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結論から言えば、今回皆で取った夕食の際に夏油を通して視ておきたかった未来の内容を知ることが出来た為、咲希はようやく未来を変えるための行動をとる事が出来るようになった。その為にもまずある人とコンタクトを取り、会いに行かなくてはいけなかったが、幸いにも相手方の家系とは付き合いがあるし、数年前まで訳あって衣食住を共にしていた為連絡先も知っている。あの人の事を少しでも忘れられるようにと今まで連絡を取ることをしなかったのだが、五条と夏油の未来を見る限り事前に彼と接しておくことが最善だと考えた咲希は、複雑な思いを抱えつつも連絡先の一覧から探し人の名前を見つける。メールの新規作成ボタンを押すまでに少し躊躇ったが、その文面を考えるのには更に時間がかかった。久しぶりだし何て打とうかな。と、らしくもなく文字を打ったり消したりを繰り返してしまい、溜息を吐く。彼のことに関して一番に思い出すのは、三年前の記憶だ。一番楽しかったあの頃、そして一番悲しい気持ちにもなったあの日のこと。彼はまだ、覚えてくれているだろうか。






「お兄さん、もう暗いしここにいたら危ないよ」

夜の帳が落ち始めた頃、咲希は墓の前に座り込んだまま動こうとしない若い男性を見つけた。学校帰りに綺麗な花を見つけたからと、先日亡くなってしまった祖母の墓にお供えをしに来た帰りに偶然男を見つけたのだが、こんな時間に墓参りに来ている男を不思議に思い声をかける。夜は呪霊が活発に動き出すから危ないし、このまま墓にいるのは良くない。そう思っての事だったのだが、男は心ここに在らずといった様子で咲希を見ようともしなかった。少しだけ視えた未来によると、咲希がこのまま立ち去れば彼はずっと墓の前に居座り続けるようだった。そんな未来を視てしまったからには無視されたからといって彼を放置するわけにもいかず、咲希は仕方ないと腹を括って「お兄さん!!帰る所がないならうちに来ませんか!!」と声を張り上げた。流石にここまですれば気付くだろうと男を見下ろせば、彼は至極驚いた顔で咲希を見上げた。「ほらほら、危ないし行きますよ!」そう言って無理矢理に男の手を引いて歩けば、「おい」と抗議の声を上げながらも大人しく咲希の後をついてくる辺り、彼は行く宛もなかったのだろう。
家に着くと境内に現当主である祖父がいた為、ちょうどいいからこの場で事情を説明しようと声を掛ければ、祖父は男の顔を見るなり、恐らく彼の名前であろう固有名詞を口にした。聞きなれない名前に首を傾げていれば、男は祖父に向かってしおらしく頭を下げる。え、なに、もしかして知り合いだったの?と祖父に疑問を投げかけると、「禪院家の子だよ」と説明してくれた。咲希は、禪院家の何たるかを即時に思い浮かべ、連れてきた男の抱えている事情を察する。帰る家がないわけではないが、帰りたくはない。きっとそのような事情があるのだろうと推測し、祖父も彼に事情がある事を察したのか、咲希がここに男を連れてきたきっかけを簡潔に話すと「暫くここにいるといい」と彼を受け入れてくれた。
一先ず彼の身の安全が保証されたのはいいのだが、如何せん無気力というのが相応しい状態のこの男をこれからどう更生していけば良いのだろうと咲希は頭を悩ませる。祖父曰く、彼は元々こんなに大人しい性格ではないらしいし、むしろ活発な人だという。そんな雰囲気一片も感じられないけどなぁ。と思いつつも彼の事が気掛かりだった咲希は、なるべく彼と一緒に過ごすようにしたり、積極的に会話することを試みていた。そんな日常を続けていた、ある日のこと。今日も今日とて学校から帰るなり彼の元を訪れた咲希を見て、男が徐に口を開いた。

「咲希は爺ちゃんによく似てるな」
「…お爺様に?顔がってこと?」

初めてお兄さんの方から話し掛けて貰えた…!という喜びの気持ちが表に出てしまわないよう最大限抑えつつ、咲希は問いかけた。祖父に似ていると言われるのは初めてではないが、それを言われた最初の相手が亡くなった祖母であった為、少しばかり動揺する。

「いいや、内面だな。人の事を放っておけないお人好しな所がよく似てる」

お人好し、という言葉は良い意味で使う時もあれば皮肉として使うこともある。彼の言うお人好しがそのどちらに属するものなのかが読み取れず、褒めてるのか褒めてないのかよくわからないなぁと思ったが、咲希は祖父のお人好しな所が好きだった為満更でもなかった。祖父は懐が深く、救いの手を求める者には我先にと自らの手を差し伸べることができる人だ。そんな祖父を慕う人は多い。だから、祖父に内面が似ていると言われて少しだけ自分の事を誇らしく思う事ができた。

その日を境に彼の中で何かが変わったのか何なのか、翌日彼は体術の稽古を付けてくれると言って咲希を中庭へと連れ出した。禪院家の呪術師ならば手練であることは想像に容易く、まずは相手の実力を計り行動パターンなどを観察しようと守りに徹する事を決める。けれど、始まりの合図と同時に繰り出された猛攻な攻めに圧倒され、咲希は初めてどうしようもない高揚感を覚えた。相手の観察?計算?そんなものこの人相手にしたって意味がない。この手のタイプの人間はすぐに相手の攻撃に順応し、容易く攻撃パターンを変えてくる。観察や分析などまるで意味がない。ならば、ただ今自分が出せる全力を出し切るのみ。そう思い全力で彼の速度に食らいつき、攻撃、防御、回避を不規則に繰り返していく。結果として咲希の攻撃が彼にダメージを与える事は出来なかったが、恐らく呪力を全く体内に宿していないという天与呪縛の代わりに、体術に関してのアドバンテージを得ているだろう彼と手合わせを出来た事は咲希にとって良い経験となった。何せ咲希が初めて明確な敗北を味わったのは、彼が初めてだったのだから。

体術の稽古の一件以来、彼とは随分打ち解けた事だと思う。今では彼の方から咲希に話しかけてくる事など当たり前であるし、彼は色々な表情を見せてくれるようになった。笑った顔。呆れた顔。不満そうな顔。欠伸をする時の仕草。どれも好きだけど、一番好きなのは少し意地悪なことを言う時に見せるニヒルな笑みだった。

そして、この頃からだろうか。咲希が同級生の男の子達に全く魅力を感じなくなってしまったのは。
昨年頃から、あの子がかっこいい。あの子が好き。告白した。などといった所謂恋バナを同級生の女の子達と交わし、恋というものに興味を持つようになった。そして実際に男の子から告白をされて、よく分からないまま付き合ってみた事もある。けれどそれを嬉しく思う訳でもなかった。それどころか、お兄さんに「私ね、恋人できた!」と報告をして「ちょっと早すぎねぇか?」と複雑な顔をされた時の方が嬉しく思ってしまい、自分の心の中の違和感にそこで初めて気が付いたのだ。
お兄さんといると落ち着くし、とても楽しい。学校から帰るとお兄さんが「おかえり」と言ってくれて、その日の出来事を話せば時折相槌を打ちながら聞いてくれる。兄弟のいない咲希にとって、少し年の離れたお兄さんのような存在だった彼。けれどいつからか、彼に対する感情が憧れや純粋な好意ではなく、恋慕ではないかと次第に思うようになった。頭の中は彼の事でいっぱいであるし、彼の事を考えるだけで嬉しくなる。あぁ、これが恋なのかと、初めて覚える感情に浮かれたものだ。けれど、父にこっそり聞いた話では彼は既に子供がいるらしかった。しかしその話を聞いても、咲希は特に深い悲しみを抱いたりはしなかった。寧ろ、そうだよな、お兄さんかっこいいもんな。独身なわけがないか。と納得をしていた。それに、まだ中学生である咲希に彼が恋心を抱いてくれるはずなどないということは分かっていた。初めから本気になってしまえば傷つくだけだとわかっていたのだ。だから本気で彼の事を好きになってしまう前に、ある程度自分の気持ちを抑えて接していた。これは叶わぬ恋なのだと言い聞かせていたのだ。
けれど、だからと言って彼の事を諦める事など出来ず、次の恋を見つけるまでは彼を好きなままでいようと決めたその半年後。お兄さんは「世話になった」と言って源家を出ていく意志を固めた事を咲希に話した。何で、どうして。もっとここにいたらいいのに。そう口にしたかったが、彼には子供がいる。家庭がある。この約一年、今まで何故彼が源家に身を寄せていたかはわからないが、彼には彼なりの理由があるのだろう。咲希が彼を引き止めることなど出来る訳もなく、ただ「そっか」と呟いて寂しさを体現するように彼の服の裾を握って離そうとしなかった。そんな咲希を見兼ねてか、彼は服の袖を掴んでいた咲希の手を取りその場にしゃがみ込む。繋いだ手に、ぎゅう、と力を込めれば困ったような笑みを浮かべたお兄さん。困った顔してるけど、迷ってないんでしょう。行っちゃうんでしょ。咲希は心の中で駄々を捏ねて、言葉の代わりに彼の頭を抱くように抱きついた。これくらいは許されるだろう。そう思い、恋に焦がれていた相手の香りや体温に意識を寄せた。そっと背中に大きな手を回され、まるで泣いている子供をあやす様な所作に笑みが零れてしまう。

「これで最後じゃないよね?また、会えるよね?」
「あぁ。生きてたらその内また何処かで会えるだろ」
「…貴方は死なないよ。私が死なせたりなんてしないから」

そりゃ心強い。と言って笑う彼に、こっちは真面目に言ってるんだけどな。と不満の意志を顔に乗せて彼にアピールする。けれど、咲希の気持ちを知ってか知らずか、彼は「じゃあな」と背を向け、一度も後ろを振り返ることなく咲希の視界から消えていったのだった。







あれから、もう二年が経った。
彼の口からもう会えないと言われたわけでもないし、あの頃のように普通に連絡をすればいい。そう思い、意を決して「元気にしてる?心配だし、久しぶりに会いたいなー」とメールを一通送ってみれば、思ったよりも早く携帯が震えた。はやる気持を抑えつつ画面を見れば着信相手は紛れもなく先程メールを送ったその人で、咲希は嬉しさから口元を緩ませる。けれど。
「俺の事なんてもう忘れたと思ってた」
携帯の画面に表示されていた文面に、胸が締め付けられる。彼への感情を少しでも忘れられるようにと空白の時間を設けていたのだが、その結果彼にこんなことを言われてしまうとは思わなかった。けれど、それも仕方なのないことなのかもしれない。あれだけ自分に懐いていた子供が、離れた途端に連絡の一通も寄越さなければ自分の事など忘れてしまったのだろうと思うのは無理もないことだ。けれど、それは逆も然り。お兄さんだって私に連絡してくれたことなかったじゃん。そう思い、咲希はダイヤルボタンを押した。

「私が甚爾さんのこと忘れるわけないじゃん」

通話が繋がると同時に少し不機嫌さを交えて言葉を紡げば、こちらの声音で感情を察したのか、彼は宥めるような優しい声を届けてくれた。

「悪い。怒らせるつもりはなかった」

久方ぶりに声を聞けた嬉しさから、胸の奥にじんわりと暖かさが広がっていく。あぁやっぱり私はまだ、どうしようもなくこの人が好きなのだと自覚する。彼に別れを告げたあの日から、一歩も進めないままでいた。心を縫い止められていたままだったのだ。
それはあの人が年上で、まだ幼い自分にとって憧れの存在であるからだと思う。そして、まだ視える未来にどう対応していいかわからず困惑していたあの日々を、一緒に過ごしてくれたのがあの人だったから芽生えた感情なのだと思う。
必死に忘れようとして蓋をしていた気持ちが、箍を外してしまう。初恋は、叶わない。そんな事は知っている。けれど、どうしようもなく私が求めてしまうのは、禪院甚爾。その人であった。








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