お兄ちゃんと一緒 C

 ブルーロックという場所に向かった世一は、どうやら連絡手段を封じられているらしく、メッセージを送っても一向に既読がつくことはなかった。
 無茶していないかな、と依織が心配になったころ、たまたまスーパーであった伊世に夕飯に招待されて頷いた。
 世一のいない潔家での食事というのは、今までほとんどなかったのでどこかソワソワと落ち着かない気持ちにさせたが、伊世や一生の変わらない朗らかな様子に緊張もすぐに解けていった。
「そういえばね、世っちゃんてば今度試合に出るんですって」
 食後に温かいお茶を飲んで一息ついていると、伊世が思い出したように言った。
 ブルーロックの人がご両親にとチケットを送ってくれたのだと、伊世は嬉しそうな顔で引き出しから一つの封筒を持ってきて見せた。
 たしかに差し出しには日本フットボール連合の文字があった。断わってから中身を確認すると、チケットに隠れていた文字の並びに依織は驚きの声を上げる。
「え、これって世一たちがU20の選手たちと戦うってことですよね?」
「そうなの〜。久しぶりに世っちゃんの顔見たいし、大きい会場みたいだから行こうかって話してて」
 顔を見合わせ、二人は「ねー」と笑い合っていた。そんなのほほんとした二人をよそに、依織はバクバクと心臓が早くなるのを感じた。
 (U20日本代表ってすごい人たちだよね? そんな人たちと世一が試合……?)
 ごくりと息を飲んだ。緊張や興奮で心臓が忙しい。
 ブルーロックプロジェクトは、開始以降いろいろと世間の目を集めている。――そして極めつけにこの試合だ。
 (もしかして世一って今、すごいところに参加してるの……?)
 いつもの部活の合宿に送り出すような気持ちで背中を見送ったのが悔やまれた。
 そりゃ応援する気持ちは変わらないけれど、きっと練習だっていつも以上に大変だろうに。
 (そんな大変なところに行くなら、もうちょっと一緒にいてあげれば良かった)
 しばらく会えないからと、招待状が来てからは毎日のように依織の家に押しかけてきた世一をいつもの如くあしらってしまった。
 (だって最近の世一ってば、気づくと距離が近いし……油断するとキスしてくるし)
 一体いつになったら兄への慕う気持ちと恋心の違いに気づくだろうか。
 世一のベッドに押し倒されてキスされたときの事が思い出された。ぽっと顔が熱くなって、慌てて頭から追い出す。
 いつの間にか身長も変わらなくて……体格でいえばサッカーをやっている世一のほうがいいぐらいだ。
 逆光になって影の落ちる表情で、前髪の隙間から依織を見下ろす青い瞳だけが爛々と輝いていて――その瞳には子供らしさなど欠片もない。
 (でも、まだ十七歳だもん……)
 まだ。まだあの子は子供だ。恋心と年上への憧憬やらを勘違いしてもおかしくない年頃だ。
 まるで言い聞かせるように、依織は心の中で何度もそう思った。
「このチケット二枚しかこなくてね。家族がもう一人いるんですけどって言って依織くんの分ももらったからね」
 不意ににこやかに言った伊世に、依織はきょとりとした。ややあってようやく頭が追いつくと「え」と戸惑いの声が漏れた。

 ◇◇◇

 U-20日本代表とあの糸師冴が出るとあってか、会場は熱気に包まれていた。
 前半、ブルーロック側はなんとか逆転したままゴールを防いで終わり、隣に座っていた伊世は手を合わせて感嘆の息を漏らした。
「はあ〜〜ヤバいねぇお父さん! まだ前半!?」
 はしゃいだように声を上げる伊世と一生を微笑ましく見てると、背後から急に女性の声が響いた。
「なにやってんの廻!! ゴール狙えもっとぉ!」
 立ち上がって仁王立ちで言い放った彼女は、振り返る依織たちに気づくとハッとして「ごめんなさい」と謝罪した。
 彼女の息子もブルーロックの選手として出場しているらしい。保護者同士、親睦を深めるように握手する三人だったが、不意に優は依織に気づき、
「あなたも選手の方の……?」
 と手を差しだした。
 いえ、俺は親族ではなく知り合いで――そう答えようとしたが、依織の言葉を攫うように伊世が依織の両肩に手を添えてまるで自慢するように言った。
「ウチの子のお嫁に来てくれる子なんです。家族ですから、一緒にと思って」
「えーもう恋人いらっしゃるの!? それもこんな美人さんで……ウチの子なんて恋人どころか友人だって……」
 気落ちした様子で優は眼を伏せた。依織が慌てて否定しようとしたが、優は眼を伏せた状態でふと「ありがとうございます」と柔らかに囁いたので機会を失ってしまった。
「ウチの子とサッカーしてくれてありがとうございます。あの子があんなに楽しそうにサッカーするの、初めて見た気がします」
 微笑む彼女の視線の先には、世一と一人の男の子が肩を組んでロッカールームに戻っていくところだった。
 背番号は八番。あれが彼女の言っていた息子なのだろう。
(二人とも楽しそう)
 互いに笑い合い、奮闘を称えるように喜びを分かち合う姿に、つい見守っているこちらもほっこりしてしまう。
 先制点を許したり、ゴールを何度も防がれたり。ハラハラする場面はあったが、世一が笑って楽しそうにサッカーできていることが嬉しかった。
 ふっと口角が緩んだ。すると、不意に世一の顔が上がり、パチリと視線がかち合った。
 驚きでドキリと心臓が鳴る。意志の強い青い瞳が依織を認めると、柔らかく目尻が垂れて瞳に甘い感情が広がった。そんな眼で見つめられると、ギクリと体が固まってしまう。だが、心臓は速く動きすぎて息苦しい。
 なんとか平静を装い、口パクで「頑張れ」と告げると、丸い瞳がきょとりと瞬き、すぐに嬉しそうに破顔して大きく頷いた。
 そんな可愛らしい姿は、昔からよく見ている世一だ。それにどこか安堵して、最後は手を振りながら見送った。
 見えなくなった世一の姿にふう、と長く息を吐いた。子どもみたいな笑みを思い出して、心臓を静める。
(あんなに子どもみたいに笑って……変わらない。昔から、世一は可愛くて泣き虫で、それで俺の弟みたいな……)
 冷えたドリンクに口をつけると、ようやく落ち着いた。それでも、自分の鼓動に甘酸っぱい感情がのっている気がした。頬がじんわりと熱を持っているのは、会場の熱気にやられたせいだと。そう思い込んだ。

 ◇◇◇


 大歓声とともに試合は終わりを告げ、撫子たちはハラハラしっぱなしで気疲れしたせいか、終了のホイッスルとともにはあ……と椅子にもたれて感嘆の息をあげた。
 すごかった、すごかったと言い合い、感動でぼんやりした頭でいると、スタジアム内の大きな液晶ディスプレイに世一が映し出された。
 いち早く気づいた依織が、伊世と一生に慌てて声をかけた。その間にも、世一のインタビューが始まった。
「ゲームを終えて率直な感想をお聞かせください!」
「えっと、ま、まあ……めちゃくちゃ嬉しい、です……はい」
 戸惑い、どこか照れた様子で返す世一に、保護者三人の表情に微笑ましさが乗った。
「今回の活躍でU-20代表入りも見えてきましたが、今後に向けて意気込みはありますか?」
「え……」
 そこで世一は考えるように口を噤んだ。ぼんやりと宙を浮いたまま、彼の口がぽつりと開かれた。まるで無意識のうちに口ずさむように。
青い監獄俺たちU-20W杯アンダートゥエンティワールドカップで優勝します」
 いや違うな、と世一はそこで言葉を句切って言い直す。
「俺が日本を|U-20W杯《アンダートゥエンティワールドカップ》で優勝させます」
 一瞬の静寂後、スタジアムには歓声が響き、同じブルーロックの面々は調子に乗るなと怒っていたり、囃たてたりしていた。が、みんな瞳はギラギラとした闘志を宿していて、潔にだけ活躍させる気は無さそうだ。
 今度は、今日のようにはいかせない。そうおもっているのがよく分かった。
 赤ん坊の頃から見ていた子だ。こんな大舞台で日本中に宣誓するように言ってのけた姿に、依織の胸に熱いものがこみ上げてきた。それは伊世たちも同じなのか、「世っちゃん大きくなったねぇ」と目許を拭って喜んでいた。
 これで終わりかと思ったが、インタビュアーは最後に、ともう一つ投げかけた。
「では最後に、今日のこの活躍を伝えたい人は?」
「応援してくれていた両親に、」
 そこで世一はふと悩んだように口を閉ざし、やがて少しの躊躇いのあとに「あと俺の大切な人に」と呟いた。
「大切な人とというのは、恋人ですか」
 まさか高校生の男の子からそんな言葉が出てくるとは思わず、アナウンサーはつい訊き返した。
「いや本気にされてないんで、まだ恋人じゃないです」
 世一は不満そうに子供みたいな顔で口をとがらせたかと思いきや、ぱちりと瞬きと共にその表情が真剣なものになった。どこまでも見透かすような、一度捉えられたら逃げられない。そう錯覚するような強い眼差しがカメラを通して依織を射抜いた。
「もういい加減諦めて本気なんだって分かれよ」
 俺は生まれてからずっとあんたしか見えてねえよ。
 いつもと違う、親しみの混じった敬語じゃない。それが、いつだって子どもを見下ろすようにしていた依織を、彼と同じ目線に引きずり下ろしてしまう。
 反射的に、ゾクリと畏怖するように背筋が粟立った。なのに、胸には喜びのような甘酸っぱい切なさが広がって、それに伴って速くなる鼓動が、ずっとひた隠しにしていた依織の感情を突きつけてきた。
「なあ、早く俺の家族になって」
 捕食者みたいな瞳で見ていたくせに、急にそうやって年下の顔をして請うてくるのはずるい。
 最後に口の動きだけで依織のことを呼んだ世一を最後に、依織は口を覆うようにしてまるで隠れるように頭を下げた。口を隠す手を膝に押し当てるほど上体を折り曲げる。まるで熱でもあるみたいに頬が、体が熱かった。
 誰だ。誰だ。あれは一体誰だった。
 あんな顔をする男は知らない。あんな眼で見つめてくる男は知らない。いや、知らなかったはずだ。だって依織は、ずっと知らない振りをしていたのだから。
 心臓が耳にあるみたいにドクンドクンと大きくなっていた。血液が沸騰してるみたいに熱くて、頬を染めて興奮した様子で依織の背中を揺さぶってくる伊世たちの声は聞こえなかった。
 依織の頭の中に繰り返されるのは、世一の声だけだ。
 ――早く俺の家族になって。
 耳の底に染み付くような男の低い声に、依織はもう逃げられないと悟ったのだ。そして、それを嫌だと思っていない自分に対し、ようやく気持ちを受け入れた。


(おい潔! なんだよさっきの!!)
(聞いたまんまだけど)
(お、おおおお前彼女いたのか!? しかも年上!?)
(だからまだ付き合ってないって……しかも彼女じゃない)
(もしかして、前半終わって裏にいくときに潔が見てたあの綺麗なお兄さん?)
(……うん。そう)
(相手男なのかよ!! 恋人とかいない振りしといて!! チキショー!!)
(イガグリうるせー……それより潔、勝算はあんのか? あんなことしたんだから脈有りなんだよな?)
(五分五分……でも押しに弱いし俺に甘いから最悪勢いで押しまくる。親公認だからなんとかなるはず)
(うわあ……お前すでに外堀埋めてんのかよ)
(まさかさっきのもその一貫じゃねえだろうな……)


 ◆◆◆

 まさかここまで続くとは誰が思ったでしょう……私自身、アニメ一話のアディショナルタイムを見た衝動で書いた話が始まりだったので、こんなふうに続くとは思ってませんでした。
 最初に続きを……! とリクエストくださった方のおかげですね。きっかけを作ってくださりありがとうございます!
 と言いつつ、次の話で両思いになったら一区切りかな〜とも思ってますので、年内ぐらいに次の話をあげて完結させたいな、と思います。
 基本一話完結型のストーリーなんてない状態で続けてしまっていたので、ちょこちょこと補完したい、修正したいな〜ってところもあり、もしかしたらそのうちしれっと書き直すこともあるかもしれませんが、そのときはお知らせしますね。
 
 潔世一のあの攻め感最高すぎません? 次は同級生主とかで潔との恋愛も書いてみたいです。高校からの友達で、つかず離れず両片思いで、潔が海外行って遠距離とか……。
 普段の気のいい少年とエゴイスト面の世一のギャップが好きなんですけど、恋人(好きな人)相手への発言で、ただの暴言や俺様みたいにならないようにさじ加減するのが難しかったです……潔世一書くの難しい……

 ではでは、このシリーズは少なくともあと一話続く予定なので、また近いうちにお会いできますように。