隠れ家。


世界の終演を君に。


「あなたのために、あなたを殺します。」
そう呟いた彼女の瞳は
やけに鮮やかに濡れていた。

世界の終演まで、あと___分。

僕が世界を終わらせるか、
彼女が僕を殺すか。
僕と彼女の、世界と命をかけた一夜限りのデスゲーム。
そろそろ、開演といこうか。

*****

「じゃあな!」
「また明日〜」
そんな声に返事もせずに背を向け、足早に家へと向かう。
いつもなら友達とだべってから、ふらりと街を歩いて家に帰るのだが。
生憎と、今日はそんな余裕はなかった。
__残念だけど、お前らにはもう「明日」はないから。
頭に浮かんだ、そんな厨二くさい台詞を口に出す程気障な人間ではないつもり。
と、誰にともなく言い訳をしながらただ歩く。
まあそもそも、「明日」がないのは僕とて同じこと。
家の扉を開けながら、そう呟いた。
__何故って?それは、後でのお楽しみ。
手早く着替えやら何やらを済ませ、小さめのリュックサックにスマホとノートPC、それから財布を突っ込んで、
「ちょっと出かけてくる」
と母さんに声をかける。
__もうこの家に入ることも、母さんの顔を見ることもない。
途端に、昨日までに固めたはずの決心が大きく揺らいだ。
……揺らぐ?
あまりの自分の弱さに、思わずはは、と笑いが零れる。
__こんな世界いらないって、消えてしまえって、あれだけずっと願ってきたじゃないか。
グッと拳を握りしめ、玄関の扉を開ける。
「じゃあね」
呟いた別れの言葉は、誰にも届かずに風に消えた。

*

タタン、タタン。
軽快なリズムに身を任せながら、窓の外の景色を眺める。
__この夕陽も、電車も、人も、今夜全て俺の手で……。
高揚する鼓動とは裏腹に、胸の奥がズキン、と痛んだ。

*

目の前にそびえ立つ西都タワーの頂上を見上げる。
日本で最大の高さを誇る電波塔で、セキュリティーは勿論堅い……というのが売りらしい。
まあ、そんなもの関係ないけど。そう呟いたと同時に、リュックサックから2回、メッセージの受信音が響いた。
「えーと、母さんは……」
母さんから、
『斗羽、もうすぐ夕飯です』
なんてメッセージ。
「っ……」
ギリ、と唇を噛んで、メッセージを閉じた。
__母さんは何も悪くないけど……でも俺は、もう止まれないから。
そう言い訳をして、もう一件を開く。

「うし、ろ……?」
そう、メッセージに書かれてたのは、たったそれだけ。
『後ろ。』
としか書かれていなかったのだ。
まあこれは後ろを振り向いてあげるのがセオリーな訳で。
ふい、と後ろを見た。……いや、その背後の気配に惹かれたという方が合っているかもしれない。
そこにいたのは、
「斗羽くん、であってるよね」
同じクラスの、芽依だった。
いや、そのこと自体は特筆すべきことじゃない。学校からこのタワーまではそう離れていないし、来ていてもおかしくはない。僕が動きを止めたのは、彼女の表情故のことだ。
芽依は、そこそこ顔立ちも整っていて性格もよく、表裏のない……つまり大半から好かれているタイプの生徒。いつも笑顔を絶やさず、怒ったり機嫌を悪くした姿は見たことがなかった。
それが今はどうだ。まっすぐに僕を見つめる彼女は、笑っていながらもどこか末恐ろしさを感じさせる笑みをたたえている。

「斗羽くん……貴方を、殺しにきたよ」
「……は?」

思わず呆けた声をこぼす。言葉だけ見れば、ただの狂乱者である。それでも、僕には僕の事情がある以上、それを鼻で笑って追い返すことなど到底出来るはずもなかった。……否、正直なところ、当たり障りない笑みを浮かべることもできない程、頬が引きつっていた……マスクで隠れているのが救いだが。
「そんな、急に殺す、だなんて……」
「言い方を変えようか。私は、世界を救いに来たよ」
なんて物騒な、という言葉は、上書きされて言うことすら許されなかった。
__ああ、もうこいつは知ってるんだ。
“アレ”のことも、言うしかない。そう腹を括る。どうせバレているのだ、ここで言わずに隠し通したところで何も利がないのはわかりきったこと。どうせなら自己開示をする代わりに、彼女の行動を暴いてやろうじゃないか。
「……バレてるみたいだね。そうだよ、僕は今夜、世界を殺す」
「知ってたよ、ずっと前から。だから私は今夜、貴方を殺す」
彼女の目を半ば睨むように見つめながら
__目下1番の厄介は、彼女だ。
なんてことを思った。
「……いつから知ってたんだ?」
漸く絞り出した声は、情けなくも震えて掠れていた。そんな僕の様子を見てか、芽依は更ににっこりと笑う。
「今は……まだ秘密。私が貴方を殺す時に教えてあげる」
それが単なる脅し文句ではないことくらい、僕が1番よく知っていた。
「1つ、賭けをしない?」
どこか弾んだ様な声で、彼女が言う。
「……賭け?」
「そう、賭け」
普段の温和な彼女には、とてもではないが似合わない言葉。でも今は、その身に纏う不穏な空気から、不思議と違和感は感じられなかった。
「貴方が世界を殺すのが先か、私が貴方を殺すのが先か。”互いが持てるもの全て”を使って、先に目的を達成した方が勝ち。貴方が勝てば、世界は終わる。私が勝てば、貴方は死ぬ。……楽しそうじゃない?」
生憎と、そう言って笑う彼女ほど、常識を失ったつもりはない。でもまあ、
「……悪くない。乗ったよ、その賭け」
断るなんて道は、すでに残されていなかった。

「ルールは、さっき言った通り。”互いが持てる力全て”を使って、自分の目的を達成するの。タイムリミットは……夜明け。いいかな?」
「あぁ……ゲームスタートも、君に任せる」
「わかったわ。じゃあ、今は17:47だから……18:00にスタートしましょうか」
傍目には、とても今から命と世界を賭けた者同士の会話とは思えないだろう。声色も顔も、余りにも淡白すぎるが故に。
……それにこの夕暮れ時に、西都タワーの下で向き合っていれば、もしかしたら恋人同士なんかに見えるのかもしれない、なんて。
_馬鹿馬鹿しい。
どうせ世界は、今夜で終わる。僕が終わらせる。それに、僕はもうこの世界が大嫌いになったのだ。そんなつまらない想像に費やす時間なんて、微塵も無かった。

「精々頑張ってね、”テロリスト”さん」
「そっちもな、”殺人鬼”」
芽依の声に背を向け、西都タワーへと駆け出した。

*


「っ……」
肩で大きく息をしながら、床へズルズルと座り込む。
「流石に、頂上まで歩くのは、きついか……しょうがない」
もう一度だけ、とノートPCのEnterをクリックする。と、それに呼応するかのように、フロアの電気がボウ、とついた。

ここは西都タワーの54階。100階まであるから、ちょうど半分を過ぎたくらいのところ。目的地は100階、いや、その先だが……。芽依がいつくるかわからない以上、なるべく安全な場所に、なるべく早く、かつ芽依を阻止する形で辿り着きたかった。
「正直すぐに”シャットダウン”したいんだけど……流石に無理か」
そう、そのためにたった今まで、ノートPCで西東タワーをハッキングし、すべての電源を落としていたのだ。扉から、電灯から、エレベーターに至るまで。とは言えど、100階まで階段で上がるのは無理があったようだ。
……それにしても。
「なんで芽依、すぐに追ってこなかったんだ……?」
そう、僕が西東タワーへ駆け出したすぐ後、芽依が走り去る足音が聞こえたのだ。
……なりふり構わず僕を殺しにくるのではなく。
余談だが、予定調和の崩壊というのは、一説によると人間に強烈な違和感を残すらしい。そして、違和感というのは無意識に発露、蓄積され……いつか別のものへと生まれ変わる。
「……ははっ、何だ、別のものって」
自分で考えたことながら、どこか末恐ろさを感じる。
まあそんなことはどうでもいいのだ。僕は、僕の願いを叶えるだけ。目的をただ達成すればいいだけのこと。この際、周りのことなんかに構っている暇はないのだ。

僕から凪斗を奪ったこの世界は、絶対に許さない。
凪斗がいない世界なんて、消えて仕舞えばいい。
神なんていない。いるとするならば、きっとそいつは性格が悪くて、意地悪で、最悪で……きっと、人を見る目のある奴だ。凪斗を僕のもとから連れ去ったんだから。

「待ってて凪斗、すぐいくから」
夜明けには、世界の終演を君に届ける。
Enterの音と共に、フロアに闇が満ちた。

**


__芽依side


私は知っている。
なぜ斗羽くんが勉強を辞めたのかを。
私は知っている。
斗羽くんが今夜何をするのかを。
私は知っている。
凪斗くんが誰なのかを。

斗羽くん。不思議な人だ、彼は。
進学校である私達の高校に、首席の成績で入学、その後もテストの成績はダントツのトップ。傍目から見ても努力家で、彼自身もそこを誇りに思っている……はずだった。
それが、去年の夏前の頃。
彼の成績は、地までといっていいほど、落ちた。いや、落ちたというのは、解けなくなったということではない。”解かなくなった”のだ。
テストの成績で進学等が決まるというのに、いつもいつも赤点ギリギリ。それもわざわざ狙ってその点数を取っているように思える。
_不可解。ただその一言に尽きる。
あれ程努力していた彼が、何故ここまで落ちぶれてしまったのか?
あれ程活力に満ちていた彼が、何故ここまで空虚になってしまったのか?

最初は、ほんの好奇心だった。傍目から見ても分かるほど変貌した彼の生活が、気になってしまったのだ。

元来私は、友達や先生との対人関係を円滑に回すことが好きだ。自分の思う通りに、願う通りに人を動かす。そのことにある種、以上なほどの執着心があるということを自覚したのは、中2の頃。人の表情や声色、行動や歩き方に至るまで全てを観察し、分析する。相手を、カテゴライズする。そのことがどうしようもなく楽しかったのだ。
ついにその欲求は留まるところを知らずに周りを侵食していく。より多面的な捉え方をするために、たくさんの友人を作り、人に好かれ信用されることを欲した。人脈の広がりはつまり、情報源の広がりでもあった。

周りの人々を分析し尽くし、日々に飽きていた頃。
唐突な彼の激変ぶりに、ひどく惹きつけられた。
何も言わず、何もせず、すぐにでも消えてしまいそうな彼を分析する_____これ以上魅力的なことはないように思えた。
しかし矢張り、閉ざしきった彼の心の内を知るものは少なく。私の情報脈を全て駆使して得られた情報は、正直なところ単調であった。

曰く、彼は、すごく親密な幼馴染みがいたらしい。
その人は男性で、凪斗というらしい。
穏やかな性格で、物腰も柔らかく。
そんな彼が、小学生の頃に病気に罹ったのだと。
現代の医療では治せない、不治の病に。
斗羽くんは、凪斗くんを救うために医療系に進もうと努力をしていた。
斗羽くん自身の努力もあってか、順調なように見えたけれど……
その凪斗くんが、亡くなってしまったんだと。
小学生の頃から一心に凪斗くんに尽くした斗羽くんは、進むべき道を失い……
恐らくは、救えなかった、無力だった己を恨んだ。
……そして、今に至る。

 

……それだけ?
というのが、知ったときの本音。いや、斗羽くんの辛さを軽んじているのではない。そうではなくて、時折彼が見せる、あの獰猛な、憎悪に満ちた目は、何に向けられているのか。彼自身に向けられているにしては、あまりにも鮮やかすぎるような……あれは高校生の瞳ではなかった。


観察、しなきゃ。
見つけなきゃ、なんとしても。
彼を、知りたい_____。

*

_見つけた。
それは唐突だった。彼が、何を憎んでいるのかを見つけたのだ。普通に考えたら簡単なことだったのが、考えすぎたせいで遠回りをしてしまっていたのだ。

小さい頃からずっと一緒で、「その人」を救うためだけに努力してきたというのに。
それが他者に……世界に、神に、奪われたら?

……きっと、大半の人は悲しんで、絶望して_諦める。だって、どうにもならないから。
けれども、賢い彼は違った。

凪斗のためだけに生きてきたのに
凪斗のためだけに努力してきたのに
僕から凪斗を奪う世界なんて……「いらない」

きっと、そう思ったんだろう。
たった1人の、もういない人間のために、世界を滅ぼそうとしているのだ。
なぜ確証があるかって?
……見たからだ。
何かをノートに書き留める手の動きを、何かを呟く口の動きを、何かをPCに打ち込む手の動きを。
正直、怖かった。なぜそこまでするのか……もういない人のために。
私には出来ない。実行も、理解も。そう思った。
それ故に、また、惹きつけられた。

彼は、テロリスト。
恐らくは、電波塔をハイジャックして通信機器を停止させ、各地に設置した遠隔操作型の爆弾を起爆させようとしている。
それが上手くいけば……この国のみならず、きっと世界は崩壊する。
勿論、共犯者達がいるのだろう。1人で爆弾を設置することは出来ないから。
でもきっとその人達は……死ぬことなんて怖くないんだろう。それは彼も然り。

__彼を止めたい。
それは願い。それは祈り。
……なんていうのは嘘で。
本当は、彼に私を見て欲しかっただけ。凪斗くんが去ってから、彼の瞳には何も映っていなかった。ただただ、空虚がそこにあるばかり。

それが、面白かった。
でも。
それ故に、欲しくなってしまったのだ。……彼自身が。
何も映らない彼の瞳に、私を映すことが出来たなら、そんなに面白いことはない。
じゃあ、彼の目に映るには?
……止めるしか、ない。
だから私は彼を止める。世界を救ってみせる。

全ては、私の欲望のために。

*

タワーへ真先に走り出した斗羽君に背を向け、タワーの東側へ回り込む。
「……やっぱりね」
そこには思った通り、共犯者らしい人の姿。おそらく私がタワーに侵入するのを防ぐためだったんだろうけれど。
もう既に、地に伏していた。
「ごめんね……結構いいとこに蹴り入っちゃったから、しばらく起きれないかも……」
もう1度ごめんね、と呟いて、北側へ向かう。
「……あと、6人」

**

__斗羽side

「っ……」
肺が痛い。1月の冷気は、こんなに殺意を持ったものだっただろうか。
「あと、4階登って……外に出れば……」
息も絶え絶えにPCを見る。本当は今すぐタワーの電源を落としてしまいたいけれど、そうすると非常階段の扉が動かなくなるから出来ない。
「急ぐしかない……か」
芽依がこのタワーに来る前に、早く電源を落とさなくては。
冷え切った階段の手すりを握った。

***


__??side

「おはよう、今日はどう?」
つぶらな瞳で、きゅ、と覗き込まれる。
「今日も大丈夫だって。もう学校だろ?」
「うん……でも今日は休む」
「も〜、昨日もそう言ってただろ!俺は平気だからさ、いって来なって」
このやりとりも、何回目……いや、何年目だろうか。
「ほら、遅刻しちゃうから!」
「わかったよ……」
寂しげにトボトボ歩く背中を押し、半ば強引に「いってらっしゃい!」と見送る。

……これも、あと何日続けられることなのか。
この身体のことを何も知らされていない俺は、ずっとその怖さと戦っている。
今日「いってらっしゃい」って言ったら、もう会えないかもしれない。
明日「おはよう」って言ってもらえないかもしれない。
昨日の「またね」が最後かもしれない。

「っう、……」
不意にヒュ、と喉が鳴って、目の前が見えなくなる感覚。息が出来なくて、音も聞こえなくて。最初は怖かったけれど、結局はこれにも慣れてしまった。
「最近増えたなぁ……」
どこか他人事のように呟いてみる。他人の事だと思っていれば、遠ざけておけば、まだ先延ばしに出来る気がするから。
「だからっ……泣いちゃダメ、だろっ、……俺!」
まだ泣く時じゃない。まだ死ぬ時じゃない。
「あいつ、まだ俺がいないと全然ダメだし」
あの屈託のない笑顔を、声を、「凪斗!」って呼んでくれる日々を失うわけにはいかない。

俺と斗羽は、絶対引き剥がされてなんてやるもんか。
どうせ死ぬのなら、精々足掻いてから死んでやる。
「俺と斗羽、舐めんなよ。カミサマ」

***

「っ……疲れた……」
最後の仕上げ、とEnterを押す。ガシャン、という音と共に、足元の西都タワーの明かりが消えた。
「う……流石に寒いな……」
連日の徹夜での準備に加え、急な身体の酷使に立っていられず、思わず座り込む。……とは言ってもここは西都タワーの最上階のその上、頼りない足場が少しあるばかりである。
「……あとは待つだけ、か」
ここまで来てしまえば、もう僕がすべきことはなかった。後は共犯者達が、担当の場所の起爆システムを確認し報告をくれれば良い話。各地からの報告さえくれば、Enterを押して……全部吹き飛ばす。このままいけば、夜明けを待たずに世界は滅びるはずだ。
確かに、この国中に爆弾を仕掛けたところで、世界全てを「物理的に」滅ぼすのは不可能だ。そんなことは最初からわかりきっている。けれど、それが「経済的に」だったとしたら?……可能である。
先進国であるこの国が物理的に沈めば、世界が天災や経済的混乱に陥るのは自明の理。いくら小さな島国といえども、地形が変わるほどの衝撃を受ければ、星全体のダメージは相当に大きいものになるはずだ。

「少し、休もう……」
無理が祟ったのか、正直もう目を開けているのすら辛いほどの疲弊を感じる。どうせもう芽依はここには辿り着けない。下には見張りがいて、更にこのタワーの頂上への電気扉は、電源が落とされて稼働しないのだから。
「ほんの少し、報告が来るまで……」
世界最後の休息は、不思議なほど穏やかな夜景の中に微睡んだ。

*

夢を見ていた。
それは遠い遠い昔の話。
叶わなかった夢は、微睡の中に溶けて消えた。

*

「っ……凪斗!」
息も整わないままベットに駆け寄る。放り投げたスクールバッグが、床に当たってぐしゃりと悲鳴を上げた。
「凪斗、起きて凪斗!」
学校に、凪斗が意識を失ったという連絡が入ったのは3時……今から約1時間も前の話。
掠れた様な凪斗の呼吸音に重なるように、時計の秒針の音がやけに大きく病室に響き渡る。鮮やかに差し込んだ夕陽が、真っ白な凪斗の頬に紅色の影を落とす。
泣くことしかできない僕が、見守るしか出来ない僕が、手を握ることしか出来ない僕が、ただひたすらに憎たらしかった。
「僕が治すって……それまでは待つって言ったの凪斗だろっ……起きろよ!!」
八つ当たりをする様に駄々をこねる。そうすれば、いつもみたいに困った様に笑って、『ごめんごめん、そうだよな』って言ってくれる気がして。

*

ピッピッピッ__
無機質な機械音が、すっかり暮れ込んだ空に空虚に染み込んでいく。
「ん……」
「凪斗!?」
不意に声を上げた凪斗の手を、反射的にギュ、と握る。
「……斗、羽?」
呼吸器越しの声は、掠れて小さくて……ひどく弱々しかった。
「凪斗っ……目、覚めて……」
「斗羽、手、痛い」
ごめん、と呟いて、そこでようやくどれだけ強い力で握っていたのかに気づいた。
「……ごめんなぁ」
唐突に、凪斗がそう溢す。え、という困惑は声にならずに喉が飲み込んでしまった。
「約束、守れなくて……斗羽には、ずっと笑っていて欲しかったのに、こんな顔させて……」
途切れ途切れに発される言葉はまるで……別れのようで。
「な、に急に……そんなん言わないでよ」
咄嗟に捻り出したのは、そんなありきたりの言葉だけだった。

「死にたくないなぁ……まだ斗羽といたい」
それは、初めて凪斗が僕に言った弱音だった。今まで辛い検査も手術も、『大丈夫』の一言で笑っていた凪斗が、初めて僕に嫌だとこぼしたのだ。
「っ……死なせない、僕が治すまでいてくれるんでしょ」
縋るように、引き留めるように手を握り直す。
「ごめん、ごめんっ……俺も、いたいけど」
声も視線も、だんだんと宙を泳ぎ始めているのが怖くて寂しくて。
「俺のために、頑張ってくれてる、のに」
苦しそうな笑みから、スッと抱えきれなかった涙が滑り落ちる。
「やだ、嫌だっ!置いてくなよ、勝手にいくなよ凪斗!」
「おれ、斗羽の親友で、よかった……」
「なんでそんなこと言うんだよっ、まだ一緒にいるだろ!?」
今にも消えそうな何かを掴むように、離さないように、凪斗を抱きしめる。

「だいすき、だったよ」
最期の言葉は、掠れて小さくて弱々しくて……幸せそうだった。

*

「……凪、斗?」
ずっと遠くを歩く背中に手を伸ばす。
「まって……待って凪斗!!」
走っても走っても彼には近づけなくて。
段々と白い光が、背中もその中に消えてしまいそうなほど強く眩く輝きだす。

不意にその影が振り向いた。
それから、小さな、それでいて悲しげな声で……

「来 ち ゃ 駄 目 だ よ。」

ゆっくりと、彼の姿が光の中に消えていく。
「嫌だ、置いていかないでっ……僕も連れて行って凪斗!」
喉が潰れるほどの叫びも虚しく、視界は一面白に塗りたくられ……
泡沫に、消えた。

*


懐かしい、とても懐かしい夢を見ていた。

「……きて、起きて」
「っ……」
呼ばれて目を開けば、目の前には誰かの姿。思わずタワーの上であることも忘れて飛びのこうとする……が、もちろんそれは「落下」を意味するわけで。
「危ないっ……」
間一髪、芽依が僕の腕を掴んだ。寝ぼけていたとはいえ、大失態。そもそも、目の前に敵がいるのに気付かなかった時点で生きていることが不思議なくらいだ。
……目の前に、敵?

「なっ……なんで……芽依がここに!?」
ありえない、そんなことはあり得るはずがなかった。
だって僕は、もう電源も落としたし、報告さえ集まれば起爆して終わりだと、彼女がここへ来るはずがないと眠ったはずなのに。
「なんでって……君を殺しに来たんだよ」
台詞にそぐわぬ朗らかな笑顔で芽依がそう言った。
「そうじゃない、僕は全部電源も落として、ここには上がれなくしたはず……」
外には見張りが、と言いかけ、
(1人で、全員倒した……のか?)
恐ろしい可能性を知ってしまう。

「ここはセオリー通りに、外の見張りさん達には眠ってもらったよ、とか言うべきかな?」
実際のところ、眠らせちゃったんだけど、と笑って見せる彼女に、不意にあの違和感が蘇る。
小さな違和感は、ひっそりと忍び寄り、形を変え姿を大きくして……何かに変わる。今、それがわかった。
……恐怖だ。
(なぜ、タワーに入った時、すぐ追ってこなかった?なぜ、見張りを倒せた?なぜ、あがってこれた?…………なぜ、目の前で眠りこける敵を殺さなかったんだ?)
考えれば考えるほど、なぜ、なぜ、と不思議なことは湧いて出てくる。それと同時に、自分の中で何かが鎌首をもたげるのがわかった。

それは恐怖。
それは不安。
それは不快。
それは憔悴。
それは諦観。
それは抵抗。
それは絶望。

目の前の少女1人。
たった1人されど1人とはよく言ったもので、未知数の彼女の力が、今はただ恐ろしくてならなかった。

それに。
(余裕で笑っているってことは、切り札があるってこと)
彼女の手中の切り札は、どんなにか鮮やかなものなのだろう。
きっとそれが切られれば、僕は死ぬ。

死ぬのは怖くない。死んだら凪斗に会えるのだから、死は僕にとって救いの言葉ですらあった。
でも。
(世界を道連れにしてやるって、決めたんだ)
僕から凪斗を奪うような世界なんて、滅んでしまえと。
無意識にノートPCを抱き締める。

不意に、目覚める直前の凪斗の笑顔を思い出した。
彼はなんて言っていたのだったっけ……。

まあそんなことはどうでもいい。
(どうせあと1時間もせずに、夜は明ける)
思っていたよりも眠り込んでいたようで、あと数時間もすれば、太陽が完全に上がりきる筈だ。
目の前に佇む芽依をしかと見据える。

「チェックメイトと行こうか」
少しキザに、そんなことを言ってみる。そうでもしないと、未知数の彼女の力に、恐怖で震えてしまいそうだったから。
「芽依は、僕に勝てないよ」
何も言わずに微笑んでいる彼女に、思わず口を開いた。
「だって僕はこのPCのボタンを押すだけで勝てるんだ。君は僕に飛びかかるなりして息の根を止めなきゃならない。ただでさえ男女の体格差があるんだ。僕の勝ちだね」
こんなことを言っても意味がないことなんて、僕自身が1番分かっている。けれども話さずにはいられない。

沈黙が、今はただただ恐ろしい。

「でも、斗羽くんがPC起動させるまでの時間もあるでしょ?」
ようやく、芽依が話し始める。ネオンも少ない早朝を背に語る彼女は、小さいながら大きいような、不思議な雰囲気を纏っていた。

「それでも芽依が僕を殺すより早く世界が滅ぶさ」
「もし私がPCを奪ったりしたら?」
「遠隔スイッチを用意してないわけないだろ」
「じゃあ手を砕くとか」
「手じゃなくたってスイッチは押せるさ」
「どうしても世界を滅ぼしたいの?」
「何回言わせるんだ、そうに決まってるだろ」
「凪斗くんが愛した世界でも?」
「その世界が凪斗を殺したっていうのに?」

どうして今になってそんなことを、という僕の問いは、彼女がポケットからスマホを取り出す衣擦れの音に遮られる。

「君は絶対に……勝てないよ。私にはこの”切り札”があるから」
そう言って彼女は、スマホの画面をタップする。
「それでも俺は……」
「静かに」
言い訳じみたことすら言わせてもらえないのか、と卑屈になりかけた頃。

『あ、えっと……斗羽?』
スマホから聞こえたのは、凪斗の声だった。
『久しぶり……になるのかな』
「凪斗っ!?!?」
信じられなかった。凪斗は死んだ筈だ。声が聞こえるわけがない。話せるわけがない。

「……静かに。ただ聞いてて」
1度スマホをタップして芽依が言った。
「これは、録音だから。過去のものだから」
宥めるような声に、ハッと冷静になる。
そうか、録音か。冷静になると同時に、あの時からずっと胸の中で燻っているドス黒く大きな喪失感が蘇る。

「……いい。聞かない」
「……え?」
顔を背けて放った一言に、芽依が呆けた様な声を溢した。
「だから聞かないって言ってるんだよ!」
自分でも信じられないくらい、大きな声だった。
「そんなものが切り札?勝つ為の方法?笑わせるな!そんなの何の意味もない!」
「ちょっと待って、話を」
「黙れ!!」
こんなに感情的になるのは、気持ちが大きく動くのはいつぶりだっけ。
大声で怒鳴り散らしながら、どこか他人事の様にそう思った。

「そんなもの聞いてやるものか……聞いたって何したって無駄なだけだ!」
「そんなの聞かないうちから……」
「聞かないうちからわかるわけないって?わかるさ!だって、だって……」
必死に何かを言おうとする芽依の声を遮って、キッとその目を、眼下に広がる世界を睨みつける。

 
「何したって、凪斗はもう帰ってこないんだ!!」

 
気づけば、頬を涙が伝っていた。拭っても拭っても止まる気配のないそれに、視界がにじむ。
「聞かないくせに、偉そうに言わないでよ」
ずっと気圧された様に目を見開いていた芽依が、呟く様に声を溢す。
「忘れたの?勝負なんだよ、これは。貴方のためにこれを聞かせるなんてそんな優しいことしてあげるわけないでしょ」
ましてや、と芽依が続ける。
「聞きたくないって斗羽くんが言っただけで、切り札を捨てるわけないじゃない」
芽依のスマホから、ホワイトノイズの音が漏れる。

「切り札、使わせてもらうよ」


『久しぶり……になるのかな』
あの日からもう一度聞きたいと請い願ってきた凪斗の声が流れ出す。
『これを聞いてるってことは、俺はもう……いないんだよね。とりあえず、これがいつか斗羽の役に立つよう、遺します。ははっ、さっきまで一緒にいたのに、なんか恥ずかしいな』
照れ臭そうに笑ったその声は、当たり前だけれど記憶のそれと全く一緒で。じわり、と視界が滲むのが分かった。
『えーと、な?斗羽には、とりあえずお礼を言いたい。ずっと俺の親友でいてくれてありがとう。それから、勝手にいなくなってごめん。俺は斗羽と親友でいられるのは本当に幸せだと思ってるし、ずっと一緒にいたいと思ってる。でも、うん、無理だったって、ことだよな……ごめん。』
「うっ……ぐ」
溢れ出す嗚咽を漏らすまいと、唇を強くかみしめる。
『この間、っつっても斗羽にとっちゃ昔のことだろうけど……この間、俺が斗羽に、”俺がいなくなったらどうする?”って聞いたよな。覚えてるか?あの時斗羽、俺に”縁起でもないこと言うな”って怒った後、”世界を滅ぼして俺も凪斗のところに行く”って言ったんだぞ?怖えーよ』
ふはっ、と凪斗が心底面白そうに吹き出す。
『まあそんな斗羽をみてな、俺は思ったわけ。”こいつ、俺が死んだら本当に付いて来そうだな”って。いや、嬉しいよ?俺のこと大事に思ってくれてるわけだし。でもな』
ふぅ、と一呼吸の間。

「斗羽が俺を大事なように、俺だって斗羽が大事なんだよ」

そう言った凪斗の声は、とてもとても苦しげで。
『おいていったのは……ごめん。本当にごめん。斗羽が悲しむのも、斗羽が傷つくのも嫌だ。俺のせいでっていうのは、もっと嫌だ。けどな……斗羽が悲しくても、苦しくても、生きていて欲しい。周りを傷つけるようなことはして欲しくない』
その言葉に、ハッと息を呑んだ。
『いや、どの口が言ってるんだって話だよな。ごめん。流石に俺も真に受けたわけじゃないけど、俺のために世界を滅ぼすなんてことはして欲しくないし、ましてや俺を追うなんて絶対だめだ』
ぎゅ、と拳を握る。

『俺の分まで、生きてくれ。それで斗羽がじじいになったら、俺から迎えに行ってやるよ、な?』
堪えきれなかったそれが、ボタボタと足元に染みを作った。
『まあ、そういうことだからさ。これはー……そうだな、親父にでもデータを渡しとくよ。間違っても、こっちには来るなよ!来ちゃダメだからな。…………じゃ、俺からは以上ってことで。またな、斗羽』
少しのホワイトノイズの後に、ふつり、と録音の音が途切れた。

かくん、と足から力が抜け、その場に崩れ落ちるように座る。

知っていた。僕がこうするのを、凪斗が望んでいないことくらい。だって凪斗はすごく優しいから、きっとダメだって言うだろうことなんてわかっていた。
それでも、こうでもしないと耐えられなかったのだ、凪斗がいない世界に。

去年の夏から、すごく入念に計画を練った。付け焼き刃ではあるが知識をつけ、セキュリティや予想被害範囲を計算し、爆弾を仕掛けた。裏サイトや裏社会の下っ端を洗い出し、片っ端から使い潰した。手間も時間も、すごくかかった。

 

でもそれも、全部白紙だ。



ノートPCを、タワーの下へ投げ捨てる。これで、終わりだ。なぜ全てを棒に振れるのか。そんなのはわかり切った答えだろう。凪斗が、僕の全てだっただけのこと。凪斗のためなら世界を滅ぼせるし、凪斗のためなら犠牲を厭わないのだ。
それがきっと、僕の敗因。背中に手を当てられる感覚に、そんなことを思う。今僕はタワーの端に立っている。そこをトン、と押されて仕舞えば、もうそれだけで済む話だった。

「僕の負けだ」
凪斗の分まで生きられなくてごめん、と祈るように呟いた。
「そうだね、斗羽くんは世界を滅ぼせなかった」
「あぁ、これで芽依が僕の背中を押せば、芽依の勝ちだ」
「もうあとは押すだけだね」
「早くやってくれよ」
「任せて」


背から不意に手が離れ……3、2、
ぐるり、と視界が反転した。


そこには吸い込まれるような空と、芽依の笑顔だけがあった。
「……え」
「はい、これで引き分け」
呆けた様な声が溢れる。
「なん、で」
ドスン、と尻もちをついた衝撃が、思い出した様にジワリと広がった。
「なんでって、ほら、見て?」
芽依の目線の先から、薔薇の様な赤い光が水平線からのぞき始める。

……夜明け。ゆっくりと、しかし着実に広がる朝の気配。

「私、言ったでしょ。貴方が世界を殺すのが先か、私が貴方を殺すのが先か。”互いが持てるもの全て”を使って、先に目的を達成した方が勝ち。貴方が勝てば、世界は終わる。私が勝てば、貴方は死ぬ』って。君は、世界を殺せなかった。だから君は勝てない。でも、タイムリミットは夜明けって言ったでしょ?残念だけど、私が斗羽くんを殺す前に、朝が来ちゃった」
残念だね。そう言った彼女は、微塵も残念だとは思ってなさそうに笑った。
「貴方は私に勝てなかった。私も貴方に勝てなかった。だから、この賭けは引き分け。まあ、もし勝者を決めるとすれば……」
彼女が不意に空を見上げる。
「……”彼”かな」


夜が、明ける。
こうして一夜のうちに繰り広げられた、たった2人の世界を賭けたデスゲームは、幕を下ろした。

 

*

「僕、これからどうしようかな」
「急にどうしたの」
「だってテロリストだからな。バレたら無事じゃいられない……まあ、どこぞの殺人鬼のおかげで未遂だけど」
「よく言うね。私だって未遂だよ?……まあ、1つ私が言うならだけれど」
しかと朝日を見据えるその顔は、強くも繊細で、美しかった。
「君は、生き急ぎすぎている。これまでの何年間かで嫌というほど未来だけを目指し続けたんだから、少しは今のことも見てあげたら?」
未来だけを目指し続けた……その言葉にハッとする。
「……それもそうだな」
「ま、とにかく”生きてさえいればどうにだってなる”……なんてね」

ビルの窓が、あざやかな緋色に輝く。
「何かあったら、私が助けてあげる」
「全く、よく言うよ。さっきまで殺そうとしてた相手を助ける?……よろしくな」
「馬鹿なことに拘ってないで、早くタワーから降りるよ、自殺志願のテロリストさん」
「はいはい、殺人鬼さん」

 
誰もいなくなった西都タワーに、凪の様な風が1人、くるりと舞った。

世界の終演を君に。〜END〜




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