託児所ではなく海賊船2
フーシャ村に住むアパルの朝は早い。
仕事が忙しいわけでも、自主的に早く起きている訳でもない。日が昇る頃になると、強制的に賑やかな子どもたちの声がアパルを眠りから引きずり出すのだ。
「アパルー!!」
「まだ寝てんのか?」
「起きろよアパルー!」
三人の子どもの声と、ドアを叩く音が鼓膜を激しく揺らす。
今日こそ玄関は開けないと寝ぼけた頭で決めたアパルは、布団をかぶって丸まり防御の姿勢を取る。
「アパルー? いねーのか?」
「アパル! 俺らだぞ? 寝てんのか!?」
「なんでアパル出てきてくんねーんだ?」
ドアを叩く強さは変わらずとも、いっこうにアパルが顔を出さないので子どもたちの声に少しずつ不安が滲む。
そのうち、末っ子のルフィがぐすっと涙ぐむ音が聞こえて、アパルは早々に降参した。
手櫛で髪を整え、寝巻きのままドアを開ける。差し込んだ早朝の陽ざしに一瞬目が眩む。
扉から現れた青年――アパルに、子どもたちが一斉に笑みを浮かべて飛びかかった。
「アパル! なんですぐ出てこねーんだよ」
「夜更かしでもしてたのか?」
「アパルいたー! よかったー!」
ぐちゃぐちゃに泣いたルフィが、首にぶら下がるので慌てて抱き留めて抱え上げる。
エースは不満そうに口を尖らせているし、サボは「寝坊か?」なんて暢気に笑っている。
なんの因果か、このフーシャ村に以前の記憶を持ったまま再び生を受けたアパルだったが、なぜか今世も子どもの世話に明け暮れていた。
(ガープの野郎はガキだけでほったらかしてなにやってんだ)
遙か昔、追って追われの立場であった男に悪態をつく。
新兵の頃から知っているが、今じゃ海軍の中でも古株に属するあの男は、ときおりアパルたちの船を訪れては子どもに混じって茶を飲み、おやつの焼き菓子をあらかた食って帰って行くような破天荒で傍迷惑な男だった。
すでにフーシャ村に生まれて十六年。今のところなんとかガープとは顔を合わせずに済んでいるが、それも時間の問題だろう。
運の悪いことに以前と変わらぬ容姿で生まれてしまったので、会ったら一発でバレる。
アパルの死んだ今世の両親が残した家が、村の隅――コルボ山の麓にあるので、ガープが港についたと分かれば山に入ってしまえばいい。
そのおかげで未だに顔を合わせずにいられるが、そのせいでこの三人の子どもの来襲を受けている、とも言える。
「おまえらなあ……なんでこんな朝っぱらから来るんだよ……」
毎日毎日こうも早く叩き起こされては寝不足で頭痛がしてくる。
「だって昼間しかアパルに会えねーじゃねーか」
「いっつも日が暮れる頃には帰れって追い出されちまうからな」
「俺らはアパルともっと一緒にいてー」
まだ年端も行かぬ子どもを、――しかも子どもたちの帰る場所は山の中だ――とっぷりと日が暮れるまで遊ばせているほうが問題だろう。
しかし、この三人にそれをいくら言ったところで文句を言われるのは変わらない。
まあ不満を述べつつも、アパルが「帰る時間だ」とさよならのキスをしてやれば、幼いころからの染みついた習慣で渋々帰って行く姿は可愛らしいとは思う。
以前の生活では、おやすみのキスをするのが船の子どもたちとの日課だった。
そのときの癖でエースが小さい頃に一度やらかしてしまい、それから強請られてしょうがなく別れる度に頬にキスをしていると、それがサボやルフィにまで伝染してしまった。
どうしてここまで懐かれたのかなあ……とアパルは遠い目をして家の中に戻る。
すると、ひょこひょことサボとエースも続く。ルフィはご満悦顔でアパルの胸元に頬を擦り寄せていた。
「俺は昨日の夜が遅かったから、今果てしなく眠い。だから今日は昼まで起きない」
そう宣言した途端に子どもたちから「えーー!」と不満が大きく零れる。
しかし知ったこっちゃないと、アパルはルフィを抱えたままベッドに入った。
ルフィは急に布団に横にされて驚いているのか、きょろきょろと見渡している。
「ルフィも寝ろ。寝ないと背が伸びないからな」
そういって布団を掛けてやり、トントンと叩くと、まだ三つの子どもはすぐに目を微睡ませた。
「今日はアパルがいっしょに寝てくれんのか?」
「そうだよ。今日は一緒に寝てやる」
くあ、と欠伸を一つしてルフィは重たい瞼を落とし、アパルの胸に顔をうずめた。
そんなルフィを丸くした目で凝視していた兄二人にアパルはそっと声をかける。
「このぐらいのガキにはまだ睡眠が必要なんだよ。あんま付き合わせるなよ。って言ってもルフィはおまえらについていくだろうけど……だから、兄貴であるおまえらが気にしてやんな」
そりゃ、三つの子どもが兄貴二人に朝から晩までついていって同じ生活をしていれば疲れもたまるだろう。
こくりと素直に頷いた二人に、アパルは満足そうに笑った。
「俺とルフィはこのまま二度寝する。おまえらは外にでも遊びに行ってこい」
そういってアパルも肩まで布団にもぐった。ルフィの小さな体に腕を回し、そっと肩を叩いて深い眠りへと導く。
そのまま自分も目を閉じて眠りに入ろうとしたのだが――。
「おい、なにやってるガキども」
パチリと目を開けて問う。
もぞもぞとルフィとアパルをよじ登って越え、サボが狭いスペースに横におさまった。エースはエースで、ルフィの背中側に回って弟の体にしがみつく。その時、ルフィの背中に回っていたアパルの腕の一緒に巻き込むのを忘れず。
「俺も寝る」
「俺らだってアパルと寝たい。ルフィだけずるいだろ」
「ガキが三人も寝られるような大きさじゃねーだろうが」
そうぶつぶつと言いつつも、アパルは子どもたちの体に布団を掛けてやる。その仕草に、サボとエースは目配せし合ってくすぐったそうに笑う。
アパルは男女問わず見惚れる、絵画の中の天使のような風貌をした美しい人間だが、その顔に似合わず口が悪い。しかし、その心根が温かく優しいことを子どもたちはよく理解していた。
危ないことをすればとんでもなく痛い拳骨を落とされるが、同じぐらいその細い腕で抱きしめられ撫でられてきた。
潜り込んだ寝具には、アパルの匂いが染みついていて、アパルの腕の中にいるような心地になって、サボもエースもすぐに穏やかな眠気に揺られた。
すやすやと寝息を立て始めた子どもたち三人を見下ろしていたアパルは、はあとため息を一つ吐き、うっすらと微笑んだ。
「たく、気持ちよさそうに寝やがって……」
そうして、ベッドの縁にいるエースの背中に腕を回し、落ちないように支えた。
癖のある黒い髪の子どもを見つめ、アパルは胸に湧いた懐古に目を閉じた。
「……まったくロジャーによく似てる」
勝手に布団に潜り込んでくるところも、駄々をこね始めたら意地でも譲らないところも、寝顔も――。
瞼の裏に、懐かしい記憶が浮かぶ。
どいつもこいつもアパルの背を越えて、恨めしいほどぐんぐんと伸びていった。
あの頃に戻りたいかと言われると、困ってしまう。海賊生活よりもアパルはこうして平和に村で過ごしている方が好きだ。前回は故郷を奪われ、海に出るしかなかった……今の村での生活のほうが、アパルの性には合っている。
過去を思い返したとき、やはり気がかりなのは子どもたちのことだ。
きっとアパルの船にいた子どもたちは、フィッスたち年長者が責任を持って面倒を見てくれたはずだ。
けれど、ロジャーやニューゲートの船にいた子どもはどうだろう。どのガキもお転婆で言うことなんて聞きやしない悪ガキどもばっかりだった。
ニューゲートのほうはあまり心配していないが、問題はオーロジャクソンに乗っていたシャンクスとバギーだ。
なんせ船長であったロジャーは処刑され、海賊団は解散している。
ロジャー処刑時、あの子たちはまだ大人になりきっていなかったはずだ。
(ちゃんと泣いたかな……あいつら)
バギーは感情表現豊かで、人の目など気にしないからまだ安心だが、シャンクスはニコニコして物怖じせずになんでも言うくせに、肝心なことは溜め込む癖がある。
果たしてロジャーが死んだ後に思いっきり泣いたのかどうかが心配だ。
以前、手配書を見たが、もうすぐ十億に届くところまで来ていた。随分と大きくなったものだ、と感慨深く思う。
うつらうつらとしながら、アパルはゆったりと瞬きをして、そのうち眠りに入った。
(いくら心配したって、十億の首がかかった海賊じゃ……もう会うこともないだろう)
その日、アパルは夢を見た。随分と久しい光景だった。
きらきらとした子ども特有の線の細い髪を揺らした赤と青の子どもが、アパルを呼んで笑っている。
ケラケラと子どもの笑い声が響き、それをロジャーやレイリーたちが笑いながら見守っている。
海の潮騒が耳に届き、アパルは夢の中で瞼を閉じる。
そうして目が覚めたとき、ほんのりと睫毛が濡れていたことに気づかぬふりをした。
これがフラグとなり、数年後――アパルはガープがいないからと余裕ぶってマキノの店を訪れたとき、カウンターに座る赤い髪の男と出会うことになる。
「……母さん?」
あの頃の可愛らしさなど欠片も残していない精悍な男が、信じられないように目を丸めて呟いた。
アパルは表面だけは微笑みを保ちつつも内心で頭を抱え、どう切り抜けようかと頭を巡らせることになる。
他人の空似を演じてみたものの、全く話を聞かないそいつに抱きかかえられそのまま三十近い息子を宥める羽目になった。
そして、アパルを船に連れ込もうとするシャンクスと、それを泣きながら止めるルフィの大人げない喧嘩が勃発し、頭痛を覚えることになるのはまた別の話。
このあと、ガープにバレて頻繁に茶をしに帰ってくる海軍の英雄がいるし、赤髪のデカい息子に抱き枕にされてよしよしするし、海に出たそばかす青年のせいで白い髭の海賊団にバレるし、麦わら帽子の末っ子のせいでジャボンディ諸島の隠居した副船長にもバレれます!!