宇園は犬派だ。
別に飼ったことはない。特段飼いたいと思ったこともない。可愛いと何度か思ったことはある。朝はパンかご飯かと言われれば「どちらかといえばパン派」と答え、茸か筍かと問われれば「どちらかといえば筍派」と答えたが、しかし犬か猫かと聞かれれば、答えははっきりと「犬派」であった。かと言って、犬が好きだからというのは少し違っていた。

宇園は犬派であるが、かつて猫を飼っていたことがある。宇園本人が飼いたかったわけではない。気がついたら家にいたのだ。両親のどっちかが拾ってきたような気もする。(関心事では無かったのだろうか?)
宇園は、その猫と全く反りが合わなかった。彼女はその猫に悉く嫌われていたから、宇園も彼女を嫌っていた。その猫はほとんど鳴かなかったが、目がいつも非難がましくこちらを見ていた。
と、思っている。

猫の方も彼女にあまり寄らなかった。試しに呼んでみたとて、ちょっと耳のあたりをヒクとこちらにさし向けるだけで、すぐに踵を返して行ってしまう。触ろうとしてもちょっと触れただけでそっぽを向いた。なんなら爪を剥く時もあった。そのくせ宇園が布団の上でめそめそやってる時に限って猫のくせに野次馬に来たりするのだ。じっとこちらを見つめる目が、宇園は苦手だった。
それから何年か経った。
宇園も猫も、相互不可侵条約を暗黙のうちに締結していた。宇園は無関心を装ったが、猫も無関心を貫いた。しかし時々こちらをじっと見つめることは、やめてくれなかった。

ある時。
彼女が宇園の足元に何かを置いて逃げて行く。ふと見ると、カマキリだった。無残に噛まれ、羽が不恰好に飛び出たカマキリの死骸は、節足動物を好ましく思わない彼女にしてみれば「見たくないもの」に当然入る。宇園が絶叫して母を呼んだことは言うまででもあるまい。
母がカマキリを片付ける間、宇園はその場で立ち尽くしていた。その間にも、猫は現れて、廊下の方からじっと宇園の方を見ている。

ある冬。
捨て損ねたチョコレートを抱えて歩く通学路。宇園は少し、機嫌が悪かった。
「あっ、猫」
すぐ横を通りかかった小学生たちがどこかを指差す。そしてたまたま横を通りかかった宇園はギクリとしてその指の先をちらりと見た。

あの猫だ。
彼女が、坂の上からこちらをじっと見ている。

そうやって。
そうやっていつも見ている。
呼んでも来やしない。触らせてなんかくれない。今だって、余裕ぶって!宇園は初めて、自分から目を逸らした。彼女が猫を見たのはそれが最後だった。

両親は何日か探した。迷い猫のビラを貼ったりもしたが、その甲斐なく、あの日以来、彼女の姿はぷっつり途絶えた。
あれから何年か経ったが、猫を見かけるたびに、宇園はあの金緑色の目がどこからか、こちらをじっと見ているような気分になった。

ああやって。
ああやっていつも見ていた。
呼んでも来やしない。触らせてなんかくれない。何も言わずにどこかへ行ってしまう。そのくせ、いつまでも脳裏に焼き付き、手のひらにやわらかな感触を残し、永劫胸に爪を立てている。
じっとこちらを見つめながら。


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愛する隙もなく、愛してくれる気配もなかった。この世にはそういう猫と「そういう人」がいることを彼女はあとから知った。