魚人島でまったりライフ
気づけば、アパルはそこに存在していた。
そこらを闊歩する人と同じような形をとりながらも、体は人よりも随分違っていた。
叩けばコツコツと音の出る石――人間たちのいう宝石と呼ばれるものと酷似しており、食わずとも生きていけた。
強い負荷がかかれば体は砕けるが、人のように血を流すことはなく、そして、のりで貼り付ければ再び息を吹き返す。
死というものがなく、その煌めく美しい姿に、人々は我先にと手を伸ばし、どうにか自身の手中に収めようと躍起になる。
そのうち、追いかけられることも面倒になったアパルは、海に潜ることにした。
人のように息が出来なくなることもなく、ぷかりぷかりと海中を漂い、ときには海底を歩き、そうして何年も何年も好きなように海の中の散歩に勤しんでいれば、一つの島に辿り着いた。
海底に浮かぶ大きなシャボン――その中に存在するのは、魚人達の暮らす、魚人島があった。
そこの人々は、自分たち魚人とも、人間とも似つかぬ容姿をしたアパルを訝しく見つめることはあっても、決して捕らえようとすることはなかった。
無害な者だと知れば、そのまま放っておく者。話しかけ友好的に接する者。
国民の反応は様々だったが、アパルが魚人島で過ごす年月が長くなるほど、人々はその宝石の存在を重要視し始め、いつからか魚人島の至宝と呼ばれるようになった。
と言っても、本人は知らぬ話であるが。
「アパル、なんじゃ浮かぬ顔をして」
その人が道を歩けば、ジンベエ達にはすぐにわかる。
コツリコツリと、決して魚人や人間の靴音では出せない、澄んだ鈴の音のような音。
そして、周囲の魚人や子ども達がわらわらと集まるので、自然と眼が向く。
今日も数え切れない人の視線に晒され、それにいちいち手を振って笑いながら現れたアパルだったが、どうにも顔色が悪く見える。
ジンベエが声をかけると、アパルはパチパチと眼をしばたたかせ、コンコンと高い音を鳴らしながら足早に近寄った。
本来の彼の色は、今も瞳と髪に浮かぶものと同じアクアマリン。そこに白粉を塗って、肌を白く見せていた。
肩口で綺麗に切り揃っている髪が、アパルの動きに合わせて揺れ、髪同士が触れ合うと、シャラシャラと音を立てる。
星がきらめくように、この魚人島に届く太陽の光を反射し、アパルはいつも光を纏い、美しい。それはジンベエ達が幼いころから変わらない。
つい、ジンベエが目を奪われていれば、アパルはその細い体でジンベエの巨漢に抱きつき、顔をうずめた。
そこでハッとなったジンベエが、やはり体に不調があるのかと焦る。
しかし、アパルはジンベエの腹に顔をうずめたまま首を振った。
切り揃った髪が広がり、頭上から見ると、アクアマリンの輝きが円のように広がる。
(相変わらず、きれいなもんじゃ)
幼少の頃、下から陽に透ける様を見上げるのも好きだったが、こうして光を受ける様を見下ろせるのもいい。
ふいに、アパルが顔を上げ、少し戸惑うように口を開いた。
「さっき、子ども達と遊んでて・・・・・・」
「おん」
きっとアパルがやって来た方角にある広場にいたのだろう。
昼間は、あそこにはよく子ども達が集う。そして、そこにアパルが混じって遊んでいるのも、魚人島ではいつもの光景だ。
「そのときに、お弁当を持ってきてた子がいて・・・・・・それで、アパルもどうぞって一口くれて・・・・・・」
「まさか、食べたのか!?」
ジンベエの声に、アパルの瞳が急に逸らされた。その誤魔化しに、己の問いに対する答えは「肯定」だとジンベエは察する。
まず、アパルが子どもからなにかを差し出されて、拒むわけがないのだ。
アパルの体は宝石で出来ている。人のように消化器官があるわけではない。
食べ物を飲み込むこと自体は可能だが、その食べ物は消化出来ず、体の中に異物と残ることになる。
そして、そうなったら出来ることは決まっているのだ。
「あのね、ジンベエ・・・・・・」
そろりと、申し訳なさそうに見上げてくる碧い瞳に、うぐっとジンベエは口ごもる。
この瞳に見つめられて断れる魚人はこの島にはいない。
もう何百年もこの島に住まい、生活しているアパルは、この魚人島に住まう者たちにとっては親のような者であり、どこか手の届かぬ宝だ。
この碧を嫌いなものはいない。
「い、嫌じゃ。もう二度とせんと言ったろう」
「ジンベエ、お願いだよ・・・・・・自分じゃ出来ないから」
そう言って、懐からトンカチを出してアパルは言う。
まさか、こんなときのためにいつも持ち歩いているのか?
呆気にとられてるジンベエの手にトンカチを握らせ、アパルは両手を広げて身を委ねた。
ジンベエ自身の拳で割れと言わないだけ、アパルとしては譲歩したつもりである。
「・・・・・・ジンベエ? まだ?」
「だからやらんといったろう!!」
思わず力が入り、木柄の部分をへし折ってしまう。突然の大きな声に、アパルはさらに眼を丸くしてシュンと肩を下げた。
「・・・・・・でも、なんかこのあたり気持ち悪い」
胸元のあたりを手のひらで円を描くようにさすり、アパルはもう一度同じことを請う。
ジンベエは唸るしかない。今、こうして悩み、渋ったところでどうせ最後には自分がやらねばならないことをよく分かっていた。
「・・・・・・本当に、次はやらんからな」
絞り出した言葉に、パッと瞳を輝かせアパルはこくこくと頷く。
そうやって素直に頷いていたって、どうせ子どもたちが再び差し出せば、アパルは戸惑いもなく笑顔で口を開くだろうと言うことも分かっていた。
そして、ジンベエとこう約束した手前、ジンベエには言わず、不調を隠すのだということも。
それに気づいてジンベエが声をかけるか、それとも他の者に声をかけるのか。選択は二つしかない。
きっとアパルはギリギリまで隠し通し誰かに声をかけることはないだろう。そしてジンベエは、そうなるまえに自分が気づく自信がある。
唸るような長いため息が零れる。
信頼されていると言えばいいのか。頼られるのは喜ばしいが、こんな頼られ方は望んでいない。
「ほれ、さっさとやってしまうぞ」
「どこに行くの?」
「ここじゃ人目につく。みなが驚くぞ」
そういえば、「確かに」とアパルは神妙な顔で頷いた。
屋内に入り、人目が途切れたことを確認したジンベエの心が重くなる。このあとのことを考えると気が重いのだ。
「やるぞ」
「うん。よろしくね」
体から力を抜き、身を委ねるように立つアパルに、ジンベエは己の拳を叩きつけた。
ガラスが割れるよりも高くこすれ合うような音は、なにかの楽器のようで――。
細かい破片が光を受けて様々な角度で輝く姿は、太陽によって輝く海の波長を見ているようだ。
(なぜ、親のように慕っとる人に、自分の拳を入れねばならん・・・・・・)
アパルの体から異物を取り出すには、その体を砕き、取り出すしかない。
痛みもないし、くっつければ戻るからと簡単な口調で本人は言うが、はたから見れば、その細く薄い体がただの石片となる光景はひどく心臓に悪い。
しかし、美しいのもまた、事実であった。
「ごめんね、ジンベエ」
ヒビの入った口で、アパルは最後にそう呟き眼を閉じた。
砕けた範囲が広かったので、意識が保てなかったのだ。地面に落ちたアパルの欠片を、いそいそと拾い集め、ジンベエは王宮に向かう。
王宮の医療班なら、アパルの体に使う特殊なのりも常備してある。
砕けた体は、もとの位置に戻さなくてはならない。
生憎と、ジンベエはそういった細かい作業は得意ではない。己の手で、この人の体のパズルをしていては日が暮れて朝が来てしまう。
――ごめんね、ジンベエ
「謝るぐらいなら、もうせんでくれ」
言ったところで、この人には伝わらないだろう。
自分の体も、命にも、大した重みもおいていない美しい宝石の人。
どれだけジンベエ達が愛された分を愛し返したって、本人は物珍しいから自分に構ってくれているとしか思わない。
魚人たち国民が、優しいから自分に居場所をくれているとしか思わない。
今も、謝ったのは、自分の体を砕かせるという手間をかけたからだ。
ジンベエの心情など、これっぽっちも分かってない。
「王宮に行ったついでに、しらほし姫に会ってもらおうかのう」
このことを話せば、きっとあの優しい姫は泣いてしまうだろう。そして、この美しい人には、その姫の素直な涙が効くことをよく理解していた。
わずかに胸ににじむ軋む感情に、思わずジンベエは罰の悪い顔をしてしまう。
「・・・・・・姫に嫉妬とは、情けんのお」
町の人が今のアパルを見れば阿鼻叫喚となるだろう。
己の上着で丁寧に包み、人目に触れぬようにしっかりとその腕に抱いて、ジンベエは王宮へと向かうのだった。
(アパル様〜〜! 砕けてしまったというのは本当ですか〜〜?)
(しらほし・・・・・・どこから聞いたんだい?)
(ジンベエ様がおっしゃってました)
(・・・・・・大丈夫だよ。ほら、こうして治ってるだろう?)
(でも私、アパル様の体が割れてしまうのは悲しいです。痛くありませんか?)
(痛みはないんだよ? ほら、大丈夫)
(うわ〜〜ん! 右手が無くなってしまってます!)
(ありゃ、こっちは治療がまだだった)