わたしの平凡な日常は、季節外れの豪雪に奪われてしまった。


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 都会での競争社会に疲れ、結婚もできず働く気力もなくなったわたしが、親の小言から逃げるように流れるままに身を任せ、辿り着いたのは九州。金銭的に余裕もなく、現在は住み込みの旅館勤務である。

「名前ちゃん、雪」
 まだ起きるには早いのに、身体を思い切り揺さぶられ目を擦る。
「暗……寒……」
「ちゃっちゃとやっちゃってね、雪かき」
 意識がまだはっきりとせず霞む視界の先で渡されたのはスコップ。……冷たい。


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 この四月に季節外れの豪雪を運んできたのは、あのハンサムなロシア人なんじゃないかと思う。
 一通りの仕事を終え、温泉に浸かり、賄いのかつ丼を抱え自室に向かう。部屋では下着に半纏。熱々のかつ丼を素肌に落とさないようにかき込む。カツ、米、カツ、米。美味い。

「ここが俺の部屋か!」
 無礼に開けられた先に居たのは、この旅館のひとり息子の勇利君と金髪の外国人だった。
「名前さんスミマセンッ!」
 勇利君は言うなりズバンと襖を閉めた。わたしは再びかつ丼を口に運んだ。ゆっくり咀嚼していると「何だあの痴女は」から始まり、わたしの悪口を捲したてる声が聞こえてくる。冗談じゃない。誰が痴女だ。
「手前が勝手に開けたんだろうが!」
「ウルセェ服を着ろ痴女!」
「あああ名前さんスミマセンスミマセン」

  
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「だから服を着ろって言ってんだろ!」
「勝手にレディの部屋に入ってくる手前が何言ってんだっつーの」
「レディ……?」
 眉間にシワを寄せても格好がついてしまう、このやたら顔の整った金髪の外国人、名前をユーリという。若い。スケートのことはよくわからないが、なんでもものすごい選手なんだとか。あの豪雪の日に勇利君のコーチとして現れたハンサムを追いかけて来たらしい。

「ユリオ?」
「ゆうりじゃ紛らわしいでしょ」
 確かに。勇利くんと紛らわしいな。そういうことで、旅館の一人娘であり先輩である真利さんが言うのならと、わたしも彼をユリオと呼んだ。

「ユーリだっつーの」
 ユリオはわたしの賄いを少し摘まみにやってくる。自分の食事のペースを狂わされるのが嫌で「ユリオもかつ丼頼めばいいのに」と言えば「こんな時間にそんなもんばっか食えるわけねーだろ」と返された。
 小さい口にカツと米がぎゅっと詰め込まれて膨らむ頬。黙ってりゃあ可愛いのになあ。
「手前もこんな時間に食ってっと太るぞデブ」
 ……本当に、黙ってりゃあ可愛いのになあ。

  
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 温泉 on Ice。だから、わたしはスケートなんてものには疎いのだが、アイスキャッスルはせつというスケートリンクで、勇利君とユリオが滑るらしい。
 仕事を終え温泉に入り、いつものように部屋でかつ丼を食べていると、もはや恒例となっているユリオの襲来有り。しかし今日のユリオは「服を着ろ」よりも先に「明日」と言った。明日といえば、その勇利君とユリオが滑る、例の。いくらスケートに疎いといっても、町を興して大々的にニュースになっているイベントの概要くらいは知っているし、おかげで旅館の来客数が多い。
「頑張れ」
 気まぐれに言ってみれば、ユリオは真剣な表情で頷いた。
「明日、見に来いよ」
「それは難しいけど」
「何でだよ! そういう流れだろ今!」
「忙しいんですぅ。勇利君とユリオのおかげでお客さんがいっぱいで忙しいんですぅ」
「ああそうかよデブは小回りが利かなくてトロくて大変だなあゴルァ!」
 ロシアンヤンキーの捨て台詞は強烈だった。


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 案の定、旅館は今まで見たこともないお客さんで賑わった。そんな日に仕事を抜けられるわけもなく、ユリオに誘われた試合に足を運ぶことはできなかった。それからユリオの顔を見ることも。

 ユリオがいない日常が戻ってきた。忙しさの中にふと過った、思い出のユリオは美しくって、だから、妖精だったんじゃないかと思ったりする。
 ユリオ、どうか、遠い土地でも、元気で。


20161113
ALICE+