隣の席のおっきい子ども 番外




 ふと思い立って、依織は台所に立ってみた。
 普段よりも随分早くに眼が覚めてしまった依織に、忙しそうに動く母が
「せっかく早く起きたんだからお弁当ぐらい自分で作りなさい」
 と言われたのもある。そして、前々から自分の中で作ってみたいなあと、ぼんやり思っていたのもあった。
 といっても、昨日の夕飯のおかずを詰めるだけで、残っている仕事といえば卵焼きを作るぐらいしかない。
 母に言われたとおりに調味料を加え、四角いフライパンに流してはくるくると丸める――はずだったのだが。
「なんでこうなった……?」
 ひょいと用意されていたお皿に引っくり返してみると、見るも無惨な黄色い塊が現れた。
 厚焼き卵というか、どちらかというとスクランブルエッグのほうが近い形状だ。いつも母が詰めてくれる綺麗に巻かれた厚焼き卵を思い出し、皿の上のものと比べて依織はまた遠い目をした。
「あんた意外と不器用よね」
 と、母が可哀想にとでも言うように見てくるので、助けを求めれば「卵もったいないからそれ詰めてきなさい」とすげなく返されてしまう。
「えー……これ詰めるの……?」
 渋れば、遅刻するわよと厳しい声が飛んできたので、依織は致し方なく、これ以上形を崩さないように慎重に弁当箱に詰め込んだ。


 昼休みに入った教室内で、依織は弁当の包みを手に悩んでいた。
(どうしよう……お弁当はいつも流川くんと食べてるけど……)
 しかし、今日はあの依織特製の厚焼き卵――と命名されたなにかが入っているのだ。
 昼時の眠気マシマシの流川が、依織の弁当の中身の変化に気づくことはないと思うが、万が一がある。普段あれだけ世話を焼いている立場の依織が、まさか卵焼き一つ満足に作れないなんて知られるのは、なんだか嫌だ。
「……なにしてんの?」
 うだうだと悩んでいる間に、睡眠から目覚めた流川が依織の席まで迎えに来てしまった。
「あ、ううん……流川くん、今日食堂だったり……」
「いや、もう購買で買ってきた」
「だよねぇ……」
 だって両手いっぱいにパンやらおにぎりが抱えられてるもんね。
 と、依織は遠い目をして諦めた。
(お弁当は夕飯に回して、食堂で食べちゃってもいいかなって思ったけど……しょうがないや)
 さすがに流川も依織のことを完璧超人だと思ってる訳でもないし。――と、割り切って、二人は昼食をとることにした。
 いそいそと、しかし普段よりもゆったりした動きで包みを解く依織に、ふいに流川が呟いた。
「なんか今日、変」
「……俺が?」
 訊くと、流川はパンを頬張りながら大きく頷いた。
「うーん。ちょっとね……落ち込んでるっていうか」
「なんで?」
「いや、そんな大したことじゃないんだけど……」
 言葉を濁したものの、あんまりにじーっと見てくるものだから、依織は観念して一息で言い切った。
「お弁当作ったけど失敗しちゃったの!」
「……弁当?」
 きょとりと切れ長の眼を見開いてしばたたく姿は可愛らしく見える。その瞳がすいと下を向いて依織の弁当に落ちた。
「どこが?」
「卵焼き……本当は厚焼きにするはずだったのに、上手く丸まらなくて……」
「ふーん」
 バスケ以外には無関心なくせに、こういうときになぜそこまで興味を持つのか。流川は少し身を乗り出してしげしげと依織の弁当――卵焼きを見ている。
「あんま見ないで……恥ずかしいから」
 さっと手で壁を作って隠すと、ふと流川が考え込んだと思えば、「あっ」と口を大きく開けた。
「え……?」
 困惑する依織に、流川は卵焼きをその長い指で示すと、次いで自分の口許へ指を持っていた。
「食べたいってこと?」
 おずおずと訊けば、今度は子どもみたいな仕草でこくりと頷かれた。
 依織は、一度弁当を見下ろして考える。こんなにグチャグチャで形を成していない、しかも少し焦げた卵焼きを食べたい?
 からかってるのかと一瞬だけムッとしたが、流川のことだ。きっと純粋な興味や気まぐれというやつだろう。
(まあ、味付けはお母さんの言ったとおりにしたから大丈夫か……)
 そっと箸ですくうように取って、小鳥みたいに口を開けて待っている流川に差しだした。すると、もぐもぐと味わって呑み込んだと思えば、また一口求めるように口が開く。
 無意識のうちに依織はまた同じように卵焼きを差しだした。
「……美味しい?」
 顔色も変えずに食べ続ける流川に心配になってそろそろと言う。すると、ちょっぴりうきうきした雰囲気を出しながらこくこく頷かれる。
「そっか。ならよかった……」
 まあ、味付けはお母さんのだし。なんて心の中で言いつつも、なんだか嬉しくなってしまって、心がこそばゆい。
 流川のことが真っ直ぐ見れなくて、依織はそっと視線を逸らしながらも流川の口に卵焼きからほかのおかずまで全て食べさせた。
 空になった弁当箱を前にして、依織が食事をしていないことに気づいた流川は、慌てて自分の持っていたパンを一つ開けた。それを依織にずいと押しつけ、今度は依織が食べさせられる側になった。

 ちなみに教室内での出来事なので、衆人環境下での出来事である。

 


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 リクエストありがとうございました!
 短編「隣の席のおっきい子ども」の二人の日常生活のSSでした!