高校生の彼ら



「はい、これ」
 差し出した依織の手を前に、絵心は目を瞬いた。
 その様子に、依織はあれ? と首を傾げる。
「今日、絵心くんの誕生日じゃなかった?」
「そうだが……なんで知ってる?」
 サッカーボール片手にベンチに座り、絵心は汗を拭いながら訝しく問いかけてきた。
 絵心は部活動の終了時間を過ぎても、こうやって一人で練習をしている。
 依織がその練習に気づいたのは、半年ほど前のことだ。
 図書館に通いつめて閉館ギリギリまで居座っている依織は、照明にてらされたグラウンドに人影があることに気づいた。
 しかも通り際に見てみると、それがクラスメイトだったので、声をかけたのが始まりだった。
 その頃の絵心は、依織のことなど認識していなかったのだが、帰り際に毎度声をかけているうちに、今じゃ練習中に声をかけても許される程度には仲良くなっている。
「四月に書いた自己紹介カードに書いてあったからさ……気づいたの今日だから、こんなのしかないんだけどね」
 教室の隅に貼りっぱなしになっている、各々のプロフィールが書かれた自己紹介カードは、一年も経つ今じゃ忘れ去られている。
 日焼けして色褪せたカードがふいに目に入って、詳しく見てみるとなんと今日が絵心の誕生日なのだから驚きだ。
(春休みでも学校来ててよかった……)
 借りていた本を読み終えてしまったので、司書の先生がいる今日、たまたま登校していたのだ。
「ああ、あのカードか……」
 小さく納得の声を出した絵心は、しばらく依織の手を見つめていたものの、ゆっくりと手のひらを見せた。依織は、にぎり拳を開いてコロリと手の内のものを落とした。
「あめ?」
「そんなのでごめんね。俺のおすすめの飴玉なんだ」
 ミルク味の優しい味わいのそれは、依織が常備しているものだ。
 白いシンプルな包装には、「おめでとう」とマジックで書かれている。飴玉の形に沿って書いたせいで、文字は少し歪んでいた。
 絵心の乏しい表情が、珍しく動き、黒目をさらに丸くしてしばたたく。
 その表情が存外幼く見えて、なんだか嬉しくなってしまった。
(絵心くんもそんな顔するんだ……)
 いつだってつまらなそうに席に座っていた。でも、サッカーをしているときだけ、その瞳がギラギラと輝くことを依織はこの半年でよく知ってしまった。
 サッカー以外で――それも、自分の行動で表情筋が働いている姿をみるのは、胸がくすぐったい。
「ふっ、ずいぶん自慢げに出してくるからなにかと思えば……ふはっ」
「え! ご、ごめんね! ほんとにこんなのかよって感じだけど……今度なにか持ってくるから」
 吹き出すように笑うから、心臓がドキッと跳ねた。笑うと、余計幼く見える。
 わたわたと手を振って慌てる依織に、さらに絵心は噛みしめるような笑い声を漏らして俯いてしまった。肩が震えているから、まだ笑っているのだと思う。
「別にこれでいい。まずかったら怒るけど」
「あ、味は保証するよ!」
 笑い疲れたように長い息を吐いてから、絵心がうっすらと微笑んで言う。
 夕日が半分沈んで夜空が生まれる空の下、その笑みがずいぶんと目に焼き付いた。
 とくとくと、心臓が速く高鳴って存在を主張する。
(な、なんだろう……これ……)
 初めての感覚に、依織は内心で首を傾げた。
 これ以上絵心を見ていると、もっと心臓がおかしくなりそうで、逃げるように「またね」と言ったものの……。
 普段は日が暮れて暗くなるまで練習している絵心が、なぜか今日は練習を切り上げて一緒に帰ると言ってきた。
 夜が深くなっていく空を背中に、依織は飴玉を転がす絵心の隣でドキドキしたまま帰路についた。


 このあと、絵心から告白されて付き合い始めるとは知らない。そんなまだ無自覚だった頃の話。


 ◆◆◆

 絵心さんお誕生日おめでとうございます!
 あんまり時間とれなくて、こんな短いお話になっちゃった……。