来たる10月31日。嘗てはケルト人が起源となり秋の収穫を祝い悪霊を追い出した宗教的な行事が今や海を渡りはるか遠く、小さな島国ニッポンにまで勢いを広げていた。
 HENTAIの国ニッポンに伝わってしまった行事はかのごとく変態のいいように改変され弄ばれ抑々の意味を失い、企業ないし個人の自己主張の場と変わり果てた。或る人は今話題の芸能人に成り切り或る人はアニメのキャラクターに扮し街を練り歩くことで見ず知らずの往き交う人々に奇異な目を向けられることで、または羨望の眼差しを向けられることで或る種の自己重要感を満たしているのだ。何より経済がよく回る俗物的な行事である。
 日本は渋谷、若者の象徴と云っても過言ではないSHIBUYA109が聳え立つスクランブル交差点から分岐する文化村通りと道玄坂方面の車道にはそうでもしないと或る種の自己重要感を満たせない阿呆か、担げる神輿があるなら背負わにゃソンソンという生粋の祭好きの為に交通規制が如かれる程にこの祭の人気は確固たるものへと歪んだ成長を遂げていた。
 祭の名前をハロウィンという。

 場所は変わり横浜。ポートマフィア拠点である。
 正面玄関には極悪に改造されたクルーザー型オートバイが徒ならぬ音を響かせエンジンを蒸かしていた。乗り手は凶悪なオートバイが似合わない警備員服を纏った女であったが、その目は確かに獲物を狙うどす黒い闘志を宿しており、後に語る者はポートマフィアの正面入り口には二つ首のケルベロスが居ると云ったとか云わなかったとか。
 当然視線は魔界からの咆哮により地獄の門番ケルベロスに向けられる。「一体何だあの女は」「警備員が暴動を起こした」「とっ捕まえるべきか」「幹部に連絡を」ポートマフィア正面玄関はたちまちに騒然となった。
 ドゥルルンと一際大きな音を立てるととうとうエンジンが床タイルを滑り始めた。ケルベロスは正面玄関を縦横無尽に走りエスカレーターに乗り上げ高らかに嗤った。
「Treat me or I’ll trick you!」

 云わずと知れたハロウィンの合言葉である「Trick or Treat」「お菓子をくれなきゃ悪戯するよ」は、暴力に訴え欲望を叶えんとする野蛮な台詞であるが、元来「Treat me or I’ll trick you」「わたしを持て成しなさい。さもなくば悪戯します」というものである。意味はさして変わらないが幾分高圧的に聞こえる。
 地獄の乗り物、魔改造オートバイに乗った女が発するのだから、高圧的も善いところで悲しきかな正面玄関に居合わせた下級構成員はガクガクと身を脚を震わせる他術がなかった。「とっ捕まえるか」と口にした下級構成員は泡を吹いて倒れた。ケルベロスがその御身に纏った警備員服を冥界の正装だと云われればそうですかと納得しざるを得ない物々しさを醸していた。

「騒々しいな。何の騒ぎだ」
 一部始終を聞きつけ正面玄関に駆けつけたのはポートマフィア幹部の中原であった。百聞は一見に如かずとはよくいったもので、中原は其の惨状を見てたちまち理解に至った。青筋を立てる。中原の静脈は首から浮かび輪郭をなぞり額で震えた。
「苗字ッ!」
 中原がケルベロスに向かって叫んだのは己の部下の名前であった。下級構成員はあの苗字名前の顔を思い浮かべ乍らオートバイに跨る女をよぅく見る。そこに居たのは矢張り極悪に改造されたクルーザー型のオートバイ。先程と違って見えるのは、ハンドルを握る女が警備員服を身に着けた中原直属の部下、苗字名前ということであった。
 ハロウィンという魔の祭に踊らされた女がポートマフィアにもひとり。苗字が或る種の自己重要感を満たせない阿呆か、担げる神輿があるなら背負わにゃソンソンという生粋の祭好きかと問われれば性質が悪いことに後者で、更にやるならとことんだぜと中指を立てる始末だ。

 再び変わってポートマフィア拠点中層階では忙しく駆け回る黒外套の男が目撃されていた。
 その男の目もまた獲物を狙うどす黒い闘志を宿していたが、苗字と違うのは追われる立場であることであった。その男、芥川は正しく苗字から確固逃げんと拠点の更に高層階を目指し駆けていた。
 芥川が昇降機を使わず非常用階段を駆け抜け1階ずつぐるりと見渡していることに意味はあった。

「Treat me or I’ll trick you!」
 芥川の脳裏に外国の言葉と共に丁度一年前の悪夢がむくむくと甦る。
 人間の思い出の割合というのは善い事、悪い事、どうでもいい事の6:3:1という比率で成立しているため善い思い出が増えれば厭な記憶とは忘れ去られるのである。従って芥川の丁度一年前のハロウィンの悪しき思い出もタルタロスという奈落の底に沈んでいたのだ。然しどうだろう。芥川は朝目が覚めてから体中がどうも不快に疼き出勤するや否や激しい頭痛に足元をふらつかせた。芥川は非道い苦しみからの解放と引き換えに得た過去の記憶に背筋を震わせ自らの黒外套をばっさばっさと翻した。舞うのは僅かな塵ばかりである。
 芥川は大変困惑した。
 このハロウィンという善き日。なんと芥川はお菓子を持ち合わせていなかったのだ。

 芥川はハロウィンという目出度き行事の存在をすっかり忘れていた戒めとして一年前の悪夢を語る。
 世間から隔離されハロウィンなんて浮世の行事を知ることもなく陰湿かつ孤独に育った芥川は先輩である苗字に献上するお菓子を持っていなかった。苗字は頬を膨らます。芥川は厭だという権利を与えて貰うことすら叶わず蜜柑がたんと浮かんだ風呂にぶち込まれた。蜜柑も風呂も大っ嫌いな芥川にとって苗字が執ったこの行為は悪魔の所業であり、彼女に与える称号は門番ほどのケルベロスなんか生温い。あの時の悦に浸った苗字の笑顔は忘れない。否、今思い出した。
 風呂にぶち込まれる前。蜜柑をひとつ持った苗字が近づいてきた。全身に逃げろと警報音が響き渡り赤色回転灯が猛烈に回る。芥川は駆けだした。苗字は芥川程足も速くなければ体力もない。逃げ切った。芥川がほっと一息ついたのも束の間、ドゥルルンとエンジンを蒸かす音が意識の遠くで聞こえる。頭の中を占めるのは警報音である。目の前は赤色回転灯が回っているのか止まっているのかもうよく判らない有様で、けれども確かに光っていて、意識がなくなる前に見えたのは、美しい笑顔であった。
 芥川の意識が浮上したとき、すでにその身体は蜜柑風呂の中に居た。

 あの悪夢を再び体験したが最後、屹度魂はこの肉体から剥がれやがて腐敗するであろう。我ながら女々しく思うが、残った魂だけが己が師である太宰のことを想いながらこの世を彷徨うであろう。蜜柑風呂を焚く至るところに悪霊として出没するだろう。
 そんな莫迦みたいな未来を回避するには苗字を撃退するか苗字にお菓子を献上するしか術はない。前者はとても無理な話である。苗字は芥川よりも足が遅く体力もないが、芥川は彼女に対峙するとどうにも弱ってしまうのだ。お菓子を献上することでどうにかなるのであればこんなに簡単なことはない。ないのだが、ハロウィンの存在をすっかり記憶から排除していた芥川の手には甘味のひとつもその手に持ってはいなかった。
 苗字が出勤するその前に、芥川はなんでもいいのでお菓子を手に入れなければならない。蜜柑風呂の悪夢は金輪際御免である。財布を持ち正面玄関に向かおうとしたそこでドゥルルンと今にも芥川の瘡蓋を無理に剥がさんとせんエンジン音が鳴るのだった。
 この悪魔の咆哮であるエンジン音は知っている。正面玄関はもう駄目だ。かくなる上は有り合わせだってなんでもいい、この広い拠点内でお菓子を探すしかない。こういう理由あって芥川は各階くまなくお菓子を探し乍ら上層階へと確実に脚を進めていた。つまりここまで拠点内に甘味なしという残酷な現実も突きつけられているのである。

 芥川の奔走虚しく中層階なのか上層階なのか言い得ぬ処で苗字は参上した。
「探したよ。芥川君」
 ドゥルルン。蜜柑風呂。芥川の脳内には昨年苗字が働いた悪の所業が巡り巡っていた。
「今年は警備員の仮装ですか。善くお似合いです」
「出社する前に丁度良く落ちていたの」
 警備員が。
 左様ですか。屹度警備員はただ己の業務を全うしていただけなのでは、と云う資格が今の芥川にはない。せめて甘味さえあれば。きび団子を持たずして鬼に向かう者の気持ちが今ならよぅく判る。大変心細い。この際なりふり構っていられるか。仲間が犬でも猿でも雉でも善い。そう思った桃太郎の気は正気でなかったのではないか。まるで今の自分のように。芥川は御伽話に思いを馳せた。嗚呼、心がざわざわする。決まってこういった予感は当たっちゃうのだ。
 苗字の唇が動く。
 芥川の心臓が跳ねる。
「芥川君、ハッピーハロウィン! Treat me or I’ll trick you!」
 とうとう云われてしまった。魔の祭の魔の呪文。背に腹は代えられぬ。無いものは無い。芥川は己の愚かさを責め、正直に告白することを決めた。喉がいやに乾く。
「苗字さん。申し上げにくいのですが実は――」
「リトルパイファクトリーのかぼちゃパイにドミニアンセルベーカリーのパンプキンタルトでしょそれからサマーバードオーガニックのハッピーゴーストクリームキスエールエルのハロウィンワッフルドルチェモンシェールのハロウィンジャックロールとそれからねえ」
 苗字は芥川にも見えるように色とりどりの宣伝ビラを広げた。そこには各菓子会社のハロウィンスイーツなる宣伝がされており、ところどころに「食べたい」と書かれた付箋が引っ付いていた。先程芥川が呪文とも思ったカタカナの羅列は店名と商品名だったのだと、宣伝ビラによって理解した。

「まあ芥川君がハロウィンを忘れていることは予想がついていたんだけどね」
 だからこうして食べたいものを選出してきたのだ! 此処に広げられるはわたしが選びに選び抜いた精鋭たちなだけあって美味い! 苗字は満足そうに頷いた。芥川が煎れた珈琲に口を付け、芥川が購って来た蜘蛛の巣型のチョコレートを頬張る。
「苗字さんが自らあの愛車で購いつけに往った方が効率的だったように思いますが」
「わたし免許無いから敷地内でしか運転できないもん」
 確かに非常用階段を魔改造オートバイで無理矢理昇るあんなべらぼうな運転をされては公道はたちまち混乱を招くだろう。道路交通法違反ですぐさましょっぴかれ無免許運転が露呈する。
 そんなわけで結局芥川は業務をほっぽり出しひとり一日中ハロウィンスイーツに東奔西走させられる羽目になったのだった。
「芥川君が購ってきてくれたお菓子だと思うと余計美味しいね」
 ほらほらあーん、と伸びてくる手を拒む理由はない。芥川は口を開き先ほど苗字の口に仕舞われたのと同じ、蜘蛛の巣型のチョコレートを迎え入れる。苗字の体温ですこぅし溶けたチョコレートは芥川の唇に擦りつけられた。芥川はそっと唇を舐め、最後までチョコレートを堪能した。
「でも芥川君11月31日のことは忘れないようにね」
「霜月……?」
 抑々11月には31日なんて無い。月末11月30日と云えば語呂合わせで本みりんの日、それから年金の日だったはずだ。芥川は記憶を辿るがいずれも苗字が喜びそうな行事ではないように感じる。
「太宰さんが云っていたんだけど、11月31日はバレンタインデーでいうホワイトデーのようなもので、ハロウィンのお礼参りをする日なんだって」
 芥川は成程太宰さんが云うのならと納得しそうになったが、閏年であってもどうあっても11月に31日は無い。これをどう説明すれば苗字に理解してもらえるのだろうか。我らが師、太宰さん。貴方は今なお我らの心に亡霊のように付き纏っているのですね。どうかこのハロウィンスイーツに免じて穏便に立ち去らんことを。


20161101
100000hitフリーリクエスト企画
「カリソメの番外編でハロウィンにヒロインが芥川にお菓子ねだるお話」
リクエストありがとうございました!
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