――わたしは春野さんを誘拐しました。
きみは真夏の堕天使
春野さんとは、武装探偵社に勤めている事務員の女性です。
誘拐するのは武装探偵社の社員であれば誰でもよかったのですが、春野さんが一番都合がよいと思えました。非力な女性だからです。武装探偵社といえば泣く子も黙る武装集団で、わたしが誘拐できそうなのはせいぜい事務員の女性くらいのものでした。中でも春野さんは、雰囲気が柔らかく、笑顔が素敵でした。
「それで、私を如何したいのかしら?」
そう尋ねる春野さんの笑顔は矢張り素敵で、如何にも勝てないような気になってくるのです。
「春野さんを如何したいということはありません。ただ、此処に居てくれればいいのです」
此処というのは、わたしの小屋です。
「こんな素敵なところに連れてきてもらえたのは嬉しいんだけど……職場に連絡しても?」
どうぞと云えば、春野さんはすこし驚いたように目を開いてから律儀にお辞儀をして電話をかけ始めます。急用で。ええ、申し訳ないのですが本日は休暇を。はい。それでは失礼いたします、と云いかけたところで、わたしは春野さんの携帯電話を横取る。
「わたしが春野さんを誘拐しました。春野さんを返して欲しくば、どうか社長が直々に交渉にいらしてください。お待ちしております」
一方的に通話を終了し、携帯電話を春野さんに返せば「電源は切った方がいいかしら」と問われる。
「結構ですよ」
誘拐されたのに手足は自由。携帯電話使用の許可。流石に怪しいと思ったのか春野さんの表情から笑顔は消え、その瞳はわたしを暴こうと強く向けられました。
「貴女が悪い人には見えないの。話してくれないかしら」
向日葵畑が燦々と輝く。
視界いっぱいに広がる向日葵畑はわたしが丹精込めて世話をしたもので、三畳ばかりのこの小屋は向日葵畑を見るために作ったものです。何故このような向日葵畑を小屋を作ったのか。思い出せば悲しくて、願いは叶わないような気がして、とても口を開く気にはなれませんでした。ただ、春野さんを誘拐した理由は、これで、わたしのところに来てくれるのではないかと淡い期待を寄せたからです。
「綺麗に咲いたでしょう」
花言葉は恋慕。わたしは福沢さんのことを想い種を蒔き、水をやり、この花を咲かせました。福沢さんは知りません。
▽△▽
わたしが福沢さんと知り合ったのは武装探偵社が設立される前に遡ります。
ボディガードとして雇った福沢さんに恋をしたわたしは、若さから日夜福沢さんを追いかけ回し、彼を困らせたものでした。結局根負けした福沢さんは、交際には頑なに首を振らなかったものの、月に数度の逢瀬に付き合ってくださいました。横浜のデート場を回った、わたしの大切な思い出です。
そんな福沢さんの優しさを、わたしは裏切ってしまったのです。
わたしは福沢さん以外の男性と食事をし、福沢さんと歩いたデート場を回り、最後に口付けを許しました。
どうかしていたのですッ! そのときのわたしは、どうかしていたのです! いくら交際をしていなくても、わたしの心には福沢さんだけでした。手を繋ぎたくて、腕を絡めたくて、唇を寄せたくて、繋がりたかった。叶わないことは判っていました。福沢さんがわたしを見てくれるだけでよかったのに、そのときのわたしはどうかしていて、他の男性に、福沢さんを重ねてしまったのです。告白します。福沢さんの唇だと思って、自分の唇を、寄せました。
一体前世でどんな悪行をはたらけば、接吻している男の肩越しに福沢さんを見ることになるのでしょうか。
それから福沢さんはわたしの目の前から消えました。
電話に出てくれることはなく、探偵社が設立されたときに窺うものの事前連絡の時点で電話番に断られました。手紙を出せば封を開けずに送り返され、大きな事件を起こせば見つけてくれるかもと思い爆弾を制作。制作過程で爆発し、全治三ヶ月の怪我を負い、親に勘当されました。
心身共に傷を負いながら考えるのは矢張り福沢さんのことばかりでした。わたしが間違えなければ、怪我を負うことも、家族を失うこともなかったでしょう。然しそれらは全て福沢さんへの想いを裏切った、自分への罰に過ぎません。どうか、一度だけでも彼に会えれば。会って、謝ることができれば、わたしはあの時のわたしを許せる気でいるのです。
それとも、もしかして、狡い女だと軽蔑するのでしょうか。
▽△▽
「名前ちゃん、久しぶり」
春野さんの迎えは、江戸川さんでした。
「せめて春野さんの携帯電話のGPSくらい切っておいてくれないと。推理のし甲斐もなかったんだけど」
頬を膨らます江戸川さんは相変わらずで、思わず笑みがこぼれました。江戸川さんの性格は相変わらずですが、身長は伸びていて筋肉もついておりました。
江戸川さんと出会ったのは、福沢さんとの出会いと同じ時。当時、ふたりは探偵双人として名を馳せており、わたしのボディガードに江戸川さんも付いてくれたのです。懐かしさとは裏腹に「愛しの社員を攫っても、福沢さんは来て下さらないのですね」と思わず声が漏れる。彼の人はそんなにわたしに会いたくないのかと悲しさでいっぱいになっていると「綺麗な向日葵ですね」と優しく云われた。背の高い男性でした。
「探偵社の方かしら」
「申し遅れました。探偵社の太宰と申します。美しい人」
……成程。江戸川さんは未だにひとりで電車に乗れないのでしょう。
「こんな美しい人と見事な向日葵畑なんて、そうそうあるものじゃあ無い」
太宰と名乗った男性は、向日葵をしきりに褒めてくださいました。福沢さんを想って咲かせた向日葵を褒められることに悪い気はしません。
「気に入ったのなら、手折って持って帰って。トラックでも使って、いっそ全て持って往って頂戴」
「それは遠慮させてもらうよ」
云ったのは江戸川さんでした。
「社長は今回の件でえらく腹を立てていたから、名前ちゃんのこと許さないかもしれない」
あの日、わたしの胸にぽっかりと空いた穴は数年塞がらず、肥大化を続けるばかりなのです。そして今、またぐるりと一回り大きく成長しました。結局わたしは、月日を重ねても誤解を解くことは叶わず、福沢さんに許されることもなく、亦自分を許すこともできずに罪を重ねるばかりでした。
福沢さん以外の社員の方が春野さんの迎えに見えましたら、福沢さんを諦めようと思いました。然し、こうして事実を突きつけられても、結局はふんぎりがつかず、まるで駄目だなあ。嗚呼。駄目だ。まったく駄目なのです。
「それでも、どうか、一輪でも」
涙ながらに必死で江戸川さんに押し付けました。どうか持って帰って、生けてください。出来れば福沢さんの目の届くところに。
2016.08.26
夏に恋する企画’16