(和谷視点)
日中韓18才以下の囲碁大会、北斗杯の観戦に来た時の伊角さんの様子が明らかにおかしかった。大会への緊張とはまた違うし、そもそも俺たちは選手でもないし、本人に聞いても何でもないの一点張りだ。伊角さんの何でもないは信用できない。伊角さんとの付き合いの長年の勘だ。
伊角さんの忙しない視線を探れば、女の人だった。
「苗字ちゃぁん! 選手にお花を付けるよ!」と呼んだほうではなくて「はぁい」と返事をした方。気になって見ていれば、どうやら苗字と呼ばれた女の人も伊角さんを気にしているようだった。
「恋人……って感じとはちょっと違うんだよなあ」
思わず声に出てしまい、伊角さんは自分のこととは思いもしなかったのだろう「何が?」と訪ねてきた。……本当にこの人は。
「さっきの人。目で追ってただろ」
伊角さんの元カノかなんか? と聞けば、顔を真っ赤にして「ただの中学の同級生」と言った。おいおい。ただの中学の同級生に対してそんな反応するわけないだろ。
お世話になっている伊角さんのために一肌脱ぐか、というのは建前で、楽しそうだったので藪を突いてみたかった、と言うのが本音だ。
苗字さんは北斗杯主催企業の社員と見た。伊角さんのことなのでどうせ連絡先も聞かずにぐずぐずと童貞を拗らせるんだ。耳まで真っ赤にした伊角さんの顔を思い出す。大人の男が、プロ棋士がなんだあの様は。あとで進藤とか本田さんにも聞かせてやんねーとな。それか、これをネタに伊角さんを強請るのも、っと。これはあんまり可哀想か。
なんて思っていた俺は優しい。
連絡先を交換させた仲介人、またの名を愛のキューピット和谷がしたことと言えば本当にそれくらいで、藪なんか軽く撫でたくらいで、伊角さんと苗字さんはあっという間にに交友を深めていった。
伊角さんは毎日のように惚気てくる。苗字さんが伊角さんのケツを触ったという話を真っ赤になりながらされて本気でキレそうになった。よく聞けば、苗字さんから聞いていた碁会所デートの話しだった。尻ポッケに席料分の千円札をねじ込まれたという。惚気も惚気でいいところだ。伊角さんは気持ちが上がれば調子も上がるのか白星続きでコンニャロウという気持ちさえ沸いてきた。対局の前に尻ポッケを撫でる伊角さんのケツを何回蹴っ飛ばしたことか。
苗字さんも伊角さん、というか棋士という生き物を掴みあぐねているところもあるが、それを除けばまあ楽しそうにやっているようだった。最近は石取りゲームが出来るようになったと報告を受けた。
「しっかし、くっつかねーんだよなあ」
昼休憩に久々に外に出た。院生時代を懐かしく思いながら入ったハンバーガーショップ。伊角さんは店屋物を取ったというので置いてきた。
「なになに。伊角さんの話?」
「進藤」
「俺も惚気られてる」
「あの人、アレで調子上げてっからさ」
進藤はわかるわかると頷く。伊角さんメンタルに左右され過ぎ、と笑える。あの頃は思いもしなかっただろうなあと思うとだいぶ月日を重ね、遠いところに来てしまったように感じた。プロ試験の時も精神面さえ崩れなければ、伊角さんはもっと早くに合格しているはずだった。数年前の、プロ試験。進藤との一局。それも乗り越えて、あの人は今こうしてプロの世界でやっているわけだけど。
「そろそろ黒星つけてやりてぇな」
「和谷より俺の方が先だよ。イベントの公開対局だけど」
ポテトの塩気を強烈な炭酸で流す。
午後の対局も頑張ろうなと、進藤と誓いながらハンバーガーを頬張った。
20160828 完結