ポートマフィア史上最年少幹部である太宰は語る。
「道徳とは正に私なのだ」
例えば人々の共通の意識として在る良し悪しの規範。その価値観。さらに成る規範。或いは共同体において共有される指針。これらを判断する能力。それらを全てをひっくるめて、太宰は自らを道徳だと云った。
「直に判るさ」
太宰は唇に人差し指を当てて、勿体ぶったようにふふんと笑った。
「こんな処で名前ちゃんと逢瀬だなんて、間男に間違われて刺されちゃうかも」
太宰が不穏なことを云うものだから、苗字は麗らかな陽気の昼下がりに見合わず血みどろの惨劇を頭に浮かべてしまった。
太宰は腹にずっぷりと差し込まれた刃物を思い、身体をよろめかせ苦し気な表情を浮かべる。うっと呻き、息を浅くさせてからぐゥっと低く唸った。長い脚を縺れさせ、とても立っていられないと外壁に背を預けた。
「太宰君」苗字が肩を叩くと、額に脂汗まで浮かべていた苦悶の表情はけろりと爽やかな笑みに変わる。
「うふふ。如何だった? 私の鬼気迫る恋人に刺された間男の演技は!」
「中也なら刃物は使わないんじゃない?」
先ず左の頬骨を目掛けて一発。次に逃さないとばかりに顎下からの昇竜拳。疎かだった右には首を目掛けて上段回し蹴り。後は地面に叩き付けられた身体に跨って、右に左にと気が済むまでぶん殴る。格闘家の亡霊でも憑けたのかと疑うほどの気迫漲る苗字の身振りに太宰の微笑みは消えた。
「中也の話は止めよう」
「恋人の話を持ち出したのは太宰君なのに」
「それが厭! 名前ちゃんが中也と交際してるっていう現実が受け入れられない。受け入れられないから忘れちゃう。 絶対に私の方が名前ちゃんと清く正しい心中が出来るのにっ! 名前ちゃんを世の男共が放っておかないのは判るよ。故に恋人の有無は当然前者だとしても――何でよりにもよって相手が中也ッ」
太宰は頭を抱えて黒色の外套をはためかせながらくるくると回った。くるくると回り乍ら、思い出したようにぴたりと制止し「それも中也に使うんだろう」と苗字の手にある紙袋を見つめた。
「太宰君と出掛けたって知ったら拗ねちゃうから、お土産」
苗字は紙袋の中身を思い浮かべながら淫靡な笑みを浮かべた。
苗字が中原と待ち合わせたのは拠点から程近い喫茶店であった。
「相場は判らないけど、首領のお墨付きのお店だったんだから間違いないと思う」
思っていたよりも根が張った。苗字は零す。紙袋の中身はブジーである。列記とした医療器具であり、快楽を伴うか否かは使用者の感性によるものである。
不安げな面持ちの苗字は、中原の土産として購った紙袋を挟み太宰に心中を打ち明けた。
「実を云うと、ブジーは尿道炎患者の治療でしか経験がないの」
それで充分だと太宰は思う。
「矢っ張り治療と快楽を得るための行為では勝手が違ってくれるでしょう?」
そんなの知ったこっちゃない。太宰は心の中でひっそりと毒づく。
泣く子も黙り裸足で駆けだすポートマフィア幹部太宰とて齢十八。なんたって最年少幹部。未だ尿道に異物を挿入したことなどない。
「中也、ちゃんと気持ち善くなってくれるかなあ」
瞬間、太宰の握っていた器の取っ手が砕けた。
「本当にヤメテ! 私中也のそういう話が一番厭ッ! 聞きたくない、聞かせないでッ!」
太宰は机に我が物顔で鎮座する紙袋を片手で追いやり苗字の頬を捕まえた。苗字は、ふひょひょ、むごご、と声にならない音を発しているが、その様子を愉しんでいた。なんせ太宰の後ろには、恋人の中原が立っていたのだ。
愛する恋人の頬が大嫌いな男に好きにされている光景を見た中原は、そこら中でしこたま悪さをした鬼を一瞥で塵にしてしまいそうな形相をしていた。まるで灼熱の電子光線である。恋人に刺されるどころでは済まない。果たして太宰は勝てるのだろうか。乞うご期待!
中原は部屋に入るともう駄目で、お気に入りの靴を脱ぎ散らかし苗字に抱き着いた。
「中也、ソファまでは歩こう」
苗字が優しく促しても中原が足を進める気配はなく、苗字はやれやれだぜと息を吐き出した。苗字から漏れた溜め息に中原の肩が揺れ、鼻が啜られた。
「怒ってないから、ほら」
今は怒っていないが、服に鼻水でもつけられたらそれは別である。苗字は預けられた中原の体重が少し軽くなったのが判ると、背丈のそう変わらない恋人を居間まで引き摺った。
「事前に太宰君と買い物に往くって連絡したでしょう」
「事前って莫迦テメエ今朝の事だろうが」
「事前は事前だもん」
「……次からは三日前には連絡しろ」
苗字は抱き着いたままの中原を引っぺがし、瞼に唇を落とす。
「わたしが太宰君と買い物に往って泣いちゃったんだ?」
まったくその通りである。中原は羞恥に再び涙を浮かべた。苗字は可愛い可愛いと、中原の濡れた目尻と赤く染まった頬に何度も唇を落とした。
「こんなんで許されると思うなよ」
中原は弱々しく云った。
「だって中也は遊んでくれないじゃない」
「……今日は仕事だって云ったろうが」
「付き合う前は中也のそういうところが好きだったんだけど――」
苗字は意味深に閉口した。
中原は頭が真っ白になった。
「好きだったんだけど」
だけど? では、今は……? 苗字の次の言葉は何だ。中原には厭な未来しか想像できない。現実になってしまうくらいなら、いっそのこと破裂しそうな心臓を吐き出して死にたい。一秒が五分にも一時間にも思える。鼓動が五月蠅い。駆け出したい。荒野に骨を埋めたい。中原は絶望の淵に立った。
苗字は中原と交際する前のことを思い出す。
中原は違法者のクセに、こういう仕事だとか時間だとか箸の持ち方だとか女は車道側を歩くんじゃねえだとか、そういうところに矢鱈五月蠅かった。
それは今も変わらない。苗字は中原の顔を見る。中原の顔は血の気が引いて真っ白く、屹度頭の中まで真っ白なんだろうなあと思う。
「付き合う前は中也のそういうところが好きだったんだけど――今は中也そういう顔が、もっと好き」
わたしの一々に一喜一憂して悦喜したり狼狽する中也が好き、と苗字は中原の血の気が引いた青い唇に口付けた。体温を分け与えるように、舌の奥までゆっくりと舐めてやれば、ようやく中原の顔色は朱を取り戻した。
「世界で一番愛している可愛い中也に、今日はなんとお土産があるのです」
名前は淫靡に微笑んで見せた。
「……そうかよ」
苗字の云う土産がブジーなんてことは微塵も考えていない中原は、これから己の尿道をあられもなく弄繰り回され喘ぎ狂わせる未来なんて知らない。知らないので“苗字の世界一愛している可愛い中也”は、苗字の得体の知れぬ土産に、まんざらでもないふうに喜んだ。
女を誑かす技術を悪とするのは道徳の強制である。まるで醜い嫉妬である。女を誑かす能力、亦は整った顔の作りや優れた体躯に対する否定である。
「……自慢か、或いは何かの云い訳ですか?」
坂口は丸眼鏡越しに狐疑の視線を向ける。
「ちがぁう!」太宰は可愛いらしく吠えた。織田作ゥと太宰が声を掛けた男は、太宰の包帯に巻かれた頭を二、三撫で、続きを促した。
「私の優れた点を道徳という隠れ蓑を利用して己の嫉妬心を満足させている中也の話!」
坂口と織田作は顔を見合わせ、嗚呼この間の話ねと頷いた。
「名前さんを奪われて余程悔しかったんでしょうね、太宰君は」
坂口が云うと太宰は眉を吊り上げ頬を膨らませた。
「ちがぁう!」
いよいよ本当に火の付きそうな太宰の頭を、織田作はもう二、三、今度はうんと優しく撫でるのであった。
20161127
フリーリクエスト企画
「お相手が中原さんで、恋人のヒロインと中原さんにちょっかいをかける太宰さん」
リクエスト有難うございました!