とある地から引っ越してきて数週間。
私は最近、頻繁に通っているカフェがある。家の最寄り駅の中にあるそのカフェはとても大人気なスタバ。今日も今日とて大学帰りにそのお店に足を運ぶ。もはやあのお店に行くのも無意識になっていた。日課になっていたのだ。
改札から出てカフェに近づくにつれ、甘いような、苦いような、そのカフェ独特の香りが私の鼻腔をくすぐる。
メニューが見える位置まで足を運んだら、つい探してしまう彼の姿。…いた、彼だ。
「こんにちは」
私と目があったらにっこりと微笑んで挨拶を一つしてくれた。店員だからお客さんに対して挨拶をするのは当たり前の事だけど、ただその営業挨拶だけでも満たされていく心。
「どれにしますか?」
『カモミールティーのトールサイズでお願いします』
「かしこまりました。380円になります」
スマホを取り出してスタバのアプリを起動し、バーコードを差し出す。今の時代、スマホで何でも払えてしまうから便利になったものだ。彼が慣れた手つきでレジをタッチし、レシートを渡してくる。私はそれを受け取り、少し横にズレてドリンクの完成を待つ。
時間つぶしにとスマホを取り出すが、取り出すだけで目線は彼の方にある。今日もかっこいい…かっこよすぎる。中性的な顔立ちに綺麗にウェーブがかった髪の毛。私はもちろん、他のお客さんも彼目当てに通っている人はいるだろう。彼の隣でもう一台のレジを操作している女性店員もそうだ。私より長い事一緒にいれるのに彼の方をちらちらと気にしているみたいだった。
「カモミールティーでお待ちのお客様、」
綺麗に透き通った声でドリンクが完成した事を告げられ、小さくハイと返事しながら彼からドリンクを受け取る。そして彼の胸元、名札をチラ見して名前を確認。これまで名前は何回か見てはいるが、読み仮名が分からない。ゆきむらなのか、さちむらなのか…。
「いつも有難うございます。ゆっくりしていって下さい」
『、有難うございます』
やっぱり彼の笑みは武器だ、恐ろしい凶器だ。一瞬で頬に熱が集まる。そのドリンクを持って空いている席へと座る。改めてドリンクを見たら、カバー部分に書かれている文字が目に入る。
”いつも有難うございます。カモミール美味しいですよね、俺も好きです^^”
初めてメッセージ付きドリンクを貰えた。ただただ嬉しい。彼の好物も分かったし得をしたかもしれない。因みに私はフラペチーノよりティー派なのである。その中でもカモミールは別格で彼と好きなものが被って舞い上がってしまう。このカップは帰ったら洗って取っておこう。
止まらないニヤニヤに周りはもしかしたら引いたかもしれない。しかし私はそんな事気にしない、気にしたら負けだ。
『眠くなってきたな…』
心地良い空間と落ち着く匂い、眠気を誘うかの如く丁度よく設定された温度、少しだけ少しだけ寝ちゃおう。アラームを設定してゆっくりと目を閉じた。
「……ぃ、…も…」
『…んっ』
真っ暗な視界の中、微かに誰かの声が聞こえてくる。まだ眠いよ、もう少し寝かせてよ…意識はそこにあるけど瞼が重すぎて中々目が開ける事ができない、このままもう一度寝れるかも
再び意識が沈みそうになった時、肩を優しく叩かれたりゆさゆさと体を揺すられる事で意識が浮上し、重い瞼を無理やり持ち上げた。滲む視界の中、誰かが私の視界いっぱいにいることは分かった。眉を寄せ、目を凝らし曖昧なフォーカスを絞る。
『…ぁ!?』
「目、覚めました?」
クリアになった視界には気になっていた彼が映っていた。なんで彼が目の前に?え、まさか寝顔…わぁぁ変な顔してなかったかな…恥ずかしさと疑問と不安でわたわたしている私にふふっと綺麗に笑って見せた彼は自分の口元に指を持っていき、トントンと何かを伝えてくる。
『…??』
「涎の後、ついてる」
『!?嘘、やだ!』
「うん、嘘だよ」
『へ……』
ぽかんとする私に対し、意地の悪い笑みを浮かべる彼に徐々に恥ずかしさが込み上げてくる。本気にしてしまった事が恥ずかしい。少し仕返ししてやろうと、わざとムスくれて彼を見ると今度は彼がわたわたと慌ててしまった。ちょっと可愛い。
「あ、ごめんね。つい意地悪したくなっちゃって」
申し訳なさそうに謝る彼に少し吹き出す。ぽかんとする彼に嘘だよっとさっき言われた言葉をそのまま返して見た。
「やられちゃったな。そう言えばもうお店は閉店だし良かったら近くまで送りましょうか」
思い出したように本来の目的であろう要件を伝えられた。そうか、私少し眠る予定だったのに閉店時間まで眠ちゃってたのか。ちらりとスマホを見るとアラームのマークが画面上部に表示されてなかった、って事は設定のミスか。そして私の聴覚が正常であれば先ほど彼の口から驚くべき事が発せられた気がした。
『え?』
「無理にとは言いませんよ。ただ綺麗な女性がこんな遅くに出歩くのは危ないので」
『じゃあ、お言葉に甘えて…』
まさか、あの彼が送ってくれるなんて。まるで夢のようだ、夢では困るのだが。嬉しさと興奮でどうこの気持ちを表現していいか分からない。私のこの言い様のない感情を知ってか知らずか可笑しそうに笑った彼は、荷物を取ってくるといい店の奥へと消えた。その間に私は店の外へ出て彼が出てくるのを待つ。
そう言えば、さっき少しだけ敬語じゃなかったなぁ、敬語じゃなくても良いのに。
壁がなくなった感じがして嬉しかったが、店員と客という関係を思い出したかのようにいつの間にか敬語になってしまっていた。こうして女の子を送ってあげること、よくあるのかな。
彼はモテる。と思う。さっきは彼の送ってくれるという言葉に舞い上がってしまったが、こうして冷静になって考えてみると私だけじゃない可能性も無きにしも非ず。ネガティブな考えを一度してしまうと不思議と止まらなくなるもので、営業時間中話していた同僚だと思われる女性店員と本当は付き合っているのではないかとさえも思えてしまう。
彼女がいたらこうして私を送ってくれる事自体ないだろうけど、不安しかない。
「お待たせ」
『ぁ、お疲れ様です』
「有難うございます。じゃあ、行きましょうか」
『…はい』
彼が歩き始めたその少し後ろを付いて歩く。彼の後頭部を見ながら今のこの展開について出るはずのない答えを探す。
「ねぇ、」
『は、はい!』
油断していた、急に話しかけてくるものだから声が少し裏返ってしまった。
「良かったら名前、教えてくれませんか?」
『… 桜田、朋子です』
「桜田さんか…俺は幸村精市」
”さちむら”じゃなくて”ゆきむら”だったか、知ったげに呼ばなくて良かった。
「R大に通っているんです」
『え!私も同じとこに通っています…』
嘘、同じ大学だったなんて。学部が違うか講義の時間が被らなかったか…いずれにしろR大はとてつもなく広い大学で生徒数もかなり多い。卒業するまでに顔すら合わせない人がいてもおかしくないのだ。
それに話を進めていくうちに幸村くんが私と同い年だという事も分かった。今日は驚きの連続だ。
「今日は君のことがたくさん知れて良かったよ」
『うん、私も。まさか同年代だったなんて』
「そうだね。これも何かの縁だし良かったら仲良くして欲しい」
そろそろ別れる間際だという頃、別れ道で立ち止まって軽く言葉を交わす。幸村くんからそんな事を言ってもらえるなんて…。嬉しさのあまり言葉が中々出てこない、胸がいっぱいだ。
「ダメ、かな」
『ダメなんかじゃないよ!ただ、その、彼女とかは…』
「今更だね、彼女がいたら送ってないよ」
良かった…そうだよね、まだ少ししか彼のことは知らないけれど、彼女を蔑ろにするような人には見えない。
「ライン、交換しない?」
『うん!』
スマホを取り出しQRを読み込む。私のラインの新しい友達リストの所には”幸村精市”の名前があった。しばらくはにやけが止まりそうにない。
「じゃあ、気をつけて帰ってね、桜田さん」
『幸村くんも気をつけてね』
二人でじゃあ、と小さく手を振り、背を向けあってそれぞれの帰路につく。そんな時間もかからず帰宅した後、ラインの新着メッセージのお知らせメロディが聞こえ、メッセージを見る。
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幸村精市:今週末、ご飯でもどうかな?
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やっと表情が落ち着いてきたと思ったら再びにやけ出す私の顔面。もちろん返事はOK一択。最初は名前も知らなかった店員さんとここまで仲良くなれるとは思わなかったけど、恋愛なんて、人生なんて何が起きるか分からない。これから少しずつ距離を縮めていこう。
馳せる想いに大切な繋がりであるスマホをそっと抱きしめた。
fin.
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