「さぁ、語ってあげましょう、貴方の為の怪談を」
肌から伝わる空気はぴりりと痛い。冬の屋上。鼻から出る白い息が恥ずかしくて、わざと口で呼吸する。真ちゃんは空のおしるこ缶を捨てに行ったきり、帰ってこない。わたしと、四ツ谷先輩だけが取り残された屋上。
「四ツ谷先輩。彼はこの学校の都市伝説のようなもので、学校に住みつく幽霊だとか妖怪だとか、それははたまたキューピッドだとか、あやふやな噂だらけの幻の生徒でした。
2年A組、窓際後ろ。僕はずっといるよ。彼の言葉の通り、2年A組の間際後ろには使われていない机が、ポツンと存在するのです」
「ふふふ、知ってますよ。わたしも昨年は2年A組でしたから。それで、先輩のことが気になって屋上に上ったんです。不思議ですねえ。わたしは3年生になったのに、また留年した四ツ谷先輩のことを、先輩って呼ぶんですよ」
「……お前が屋上に来たことは、よーく、覚えてるよ。お前の爛爛とした好奇の目を、顔を恐怖で染めてやりたかった。それなのに、お前ときたら――」
「はい。わたしも、覚えていますよ。四ツ谷先輩の怪談話は、いくつ聞いても面白くて。何度も、何度も新しい話をせがみました」
「結局お前の口から悲鳴を聞けることはなかったなァ……」
「……でも、真ちゃんに会ってからはいろんな事がありましたねえ」
十増間さん事件とか。
自分で呟いた言葉に思いを馳せると、たった一年の事なのに、グッと懐かしさが込み上げてきた。
「昔、四ツ谷先輩を信じ、お供え噺を異常な執念で集めた生徒がいた」
「先輩、その話はもう聞きましたよ」
「……もういいから、黙って聞いとけ」
四ツ谷先輩の鼻の先は赤くなって、鼻水が垂れていた。わたしはポケットティッシュを差し出す。先輩はブシューンッと鼻をかみ「エエト……」と続けた。
最後かもしれない。そう思うと、漠然と寂しさが押し寄せて来た。最後なら――わたしは暫く黙って、最後の四ツ谷先輩の怪談噺を聞くことに徹しよう。
「その生徒の名前は十増間加奈子。学校中……或いは町中……彼女は取り憑かれたように怪奇を集めました。そして、いつしかお供え噺としてではなく、怪奇を集めるという事自体が彼女の目的となっていったのです」
この話を最初に聞いたのは――そうだ。品茂先生が赴任してきた頃だった。
その時のことを思い出すと、じわじわと目頭が熱くなってくる。首に包帯を巻いた真ちゃん、いや、十増間さんと自分の席に着いた四ツ谷先輩。わたしは陰でこっそり見ていた。あのスリルをあの空間で味わうことが、四ツ谷先輩に会ってからのわたしの楽しみだった。
あのとき教室を飛び出した品茂先生の顔で、数日は笑った。懐かしいなあ。
「でもコレではたくさん集められない。もっと探したいのに身体はひとつだけ。そこで彼女は思いました。バラバラに探そう。そして、自分の身体を切り刻んでしまったのです。手。足。頭。それぞれを2つに。そして残る胴体。
彼女は未だ怪奇を探しながら2年A組に潜んでいる。
バラバラの身体で怪奇を探し続ける十増間加奈子。だが怪奇なハナシなど数あるわけでもない。結果、彼女は、自分で、怪奇を、作るようになってしまった。“ドコカ”にある怪奇を“サガス”のではなく自分で怪奇を“オコス”十増間加奈子。もしも出会ってしまったら怪奇なハナシを差し出さなければ、自分自身を怪奇現象として惨殺されてしまう」
四ツ谷先輩はふ、と一息ついてから続ける。
「学校にまつわる七不思議。十増間さん。人形になりたいミカちゃん人形。旧校舎のかくれんぼ。呼子桜。児躯履さん。髪切りヨウコさん。狐狗狸さん。それから七不思議を語る幻の生徒、四ツ谷先輩。
十増間さんが四ツ谷先輩にお供え噺を探すように、また四ツ谷先輩の魅力に憑かれた生徒がいたのです。……名前さん」
急に名前を呼ばれてドキリと心臓が鳴る。四ツ谷先輩に名前を呼ばれたのは、初めてではないだろうか。先輩、わたしの名前知ってたんだ。
「名前さん。彼女はとても飢えていました。恐怖こそが生きがい。それはまるで食事をするように、呼吸をするように、恐怖を吸収していくのです。十増間さんですら尽きてしまった怪奇なハナシを食事を行うペースで、呼吸を行うペースで吸収していくのは到底できませんでした。
そこで彼女は思いつきました。四ツ谷先輩。彼に恐怖を貰いに行こうと。空腹を紛らわすように、掠れた声で歌いながら、四ツ谷先輩のいる屋上まで、ゆっくり、ゆっくりと、そこへ続く階段を上っていくのです。
ペタ、ペタ、ペタ。昼休み。掠れた歌声と上履きが床を叩く音。それから、空腹を示す地響きのような腹の虫が鳴く音。その音は瞬く間に校内の噂になりました。
今は丁度昼休みなので、ああ、ほら、名前さんの足音が聞こえます。ペタ、ペタ、ペタ、と」
耳を澄ませば、聞こえないはずの足音が聞こえるような気がした。それはだんだんと大きくなり、鼓膜に張り付いた。この薄暗い高揚感が、たまらないのだ。
「名前さんの噂を聞いた生徒は、面白半分で屋上を目指しました。
掠れた歌声がだんだんはっきり聞こえてくる。その距離まで来れば彼女はいるのです。屋上へと繋がる扉の前に。
生徒は興奮して訪ねました。名前さん名前さん、今日も四ツ谷先輩のところに? 名前さんは振り返り、そうなの。お腹が満たされなくて。と笑いました。貴方はわたしの空腹を満たしてくれるのかしら。わたしの喉を潤してくれるのかしら。
名前さんは虚ろに瞳を揺らすと、生徒の首筋に齧り付きました。ぢゅるぢゅると血液を最後の一滴まで吸いつくし、カラカラに干乾びた生徒に問いました。なんでわたしの喉は潤わないの? それから丁寧に制服を脱がしガリガリと皮を食べ、バリバリと骨を食べ、何も残らない階段の踊り場に尋ねます。どうしてわたしのお腹は満たされないの?
彼女は思うのです。わたしのお腹を満たしてくれるのは、やっぱり四ツ谷先輩しかいない。早く屋上へ行かなければ――」
バンッ!
アルミが潰れる音がした。
音の鳴った方へ視線を向ければ、立ち入り禁止の張り紙が付いたドアが大きく開き、風を通していた。アルミ製のドアは風に揺れ、ガタガタとちいさく音を響かせている。人影は無い。
「これも、四ツ谷先輩の演出ですか?」
しかし問えども返事はない。試しに「真ちゃん?」と聞いても返事はない。
わたしはドアから視線を逸らせずに、背後に居るであろう四ツ谷先輩の口が開かれるのを待った。
「3年A組名前さん」
ペタ、ペタ、ペタ。
「彼女の姿を見た人はいない」
ペタ、ペタ、ペタ。
「だって、彼女の姿を見た人は」
ペタ、ペタ、ペタ。
「食べられてしまうのだから」
瞬間。わたしの視界は真っ暗になった。
「ギャアアァアアァァ!」
「ヒャーッハッハッハッハッ! 初めてだ! 初めて聞いたぞお前の悲鳴ッ! よかったッ! 実によかったゾッ!」
「ひ、卑怯ですよ四ツ谷先輩っ! ていうか! うわっなんですかこれ! 暗い!」
「俺のインナーの中だ」
「うわあぁあぁぁきったねええええぇッ!」
「汚いとはなんだ! 茜さんが洗濯してくれたものだ!」
……ていうか四ツ谷先輩胸板薄い。
「……先輩たち、何してるんですか……?」
その声は真ちゃん! 君はなんというタイミングで現れるんだ。
「怪談話以外に何がある」四ツ谷先輩はそう言ってのけたが、真ちゃんは怪しいとでも言うように目を細めた。
「え? いや、四ツ谷先輩が名前先輩を襲っている……とか、ハハ、まさかそんなことはないでしょうけど……ていうか本当に何なんですか?」
こうしていつも通り、四ツ谷先輩と真ちゃんの言い合いが始まる。そう。いつも通り。
わたしは卒業まであと何度、このいつも通りを迎えられるのだろうか。
四ツ谷先輩。わたしだけの怪談なんかにしないでください。どうか、わたしが卒業してからも、十増間さんと四ツ谷先輩の怪談と同じく、名前さんの怪談も、一緒に語り継いでくださいね。
20120116
20170103 加筆修正