桜木くんとお兄さん


 部活動に所属していない依織は、まだ日の高いうちに帰路についていた。もうしばらく経てば、夏の青空を照らす陽光は、色を濃くして沈んでいくことだろう。
「あついな〜……」
 白い半袖シャツの襟元をパタパタと揺らすが、そんなものでは仮初の涼しさも手に入らない。
 足を包んでいる夏仕様のスラックスも、今は汗ばんだ肌に張りつくようでじわじわと不快感が募っていった。
(うちに帰ったらエアコンつけて……涼しい部屋で宿題やって、ゴロゴロしようかな……)
 あと二週間ほどで夏休み。そうすれば陽に焼かれながらの登下校ともしばらくおさらば出来るのだ。そう思うと、家までの残りの短い距離を苦に思う気持ちも薄らいでいった。
「あっ、依織さんじゃないすか」
 背後からの呼び声に振り向くと、白いシャツに黒いボンタンというコントラストを纏った学生たちの姿。
 なにも入っていないようなぺたんこの鞄を脇に挟んだ姿は、真面目な学生には見えない。
 きっと双方を知らない第三者が見れば、優等生然とした依織と明らかにヤンチャをしている学生たちとの接点など思い浮かびもしないだろう。もしかしたら、依織が絡まれて困っていると思う者もいるかもしれない。
 けれど、彼らは依織にとって立派な年下の友人たちだった。
「わあ、みんな久しぶりだね! みんなも学校帰り?」
 破顔して駆け寄ると、依織より上背もあって体格もよい男たちが、揃ってむずかゆそうに
「まあね」
 と、笑う。
「高校も今帰りなんすね」
 そのうちの一人、水戸の問いに依織は頷いて答え、そうして四人を前に「あれ?」と首を捻った。
 いつもだったらいの一番に依織に声をかけてくるはずの、目立つ赤色を背負った青年がいない。
「珍しいね。花道くんは一緒じゃないの?」
 依織の言葉に、四人はぎこちなく目配せし合うと、依織に目を戻し、代表してまた水戸が口を開いた。
「あー、あのさ依織さん。今日、花道のやつ夢見悪かったみたいで朝から機嫌悪くてさ……今日も依織さんち行くでしょ?」
 だからいつも通りよろしくね、と言葉を結んだ水戸に倣うように、他の三人もへらりと笑った。
 友人を思う心配そうな気持ちの混ざった少年たちの笑みに、依織はこくりと力強く頷いたのだった。

 桜木花道との出会いは、今から一年ほど前になる。
 道のど真ん中で大乱闘を広げていたところに、依織が遭遇したのがきっかけだった。
 親父が――! 病院が――! と、ところどころ聞こえた言葉と、切羽詰まったような泣きそうな自分よりも大きな少年の姿に、来た道を引き返そうとしていた依織は、つい少年たちの間に割って入ってしまった。
 その後、花道とともに救急車を待って、花道の父が病院に運ばれるところまで見送ったものの、残念なことに花道の父は亡くなったらしい。
 なにかの縁だろうと葬儀に出席したが、そこで花道と依織の父ぐらいの年齢の男性が話をしているのを見つけた。
 一言挨拶を――と思って近寄った依織の耳に入ってきたのは、十代の少年に向けるにはいささか鋭く厳しい言葉たち。
 曰く、身元の引受人にはなっているが、自宅に引き取りたくは無いので一人暮らしをしてくれ。
 呼び出されたくはないから問題を起こすな……など。家族を亡くしたばかりの子供に向かって言う言葉か、とカッとなった依織は花道を背に庇うようにして男性に向かいあった。
「花道くんは! うちがちゃんと面倒見ておくので大丈夫です! お気づかないなく!」
 なんせとっても優しい子ですので! と、張り上げるような大きな声で言ってから、ここが斎場だったことに気づいてあっと口を噤む。
 恥ずかしいことをしてしまったと肩を竦めたが、ちらりと見えた花道が、これでもかと目を大きく見開いて、すぐに泣き笑いみたいな顔をしたものだから、言って良かったな……と思った。
 あれから、花道は一人でアパートに暮らしている。けれど、一日に一度は依織の家に来て、依織の家族と共に食事をしていた。
 依織の父も母も、最初は花道の派手な出で立ちに驚いてはいたが、今じゃ実の息子である依織よりも可愛がっているぐらいなのだ。


 水戸たちからお願いされたその日も、花道はいつものように夕飯を食べに依織の家を訪ねてきた。
「おかわり!」と大きな声を出しては、母が嬉しそうに笑って茶碗にご飯をよそう。大盛りの白米が消えていく姿を、父は「相変わらず花道くんはたくさん食べるね〜」とニコニコしながら見守っていた。
 照れたように笑う花道だけれど、その横顔にはどこか陰があった。小食な依織はとっくに食器も片づけており、お茶を飲みながら隣で花道を見ていた。彼が食べ終わるタイミングを見て、依織は「そうだ」と口をついた。
「花道くん、よかったら今日は泊まっていかない?」
「え、いいんすか?」
 食器を洗って戻ってきた花道が、ぱちりと眼を瞬いた。
 すかさず母と父も賛同してくる。
「あらいいじゃない! 最近はお夕飯だけで帰っちゃうから淋しくてね〜?」
「ああ。久しぶりじゃないか。ゆっくりしていきなさい」
 花道を挟んでニコニコする父と母を、花道が左右に首を振って見比べると、そうして少しむずがゆそうにへへっと笑って頷いた。

 
「そういえば今日ね、帰り道に水戸くんたちに会ったよ」
 布団を直しながら言うと、ぴくりと花道の肩が揺れた。けれど、動揺したのも一瞬で、すぐに泊まり用の布団を広げて準備に戻った。
 花道は泊まりに来るといつも依織のベッドの横に布団を敷いて横になる。依織の家には大きな布団が一つ、花道専用として準備されているのだ。
 最初の頃は母や依織が出してきて敷いていたけれど、最近じゃ花道が自分で運んできては布団を並べている。
 依織は自分のベッドに腰掛け、花道が布団を広げていく様を観察した。その視線がくすぐったかったのか、最後に枕を頭の位置に置いた花道が、ちらりと依織を見た。
 そうして気まずそうにぽつりと言った。
「あいつらから、なんか聞きましたか……?」
 うん、と素直に頷くと花道の身体に力が入った。その姿がまるで叱られる前の子どもみたいに見えて、なんだか依織は切ない気持ちになった。
「夢見が悪かったんだって? ……まあ、みんなそんな日ぐらいあるよね」
「……うっす」
 ちらりと気になって見上げるように様子を見る。だが、花道は頷いただけでそれ以上はなにも言わなかった。
(ねえ、お父さんの夢、見たんだよね?)
 聞きたい。聞いて、なにもかも吐き出させてあげたい。だが、自分がそこまで踏み込んで良いのか分からない。
 こうして家族ぐるみの付き合いがあったって、依織と花道が出会ってからたった一年しか経っていなくて、彼の父のことを知っているのは完全な成り行きだからだ。
 ――いつも通りよろしくね。
 そう言って笑った花道の友人を思い返す。彼らのほうが、依織よりもよっぽど花道と親しい気がする。
 それでも彼らは自分たちじゃダメだと言うのだ。花道は自分たちには曰く「そういうところ」を見せてはくれないからと。
(俺でも同じじゃないかな……)
 花道が夢見が悪いという日は何度かあった。その度に深く訊ねてみたくて、でも出来ないままだ。
 溜め込んでない? 苦しくない? 俺じゃ頼りにならないかな?
 話して欲しい。でも、訊いて拒絶されたらと思うとあと一歩が踏み込めない。
 もし訊ねたせいで、これからうちに寄りつかなくなってしまってはどうしよう、とそんな不安ばかりが頭に過る。
 依織だってまだ高校生で、自分の行動に怖じ気づくこともあるのだ。
 だから依織は、今日もなにも訊けないままだ。
「花道くん」
 腰掛けたベッドの上で、両手を広げてみた。依織の呼びかけに、花道はどこか期待したような顔でゆっくりと視線を上げてみせた。
「今日もさ、よかったら一緒に寝ない?」
 人肌って落ち着くらしいから、と何度も告げた言い訳を今日も依織は口にした。
 お風呂上がりの髪を下ろした花道は、いつもより随分と幼く見えた。赤い前髪の下で、鋭い目が子犬みたいに垂れて、その大きな巨体が四つん這いに静かに依織に近づいた。
 いつもだったらそのまま依織の胸の中に収まる花道だったが、今日はいつもと違った。広げていた依織の手を掴むと、そのまま勢いよく引っ張られた。
 驚きに声を上げる間もなく、依織を抱き込んだ花道は、そのまま揃って布団に転がった。
 肩が軋むほど抱きしめられ、苦しさを感じつつもどうにか拘束まがいのハグから手を出してトントンと花道の二の腕当たりを宥めるように叩く。
 すると、さらに腕の力が強くなった。
「依織さん……依織さん」
「大丈夫だよ、花道君……今日は悪い夢はみないから」
 お兄さんを信じなさい、と年上ぶって茶化すように声を上げると、頷いたのか、花道が身体を丸めて依織の肩口に顔をうずめた。意外と柔らかな赤毛が首元の薄い皮膚をかすり、こそばゆくてわずかに身をよじると、逃げるとでも思われたのか、腕だけではなく足でも押さえ込まれた。
 あまりに必死になる様子は、子どもがお気に入りのぬいぐるみにしがみつくみたいで、
(逃げないのに)
 と、苦笑しながらも、依織はまた花道の身体にトントンと触れた。
 そのうち花道が寝息を立てるまで、依織はずうっとそうしていた。
 寝息が聞こえ始めて、依織もほっとして寝る体勢に入るのだ。
(良かった……寝てくれて……)
 どうか今日は良い夢がみられるといいな。安堵しつつそう願った。
 ほっとした心の奥で、心臓がわずかにトクトクと普段よりも早く動いていることには、今日も依織は見ないふりをするのだ。
 おかしいな。初めは年下の子をほうっておけなかっただけなのに。
 心の内で自重する。
 いつからだろう。この子を、子どもではなく男として意識するようになってしまったのは。
 大きな手で触れられたとき? 初めて抱きしめられたとき? 不良に絡まれていたのを助けてもらったとき?
 きっかけなんていつだったか覚えていない。けれど、この気持ちに気づいてはいけない、ということだけはハッキリしていた。
(花道君は純粋に俺のことを慕ってくれているだけだから……お父さんのことで、お世話になったと思ってくれてるだけだから……)
 だから勘違いしてはいけない。
 依織は今日もそうやって言い聞かせながら、花道の腕の中でゆっくりと眠りに沈んでいった。


 しかし、大学に入って一人暮らしを始めてから、花道の泊まりに来る頻度が増え、今よりもはるかに接触が増えていって、「あれ?」と思ったときには外堀を埋められているなんて……そんなこと、高校生だった頃の依織は微塵も思いもしなかった。


 ◆◆◆

 リクエストありがとうございました! 
 元はついったーに上げていた花道との小話でした〜〜〜!

 なんだかシリアス? 暗い感じ? になっちゃったけれど、桜木花道だって中学生だし……まだ十代前半だし弱いところもあるし……って自分に言い訳しながら書いてました笑

 今は頼れる年上が自分しかいないからだろうな〜って、思ってる男主が、花道が高校に入ってバスケに出会ってからは楽しめるものも頼れる先輩も見つけていて、淋しいけどそろそろ親離れ(?)かなとかしみじみ思って離れる準備をしていたら、それに気づいた花道が初めて猛獣みたいな部分出してきて囲い込まれて(あれ?)ってなって欲しいなって思います……。年下攻めの真骨頂ですよね……子犬だと思ってた攻めが猛獣だったみたいな……。