いつもわたしに都合を合わせてくれるフユタが、どうしても今日会いたいと言う。
とても珍しい事なので、願いを叶えてやりたいのは山々だが、生憎わたしには仕事がある。それから、どうしても、観覧車にフユタと女の子が乗り込んでいった情景がフラッシュバックするのだ。その日は恨めしいほどにジュエルが豊作だった。
「ゴホッゴホッ……ハァッ、ハァッ、」
出勤するなり、ホームに響くのは聞き覚えのある咳だった。
フユタは生まれつき身体が弱くて、体調が悪い日はこうして咳込んでいた。なんだか他人事に思えず、咳込む背中を摩りながら声を掛ける。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
バトルサブウェイ内は職場だ。ご主人様だなんて、本当にキャラじゃない。しかしこれで給料を貰っている身なので、わたしはクダリさんが悪戯に任命したキャラクターを一貫せねばならない。
背中を摩っていると、咳もだんだん治まり、男はゆっくりと顔を上げた。
「ありがとう、名前」
その声に、顔に、わたしは思わず眉間に皺を寄せる。
「フユタ……どうしてここに?」
「あれ。もうご主人様って呼んでくれないの?」
「それはここでのキャラクター! それよりもなんでここにいるのよ!」
嫌なところを突かれ、早口で捲し立てれば、フユタは「これ」と首から下げている関係者入館証をちらつかせた。
「あんまり頼みたくなかったんだけど、父さんにね」
そうまでして、どうしてこんなところに。
わたしはダブルトレインでサブウェイマスターのクダリさんまで21連勝を納めたトレーナーのみが乗車を許されるスーパーダブルトレインに乗っている。スーパーダブルトレインはダブルトレインと違い、21連勝21駅で終わることはない。何十、何百と戦いは続く。そのためわたしがライモンの駅を利用するのは出勤、退勤、休憩の時くらいである。下手をしたら休憩時間も電車の中だ。
お坊ちゃまであるフユタは正直バトルなんて向いていない。
生まれつき身体が弱い彼の傍に寄り添ってきたのは彼のパートナーであるハトーボーである。彼にとってポケモンは、バトルするというよりも愛玩するものという感覚が近い。
バトルが出来なくて身体の弱い彼が、わざわざ父親の権力で手に入れた関係者入館証。今朝、どうしても今日会いたいと告げて来たこと。見知らぬ女のことふたりで観覧車に乗ったこと。わたしの頭の中には別れ話という三文字がぐるぐると渦巻いた。
「どうしても仕事休めなかったんだ?」
フユタは隣に座れというように、ベンチを叩いた。
「持ち場が決まっているし、急には難しいよ」
「名前は今日、休んでくれると思ったんだけどなあ。僕の自惚れみたいで恥ずかしい」
そんなの、恋人にこんなコスプレ紛いの制服を見られる方が何百倍も恥ずかしい。
「でも来れてよかったかな」
フユタに手を取られる。フユタの手は、血液が通っているのか心配になるくらい冷たかった。
「名前のこんなに可愛い姿が見られた」
どの口がそんなことを言うんだ。フユタのひんやりと冷たい手に反して、わたしは全身熱くなってしまって、この繋がれた手から全て伝わってしまいそうで、無理にその手を解いた。
「フユタって、そういうこと言わなかった」
「嫌?」
嫌と聞かれれば、嫌ではないが、どうしても別れ話という三文字がぐるぐるしちゃうのだ。
「名前には申し訳ないんだけど他に好きな子が出来たんだ。別れて欲しい」
そう言われたら、頷くしかない。観覧車で見た女の子は可愛かった。「名前のこんなに可愛い姿が見られたから」なんて、これが最後のフユタなりのやさしさの言葉であれば嫌なことこの上ない。
わたしは別れ話のシチュエーションを想像しながら無言でいると「名前聞いてる?」と肩を叩かれた。
「聞いてる」
「名前、うちで働けばいいのに」
「さっきも言ったけど、これは、上司が考えたここでのキャラクターなの」
そう言ったところでホームには電車が来るアナウンスが響き渡る。わたしはこの電車の10両目に乗らなければならない。乗り場まで少し距離があるのでフユタとはここでお別れだ。
「ゲホッ……迎えが来るから、長居は出来ないんだけど、休憩時間に会いたいな」
「挑戦者次第だから約束はできないけど」
わたしも会いたいって、どうして言えないのだろう。
あの観覧車に乗った子は、きっと言えるのかもしれない。フユタにはきっと、そういう素直な可愛い女の子が似合うんだと思う。
「連絡待ってるね」
フユタがベンチに座ったまま手を降った。
20160904