外装の古さに比べて内装は割と綺麗だった、というのが初めて来た碁会所の感想。
「席料はひとり千円だよ」
 前払い制ね、と思っていれば隣の伊角くんが二千円支払った。紳士。然し私にも社会人としてのプライドがある。プロの碁打ちがいくら稼いでいるのかは知ったことではないが、千円くらい、私にだって払える。私は無理して買ったブランドの財布を取り出し、伊角くんに千円札を押し付けた。伊角くんは要らないよと笑った。その余裕です、みたいな笑顔になんだかカチンときて、無理やり彼の尻ポケットにねじ込んだ。言っておくけど、伊角くんとの初デートに私はとてつもなく緊張している。そんなふうに、余裕です、みないな笑顔を向けないで欲しい。
 伊角くんは笑いながら私が突っ込んだ尻ポケットの千円札を広げる。「飲み物くらい奢らせて」と言うけど、私はそれも納得できずに要らないと言った。わかってるってば! なんて可愛げのない女だって思ったんでしょう? だって伊角くんは困ったように笑ったもん。それでも伊角くんは私の態度には何も言わず奥で打とうと席を案内してくれた。

「あれ、伊角プロじゃない?」
 ちょうど席に着いたあたりで店内が騒がしくなってきた。
「伊角プロどれ?」
「ほらあそこ奥」
「ああ、今年プロになったっていう」
「新初段で桑原に勝ったんだろう。すげえよなあ」
「どうせ花持たせて貰ったんだろ?」
「それでも桑原に認めてもらったんだってんだから将来有望だね」
 向かいに座る伊角くんは居心地悪そうに笑った。
「伊角くんって有名なんだ。あ、プロだもんね」
「……まだまだだよ」
 伊角くんは照れたようで、両手で顔を覆い俯いた。私の緊張とは違うが、伊角くんの心にも余裕がなくなってきたようで、対等になってきたようで私の気分は少しずつ晴れていった。
「伊角プロ、サインお願いできる?」
 伊角くんは話しかけてきたお客さんの要望に勿論応えた。
 ひとりに良いよと言えば、あれよあれよという間に伊角くんの周りにはお客さんが群がり、ここでは狭いと中央に連れていかれ、私にはよくわからない囲碁トークが展開されていた。遠くからその光景を眺め、やっぱり飲み物を買ってもらえばよかったかなあなんて思う。手持無沙汰になった私はケータイを触りながら今月のスケジュールをチェックをしていると、おじさんが姉ちゃんも碁打ちなのかと、先ほどまで伊角くんが座っていた席に座る。
「いやあ、私はさっぱりで。これから教えてもらうところだったんですよ」
 見栄を張ってもしょうがない事なので正直に言えば、もの珍しそうに見られた。確かにこの年代で碁を打ちたいという女は少ないのかもしれない。統計は知らないが、先ず私の周りにはいない。
「興味があるのは囲碁か、それとも伊角プロか」
 なんて笑いながらもおじさんはおじさんを呼び、私の周りにもちょっとした群れが出来る。伊角くんは伊角くんでおじさんに囲まれて、私は私でおじさんに囲まれて碁を教えてもらっていた。伊角くんが取られたときはどうなるかとも思ったが、こうしているとそんなに居心地も悪くはなく、なんだ囲碁も悪くねーなと思いながら石を並べた。


20111011
20160828加筆訂正
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