ赤にさせ押し黙る。
 かき氷の容器は空だった。

 その頃、宴も酣となった夏祭り会場の端では盆踊りが始まろうとしていたが、国木田は愉快な面を被り何処から拾ってきたかも判らない一升瓶を抱き乍ら倒れ、太宰はどんぶらこと川を流れていた。 

2016.08.16
夏に恋する企画’16
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