花月は、名前に自分以外の男が触れないのは、皆自分が向ける彼女への好意に気を使っているのだとばかり、お目出度く考えていたが、どうやら違うらしいということに気づいた。
 銀次は言った。
「蛮ちゃんに触るなって言われてるから」
 名前と蛮の付き合いは、彼が奪い屋の頃からだと聞いていた。彼女に触っていけない理由とは何だ。花月は考える。思い返せば、そういえば蛮でさえも彼女に直接触れている姿を見たことが無い様に思った。
「あ? 名前に触らねえ理由?」
 蛮は思い出したくないとでもいうように眉間の皴を深く刻み紫煙を吐き出した。
「昔いろいろあってな。そンときゃ卑弥呼の忘却香で記憶を消したけどよ、身体のどっかで覚えてるみてえで、男に触られっと湿疹が出んのアイツ」
 いろいろ――。花月は憶測する。男に触られると出る湿疹。レディ・ポイズンの毒香水を以ってしても消しきれない本能的な恐怖。蛮がこれ以上話すことはないと視線を逸らすので言及はしなかった。
「まぁ、手前が触っても出ないっつーことはオカマは大丈夫なんだろうな」
 わははと笑う蛮に、花月はいつものように突っ込むことが出来なかった。そうなのだ。自分は男なのだ。世間からどう見えようが花月の性別は男であるのだ。まさか、自分が恋愛的好意を寄せている相手に男として見てもらえていないのでは?
 蛮の軽快な笑い声が花月の脳内で反復する。わはは。わはは。思ったら居てもたってもいられなくなり、花月はホンキートンクを後にした。


▽△▽


「名前さん、ちゃんと聞いてます?」
「聞いてます、聞いてます。ケーキ美味しいですよ」
 花月さんもどうぞ、とひとくち分に切られたケーキがフォークに乗って口元に運ばれてくる。花月は眉を寄せながら、その小さな口にフォークを招き入れた。
「……美味しいです」
「そうでしょう。すぐそこののケーキ屋さんでね、花月さんが急にうちに来るっていうから、急いで買いに行ったの」
「急にすみません。お気遣いいただいて……」
「いいのいいの。こうして花月さんとお茶できるのは、嬉しいから」
 紅茶を啜る。美味しい。いや、そうじゃない。思わず和んでしまったが、そうじゃない。花月は気を取り直し、拳を握る。
「そうじゃないんです! 今日はきちんと伝えないといけない事があってお伺いしたんです!」
 名前は興奮しだした花月に目を丸くする。
「紅茶、お口に合わなかった?」
「美味しかったですけど、今日は、そうじゃなくて」
「花月さん。深呼吸、深呼吸」
 落ち着いて、と宥める名前の言う通りに花月は二、三、息を深く吸い、吐き出した。
「僕、男なんです」
 ケーキと紅茶を挟み見つめ合うふたり。部屋は時が止まったように静かで、やけにはっきり聞こえる秒針の音がそのままふたりの心音のようであった。
 そんな静寂を割ったのは名前で「今日はエイプリルフールでは」と言いかけたところで花月が「本当なんです」と食い掛かった。
「やっぱり、名前さん、僕のこと女性だと思っていたんですね」
「そんな男の子みたいなことを……」
「本当に男なんですってば!」
 花月が必死に伝えるも、名前はにわかに信じがたかった。
 それもそうで、花月の外見は目が大きく鼻筋は通り口が小さい。可愛らしく女性的な顔立ちで、身長はすらりと高いが細身。その長く艶やかな黒髪も、毛先まで手入れが行き届いておりさながら女である。これが男ならばそこいらの女は顔負けで、おまけに物腰も柔らかく清楚で可憐な人柄であった。名前はどうしても花月が男には見えない。
「外見もそうだけど、わたしは男性に触れると湿疹が出る体質なの」
「それを先程美堂蛮から聞いてここに来たんです」
「でも、だって、ほら」
 名前は立ち上がり、花月の横に座り直す。
「出ないでしょう。湿疹」
 確かに、名前は花月の手を取り、握っている。然し名前になんら変化はなく、ね、と小首を傾げるだけだった。
 今日だけではない。出かけるたびに、手を繋ぎ、頭を撫で、接触してきたが名前に湿疹が出た事は一度もなかった。そのため、名前は花月を女だと疑わなかったし、花月はこんなにスキンシップをとれて幸せだなあ。このまま恋人になれる日も近いとさえ思っていた。現実とは悲しきかな。
「名前さんの体質が治ったということは? 暫く男性に触れていないんでしょう」
「それはあるかもしれないけど……やっぱりわたしは花月さんが男性だということに納得できないの」
 それはつまり、自分を最初から今の今まで恋愛対象としては見ていてくれてないのだ。花月は悲しくなり、自暴自棄に上着を脱ぎ捨てた。
「これでどうでしょう」
 服を脱ぎ現れたのは、細くも柔らかな筋肉がしっかりと付いた腹と、女性のような膨らみが一切ない胸板。
「綺麗……」
 細くも柔らかな筋肉がしっかりと付いた腹と、女性のような膨らみが一切ない胸板だが、やはり男らしいとは言い難く、美しい曲線を作るくびれと白くきめ細かな肌が眩しい。
「触ってみてもいい? なにか鍛えているの? お手入れはどうしてるの?」
「……名前さん、これで僕が男だということを理解していただけましたか?」
「胸の小さい女性だって世にはごまんといるじゃない。世の中ヘヴンさんみたいな女性ばかりじゃないもの。花月さんはこんなに綺麗なんだから、自信を持って!」
 胸が小さいことを気にしている女がコンプレックスの言い訳で男だなんて言うわけがあるか。花月はいよいよ叫びたくなった。
 花月の葛藤を余所に、名前は花月のわき腹に触れ「すごい……すべすべ……」と感動していた。やはりその肌には湿疹なんて浮かんでいなかった。
 わき腹から腹筋に手が滑ったところで、花月は名前の腕を取り、そのまま引っ張った。花月は重力に従い、クッションを背に倒れ込む。名前は体制を崩し、花月に覆いかぶさる形になる。
「ね、名前さん。わかる? これ」
 花月は名前の手を自分のものまで誘導し、ズボン越しに触れさせる。
「女性にはないでしょう?」
 名前は自分が何に触れているのかわからず、まじまじと花月の瞳を覗く。一体何が起こっているのだ。すべすべの肌が布越しに密着し、吐息が触れるほどに美しすぎる花月の顔が近い。
 花月に掴まれている手が何を触れているのか、確認するように動かせば柔らかい。しかし、それは手を動かすほどに硬くなり花月の息は乱れた。もしかしてこれは。それならばまさか!
 名前の脳みそが答えを導くと同時に、彼女の収容能力はいっぱいになった。声もあげられず短く息を吸い込むと、打ちのめされたように意識を手放した。


▽△▽


「……これで少しは意識していただければいいんですけど」
 そう言うものの、花月は気が気じゃなかった。半ば物わかりの悪い名前に乗せられてしまったような気もすると言い訳をしつつも、ムキになり、女性に自らの股間を触らせるなんて、と後悔でいっぱいである。
 とんでもないことをしてしまった。嫌われてしまった。そうに違いない。名前が目を覚ましたら、拒絶されてしまう。そうなってしまったら、卑弥呼に忘却香をお願いしよう。それしかない。もう一度、また「女性の花月さん」での交友からやり直そう。それまでは、少し、と名前の身体を抱きしめた。

20160914
ALICE+