サンドバック主
拝啓、姫様。
あなたのお守り役であるアパルは、何故か古城の前で佇んでいます。
「ここ、どこ・・・・・・?」
ぽつりと呟いたアパルの声は、虚しくも重苦しい湿気た空気にかき消える。
きょとりと辺りを見渡すと、目を背向けたくなるような光景が広がっていた。
「うっ・・・・・・なにここ・・・・・・」
瓦礫の山と所々には血で濡れた身体を横たえた人の死体。昨日今日で出来たものではない。
人の身体は骨が見えているし、崩れた瓦礫に添うように蔦が這っている。
「戦争か何かがあったのか? しかしこうも復興が進んでいないと言うことは誰も生き残っていない? それともこの土地を諦めてどこかに去ったのか?」
凄惨さを思わせる光景に、アパルは口元を覆ったまま目の前の古城へと目を向けた。
この建物だけが、綺麗な形を保ったまま残されている。
「あれ? あそこ灯りついてる・・・・・・?」
ぽつんと一つの部屋に灯った明かりを見つけ、もしかして人がいるのかと希望が見えたとき、アパルの周囲に風が巻き起こった。
ガキンッ! と衝突音が耳をつんざき、衝撃波が広がった。
土埃と共に髪とマントが風に煽られ、危うく倒れ込みそうになるのを踏ん張って耐えながらゆっくりと目を開けば、アパルの眼前に薄緑色の半透明な壁が出来ていた。
自らの護身用に、とお守り代わりにかけていた防御壁が展開している。
それの意味するところは、たった今、アパルは命の危機に瀕していたということだ。
防御壁の向こうには、自らの体躯と同じ――いやそれ以上に大きな黒刀を構えた男が一人。
刀が通らないことに驚いていた男だが、帽子の下で目を細めて距離を取った。
アパルは刀を納めてくれるのかとほっとしたが、すぐに間違いだったと知る。
男は今度はその場で黒刀を振りかぶった。すると、その衝撃波が刃となってアパルを襲ったのだ。
「きゅ、急になんなんですか!」
またも防御壁が守ってくれたが、壁は強く振動し、歪んだ音を立てた。
自分の防御魔法にここまでダメージを与える人間を見たことがない。
アパルの頬に冷や汗が垂れる。
またも男が黒刀を振りかざしたので、もう勘弁してくれとアパルはへたり込んで声を上げた。
「誤解があるようなんですけど! ちょっと話を聞いて貰えませんか!!」
その宣言が功をなしたのか、男の動きが止まる。
衝撃に備えて両手で頭を抱えていたアパルはそろそろと顔を上げて男を見る。
「あ、あの敵じゃないんです! 何かの手違いでここに来てしまって・・・・・・場所さえ教えてくれればすぐに帰りますから」
「帰られては困る。俺と戦え」
そう言ってにべも無く斬りかかろうとするので慌てて待ったをかける。
「ちょ、ちょちょっと待って!? 敵じゃないって言ったよね? え、なんで?」
「その能力、俺の刀を二太刀入れても壊れないとは興味深い」
「え、これ? これが気になるってこと?」
アパルの声に答えず、また衝撃波が襲う。ガンッ! と衝突と共にまたも地震のような揺れと突風が巻き起こる。
土埃の先で、男の影がまた腕を振ったのが見え、恥も外聞もなくアパルは叫んだ。
「サンドバックでもなんにでもしていいから、とりあえず俺のことはどこかへ避難させてくれませんか!?」
◇◇◇
黒刀を持った不思議な男は、アパル自身が枯れ葉のように脆いと納得すると、ぺいっと端に放って防御壁に延々斬りかかっている。
その姿を見ながら、アパルは呆然と腰を抜かしていた。
(なにしてんだ、あの人・・・・・・?)
端的に言ってドン引きである。
だって壊れない防御壁を、小一時間斬りつけているのだ。何がしたいのか分からない。
とりあえず先の言葉と様子から見て、ミホークは己の力に自信があるらしい。その自分の力でも壊れない壁というのに興味津々な様子。
だからといってあそこまで執拗に防御壁を痛めつける人間を見たのはアパルは初めてである。
どうやらアパル自身に攻撃を仕掛けるつもりはないようなので、別にこのまま放って置いてもいいのだが、せめてここがどこなのか情報が欲しい。
姫様を放ってこんなところに長時間はいられない。
アパルの立場からして極刑と言うことにはならないだろうが、逃げたと判断されて一生軟禁なんてこともあり得る。せめて外に出るぐらいの自由は欲しい。
帰るためだと自分を叱咤し、アパルはまた謎の男に話しかけた。
「あの! ここはどこですか!?」
問いかけから数秒。その間も男は五度ほど刀を振りかぶっていた。
そうしてやっと落ち着いたのか、アパルを振り返る。
「偉大なる航路のクライガナ島だ」
「ぐ、グランドライン? もう少し詳しい情報はありませんか? 付近の国名などは?」
そこで初めて男は人間らしく表情を変えた。
・・・・・・と、言ってもまるで不可思議な者を見るような目で見てきただけだが。
「偉大なる航路だ。この近くに国はない。ここにはシッケアール王国があったが、内戦で何年か前に滅んだ」
なるほど、この有様は内戦のせいだったのか。
周囲に残る戦乱の跡にようやく腑に落ちた。しかし、知りたい情報が一向に出てこない。
男は、これがわかればいいだろうと、「グランドライン」と言う言葉を繰り返すだけだ。
しかし、アパルはグランドラインなどと聞いたことはなかった。
「あの、グランドラインというのはこの辺りの地名ですか? 他に目印になるようなものは・・・・・・?」
「貴様、グランドラインも知らぬような辺境からどうやってここまで来たのだ」
「いや、俺のいた国はむしろ世界でも有数の国土面積を誇る魔法大国でしたが・・・・・・?」
おかしいのはむしろそちらでは? と思ったが、男を見るにどうやら本気で言っているらしい。
ここにきて、ようやくアパルは思っていたよりも面倒なことに巻き込まれていることを自覚した。
◇◇◇
男――ジェラキュール・ミホークは剣士という者らしい。
そして、ここはどうやらアパルの元いた場所とは全く別の場所――異世界というものだと知った。
だって、アパルの知る世界は、レッドラインとグランドラインで四つの海に区分されてもいないし、ログポースというものも知らない。
それらがこの世界の常識なのだという。アパルのいた世界とは何もかもが異なる。
愕然としつつも、どこか身体から重しが取り除かれたような気分だった。
国がいまどうなっているのかは分からないが、己の身一つ――自由というものは久々だった。
そして、アパルは自分が世界を移動してしまった原因に心当たりがない。何かしらの魔法の影響だとは思うが、悲しいことにアパルは防御魔法以外はからっきしである。
つまり、自力で戻ることは不可能だと言うことだ。
それならば、自分がやることは決まっている。
「ジェラキュールさん」
「呼ばれ慣れん。ミホークでいい」
「ミホークさん。あなたがこの城の主と言うことでいいんでしょうか?」
「まあ、今は俺しか住んでいないが」
よし、話は早い。ならばこの人から了承を得ればいいのだ。
「どうか! ここに置いて頂けないでしょうか!? 掃除も家事もなんでもします」
ガバリと頭を下げて目の前の男に請う。
この島には人は住んでおらず、海に出るにはこの世界の航海術がいる。しかし、アパルはそれを持ち得ない。
つまりここで暮らしていくほかないのだ。
ごくりと息を呑んで男の返答を待つ。湿った地面を見下ろし続けて数分。いやそう思っただけで実際はそんなに過ぎてはいない。
刀をしまう音の後に、長い上着の裾が視界の隅で翻った。
「好きにしろ。掃除も家事も別段困ってはいない。ただし、」
「ただし・・・・・・?」
一体どんな無理難題を、と戦々恐々としていれば、ミホークは薄く笑った。
「あの謎の壁を出せ。斬りがいがある」
「そんなことで、いいなら・・・・・・」
話は終わったとばかりにミホークは古城に帰っていく。アパルは慌ててその背中を追った。
緑が溢れ、常に活気のあった賑やかな祖国とは正反対の薄暗くどんよりした空気の島。
そこで、アパルの第二の人生が幕を開けた。
◇◇◇
のんびり大きな欠伸をしながら伸びを一つ。
アパルが目を擦りながら洗面所に向かい、顔を洗えばようやく目がスッキリした。
ここに来たばかりの頃は、目が覚めると自身がいる場所に困惑したものだが、一ヶ月経った頃にはすっかり慣れ、二ヶ月経った今ではこの古城も住みやすくて気に入っていた。
何より、アパルとミホーク以外に人がいないというのがいい。
「国じゃあ絶対誰かの視線があったからな〜」
それも自分の立場を思えば当然のことなのだが、やはり一人で自由に出来る時間があるのじゃ開放感が違う。
不便していることを上げるとするなら、服がないことだろうか。
最初に己が着ていたものと、あとはミホークから貰ったシンプルなシャツと黒いズボンが数着。
しかも、袖も裾も長いし、ウエストだってぶかぶかだ。
ミホークとアパルは頭一つ分ちょっと背丈が違うので仕方がない。
しかし、故郷では別段高い部類だった訳ではないが、低いわけでもなかったので、ミホークが高すぎると思う。
実はこの世界ではミホークですら背の低い部類に入ることをアパルは知らない。
服を買おうにもこの島には他に住民はいないし、お店だってない。ならば、ミホークからどうにか譲って貰うほかないのだ。
ミホークは基本的に、アパルが防御壁を出せば大体交換条件には応じてくれる。
多分、サンドバックとして気に入ったのだと思う。
付加魔法を変えれば、カウンター機能や自動追尾型反撃魔法が使えると知ったときの顔は控えめに言ってやばかった。子どもが見たら泣くだろうな、と思うぐらいには笑みが怖かった。
そんなにワクワクしたのだろうか。
「おはよう〜」
のそのそとリビングとして使っている共用の部屋に顔を出せば、ミホークは出会ったときのような真っ黒な帽子と上着――ではなく、白いシャツの胸元を大胆に開け、くつろいでいた。
帽子を取るとあの荘厳さも少しは薄まって話しやすい。
最初は家主だからとビクビクして敬語を使っていたが、慣れた今では結構親しげに話しかけている。ミホークも、見た目の厳しそうな雰囲気とは違い、怒るようなこともない。
リビングに隣接されているキッチンで適当に朝食を作る。
家事を気にするなと言われていたが、何もしないというのも決まりが悪く、こうしてアパルが料理を買って出た。
と言っても、アパル自身料理の経験はあまりないので、簡単なものしか出来ないが。
今のところ不評はないので迷惑にはなっていないと思いたい。
(それより、この食材ってどこからきてるんだろう・・・・・・)
どちらかというと、そっちの方が気になる。
「ごはんできました〜」
適当に冷蔵庫にあった卵とハムを焼いた。最近は卵を丸めるのが楽しくて、だし巻き卵ばっかり作ってる。
アパルの声に、ミホークが新聞を閉じて端に避ける。
空いたスペースに皿を置けば、「今日は綺麗に丸まっているな」と声が届いた。
「そりゃ、一ヶ月近く毎朝丸めてれば慣れます・・・・・・」
恥ずかしい。
朝食を作り始めてしばらくした頃、さすがに卵のレパートリーが目玉焼きだけじゃ、と思って作り方は知っていただし巻き卵にチャレンジしたのだ。
まあ、結果はさっきのミホークの言葉から分かるとおり盛大に失敗したのだが。
「なんだこれは」
「だし巻き卵のなれの果て・・・・・・みたいな?」
スクランブルエッグにもなれなかった中途半端なものに、ミホークの眉が面白そうに持ち上がる。そのまま食べ始めたし、特に文句も言われなかった。
味自体に問題がなかったのが大きかったかも知れない。
しかし、自棄になって完璧に巻けるようになるまで一ヶ月かかるとは思ってなかった。
その間、ミホークから文句を言われたことはない。そのせいというか、おかげというか、自分の追求精神に火がついてしまってこうして綺麗に丸められるまで一ヶ月やり通してしまったわけだが・・・・・・。
綺麗に作れるようになった今、次は何を作ろうか。
レパートリーを増やそうにも本も情報も手に入らないのが困った。
「ミホークは何か食べたい物あります?」
「・・・・・・明日は俺が作ろう」
「えっ」
つまり、戦力外通告!?
ぎょっとしたアパルに構わずミホークが食器を片す。今日も綺麗に完食してくれている。
(やっぱり毎朝同じものじゃ飽きるよな〜でも料理の知識がない・・・・・・)
ミホークが、アパルの料理の完成度が日々上がっていくことを密かに楽しんでいるとも知らず、アパルは悩む。
しかし、考えたところで自分が知らぬものはいくら頭を捻っても出てこないので、明日はとりあえずミホークの言葉に甘えることにした。
「今日も外に行くのか」
「うん。まだ何人も残ってるから・・・・・・早く土の下に入れてあげなきゃ」
「俺もやろう」
「えっ!? ミホークが!?」
驚きのあまり思ったより大きい声が出た。ハッとして口を噤む。
案の定、不機嫌そうな顔がこちらを見た。
「なんだ、何か不満でもあるのか?」
「いーえ、全然」
ただ、この二ヶ月干渉してこなかったので、驚いただけだ。
朝食後の暇な午前の時間を、アパルは外に転がる名も知らぬ亡骸の供養に当てていた。
魔法で運んで燃やしてしまえばすぐに終わるのだが、なんだか人の魂の供養に時短ワザを使うことに抵抗があったので、一人一人手作業で進めている。
最近じゃ、この島に住むヒヒの子たちも手伝ってくれるので、始めた頃よりは随分と楽になったのだ。
「キャホッ!」
「おはよう。瓦礫をどかしててくれたの?」
ひょこひょことヒヒ――正確にはヒューマンドリルというらしい――の子が近寄ってきたので挨拶代わりに頭を撫でる。
最初は威嚇してきたりとこちらを警戒していたが、今じゃすっかり仲良しである。つい姫様にやっていたときのくせで、手伝ってくれたときに一匹の頭を撫でると、なぜか他の子も倣って頭を差し出すようになった。
かわいいので特に気にしていない。
しかし、ミホークからすると意外な光景らしい。
撫でられた後にまた鎧をかぶって吠えながら残った瓦礫に向かうヒヒを見て、ミホークは目を細めた。
「本当によく懐いているな。珍しい」
「そうかな? 結構人なつっこい子たちだよね」
「ふはは、あれらをそんな風に言えるのもお前だけだろう」
ミホークはクツクツと随分楽しそうに笑ってる。そんなに変なことを言っただろうか、とアパルは首を傾げた。
そうして昨日のやり終えたところまで来られたので、まだ地に伏せたままの遺体を一人抱える。
アパルは長年城に引きこもって姫様方のお守り役兼家庭教師をしていたせいで、言っちゃなんだが筋肉がほとんどない。つまり、一人運ぶにも重労働なのである。
「あ、ありがとう」
「お前が礼を言うのか」
「え? あ、ああ確かに・・・・・・俺がお礼を言うのも変かな?」
腕にかかる重みがふっと軽くなったと思えば、ミホークが身軽な足取りで進んでいく。仕立ての良さそうなシャツが汚れるのも厭わず。
こう言ってしまうとあれだが、真顔のミホークは冷酷そうな人間に見える。
しかし、一緒に住んで分かったことだが、意外と表情はコロコロ変わるし、声を上げて笑うし、こうして何の戸惑いもなく骸に手を伸ばせるような人物なのだ。
意外、と思いつつも、片隅ではやっぱりという気持ちもあったのだ。
(俺がやる前から、すでに埋葬されてる遺体もあったし・・・・・・やるとしたら、ミホークしかいないもんね)
ヒヒたちに弔っているつもりはない。
ただ、アパルの真似をしているだけなのだ。
(優しい・・・・・・とはちょっと違う? なんだろう、死者に手を伸ばすことを厭わない、当たり前さって言うかそういうの・・・・・・)
きっと、ミホークは自分の敵でも切り伏せ、骸にした後は人としての礼儀は通すのだろうな、と当然のように想像出来るのが、なんだかアパルの心を揺する。
――アパル様! 見て下さいよ、あいつら! アパル様の結界に手も足も出せずに返り討ちです!
嬉々とした声が、頭に過る。
その時の息苦しさまで思い出して、アパルは口元を覆った。
あの場で自分だけが、あの状況を見て気味悪がっていた。
あの光景を生み出したのはアパル自身だというのに。
「どうした?」
前方、少し進んだ先でミホークがアパルの方に戻ってくる。手ぶらな所を見ると、墓地の方に置いてきたらしい。
火にくべるときは申し訳ないが、ある程度まとめてくべている。
「ううん。なんでもない・・・・・・ミホーク」
「なんだ」
「ありがとう」
「ふっ、だからどうしてお前が礼を言う」
ミホークはおかしそうに短く鼻で笑う。確かに、この遺体たちはアパルからしてみれば知らぬものだし、ミホークが弔ってくれたことに礼を言うような立場でもない。
(それでも、ありがとう)
自分の中の正しさを、アパルは再確認できたから。なにが当たり前で、なにが当然なのか。
アパル自身は、一体どう思っているのか。
あそこにいたらどんどん消えていく自分自身が、ミホークとの生活でようやく湧き出て輪郭を作り始めていた。
例えここに来たことが望んだことではなかったとしても。
長い故郷での数百年よりも、この古城での二ヶ月の方がアパルからしてみればよっぽど生きている実感があった。
このあと仲良くなるし、そのうち部屋は一緒になるし、同じベッドで寝るようになって穏やかな生活していくけど、急に元の世界に戻っちゃって激おこミホークが迎えに来てくれる。
二人でシッケアールで仲良く夫婦生活してたらそのうち娘(桃色髪)と息子(緑髪)が出来るよ!!やったね!!