こいつら付き合ってません!



 仕事が一段落し、依織はパソコンを閉じた。
 目頭をぐりぐりと指で揉み込み、そうして窓をみると温かな陽差しが差し込んでいる。
「まだ三時か……」
 窓辺に寄って、外を眺める。午後の柔らかな陽差しに目を眩ませながら秋の空気を吸い込んだ。
 ここ数日は根を詰めていたので、仕事の締め切りまではゆとりがある。キリがいいところまで進んだし、今日はこのままゆっくり過ごすのもいいかもしれない。
「いい天気だし、散歩にでも行こうかな……」
 ぽつりと呟き、早速とばかりに依織は外へと繰り出した。
 少し前までは蝉の声が至るところで響き渡り、陽差しはこちらを焼き尽くさんばかりにじりじりと熱を放っていたが、残暑も落ち着いた今の頃合いは過ごしやすい気候だ。
 現に、カーディガン一枚で外を悠々と歩けている。
 黄色い帽子をかぶった小学生たちの列を横目に微笑ましく見守り、景色を楽しむように進む。
「最近、顔出せてなかったからな……ついでに事務所寄るか」
 学生時代からの友人である霊幻新隆は、数年前に「霊とか相談所」という事務所を開設した。
 在宅仕事で時間的都合のつきやすい依織は、仕事内容には基本的に関わらないものの、暇つぶしやリフレッシュ程度に手伝いをすることはあった。
 と言っても、お茶出しなどちょっとした雑用だけれど。
 現場に赴いたりというのは、霊幻に止められているため行ったことがない。
 なんだかんだ言いつつ事務所には週に一、二回程度は顔を出していたのだが、この一週間は全く連絡を取っていなかった。
 仕事が興に乗って、出来るうちにとスケジュールよりも早く進めすぎた。一応、こうなる前に事前に霊幻には「しばらく行けない」と伝えてはある。
 そうしないと、友人は我が家に押しかけてくる可能性もあるからだ。
 以前、知らない男性に家に押し入られ、まさかの自宅で監禁されそうになるという事件があった。
 その時は、連絡がつかないからと不思議に思った霊幻が現れてくれたおかげで大事には至らなかったが、我が親友はそれ以来ひどく過保護なのだ。依織だって成人をとうに過ぎた男だというのに……。
 道すがら、途中のたこ焼き店で一舟買って事務所のドアを叩く。珍しく音沙汰がないから、首を傾げて「れいげーん?」と呼びかけると、中から走るような轟音とともにドアがいきなり開かれた。
「わっ、どうしたのそんなに急いで」
「依織!! や、ヤツが出た!! 出たんだ!! 助けてくれ!!」
 依織の肩をつかみ、そのまま背後に隠れた男が大きく喚く。
 きょとりと目を丸くしていた依織だが、床の上をカサカサと動く黒い物体に、ああ……と納得した。
「涼しくなったからと油断した……クソ! 俺としたことが……!」
「ちっちゃいのじゃん。これぐらいで大袈裟だな〜」
 笑って言うと、霊幻は青ざめた顔で「このバカ!」と耳元で訴えてくる。
「小さいのがいたらデカいのもいるだろうが!」
 怒ったかと思えば、すぐに依織を背後から抱きしめて「お願いだから早く助けてくれ〜」と泣き言を言う。本当に虫に弱い男である。
「はいはい今退治するからちょっと持ってて」
 たこ焼きを霊幻に渡し、殺虫スプレーを手にそろそろと近づく。幸い逃げることもなかったので、そのままスプレーをかけると、バタバタとひっくり返った。
 背後から、ヒィ! と霊幻の悲鳴が聞こえる。
 しばらくするとゴキブリは動かなくなったので、ガムテープにぺたりとくっつけて小さな袋に密封し、ゴミ箱に捨てた。
 直接触っていなくても、なんとなく心情的に嫌なので手を石けんで洗っていれば、ふらふらと霊幻が近づいてきた。
「依織〜ナイスタイミングだった……俺は、危うく死ぬところだった」
「ゴキブリぐらいで死なないでよ」
「バッカ!!!」
 名前を呼ぶな! と背後から口を塞がれる。まるで音に反応してやつらが来るとでも言いたげに、周囲を見渡す霊幻に小声で怒られた。
 もごもごと霊幻の手の下で文句を言っていると、ふいに事務所のドアが開いた。
「こんにちは、師匠……って依織さん?」
 現れたのは、黒い学生服を纏った影山茂夫――通称モブである。無気力な瞳が瞬き、室内でくっつく大人二人を見ている。
「もうふん」
 モブくん、とはっきりとは呼べない声で呼ぶと、彼の瞳が据わり、じろりと依織の背後を陣取る霊幻に向かった。
「師匠……依織さんになにしてるんですか?」
 その声に剣呑さがあり、依織はそこで自分たちの今の状況を省みた。
 依織は背後から霊幻にくっつかれていて、その手で口を塞がれている。
 もしかして事案だと思われているのでは?
 そう思ったのは依織だけではなかったようで、焦った霊幻が秒速で依織から手を離し、両手を挙げて無罪を主張する。
「ご、誤解だモブ! 別におれは依織に危害を加えようとしていたわけじゃない!」
「ゴキブリの名前を呼んじゃったから、声に出すなって怒られてただけだよ」
 依織がフォローすると、モブは上げかけた手を下ろし、ちょっと不服そうにしながらも「そうですか」と表情の乏しい顔で言う。
 そこで、依織は空気を変えるために手を叩き、笑って声を上げる。
「そういえばたこ焼き買ってきたんだ! もしよかったらモブくんも一緒に食べよう?」
 ちょっと冷めちゃったかも知れないな、と霊幻に預けていた袋を受け取る。そして、そこの部分に手を当ててみた。
(……うん、まだあったかい)
 応接用のソファに座って、まず一つと箸をモブに渡す。そして再び袋を覗いて、あれ? と首を傾げた。
「お箸、三個くださいって言ったのに二個しかないや」
 もう一個を手に取って、隣の霊幻に「俺たちは二人で一個でいい?」と訊けば、頷かれる。
「一個しか買ってないから本当におやつ感覚だけど、モブくんも遠慮せずに食べてね」
「ありがとうございます」
 美味しそうにたこ焼きをまるごとパクリと食べるモブに、依織は表情を緩める。ランドセルを背負っているときから知っている子どもだ。背が伸びても可愛いものである。
「霊幻は猫舌だし、今ぐらい冷めたほうがちょうどいいかも」
 一つ摘まんで差し出すと、パクリと口で受け取った霊幻だが、すぐにビックリしたように目を見開いて固まった。
(あ、まだ熱かったのかも……)
 そう思って自分も一口食べる。確かに温かいが、想像していたほどでもない。
 ちょうどよいぐらいだし、元々、依織はできたての熱々を頬張るのが好きな方だ。むしろもっと熱くたっていいぐらい。
 しかし、隣の男はそうではないようで、口を押さえてはふはふしながら恨みがましげに依織を見ている。
「ごめんてば……もうちょっと冷めてると思ったんだって……」
 謝りながら、たこ焼きを箸でわずかに開き、ふーふーと息を吹きかける。
「はい、今度は大丈夫なはず」
 ちょっと疑心暗鬼になりつつ霊幻はまた大きく口を開けて頬張った。もぐもぐと美味しそうに食べているところをみると、ちょうどよかったらしい。
 霊幻の横顔にほっと微笑んで、依織ももう一つ口に運ぶ。
 目の前の大人二人を見ながら一人黙々とたこ焼きを食べていたモブは、
(依織さんて師匠には甘いし、師匠も依織さんには随分甘えるな〜)
 と、のんびりそんなことを思っていた。
「霊とか相談所」では、わりかし見られる平和な日常である。

 このあと、夕方にやってきた依頼人の男が依織の連絡先を聞き出そうとしていたので、霊幻の不審者撃退技の一つが炸裂し、依頼人は頭を打った衝撃で事務所での出来事はすっかり忘れて帰って行った。


(お前はまたそうやってお人好しをするのやめろ!)
(お人好しって動詞だっけ……?)
(依織さんの優しいところは好きですけど、誰彼構わず親身になっちゃうのはダメだと思います)
(モブくんからのガチトーンの指摘は心にくる……)

 たこ焼き(八個入り)内訳
・モブ 四個
・霊幻 二個
・依織 二個


 ◆◆◆

 ネタにある霊幻の親友主のお話です! リクエストありがとうございました!
 もっと師匠とイチャイチャさせたかったんですが、こいつら付き合ってないんだよな……と自重してしまいました笑
 こいつらこれ親友だと思ってやってます! そのうち師匠が自覚してへたれつつ押していきくっつくと思うんですけど……それはそれとして大きくなったモブとか律から「いつまで子ども扱いですか?」って壁ドンしながら訊いてほしさもある! 悩ましい〜〜!