朝の優雅なひととき




 ゆるやかな波の揺らぎは、メリー号やサニー号に乗るようになって初めて感じるようになったものだ。
 一人で海を渡っていたときは、基本的に飛ぶか小舟だったので、もっと波の揺れを直接的に感じていた。こうも穏やかに眠りから起こすものだとは、知らなかった。
 ぱちりと目を開けたアパルは、体に巻き付く腕の温かさに気づく。
(ルフィ……?)
 自分の胸元に埋まるように顔を伏せた青年の姿に、アパルは「ふふ」と喉を揺らして髪を払った。
 ぎゅうぎゅうに締め付けてくる腕を、どうにか抜け出した。
 サニー号では、男性船員と女性船員でそれぞれ寝室が別れている。アパルはいつも、二段ボンクの上段でルフィと一緒に眠りについていた。
 海に出るといったルフィに、腕を巻き付かれて小舟に引っ張り込まれたのがずいぶん昔に思えるが、まだ一年も経っていないのだ。
 マキノたちの悲鳴を背に、アパルは末の息子の腕の中で唖然としていた。
 ――会いてーなら、会いに行きゃいいだろ?
 どうしてこんなことを、と訊ねた先に言われたのが、その言葉だった。
 ドキリとして、アパルはなにも言えなかった。ルフィよりも数年早く海に出た二人――そして、うんと昔に海に出たっきり会っていない一番上の息子に、会いたいと思っていたのは事実だったから。
「アパルは俺の船員じゃなくてもいい。エースたちに会ったら村に帰ってもいいし、好きにすりゃいい」
 あ、俺の船にずっと乗っててもいいからな!
 カラリと笑ったこの子には一生勝てないだろうな、と実感した末にアパルは頷き、ルフィと海を進むことにした。
 エースは四皇の船に乗ったと聞くし、サボやドラゴンが所属する革命軍もなにやらトラブルがある様子。
 心配なのは事実だったので、せめて一目見ようと思ったのだ。
 その先のことは、まだ決めていない。今はなんとかエルフだとバレずにここまで来れているけれど、いつ露見するか分からない。
 はっきり言って対応に困るだろうアパルのことを、初めに出会ったゾロを筆頭にみんなよくしてくれている。
 ここは村で過ごしていたときのように居心地が良かった。
 だからこそ、気に良い仲間たちのことを、アパルの事情に舞い込むわけにはいかない。もし、エルフだとバレるようなことがあれば即刻出て行くつもりだったし、もし息子たちに一目会えたのなら、出て行かねばならないと、そう思っている。
 未だサボとドラゴンには会えていない。ルフィは一度ドラゴンとすれ違ったらしいが、あいにくとアパルは会うことは出来なかった。
 エースとはアラバスタで顔を合わせたが、彼はルフィの船に乗っていたアパルを見ると、みるみる目を見開き、呆然とした後に弟の頭を力一杯ぶん殴った。
「ルフィ! てめえ、母親離れできねーのもいい加減にしろ! どうしてアパルを連れ出した!」
 あまりの剣幕に、アパルは慌てて二人の間に割り込んだ。背後にいたルフィは、「いてー」と暢気に頭をさすっていた。
「違うのエース……私がエースやサボたちが心配だったから……せめて顔が見たいと思って乗せてもらってるの」
「……俺らのことが心配で?」
「うん。だって七武海と決闘したとか、四皇の船に乗ったとか……危ない噂ばっかり聞こえてくるし……」
 目を伏せて言うアパルに、途端にエースは罰が悪い顔をする。自分が無茶を色々とやらかしているのは自覚していた。
「ルフィの船にずっと乗ってるわけじゃないの……エースたちの顔が見られたら、村に帰るから」
 背後から、「え、アパル帰っちゃうの!?」「いやだぞ!」と声が届く。
 嬉しかったけれど、いまはそちらに反応できなかった。残念がるみんなの顔を見て引き留められたら、先のことだと分かっていても「ずっといるよ」なんて頷いてしまいそうだったから。
 久方ぶりに見たそばかすの頬を撫でる。すると、さっきまでの勢いを消沈させてエースはされるがままになっていく。
「……無理だけはすんな」
「うん。分かってるよ」
「ジジイは知ってんのか?」
「じ、実は知らない……」
 それを訊かれると痛いところがある。そっと眼をそらしたアパルに、エースは「そりゃやべーな」と苦笑する。
「ルフィ、お前ジジイに言わずにアパルを浚うとは、いい度胸してるじゃねーか」
「ゲッ、嫌なこと言うなよエース……じいちゃんにはつかまらねーからいいんだ!」
 ふん、と鼻息を吐いて腕を組むルフィだったが、その後のウォーターセブンにおいて、祖父であるガープからこれまたとんでもない衝撃の拳骨をもらうことになった。
(あの時はすごい音がしたっけ……)
 思い出して、ちょっぴり心配になる。ルフィの後頭部をそろっと撫でてみるが、円やかな曲線が描かれていて、たんこぶはない。
 あれからかなり時間が経っているのだから当たり前だが、それでもほっとしてしまった。
 薄い暗闇の中で首を回す。目がとまった時計の時刻は、まだ朝の五時を過ぎた頃。
 まだまだみんな夢の中だ。
(サンジやブルックなら、もう起きているかな?)
 そろりとボンクを抜け出し、はしごを下りる途中で下段に眠るチョッパーの姿が見えた。
 布団は足元で丸まっていて、その柔らかな毛で包まれた体が惜しみなく晒されている。
「ふふ、風邪引くよ……」
 そっと布団を持ち上げてチョッパーの肩までかける。すると、本人も寒かったのか、途端に布団に包まるように丸まって横を向いてしまった。
「う、ううん……ドクター……」
「おやすみ、チョッパー」
 囁いて頭を撫でると、ふにゃりと笑ってまた寝息を立て始めた。音を立てないように外に出ると、うっすらと暗さの残る空が見えた。もう少しすれば朝日が昇るだろう。
 ちょうど甲板には、ブルックが一人、ゆったりとヴァイオリンを奏でていた。
「おや、アパルさんおはようございます。今日もお早いですね」
「おはよう。この時間に起きるとブルックの演奏が聴けるからね」
「ヨホホ! それは嬉しい! 私、張りきって弾いちゃいます!」
 そう陽気に答えつつも、その手が奏でる曲は、未だぐっすりと眠っている他の船員たちへの配慮が窺える優雅で静かな音だ。
「アパルさんは、今日もサンジさんのお手伝いでしょうか?」
「うん。まあ私の手伝えることなんて少ししかないけど……ほかに役に立てることがないから……」
 表だって戦闘を出来るわけでもないし、かと言ってサンジのように料理が出来るわけでも、ナミのように航海士として役に立てるわけでも――ほかのみんなのようにこの船のために出来ることがない。
 自重した笑みのアパルを、ブルックは黒い眼孔でじっと見つめたあと遠くを眺めるように海の先に目をやる。
「アパルさんの存在は、この船の柱のようなものです」
「え?」
「みなさん、とっても強い方々ですが弱いところも持っています。人間ですからね……しかし、それを見せられる人というのは少ない」
 そっと胸に手をあて、ブルックは静かに紡ぐ。
「ですが、アパルさん――あなたに対しては違う。直接言葉で吐き出すことはなくても、そっと傍により体を預け、その温もりで言葉で癒やされる……あなたがいることで、みんな助かっていますよ」
 瞳のない眼孔だけれど、ブルックが柔く笑んだのが分かった。
 慰めてくれている。そう思うと、アパルは嬉しくてゆるりと微笑んだ。
「ヨホホ! やっぱりアパルさんは笑っていらっしゃる姿が美しいです! あなたが暗い顔をしているだけで、子どもたちは落ち着かないものです。あなたはいつも通り、どうかみなさんを愛してください」
 紳士然とした態度で、ブルックは腰を折り、アパルに頭を下げる。その特徴的な柔らかな髪型を見つめ、アパルはそっとブルックの手を取る。
「もちろん船のみんなのことは愛しているよ。ブルックのこともね」
 すると、目の前の黒い孔が瞬いた気がした。
「ヨホホホホ! 一本取られてしまいました!」
 朝日が滲み始めた空の下で、弾けたようにブルックの笑い声が木霊した。


「サンジ、おはよう」
 キッチンで背中を向けていたサンジは、くるりと振り返ってアパルに笑う。
「アパルさん、おはよう。よく眠れたかい?」
「うん。今日もぐっすり……ちょっと苦しかったけど」
 ぐるぐる巻きになっていたルフィの腕を思い出し、苦笑して言うと、サンジは顔をしかめ、
「ちっ! ルフィの野郎……アパルさんの睡眠を邪魔するとは……あいつおろすか?」
 なんて言うので、「大丈夫だよ。ルフィのあれは昔からだから」と宥める。
 途端、サンジはぐるりと渦を巻いた眉を下げ、「そうかい?」としょんぼり笑うのでなんだか心苦しい。
 男連中には大変態度の厳しいサンジだが、なぜかアパルには女性相手のように「メロリン」することもなく、しかし男のように厳しい態度を取られる訳でもない。
 どこか、触れることを戸惑うような繊細ななにかだと思っている節がある。
 嫌われている訳ではないけれど、なんだか他の船員たちより距離があるようで淋しい。
 サンジが、母の面影を重ねて距離を掴みあぐねているとも知らず、アパルはそんなことを思った。
「お皿出すの手伝うね。他にはなにかある?」
「いや、もう仕込みは終わってるからお皿だけで大丈夫だよ。ありがとう、アパルさん」
「ううん。サンジこそいつも美味しいご飯をありがとう」
 微笑んだアパルの言葉に、サンジは緩む口を噛み殺し、へにゃりと笑って見せた。
 あまり見ることのないサンジの幼い表情に嬉しくなったアパルは、そっと彼の髪を梳いて頬を撫でた。
 照れくさく笑いつつも、サンジもそれを受け入れる。
「今日も紅茶でいいかい?」
「うん。サンジの紅茶美味しいから……今日もおすすめで」
「分かった」
 必要な食器を訊いてそのままキッチンの片隅に出しておく。すると、タイミングを分かっていたように、ダイニングテーブルについたアパルの前にカップとソーサーが置かれる。
 赤茶の澄んだ水面を見下ろしていると、傍らにミルクピッチャーも置かれた。丁寧にお辞儀をして去って行くサンジの背中に礼を言って見送り、カップにそろそろと口をつける。
(いい香り……)
 ふんわりと鼻に広がる茶葉の香りと紅茶の温かさが、ほっと肩から力を抜く。そんなアパルの綻んだ表情を盗み見していたサンジは、気づかれぬように「よし」と拳を作った。
「あら、いい香り」
 そこに現れたのが、黒い髪を揺らしたロビンだ。
「ロビンちゃん、おはよう!」
「おはよう、ロビン」
 ニコリと笑ったロビンは、二人に挨拶を返し、アパルの向かいに腰掛けた。
「ロビンちゃんも紅茶でいいかな?」
「ええ、お願いするわ」
 自分の手元のカップを持ち、アパルも微笑んだ。
「今日の紅茶も美味しいよ」
「あら、楽しみ」
「今日もよく眠れた?」
「ちょっと夜更かししちゃったわ。本の続きが気になって……」
 子どもが悪さを白状するような顔で、ロビンが言う。
 たしかに、よく見ると普段より少し眠そうだ。
「もう少し寝てても良かったんじゃない? 大丈夫?」
 身を乗り出し、アパルはその細い指でロビンの目の下をなぞる。ロビンも嬉しそうにアパルの手を受け入れ、目を閉じていた。
「ふふ、アパルとの時間をとれるのが朝ぐらいしかないでしょう?」
 昼間はルフィやチョッパーたちに取られちゃうから。
 と悪戯っ子のように笑うから、アパルはパチパチと目を瞬く。
 そんなことを言われると思っていなかった。
 いつだって他の船員を後ろから見守っている大人びたロビンが、こうも自分の気持ちを前面に出すようなことを言うとは。
「言ってくれれば、いつだってロビンと一緒にいるよ?」
「あら嬉しい。じゃあ、今日はお昼寝にでも付き合ってもらおうかしら」
「ふふ、いいよ」
 和やかに会話をする美しい二人を眺め、サンジは目を垂らして笑みを浮かべる。
 サンジが朝食の最後の準備に取り掛かる中、紅茶片手にロビンとアパルは会話を楽しんでいた。
 太陽がすっかり顔を出して明るく差し込んできた頃、眠そうに目を擦ったナミがキッチンに顔を出す。
「おはよう、ロビン、アパル」
「おはよう」
「ナミ、おはよう」
 まず手前にいた二人に挨拶をしてから、奥にいるサンジに声をかけ飲み物をもらっている。
「アパル〜! あ〜朝から癒やされる」
「ふふ、どうしたの? お疲れ?」
 ナミは、座るアパルの頭をぎゅっと抱きしめる。その背中をぽんぽんと叩き、アパルは子どもをあやすように声をかけた。
 数日間、嵐やら急な天候の変化でナミは忙しなかったから、疲れがたまっているのだろう。
 隣に座ったナミを、今度はアパルが抱きしめるように撫でて紅茶を飲むように促す。
 温かい飲み物にほっと息をつく彼女を、アパルとロビンが和やかに見守っていた。
「は〜……こうしてアパルと静かにしていられるのも、ルフィが起きてくるまでの間だけね……」
「ふふ、ナミ。アパルは今日、一緒にお昼寝してくれるみたいよ?」
「え、ロビンと一緒に?」
「ええ」
 嬉しそうに言うロビンに、ナミが「え〜いいな〜!」と声をあげた。
「私も一緒にのんびりお昼寝したい〜」
「ナミも一緒にどう? ね、アパル」
「うん。みんなでのんびりするのもいいよね」
 アパルとロビンは目配せし合ってから微笑み、二人はナミの様子を窺う。
 きょとりと一瞬だけ目を瞬いたナミは、たちまち破顔して隣に座るアパルと腕を組んだ。


(今日はルフィには邪魔させないわよー!)
(ふふ、今日は私たちで二人占めね)
(あ、でも女の子の部屋に行くのはちょっと……)
((アパルならいいわよ))
(え、でも……)
(アパルー! 今日は俺と一緒に釣りしようぜ! って、ブハ! なにすんだよ、サンジ!)
(クソゴム! あの麗しい空間を邪魔すんじゃねえ!)

 
 ◆◆◆

 リクエストありがとうございました!
 愛生命で、麦わらの一味or白ひげ海賊団とのわちゃわちゃということで、麦わらの一味で書かせていただきました!(IF設定にしちゃって申し訳ありません……)
 全員出せなくてすみません〜泣 でも書いててすっごく楽しかったです!
 このルートも楽しそうだな〜と思いつつ、多分ガープは拳骨で済まさずに連れて帰るよな……とも思ってしまったり……。
 ブルックとのちょっぴり大人な雰囲気とか、他の若年層との母子みたいなわちゃわちゃとかもっと書きたかった! のですが、技量が追いつかず……。
 またの機会に書きたいと思います!