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すぐに高専に戻り、夜蛾と補助監督から説明を受けた咲希は現場へと向かっていった。今回の任務は、一夜にして消え去った集落の確認と、その原因である呪霊の討伐らしい。まぁ、現時点で最強と謳われる咲希なら問題ないだろう。そう鷹を括り部屋で適当に映画を流していた時、五条の元に「源が突然姿を消したまま戻ってこなくなった」と通達が入ったのだった。




「2人とも、話は聞いてるな?」
「あぁ。アイツが突然いなくなったって」
「そうだ。源は姿を消す前に、補助監督に一日姿を消すかもしれないが心配しないでくれと言っていたらしい」

今は咲希が姿を消してから半日以上が経過している。未来予知能力のある咲希が宣言したのだから、きっと1日経てば戻ってくるだろう。そうわかってはいるのだが、今回は特級呪霊であるし不安だから念の為2人には咲希の生存確認という任務が与えられたのだ。

「ったく。消えるならもう少し説明してから行けっての」
「まぁそう言うなよ。他の人達が行って何も言わず消えるよりは全然マシさ」

夏油に宥められながらも文句を言う五条は、内心少し焦っていた。咲希が特級呪術師であることはわかっているけれど、実際に彼女の強さを目の当たりにしているのは夏油しかいない。高専で体術の授業中に手合わせをした事はあるけれど、彼女は本気を見せていなかった。

いつもより静かで、けれど少しの苛立ちや焦りを見せている五条を横目に、夏油は口を開く。

「さぁ、着いたよ。補助監督によれば、咲希が消えた場所はここだ」

トントン、と地面を足で叩く。その場所は更地で、何もない場所だった。木々も、草さえなく、ただただ地面が広がっている。それは、元々集落があった場所だった。集落があった場所が建物諸共消え、草さえも残さず更地になった。これほどの事が出来る呪霊が、ここに居る。間違いなく特級呪霊による物だ。けれどここに残る残穢は微弱で、残穢だけ辿れば3級程度の呪霊のようにも感じられる。果たして、特級呪霊と咲希は何処に消えたと言うのだろう。

「アイツは地面に手で触れて、そのまま飲み込まれて行ったって言ってたよな?」
「私達も、同じ事をやってみるか」

夏油の言葉に頷いて、五条は残穢が1番色濃く残る地面に手を触れる。1、2、3…と唱えて3秒目でとぷん、と地面が水のように液体状に変わった。けれど、水面に手を触れて奥に入れこもうとしても、そこに何か壁があるように空間に阻まれる。試しにコンコンと叩いてみれば、ドンッ!と内側から音が聞こえた。何だ、この音は。本能的に危険を察知した五条は、その場から数メートル飛び退き様子を伺おうとした。その瞬間。ゴボッと水面から吐き出されるようにして咲希が飛び出てきた。かと思えば、水面から人間の物とは思えない手が伸びてくる。今回の討伐対象の特級呪霊かと思いすぐに臨戦態勢に入る五条と夏油だが、中からその呪霊が出てくることはない。どうやら、内側から境界の入口を広げているようだった。そして、咲希と同じように水面から吐き出される人、人、人…。
人が水面から排出されるごとに赤く染っていく地面に、2人は息を飲む。補助監督から集落が一夜にして消えたと聞いていたが、今地面に転がっている人々達はこの集落の住民達なのだろうか。

「…おい、大丈夫か?」

先程水面から出てきた咲希に駆け寄れば、彼女は1人の幼い女の子を抱き抱えて静かに反転術式を使っていたようだった。お互い血に濡れて全身が真っ赤に染っているから、怪我の具合はわからない。けれど、咲希を染めている血は彼女のものでは無いという事はわかる。おそらくこれは、全て返り血だろう。

「…守れなかった」

小さく呟いた声音は弱々しく、今にも消え入りそうだった。
水面から吐き出されていく人の数の多さで、あの中がどれだけ過酷だったかはわかる。1人の16歳の少女が抱えるには、あまりにも酷な任務だった。一度に多くの死を見すぎてしまった。五条は咲希の頭を撫でて、「お前はよく頑張ったよ。だから今はゆっくり休め」そう、自分に出せる限りの優しい声音で言い聞かせた。







後から聞いた今回の任務の報告内容はこうだった。
咲希が特級呪霊の作り出した領域内に足を踏み入れると、そこには消えたはずの集落があり、人々は普通に生活をしていたという。未来予知により、ここにいる全ての人間を呪霊が食えば領域は解除され、呪霊はまた他の地に移動すると読んだ咲希は、すぐさまこの空間を創り出した特級呪霊を見つけ戦闘を開始する。ところが、特級呪霊は死ぬ度に人々の命を自分の命として吸収し咲希に立ち向かってきた。何か解決策はないかと探っている最中も、人々の身体の中に入り込んで人を殺させようとしたり、咲希の内側、精神から壊そうと攻撃を仕掛けてきたらしい。ついに怒りを爆発させた咲希が領域展開をするも、救えた命は極わずか。集落の人口の1割ほどだという。何百もの命を自らの手で奪っていく。その罪悪感に耐えながら、彼女は呪霊を祓ったのだ。

助かった人達は呪霊の支配下にあった為、自分の身内が咲希の手により命を奪われた事など知らない。事実を知らないまま人々は、彼女に「ありがとう」と沢山の礼を言っていた。それを彼女は、今にも泣き出しそうな悲痛の表情を浮かべながら聞いていた。「ごめんなさい」そう、口にしながら。








あの任務の後、咲希は3日程教室に顔を出していなかった。1日目は助かった人達と現地に残り、亡くなった人達の弔いをしたらしい。2日目は、助けた人達の中で身寄りがなくなってしまった人を実家の私有地で預かると言って1度実家へ戻って行った。そして3日目の今日は、既に高専の寮の自室に戻ってきているらしい。
夜蛾に咲希の様子を尋ねようと話しかければ、実家で思い切り泣いてきただろうが、一応様子を見に行ってやってほしい。と言われ、五条は大人しく頷く。その様子を見た夜蛾は、珍しく素直な五条の反応に驚いたが、確かに咲希の様子を見た者なら彼女の心配をしないやつはいないだろうと思い直し、五条の頭をポンポンと軽く叩いてやった。
そうして夜蛾に背中を押され、咲希の部屋の前に来た五条。扉をノックしようと手を伸ばし、躊躇って手を戻す。それを3回ほど繰り返した後、ゆっくりと深呼吸をした五条はやっとの思いで扉を叩いた。

「はーい」
「…」
「硝子ー?空いてるからどーぞ」
「…俺だよ」

部屋の中から「五条?」と訝しむような声が聞こえてから数秒後、木製の扉が開かれた。3日ぶりに咲希と顔を合わせれば、少し目元が赤くなっている気がするがそれ以外はあまり変わりないように見えた。

「これ、やる」
「おー、ありがと。ちょうど喉乾いてたから助かる」

自販機で買ってきたコーラを手渡して、招かれるまま五条は初めて入る咲希の部屋に足を踏み入れた。
一通りの生活家具は揃えられ、白を基調としたインテリアは彼女によく合っていると思う。室内の真ん中に置かれている3人用のソファに腰掛けた咲希に倣い、五条もそこに腰を下ろした。


「…もう平気なのか?」

お互いにどちらが先に話をするか探り合いをしていたが、先に口を開いたのは五条の方だった。それもそのはず。ここに来るまでに何と声を掛けるかは事前に考えていたのである。それも、咲希の様子に合わせて何パターンか考えておいたのだから驚きだ。一体誰の入れ知恵だ。と、この場に家入と夏油がいたなら問い詰められたはずだろう。

咲希も少なからず五条の言葉に驚いたようだが、彼女は珍しく心配してくれる五条に悪い気はしなかった為、ソファの上で膝を抱えながら自分の気持ちを吐露していく。

「どうだろ。まだしっかり前向けてないし、気持ちもすっきりしないから引きずってるところはあるかも」
「…実家では何か言われたのか?」
「んー、お前は正しい事をした。何も悪くないって、そう言われたよ。あとはひたすら話を聞いて、抱きしめてくれた」

口元には笑みを浮かべているけれど、目は笑っていない。力なく虚勢を張ってみせる姿は、見ていてとても痛々しかった。

「でもまだモヤモヤした気持ちが残ってて、すっきりしないの」
「…お前の中で、何かひっかかってる事とかねぇのかよ」

五条の言葉に、咲希は静かに考える。
集落の人達からは沢山感謝の言葉を貰った。少なからず救えた命もあるのだと、少しだけ心が軽くなったような気がした。母親に沢山「辛かった」「怖かった」と、身内以外には言えない自分の弱音を吐き出した。きちんと自分にできる弔いもしたし、償いはこれからしていくつもりだ。あとは…。

「……私を怒ってくれる人がいなかったから、すっきりしないのかな。本当は私、怒られたいのかもしれない」
「お前が悪いわけねぇのに、何で怒られたいんだよ」
「「特級呪術師のくせになにをやっているんだ」って、責められたかったのかもしれない。少なくとも、あの村の人達にはそう言われないといけないのに、私は事実を伝えもせずに、今もこうして膝を抱えて動けずにいてさ…っ、」


瞳に涙を溜め、今にも泣き出しそうな咲希を横目で捉えた五条は、彼女と真っ直ぐ目を合わせる為にその柔らかな頬を両手でパチンと音をたてて挟み、強制的に顔をあげさせた。
自分が手にかけてしまった家族を身内に持つ人達から、それを知らない人達から心からの感謝を伝えられることは、どれ程辛かっただろう。彼女の良心を蝕んだだろう。考えただけで胸が痛かった。



「じゃあお前がもし逆の立場なら、命の恩人に恨み辛みを並べてたか!?事実を知らされても、命を救ってくれたことに変わりはない相手に、んな事言えんのかよ!?」
「っ、そんなの、わかんない!わかんないよ!けど、私があの子達の両親や家族を奪った事に変わりはないの!私が、あの子を1人にしちゃったの…!」

それなのに「ありがとう」なんて言われる資格、私にはないのに。
そう言って声を上げて泣き出してしまった咲希を前に、五条は狼狽えた。感情を爆発させた咲希に釣られて五条も声を荒らげてしまったが、全く泣かせるつもりはなかった。頬に添えた手が彼女の涙で濡らされていくのを見て、とりあえずハンカチなりタオルを差し出そうと辺りを見回したのだが「夏油よりも先に私が闇堕ちする〜!!」と言ってのけた咲希の言動に動揺する。「お前が闇堕ちしてどうすんだ!?」と言いながら、洗面台の横に掛けてあった肌触りのいいタオルで彼女の両頬を包みつつ涙を拭いてやった。
普段は余裕綽々で弱さなんて見せない咲希だったが、彼女も完璧ではない。まだ齢16の少女に変わりはなく、五条は年相応に涙を流して泣く咲希の姿に心做しか安心していた。これだけ泣いたのなら、きっともう彼女は大丈夫だ。
よしよし、とタオル越しに頬を撫でてやり、未だに鼻を啜っている咲希の鼻を摘んでやれば、思い切り嫌な顔をされた。その瞳には光が戻っているし、反応もいつもの彼女のそれだ。五条は満足したように咲希と目を合わせ、ニッと楽しそうな笑みを浮かべたのだった。







END



補足のようなもの


源咲希
今まで非呪術師を殺した事がなくて今回の任務はすごく動揺していた。泣きそうになりながら呪霊の命を削っていく夢主の様子を見て、至極楽しそうに笑い声を上げた呪霊に対し今まで感じたことのない怒りを覚え闇落ちしそうになる。その時の自分の事を思い出し怖くもなっていた。からの夏油よりも先に私が闇堕ちする発言。でも大丈夫だった。


五条悟
夏油と夢主が仲良くなるのを心良く思っていない。
夢主の弱っている姿を見た事がなかった為、領域から出てきた夢主を見た時は動揺した。
ちなみに、夢主に声をかける際事前に何言うか考えとけよ。と言ったのは夜蛾先生。2人が言い合いしているのをよく見てるから心配で言った。


夏油傑
五条をからかうのが最近の楽しみ。いつ自分の気持ちに気付くのかなと思っている。五条より早く夢主の様子を見に行ったが、他愛もない会話をして終わった。夢主を心配している。
ちなみに、何故五条が今まで言い合いをする以外まともな会話をしてこなかった夢主が気になっているのか夏油はわかっていない。その理由としては、「自分が婚約者に選んだ相手なのに向こうから断られた事がずっと気になっていた」「普通に聞けばいいのに意地悪ばかりする、言うで素直になれずヤキモキしている内に気になっていた」である。



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