きみに片想い 幕間


 次の試合に向けての練習後――トレーニングルームからの帰り道、我牙丸は背後から呼びかけられた。振り向くと潔が駆け足で近寄り隣に並ぶ。
「なあ、あれってマジなのか?」
「ん?」
 我牙丸がなんの話だろうと首を傾げると、すかさず「昨日の話だよ」と潔はつけ加えた。
「来る直前に告られてキスしたって」
「ああ……うん、マジだ。依織泣いてたんだよな……」
 ぼそりと独りごちた我牙丸の呟きに、潔は昨日からの疑問を向ける。
「我牙丸って、男から告られんのはじめてじゃねーの?」
「いや、初めてだけど。てゆーか女子からもない」
 なんで? と首を傾げれば、潔は慌てて弁明するように早口で言う。
「あ、いや……昨日もだけど、戸惑ってるとか迷惑がってもないし、むしろ相手のこと気にかけてる感じだったから慣れてんのかなって」
 勝手に俺が思ってただけなんだ! という潔の言葉に、我牙丸は自分の言動を振り返る。
 確かにビックリはしたけれど、迷惑だと思うような不快感も戸惑いもない。徐ろに、あの柔らかな唇が触れたところを指で撫でる。――むしろ落ち着くような不思議な心地だ。
 しかし、泣き顔を思い出した途端に胸が苦しくなった。
 いつも穏やかに微笑む依織の目元に堪えたように力が入り、歪んでいた。
 一心に見上げてきた瞳には、夕暮れで染まる放心した己の間抜け顔が映っていた。
 長い睫毛で縁取られた瞳がゆっくりと瞬き、その拍子にぽろりと涙が一粒零れ、依織の滑らかな頬を滑り落ちた。
 その美しさに我牙丸は息を呑んだのを覚えている。
「……たしかに嫌じゃない。依織が泣いてる方が嫌だ」
「えっと、その依織さんて我牙丸にとって大事な人なんだな?」
 潔の問いに、我牙丸はこくりと頷いた。
 そりゃ、高校の三年間で一番近くにいた人物だ。お人好しでいつも笑っていて、力も弱いし体力もない。我牙丸が傍にいないとすぐに死んでしまいそうなほどか弱い。
 本人が聞いたら怒りそうなことを考え、天井を見上げながら「あー」と我牙丸は呻くように喉を震わせた。
「思い出したら会いたくなってきた……」
 ぽつりと無意識に落ちた我牙丸の言葉に、隣にいた潔はぎょっとして目を丸めた。そうして、そろそろと我牙丸に訊ねる。
「……あのさ、我牙丸ってその依織さんのこと好きなのか?」
「好き、だけど……依織が言ってるのは恋愛とか付き合うとかそういうの? だろ? 同じかどうか分からん」
 依織のことは好ましく思う。
 我牙丸は、自分が他者の感情に疎い自覚があった。しかし、全くの無知というわけでもなかったので、「好き」にいくつも種類があることは知っていた。
 そして、依織が言った「好き」というものが、世間一般で言う恋愛感情であることも彼の様子を見れば察した。
 けれど、自分の気持ちが分からない。初恋もまだな我牙丸には、「恋」というものがなんなのか分からない。
 胸に湧く依織へのこの気持ちが、果たして「恋」に分類される「好き」なのかは判別がつかなかった。
 難しい顔で、我牙丸は悩ましい声を上げている。
 潔が立ち止まったことにも気づかないほどで、そのまま一人で廊下を進んでいった。そんな我牙丸の背を、潔は立ち尽くしたまま見送った。
「……いや、それ好きじゃね?」
 呆然と落とした潔の声に、後ろから歩いてきた國神と千切が「どうした?」と窺う。
 やぶ蛇をつつき、面倒ごとに片足突っ込んだ自覚のあった潔は、すぐさま肩を組んで二人を捕まえると、さっきまでの我牙丸の話を二人の制止も聞かずに一方的に聞かせ、無理矢理巻き込んだ。

 翌日。
「潔、ちょっといいか?」
 しょぼんと背中を丸めた我牙丸に呼び止められた潔は、自分一人の手では負えないと悟り、すぐさま國神と千切に集合をかける。
 そのうち「我牙丸の恋の相談会」には蜂楽も加わり、当人である我牙丸含めた五人の高校生が輪を作って恋バナする姿を、モニター越しに発見した絵心は遠い目をした。しかしそれも刹那のことで、サッカーに支障は出なかったので見なかったことにした。