「先日お伝えしました横浜市内の繁華街で出勤中の女性に全裸で抱き着いた不審な男が今朝、逮捕されました。男は、女性に一目惚れして自分のことを知って欲しかったなどと供述しており――」
 険しい顔でニュースを読み上げるアナウンサーが原稿を確認した瞬間に映像は途切れた。


▽△▽


「いい加減に出てこい苗字ッ!」
 扉があくよりも先に飛んできたのは中原の怒声であった。
 苗字はびくりと身体を揺らし、布団の更なる奥へと潜り込む。
「ここに居んのは判ってンだ、よっと」
 云うなり、布団は簡単に引っ剥がされて光が差し込む。苗字は急に眩しくなった視界に「うっ」と短く喘ぐ。
「……有るまじきことです」
「あ?」
「花も恥じらう乙女の部屋に勝手に押し入り、ましてや布団を引っ剥がし、仕舞にはベッドに仁王立ちするなんて、上司といえども許される行為ではありません! 警察を呼びますよ中原さん」
「巫山戯んなよ手前自分の職業判ってんのか莫迦野郎。警察ぅ? 呼べるもんなら呼んでみろよ」
 苗字は小さなベッドの中を泳ぎ壁際に寄り沿った。身体を小さくさせる。
「手前いつまで無断欠勤してやがる。見たとこ元気そうじゃねえか」
 中原はゆっくりと苗字ににじり寄る。
「有給です」苗字は不当な非難に立ち向かった。
「マフィアにそんなもんあると思ってんのか舐めてんじゃねえぞコラ」
「有るよ」どこからともなく首領――森の声が聞こえた。
 その顔はマフィアの首領とは思えぬ実に爽やかな微笑みである。森は肩口まで伸ばした髪の毛を可憐に揺らし、同じく可憐な金髪を揺らす少女をを追いかけながら親指を立てていた。「有給、有るよ」森は最後にもう一度告げ、あははと笑い妄想を翔けていった。
 ガツン、と壁が揺れた。
 苗字の頭の横目掛けて鋭い一撃が走った。中原は苗字の頭の横に置いた脚にさらに力を込めながら、仕切り直しだとでもいうように咳ばらいをした。不穏な空気が部屋を包む。外壁は脆く、壁が砕けパラパラと散る。
「賃貸……」
 苗字は修理費用と返金されないであろう敷金のことを考える。
「本当に手前は」
 中原が苗字の腕を掴もうとしたその時、苗字はその腕を叩き落とした。
「触らないでください」
 苗字の瞳には明らかな拒絶が浮かんでいた。
「無理です無理です無理なんです。例え上司の中原さんであろうとも触られたくありません!」
「はァ?」中原は自分の部下の言動に困惑した。
 自慢したことはないが、中原は生まれて此の方女性にその手を拒まれたことなんて無かった。其れを栄光や武勇伝として語ったことなんて無いが、真逆自分の部下に打ち破られる日が来ようとは、思いもよらなかったのである。
「その股座に邪悪なものをぶら下げている方とは今後一切触れずに生きていくことに決めたのです」苗字は云った。
「股座の……邪悪な……」
 中原は苗字の云うことを噛み砕きながら今朝見たニュースを思い出していた。
 ――先日お伝えしました横浜市内の繁華街で出勤中の女性に全裸で抱き着いた不審な男が今朝、逮捕されました。男は、女性に一目惚れして自分のことを知って欲しかったなどと供述しており――。
「真逆……手前かよ」
 中原が恐る恐る尋ねれば苗字はぎくりと肩を揺らした。
「……中原さんが何を考えて何にわたしを重ねたのかは存じませんが、もう以前のわたしとは違うのです」
「一生男に触んねーで生きていくつもりかよ」
 中原は懲りずに苗字に手を伸ばす。
「だから触らないでって云ってるじゃないですか!」苗字は発砲した。
 中原は枕元に拳銃を置いている部下のマフィア根性に関心をした後、床にめり込んだ弾丸を見つめる。自分を狙った弾丸に、ふつふつと怒りが湧き上がる。汚い汚いと喚き、中原を威嚇する苗字に、中原の怒りは沸点を目掛けてぐんぐんと上がっていった。
「あんな邪悪なものと陸続きになっている皮膚に触るくらいなら、死んだほうが真面ですッ!」
 二発目の弾丸は中原の耳朶を掠めた。薬缶が湯を沸かしたが如く音を立て、中原はキレた。
「ブチ犯すぞ糞女ッ!」
 中原の怒声にこれは様子が可笑しいぞと身じろぐも、苗字の背にはもう壁で、逃げる場所などない。二人分の振動を伝えるベッドのスプリングが不規則に揺れる。中原は苗字の顔に自らの股間を近づける。
「なァ、おい、勃たせろよ。その口でよォ」
 中原の目は血走り口元は笑っていた。助けは来ない。
「いーーーやーーーッ!」苗字は泣き叫ぶ。
 然し苗字の抵抗も虚しく、とうとう中原は陰茎を布越しに苗字の顔面に押し付けた。苗字は「んぐぅっ!」と声を上げ、あまりの精神的な衝撃に気を失った。
「……不甲斐無ぇな」
 ぽてんと首を擡げた苗字を見て、漸く正常な思考が戻ってきた中原が云う。……ああ、折角の好機だったので、咥えてもらいたかったなあなんて、中原は不埒な妄想をする。チッ! 舌打ちをすると、其れとは違う不穏な音が聞こえた。あたりを見渡せども音の正体が判らない。然し、この感触は……。
 真逆!
 中原が気づいたときにはもう遅い。壁に押し付けた腕と二人分の体重を掛けられた壁は、先程中原が蹴り込んだ亀裂からめりめりと音を立て、堪らず倒壊した。
「……家主に似て不甲斐無ぇな」
 中原は背に受けた崩れた壁を払いながら、下敷きになった苗字を見るが意識は未だ戻っていないようだった。
「呑気に寝やがって」
 どうせ家はこの有様であるし、いっそのこと苗字を組織の拠点に連れて帰ろうか。中原は考えた。それとも荒療治だが自分の家に連れ込むべきか。半月も男の自分と寝食を共にすれば、男嫌いだなんて気も確かにするだろう。――それは、楽しそうだな――中原は頬を緩めた。


▽△▽


「あの、お取込み中のところ悪いんだけど、壁、如何してくれんの?」

 壁の表裏を共有していたであろう苗字の隣人と思しき女は般若の形相であった。


2016.06.xx
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