天使の輪っかは行方不明


 海に浮かぶ鯨を模した帆船――モビー・ディック号。その遥か後方に浮かぶ一つの小さな影。
「え〜!! エース笑ってる〜〜!! よかった〜〜!!」
 双眼鏡を覗きながらぐずっと鼻を啜るのは、背中に真っ白な羽を生やした青年――アパルである。
 数十年前に運悪く天界からフーシャ村に落っこちてしまった本物の天使で、落ちた拍子に天使の輪っかを無くしたので天界にも帰れずフーシャ村で過ごしていたところ、エースたちの兄という立ち位置に落ち着いた男である。
 ちなみにアパルの天使の輪っかは、コルボ山を駆け回っていたエース、サボ、ルフィによって発見されているが、これがあるとアパルが帰ってしまうと周知していた三人は、無言のままに海にほっぽってしまったので現在の所在は不明である。
 本来、フーシャ村でルフィやダダンたちと暮らしているアパルだが、なぜこんなところにいるのかというと――。
「七武海の誘い断ったり、白ひげに喧嘩挑んだりして心配になってきてみたけど、楽しそうにやっててよかった〜〜!!」
 つまるところ、心配で様子を見に来てしまったということなのだ。
「まさか白ひげの船に乗って毎日暗殺計画立ててるのはびっくりしたけど、なんだかんだ良い感じに落ち着いてるし・・・・・・」
 笑顔も見られるし、どうやら杞憂だったようだ。
「そろそろルフィも待ってるだろうから、帰ろうかな〜」
「へぇ? どこに帰るんだよい」
「え? そりゃ〜可愛い弟が待ってる家に・・・・・・え、?」
 アパルがいるのは海のど真ん中。しかも空中である。
 一体、今のは誰の声なのかと錆び付いたブリキ人形のように首を回せば、そこには青い炎の羽根を羽ばたかせた男がいた。
「ここ数日、俺たちを見てたのはお前だよな?」
 じっと見てくる座った瞳に、アパルは「ひゃい」と震えた声で返事をして、白旗を振ることにした。


「で? 俺たちの船を見張ってたのがこの小僧だってのか?」
 アパルの何倍もある巨漢の男――エドワード・ニューゲートの前で転がったアパルは(年齢だけなら誰にも負けないもん)と、縛られて自由のきかない身体をなんとか起こしながら悪態をつく。
 甲板のど真ん中に落とされた見目麗しい青年の姿に、周囲を囲う船員たちは驚いたように目を瞠ったが、この海において見た目で強さは測れない。
 たとえ触れただけで折れそうな手足をしていようが、稀に見ぬ美貌を持った人物であろうが、警戒を緩めることはなかった。
 こっそり覗いてこっそり帰るはずだったのに・・・・・・と内心で涙を流しながら、アパルは誤解を解こうとぴゃっと勢いよく話し出した。
「ご、誤解なんです〜! 決して危害を加えるために見ていたわけではなくて」
「でも何日もずっと船をつけ回してたよな?」
「うぅ、それはただ弟の様子が心配で〜〜」
 縛られてるせいで羽根が痛いし、周囲からの視線も厳しい。しかも隣で佇むマルコの見下ろす視線がまた恐ろしかった。
(弟の家族に不審者を見る目で見られるのめちゃくちゃ心に来る・・・・・・!)
 情けなく喚いたアパルの言葉に、船員たちが首を傾げた。
「弟・・・・・・?」
「あれの弟・・・・・・?」
 確かにこの船には金髪の者も、碧眼の船員もいるが、目の前でぽろぽろと涙を流す、壁画に宿る天使のような遺伝を感じる人物にはみんなとんと覚えがない。
 嘘じゃねーのか? と疑惑の目が増えていく中、人混みの奥から誰かが声を上げて前に躍り出てきた。
「俺が便所行ってる隙になにかあったのか・・・・・・は?・・・・・・」
「ああ、ウチの船を何日も追いかけ回してやつを尋問してんだ、ってどうしたエース?」
 癖のある黒髪と快活な笑み。鍛え抜かれた上半身を晒した男――エースは、アパルを見ると指を差して顎が外れそうなほどに大きく口を開けて驚愕を表す。
 そして、アパルはアパルで「救いの神が来た!」と初めて表情を明るくし、笑顔を見せた。
「な、なんでアパルがここにいんだよ!!?」
「え、エース〜〜!! これとって〜〜!! 羽根が痛くて背中攣りそうなんだよ〜〜!!」
 びええ、と音がつきそうな勢いで泣きつつもその美しさの崩れぬ兄の姿に、エースは「はあ!?」と混乱をそのままに声を出した。
 そして、驚いたのは周囲も同じで、一拍の後に「ええ〜〜〜!?」と船員たちは驚愕の声を上げた。


「なるほどな。弟が心配だったからこっそり様子を見てこっそり帰るはずだったと・・・・・・」
 頭が痛いとばかりに、話を聞いたマルコは頭を抱えた。
 ニューゲートは酒瓶片手に笑い声を上げる。
「グララララ、弟のためにわざわざ新世界まで飛んできたってのか! 愛されてるじゃねぇか、エース」
「いや、まあ・・・・・・愛して貰ってんのはわかってるけどよぉ・・・・・・」
 照れで頬を染めたエースだったが、しかし自身の頬や頭に触れる手の持ち主に、我慢ならないとばかりに噛みつく。
「アパル!! いい加減撫でんのやめろよ!!」
「だってエースに会えると思ってなかったし・・・・・・最後に会ったときより大きくなってる・・・・・・でもやっぱり可愛い〜〜」
 アパルはぎゅう、と弟の頭を抱き寄せて頬ずりしながら頭を撫でる。そして、そばかすの散った頬に柔いキスを何度も落として親愛を示した。
 最初はいつものようにされるがままだったエースだが、周囲の生ぬるい視線に気づき、真っ赤になって腕を振り払った。
「可愛いっていうのやめろって! キスもすんな!」
 それに衝撃を受けたのはアパルだ。
 今までどれだけ抱きしめたって抵抗なんてされたことがなかったので、嫌われたのかと顔を真っ青にして狼狽える。
「む、昔はおやすみのチューを忘れたら叩き起こしに来てたエースが・・・・・・!?」
 ガーン、と本気でショックを受けるアパルの様子に、最初に耐えきれなくなったのはサッチだった。
「ひい〜! あっはっは! エース、お前おやすみのチューしてもらってたのかよ!」
「本当に愛されてんだな。こりゃ遙々海を渡ってくるはずだ」
 末っ子の微笑ましさに笑みを噛み殺したイゾウも続く。
 顔だけじゃなく身体まで真っ赤にしてエースは兄貴分たちに吠える。
 別にアパルの愛情表現が嫌な訳ではない。ただ、世間一般ではそこまで顕著ではないことを知っているので、他の人間に知られるのが恥ずかしいだけだ。
「ん? おい、どうしたよい?」
 炎を出しながら兄たちの後を追っていたエース。しかし、マルコの声にハッとアパルを見やる。
 ショックを受けて蒼白としていた顔は、更に血の気を失っており、今にも倒れそうだ。
 気分が悪そうに口元を手で覆い、マルコに肩を支えられながら座り込む姿にエースは焦燥と共に兄の名を呼んだ。
「アパル! どうしたんだよ!」
 エースの剣幕に、やっと周囲もアパルの様子に気づいた。
「ちょっと気分が・・・・・・」
「きもちわりぃのか? どっか悪いのか? どうしたんだよ」
 わたわたと両手を振って慌てた様子のエースを横目に、マルコは兄からの一方通行でもないんだな、と認識を改めた。
 そして、泣きそうな顔の末っ子に「マルコ!」なんて助けを求める顔で見上げられれば、期待に応えないわけにはいかないだろう。
「おい、ちょっと診るぞ?」
 アパルの顔を窺い声をかけると、白い肌から更に生気を無くしたアパルが今にも倒れそうな顔でマルコを見つめた。
 僅かに潤みを増した碧眼は、凪いだ海に見つめられているようでドキリと胸が打たれた。
 そんなマルコが症状を窺おうとするよりも早く、アパルの小さな口が音をのせる。
「こ、」
「こ?」
「この数日、飲まず食わずに寝てなくて・・・・・・ちょっと死にそう・・・・・・」
 ごくりと周囲が息を呑んで見守る中、アパルはそう言い残して意識を失った。
 ふらりと倒れ込みそうな身体を抱き留め、マルコはその線の細さに驚く。
 末っ子がアパルの肩を掴んで揺さぶろうとするのを止めながら、「中に入れてやれ」というニューゲートの言葉に頷き、マルコはその身体を抱き上げるのだった。

 ◇◇◇

「アパル? こんなとこにいていいのか?」
「ん〜? 大丈夫大丈夫。エースと一緒にご飯食べる以上に大事なことなんてないから」
 それよりお弁当ついてるよ、とエースの口元についたご飯粒を取って自身の口に運ぶ。
 にっこり微笑んで見つめてくるアパルの視線に、エースは僅かに頬を赤らめながらも目を逸らすだけで「サンキュー」と返す。
 衰弱していたこともあり、数日モビーで療養していくことが決まったアパルだが、何度言っても他の船員の前で村にいた頃と変わらず甘やかしてくるのでもう諦めたのである。
 アパルと一緒にいられるのもそう長くはないので、それなら少しは久々の兄を堪能しても良いだろうという開き直りもあった。
 しかし、昨日の今日で朝っぱらから一緒に食堂にいていいのだろうか? とエースは内心で首を傾げる。
「いいわけがねぇだろい」
「あ、マルコ」
「ギクッ!」
 アパルの背後で青筋浮かべながら仁王立ちをした兄貴分の姿に、エースは皿を持って僅かに後退した。
 アパルはマルコの怒りの原因がよくわかっているので、気まずそうに視線を左右に揺らして冷や汗をかいている。
「俺は昨日、しばらく安静にしてろと言ったはずなんだよい」
「た、確かに言われた・・・・・・かも・・・・・・?」
「言ったんだ」
「言われました」
 頑なに己を振り向かないアパルに、マルコは耳元に顔を寄せて低く言葉を向ける。
「なのに起きて様子を見に行けばベッドはもぬけの殻で、食堂でヘラヘラして笑ってんのはどういうことだよい?」
「いや、だってエースが元気いっぱいにご飯食べてるところ見たかったんです・・・・・・」
 問い詰められた被告のように、さめざめとアパルが白状する。
 ため息を大きくついたマルコは、野次馬をしていたサッチに消化に良いものを頼み、アパルの首根っこを掴んで持ち上げる。
 いや、本当は首元を掴んで引っ張って行こうとしたのだが、想像以上に軽い身体は簡単に持ち上がってしまったのだ。
 「ぐえ」と声を上げたアパルに驚き、マルコは手を離してその全身をジロジロと見分する。
 女のように肉付きがよい訳ではないが、あまりに細すぎる。手首なんてマルコの手で余るほどだし、足だって蹴り一発でへし折れそうだ。
「もっと食わせねぇとダメだな・・・・・・こんなにひょろくて・・・・・・一体何日食ってねぇんだよい」
 深刻そうにぶつぶつと呟くので、さすがに申し訳なくなったアパルが口を挟む。
「いや〜元々この体型で特に変わりはしないんですけど・・・・・・? マルコさ〜ん?」
 そろりと申し出てみたが、全く聞こえていないようだ。
 眼前で手を振っても反応がないので、諦めてエースの元に行こうと踵を返したアパルだったが、振り向いた拍子にまた首を引かれた。
「しょうがねぇちゃんと太らせてやるから安心しろ」
「え、だから俺は天使だから体型は変わらないって」
「とりあえず飯を食え飯を。だが消化にいいもんからだ。ウチのコックは腕はいいから安心しろい」
「いや、そういう心配はしてないんですけど。え、ちょっとどこ行くんですか」
 首に腕を回され、ズルズルと引きずられるので慌ててアパルはマルコを呼び止める。しかしその動きが止まることはない。
「医務室だ。広い船の中うろちょろされちゃ探すのに苦労するからな。当面はそこから出るなよい」
「え!? 医務室ってエースとは一番遠い場所では!? せっかく可愛い弟に会いに来たのに!?」
 喚くアパルの反論を聞き流し、マルコはアパルを連れて食堂を出て行く。
「アパルは細すぎるから確かにもっと太った方が良いな」
 と、兄の話を何も聞いていなかったエースは二人をそのまま見送った。
 ただちょっとだけ寂しい気持ちもあるので、あとで少しだけ顔を見せに行こうとは思ったが。
「にしても・・・・・・なんかマルコ楽しそうだったな・・・・・・?」
 なんでだ? と首を傾げるエースの横で、イゾウだけはなにやら察したように笑みを浮かべていた。

 なぜか弟の家族によって始まってしまったアパルの食育に、ただ首を傾げるしかない。
 だが、食べ物に罪はないので、作ってくれたものは有り難く全て頂戴した。
 医務室に軟禁状態になりすでに三日。たま〜にエースが顔を見せに来てくれるが、やはり隊長ともなると忙しいのかほんの数分で出て行ってしまう。
 最初のうちは、ちゃんと馴染んでるな〜と微笑ましく見送っていたのだが、回数が重なれば段々とアパルの中の兄心というものが疼く。
 元々天使にとって人間というのは可愛い生き物である。
 それが赤ん坊の頃から知ってる弟となれば、そりゃもう目に入れても痛くないどころか、食べちゃいたいぐらいに可愛くて可愛くて仕方がない。
 その弟が傍にいるのに触れられない現状がとにかく辛かった。
(直前までルフィと一緒で四六時中甘やかし三昧だったから余計に堪える・・・・・・!)
 エースがいる頃は、ある程度の所でストップがかけられていたが、その本人が海に出てからはアパルとルフィだけの生活。
 とにかく甘やかしたいアパルと、兄によしよしされるのが大好きなルフィ。見事な需要と供給。
 故に際限なく可愛い可愛いと弟を愛で放題だったのだ。
(そろそろ禁断症状でそう・・・・・・)
 虚空をエースに見立てて勝手に手が動きそうである。
(マルコさんも忙しそうだしな〜付きっきりで面倒見て貰うのも申し訳ないし・・・・・・)
 今も医務室の机で書き物をするマルコの背をチラリと見てアパルは気づかれぬように息をついた。
 天使は腹も減るし多少弱るが死ぬことはないので気にしなくていいとは伝えたものの、余計に監視の目がきつくなった気がする。ルフィが心配だから帰ると言えば、村までどれだけ時間がかかるのかと問われ、馬鹿正直に寝ずに一日飛びつつければ、と答えたら万全な状態になるまで船から出さないとまで言われた。
 これはマルコだけではなく、エースからも同じことを言われてしまったので諦めるしかない。
(マルコさん疲れてないのかな・・・・・・昨日もその前も休まる暇はなさそうだったし・・・・・・)
 隊長故か、船の古参だからか、マルコを頼ってくる船員は多い。
 船員に呼ばれると、「ちょっと外す」と釘を刺すようにアパルに告げてそそくさと出ては、すぐに戻ってきて机に戻る状況。
 その背中をじっと見つめていると、持て余していた気持ちがうずうずと落ち着かない。
「ま、マルコさん」
「ん? どうした?」
 眼鏡をかけた姿で振り返ったマルコを、アパルはベッドにかけた状態で手招きして呼び寄せる。
 マルコは不思議そうに首を傾げたものの、素直に招き寄せられてアパルに近づいた。
「なんかあったのか、よ、!?」
 手の届く距離に来たのを確認してアパルはその腕を引っ張った。
 ベッドに乗り上げるように体勢を崩したマルコを、そのまま自身の膝に寄りかからせてアパルは覆うようにきゅっと柔い力で抱きしめた。
「は? おい、一体何を」
「もうマルコさん俺の前でそんなに頑張るの止めてください〜〜!! なでなでしたくなっちゃうじゃないですか!」
「はあ!? なんだその理不尽な言いがかりは!」
「起きないで下さい!! このままよしよしされて下さい!!」
「忙しいんだよい! 昼寝してる暇なんかねぇよ」
 抑え込んでいた力を抜いて、アパルは膝の上のマルコを見下ろす。
 そして、静かに問いかけた。
「それって、マルコさんだけがそんなに頑張らなきゃダメですか?」
「俺だけってことはねぇ・・・・・・島に着く前は備品の補充やら何やら確認しとかなきゃいけねぇことが多い」
 今までの様子と打って変わって静かにその声を響かせるアパルの姿に、どこか居心地の悪さを感じたマルコは気まずげに答える。
 まるでオヤジに怒られているときのようだ、と僅かに身じろぎして視線を逸らした。
「でも、明らかにマルコさん頑張りすぎですよね?」
「島に着くまでの数日だけだよい。だから気にするな」
「・・・・・・他の人たちは、それを知ってるんですか?」
 そこでマルコの口が綺麗に閉じた。
 確かに一つ一つは小さな用事だが、積もれば時間も労力もかかる。
 一人一人、マルコに頼んだ当人たちは、マルコの全体の仕事量を知らない。知っていたらまず頼まないだろうし、怒られてベッドにでも放り込まれるだろう。
 今のアパルのように。
「ほら。やっぱり一人で抱え込んで・・・・・・今回は請け負っちゃったししょうがないかもしれませんけど、今度からはもうちょっと自分の身体のことも考えて下さいね」
「・・・・・・ああ、わかったよい」
 諦めと共に苦笑を漏らせば、アパルは満足そうに笑ってみせる。
 じゃあ、とマルコは身体を起こそうとしたのだが、アパルに止められてしまった。
「クマできてますよ? ちょっと昼寝するぐらいの時間はありますよね?」
「いや、でも」
「三十分でもいいんですよ?」
 ダメですか? と碧眼に覗き込まれると、どうにも首を横には振れなかった。
 無言を肯定と捉えたアパルは、微笑して「時間になったら起こしますから」と、マルコの頭をささやかな力で撫でてくる。
 どうやらこの体勢のまま昼寝に移行するらしいと悟ってマルコは諦めた。
 なにより、この温もりを心地よく感じている自分に驚く。
 まだ陽のさす部屋の中、いつの間にか子守歌まで聞こえてきた穏やかな中で、マルコは目を閉じて浮き上がる睡魔に身を任せた。
「・・・・・・ゆっくり休んでくださいね」
 アパルは息の深くなったマルコに気づき、眼鏡を外してサイドデスクに置く。そのまま僅かに陰った目元を指の腹で撫で、「おつかれさまです」と囁いた。
 初対面での騒がしさはどこへやら。暖かな温もりと慈愛の宿る声。まるで海に包まれているような脱力感。しかし不快感は一切なかった。
(エース・・・・・・お前の兄貴、これは詐欺だろう・・・・・・)
 お前よくこれから離れられたな、といつも元気な末っ子の姿を思い浮かべてマルコは尊敬の念を送った。

 ◇◇◇

 療養期間開始から一週間。
 美味しいご飯をいっぱい食べ、エースともちょこちょこ会えるし、暇があればマルコを可愛がっていたので心身共に健康である。
 すでに元気いっぱいになったアパルはその美貌を困惑に歪めて周囲を見渡す。
 しかし、野次馬のように二人の周囲を囲う船員たちは、こぞって好奇の色でこちらを見ているだけで助けてくれそうにはない。頼みのエースは不思議そうに首を傾げているし・・・・・・。
(そろそろ帰ろうかなって言っただけでなぜこんなことに・・・・・・?)
 医務室ではなく食堂での食事を許可されてから三日。昼食を頂きに来ていたアパルだが、ぽつりと独り言のように漏らした言葉のせいでなぜかこんな自体になってしまった。
 隣に座っていたマルコは、アパルに向き直りいやに真剣な顔でこちらをみている。
 そして、なぜかアパルの手をすくってみせるのでいつもの診療かと思ったのに、どうやら違うらしい。
「アパル・・・・・・」
「はい」
 野次馬たちが固唾を呑んで見守っているのを肌で感じつつもアパルは返事を返した。
 船員の中にはクラッカーを握りしめているものもいる。
(もしや何かのパーティー?)
 と、首を傾げたところでマルコの声に呼び戻された。
「アパル・・・・・・出来れば、ずっとこの船にいてくれねぇか。もうお前なしじゃ考えられねぇんだよい」
 僅かな不安を垣間見せ、アパルの細い指先を似合わない力できゅっと握るいじらしい姿に胸がきゅんと来てつい可愛がりスイッチが入りそうになった。
 危ない危ない。
 兄貴分からのまさかの言葉に、アパルの背後でエースはパカリと口を開けて肉を取りこぼした。
(マルコさん、こんなに俺のこと頼ってくれて・・・・・・)
 一人で頑張っていた姿を知ってる身としては感無量。子の成長を見守る親のような心境のせいで、感激で涙が出そうになったが寸でのところで堪えた。
 それを歓喜の表情だと悟った周囲は微かに顔色を明るくする。
 次に出るアパルの言葉を、食堂にいる一同はごくりと唾を飲んで待ちわびた。
(頼ってくれるのは嬉しい・・・・・・でもやっぱり・・・・・・)
 アパルの脳裏に「いつ帰ってくるんだ?」と寂しそうに眉を下げる末の弟の姿が浮かぶ。
 細くしなやかな指でマルコの手を握り返し、アパルはふわりと微笑んだ。
 周囲が沸き立つ。
「ありがとうございます、マルコさん・・・・・・でもやっぱりルフィが心配だから今日辺りに帰ります!」
 刹那に見えた女神のような微笑から一転、ニパッといつもの笑顔で吐き出した姿に、周囲の野次馬のみならず、マルコやエースまで盛大にずっこけけた。
「あれ? どうしたんですか、みなさん」
 突然の船員たちの反応に驚くアパル。その中にサッチの姿を見つけて、アパルは「あっ!」と声を上げて駆け寄った。
「サッチさん美味しいご飯ありがとうございました。教えて貰ったお料理、家に帰ったらルフィにも作ってあげます!」
「あー・・・・・・アパルちゃん。悪いことは言わないから逃げた方が、いや大人しく捕まっといた方がいい? かも」
「え? なんですか?」
 言葉の意味が分からずきょとんとしていれば、アパルの肩を誰かが強く掴んで引き寄せた。
「アパル・・・・・・今更逃がすわけねぇだろい。もう家には帰れねぇと思えよ」
「そんな殺生な! こんなに元気になりましたって! 家には可愛いルフィが待ってるんです!」
「とりあえずお前がさっきの言葉の意味を微塵も理解してねぇことはわかった。来い、二人で話があるよい」
「え、でもそろそろ帰り支度しないと」
「帰るにしてもせめて理解してからじゃねぇと帰さねぇ」
「さっきから一体なんの話をしてるんですか!?」
 ぎゃーぎゃー騒ぐ二人の姿が廊下の向こうに消える。
 静まりかえった食堂の中、やっと理解が追いついたエースがガタリと立ち上がって叫ぶ。
「マルコ!! いくら家族だろうがアパルを独り占めすんのは俺とサボとルフィが許さねぇぞ!?」
 怒気を滲ませた存外兄貴大好きな末っ子を、船員総出で止めに入って乱闘騒ぎ。

 その頃ルフィは、いつもアパルと二人で寝ていた布団から起き上がり。
「兄ちゃん今日も帰って来なかったな・・・・・・」
 と寂しく朝日を見上げていた。


 

天使の輪っかを本人に内緒で海にほっぽるような奴がブラコンじゃないわけがない。