物語は始まらない。3


 アパルは、屋敷の裏庭で木陰に座りくつろいでいた。
 夏も過ぎて涼やかな風が吹きこむようになり、過ごしやすい気候になった。頭上では、葉が擦れ合って囁き、午後の陽差しを遮っている。
 手元の本を閉じ、アパルは「ふう」と息をついた。
 いつもだったら、部屋で紅茶でも飲みながら本に耽っているところだが、いつもお茶を淹れてくれているアーシンは買い出しに出ている。
 料理人のガランは基本的に厨房からは出てこないので、今はデンジとアパルの二人だけだ。ポチタは散歩がてらアーシンの買い出しを手伝いに行ってしまった。
(気まずいわけじゃないんだけれど……落ち着かないんだよね)
 要は、部屋にデンジと二人きりになることから逃げてきてしまったのだ。
 デンジが年頃の男の子だとは知っている。しかし、アパルの事情であまり外に出させてあげられない。出られたとしても買い出しぐらいで、それこそ女の子と知り合いになる機会なんてほとんどないだろう。
 そういった欲を抱えるのは年齢を考えれば当たり前だし、申し訳なく思っていたのは本当だ。その願いを叶えてあげたいな、と声をかけたのが今から数ヶ月は前のこと。
 あの日、アパルは自室のベッドの上で生まれて初めて快感というものを思い知らされた。
 肌を撫でられ、舌で嬲られ、頭の中が真っ白になって体がふわふわと浮かんだまま帰ってこないような、そんな不思議な感覚。
 嫌だったわけではない。デンジがアパルでいいというのなら、これからも体を差しだしてあげたいとは思う。
(でも……ちょっと、回数が……)
 デンジとのあれやそれやを思い出してしまい、アパルの頬に熱がのぼる。
 体にまでその熱が回って、思い出した快楽に身震いしてしまった。
 初めてベッドの上で身悶えさせられた日から、アパルは二日に一度はデンジにその肌を許していた。
 なにもデンジに強いられているわけではない。
 彼も、あれは一度だけと思っていたのか、最初のうちはなにも言ってこず、いつも通りの日常が過ぎた。しかし、ふとしたときにアパルは自身の体に向けられるデンジの熱のこもった視線に気づくようになってしまった。
 そうしてある日、デンジに泣きそうな顔で「もう一回だけだめっすか?」と言われてしまっては、アパルはそのまま部屋に招くことしか出来ない。
「すんませんアパルさん、俺、我慢しなきゃって思ったけど……」
 なんて、アパルのことを思って泣き言を言いながら触れてくる子どもに、どうして拒否なんて出来るだろうか。
「デンジ、私はデンジのことが大事だよ。だから、お願いはなんでも叶えてあげたい。我慢なんてしなくていいんだよ?」
 と、涙で濡れた頬を包んで言ってしまった。その日、アパルは明け方近くまで啼くことになったし、アパルの言うことを素直に受け止めるデンジは、それからは我慢せずに声をかけてくるようになった。
 そう、二日に一度は強請ってくるのだ。
 なにも毎回、夜の間すべて貪られている訳ではない。夜にアパルの自室を訪ねてくることもあれば、アーシンが買い出しでいないときに、短い時間、アパルの胸に触れてくるだけのこともある。
 そして、最初は胸だけだったものが、そのうちアパルがデンジを慰めてあげることもあるし、どこで仕入れた知識なのか、この前は後孔を指で弄られてしまった。
 さすがに後ろに触れられるのは、と戸惑いもあったが、子犬のような顔で「ダメすか?」と訊かれると、なんでも叶えてあげたくなってしまう。
 結果、アパルは次の日は立てなくなるまでいじくり回された。
 床に伏せるアパルの横で、デンジは「すんません! すんません!」と泣きそうになりながらベッドの回りをぐるぐる回っていたが、子犬みたいな様子に、やっぱりアパルは頭を撫でて「大丈夫だよ」と言ってしまったのだ。
 触れられることが嫌な訳ではない。痛いことやひどいことはなにもされていないし、デンジは幼いころから慈しんできた子どもだ。嫌いになるなんてあり得ない。
(ただ、あの目が落ちつかないだけなんだ……)
 期待のこもったきらきらした子どもみたいな目の奥には、ドロリと渦巻くような欲が浮かんでいる。
 その目で見つめられると、アパルの体が勝手に快感を思い出して、見られただけでどこか腹の奥が疼くような気がしてしまうのだ。
(私の体はどうしてしまったのだろう……)
 こんなにはしたないと知れたら、デンジにもアーシンたちにだって幻滅されてしまう。
 そのため、どうにかデンジと距離を取って正常に戻そうという、この部屋からの逃走はアパルの一種の試みなのだ。
 ――ニャー……
「ねこ……?」
 ふいに、微かな猫の鳴き声が聞こえた。芝生に座ったまま木陰から身を乗り出すようにきょろきょろと周囲を探っていると、背後から白いふっくらとした猫が姿を現した。
「わっ、可愛い……どこから来たの? 野良猫ちゃん?」
 耳と頭頂部の一部だけが茶色い毛で覆われた、ずいぶんと特徴的な猫だ。手をかざすと、猫はペロペロとアパルの手を舐めた。
「ふふ、くすぐったいよ」
 そおっと指先で猫の輪郭に沿うように撫でる。すると、猫はゴロゴロと喉を鳴らす。可愛らしい姿に、ほっと息が漏れた。
「ニャーコはワシのじゃぞ!」
 突然、頭上から若い女の声が響く。驚いて見上げると、そこには鳥の巣のようにボサボサの髪に、全裸の少女が木の枝に立っていた。
 慌ててアパルが目を隠そうとしたが、それよりも早く少女が降り立つ。
 隠す様子もなく、アパルの目の前に仁王立ちするので呆気にとられてしまった。
 その間も、猫はアパルの手に戯れている。
「あの、きみは?」
「ニャーコの飼い主じゃ!」
「ニャーコちゃんて、この猫?」
「そうじゃ!」
 ふん、と胸をはって威張る少女は、ついで自身を親指で示しながら「ワシはパワーじゃ!」と高らかに言った。
「パ、パワーちゃん。その元気なのはいいのだけれど、その女の子だから、体は隠した方がいいよ?」
 そう言ってアパルは羽織っていたカーディガンを渡せば、パワーはそれを受け取ることもなく首を傾げた。
 まるで、意図が分かっていないように。
「ワシにそれを着ろというのか?」
「うん。それじゃあ、寒いでしょう?」
「ぜーんぜん寒くないぞ! なんて言ったって、ワシは魔人になる前はすごく強い悪魔じゃったからな!」
 鼻息荒くふんぞり返るパワーに、アパルは目をしばたたいた。
 魔人……? この子が?
 それにしては容姿が人間に近すぎるし、会話が通じる。
 たしかに亜麻色の髪の隙間を縫って、頭頂部からは赤い角が二本覗いているけれど、それ以外は丸っきり人間だ。
 ハンターに連絡を取るべきだろうか――?
 一瞬そう過ったものの、アパルの目にはパワーがただの元気な子どもにしか見えない。それに、ニャーコのことも殺さずにちゃんと飼い主をしているようだし、危険性が見えなかった。
(ポチタだってあんなに可愛い良い子だけれど、悪魔だし……大丈夫かな?)
 魔人と猫が芝生の上で寝転がってじゃれ合っている様を、アパルは微笑ましく見守り、通報はしないことにした。
 パワーの格好は目に毒だけれど、本人が全く恥ずかしがってもいないし衣服を着る気がないので仕方がない。
 元気な二人の声を後目に、じっと見ているのも居たたまれなくて、アパルが再び読書に戻ろうかと本を開いた時だ。
「いたっ」
 指先に鋭い痛みが走り、反射的に本を手放してしまう。見ると、指の腹にスッと短い切り傷が一本引かれている。
 どうやら紙で切ってしまったようだ。
 ぷっくりとにじみ出た血が、赤い粒となって膨れ上がった。
(あーやっちゃった……)
 このままじゃ本が汚れちゃう――とハンカチを出そうとしていると、ふとアパルの周囲の影が濃くなった。目の前に肌を晒した足が二本伸びている。
「パワーちゃん?」
 見上げると、パワーがアパルをじっと見下ろしていた。ニャーコはまだ日向で寝転がって遊んでいる。
「血じゃ。いい匂いがするのお……」
 屈んだと思えば、パワーはくんくんと鼻を鳴らしてアパルに顔を寄せた。そして、ペロリと指の血を舐め取る。
「うっ、うまい!」
「わあ、パワーちゃん!?」
 わっ、とのし掛かるように押し倒されてしまったアパル。パワーは、指先の血をペロペロとなめていたが、そのうち舌は肘を伝い、腕へと移動して首筋までのぼってくる。
「なぜウヌの肌からはこうもうまそうな匂いがするんじゃ?」
「パワーちゃん、舐めちゃダメだよッ」
 肩に手を置き、力を込めたところで細い少女の体はびくともしない。パワーはその間にも首や顎を舐め、次に歯を食い込ませた。
 鋭い歯がアパルの白い肌を貫き、そこから赤い鮮血を流れさせる。
「痛っ! ぱ、パワーちゃんダメ……だめッ」
 食われるかと恐怖が頭を巡ったのは一瞬のことだった。パワーは、そのままアパルを喰らうこともなく、噛まれたのもその一回きりで、そこから流れる血をひたすら子猫のように舐めている。
(ど、どうしよう……変な気分になってきちゃった……)
 痛みなんて牙を入れられた瞬間だけで、そのあとは湿った舌が何度も首筋を往復するから、皮膚の表面がヒリヒリと刺激に震える。
「んう……パワーちゃん、もういい?」
 舐める勢いも弱まって、終わりかな? とほっと力を抜いた。それで抵抗をなくしたと思ったパワーは、肩を押さえつけていた手をするりと外した。
 しかし、その時――。
「あ、んうッ!」
 細い少女の指が、アパルの胸の突起を掠めた。ひくりと喉を振るわせて出た高い音に、アパルはハッとして顔を赤らめながら口を手で覆う。
 パワーも急なことに驚いたのか、あれだけ一心に舐めていた血のことも忘れ、大きく目を瞬かせてアパルを見た。
「なんじゃ? 今の声は」
「あの、違くて……今のは……」
 デンジが頻繁に触るものだから、すっかり敏感になってしまったのだ。
 けれど、そんなことを言うわけにもいかず、アパルは口ごもる。
「なんか良い声じゃったのお……このあたりに触れたら出たの……」
「あ、こらパワーちゃ、あ、だめ!」
 スルスルとシャツの上から探るパワーの指は、簡単にアパルの乳首を見つけ出した。
「なんじゃこれは?」
「パワーちゃん、それ触っちゃ、あッ! だめなところなのぉ……ひゃあ、あん」
 シャツの布の感覚を擦り付けるようにこすられ、突起が硬さを持ってくるとパワーの指が挟み込んできゅうと摘まむ。
 ひくひくと腰を震わせながら制止するが、パワーには全く届いていない。
 パワーは新しい玩具を見つけた子どものように笑いながら、片手で簡単にアパルの腕を押さえ込んでしまった。
「これ面白いのお……形が変わってくるぞ。それにウヌからも心地よい声が出る」
 そう言って、加減を知らない無邪気な子どものような魔人に、アパルはデンジが助けにくるまでの十数分間弄ばれ続けていた。


(そこの女ーー!! アパルさんになにしてやがんだ!!)
(なんじゃうるさいヤツが来たのお?)
(そこいじっていいのは俺だけの特権なんだぞ!? 離れろ!!)
(いやじゃ! これはワシの玩具じゃ!!)
(ひゃっ! パワーちゃん、おねが……もう離してぇ……!)
(あ、アパルさん! 俺以外でそんな顔を……!?)
(ご、ごめんなさい。こんなにはしたなくてごめんねぇ)
(俺は反応いいアパルさんが好きっす!! ってことで回収!!)
(ああ! ワシの玩具が!!)
(へへ、アパルさんはこれから俺といいことするんだよ!!)