染まりたがりの透明
※Twitter 掲載分 プロローグ的な感覚で読んでください
目でシャッターを切れたなら多分何度も切る。
スマホのカメラを起動するには時間が惜しかったし、そんな画面越しの低い解像度で見るには勿体ない。
それくらい、綺麗で美しい光景だった。
毎朝同じ時間に起きて、こんがり焼いたトーストにサラダ、ヨーグルトとドリップコーヒー。ヨーグルトには手作りのブルーベリーソース。
家を出る前にはベッドのシーツを整えてきちんとベッドメイク。ゆっくりとコーディネートを選んで、お気に入りのトートバッグにお気に入りの小物たちを詰め込んで、最後玄関に向かう前に大好きなブラウン混じりのリップを塗る。
なーんて、現実ってそんなに甘くないし、そんなに楽じゃない。
私の理想を詰め込むような朝は出勤1時間半前に起きないと出来ないのに、私が起きるのは45分前のギリギリ。それでも良い方で、いちばん酷い時なんて15分前に起床したことだってある。その時はさすがに絶望して仕事を休む為の言い訳を考えながらもこのワンルームを駆け回った。
仕事に行くのにメイクや髪の毛を整えることは譲れない。それでも朝ご飯を食べなくては頭も働かない。じゃあ何を削っていくの?全部少しづつ削って、どんどん雑になっていった。
ドレッサーの前にゆっくり座ってヘアメイク、なんて出来る訳もなくてひとり暮らしを始めた時にノリと勢いで買ったドレッサーはもう物置と化している。
時間が勿体ないから洗面台の前で立ってメイク、そのままコテを温めて髪の毛に通す。こんな生活を4年も続けていればガッツリとやらなくてもそれなりに見えるヘアスタイルを自分の中で確立させられるのだ。
オフィスカジュアルにピッタリでこなれて見えるグレーのリボンがついたバナナクリップで髪をまとめ、簡単にほぐして出来上がり。
お弁当なんて作る時間がない。簡易的なキッチンの前を通り過ぎながら買い込んである菓子パンをいっこ掴んでそのまま口に放り込む。
きっと実家であったなら「行儀が悪い」と怒られるような行為でもひとり暮らしなら誰も見てない。歩きながら食しつつ、脱ぎ散らかしていた部屋着を拾い上げて再び洗面台のある方へ向かった。蓋を開けっぱなしにしている洗濯機にそれを投げ込んで、少し駆け足でまたリビングへ戻る。
「スマホ、財布、タブレット。あ、ハンカチね……」
口頭で確認しながらトートバッグに乱雑に詰め込んだ。取り敢えずこれだけあれば仕事は乗り切れる。仕事は意外とハードで、ランチにわざわざ外に出る、なんてことは出来ないししない。会社のビルに入っているコンビニで毎回買っているので出費は嵩む。早起きは三文の徳、なんて言うけれど。気怠い体を起き上がらせて、それなりの大人に仕立て上げるだけでも偉いと褒めて欲しい。
汚過ぎる訳では無いけれど、綺麗に整っているような部屋ではない。リモコンは地面に落ちていてベッドは私が起き上がった形跡がくっきりと残っている。カーテンだって気が向けば開けるだけ。家を出る前チラリと振り返った。
私の人生、きっとこんなもんなんだろうな。
毎回そんなことを思いながら、それでもそんな考えも満員電車の人混みにぎゅっと潰されて、仕事の忙しさで粉々に吹き飛ぶ。
わかってる。私だって、自分がこんなになんにもない大人になるなんて、思ってなかったよ。
「バレーの試合?行かない。ルール知らないし」
「大丈夫だって!ボール落としたらダメ、ってだけ分かってれば大体見れるから!」
「そんなシンプルなことある?バレー好きに謝った方がいいよ」
「すみません!はい、謝った。ね!一緒に行こ!ちょうど私たちと同年代の選手がめっちゃ活躍してて、本拠地大阪なんだよ、滅多にないんだよ!」
同僚は私にスマホ画面を掲げて泣く真似をした。貴重なランチタイム。私は1階のコンビニで買ったカップラーメンをフォークで啜りながらその様子を見つめる。
書類をかき分けてデスクになけなしのスペースを作ってご飯をかきこむ姿は社畜のそれだ。
半年前会社の福利厚生の一環でバレーの観戦チケットが当選してからというもの、この同僚のハマり具合は異常。その試合こそ家族を誘って行ったらしいが、毎回毎回誘われ、名前を勝手に使われて応募される。当たれば私と一緒に行こうだの行かないならチケットちょうだいだの。本人確認がないからいいものの、それは立派な詐欺なのでは?と首を傾げる。
そして今回また誘われているのだ。彼女には推しのチームがあるらしい。それがその画面に表示されている真っ黒のユニフォームが特徴的なチーム。よく見るとテレビでよくCMが流れているムスビィのチームだ。
「自動車部品?」
「そう!MSBY!ブラックジャッカルね!宮侑見たいの!生侑ちょーーーイケメンなんだよ!!」
「一人で行きなよ……私土日は営業しないって決めてるから」
「そこをなんとか!ね!14時からの試合だから!その後お酒奢るし!ね!」
「ふーん?」
「あそこ行きたいっていってたじゃん!肉バル!あそこ予約してあげます!」
「乗った。いいよ。日にちと時間また送っておいてね」
有言実行。同僚はすぐにその試合の日程はもちろんその後行く予定の肉バルの予約完了通知も転送してくれた。
どちらかと言えばその肉バルの方に興味がいっていた私は特段準備さえもせずその日を迎えることになる。
何かを頑張っている人は苦手だった。
情報番組でたまに取り上げられる若い世代がこんなにも活躍しています、というのを見るのも嫌いだった。
そう思いながら隣で沸き立つ同僚に渡された選手紹介を見つめる。木兎光太郎、同じ歳だ。選手紹介に書かれているいつもすごく普通にできます、なんて雑なアピールポイントに内心鼻笑いが漏れた。
その普通が、出来ない人だっているのに。
私みたいに。自分で言うのもあれだけれど、昔から何でもそつなくこなすことが出来た。
勉強も平均的な成績だけなら特別なことをせずとも出せたし、運動も上位でもなければビリでもない。特別優れたことはなくても、平均的なことがなんでも出来た。
努力をすれば、何にでもなれる。そう思っていた時期が私にだってあった。
それでも就職が中々決まらなくて、滑り込みで受けた今の会社で内定を貰って。憧れて始めたひとり暮らし。丁寧に生きることを大切にしたかったのに、今じゃギリギリを保つことで精一杯。
もっと、普通に、できると思ってた。
「あ!ほら!きた!」
「へっ、あ、うん……」
ぼーっと考え込んでいたらいつの間にか選手が入場してきていたようで、興奮している同僚に腕を引っ張られた。彼女が指し示す方を見れば、にこやかに手を振る彼女の推し選手。もう名前さえ思い出せなくて、私は賢明に選手紹介を見つめた。ああ、そうだ。宮さん。
照明に当たってきらきら光る金髪が派手だ。こんな人もいるんだ。そう思いながら見ていると、なぜか側転をしながら入場をしてくる人がいた。
それを見てどっと湧く会場に私の肩が跳ねる。
「は?なに、アイドル?」
「違うよー。あれ木兎光太郎!目立ちたがり屋みたいでいつもなにかやるんだよ。あ、ほら怒られてる」
その言葉の通り関係者は勿論同じ選手達にも怒られている彼。その背中は見るからにしょんぼりと落ち込んでいて、え?本当に同じ歳なの?と思ってしまう。
いい大人なのに、どうしてそんなに考え無しに行動が出来るんだろう。
私はそんなことを考えた。あぁ、だからダメなんだ。私は。その考えを消すように頭を振って公式のウォームアップが始まったコートに目を向ける。
傍から見れば簡単にこなす跳んでボールを打つ、そんな作業もそこまで出来るようになるまでどれくらいかかったんだろう。何を犠牲にして、何を求めたんだろう。
バレー選手ってお給料貰えんのかな。まあここまでやり詰める人達がそういう俗っぽい思考なわけなさそう。
いけない。こういう思考で見るものじゃない。ぼーっとしていたの意識を目の前に集中させる。
その後はもう圧巻だった。中々地面に落ちないボール、何が起こってるのか分からないけれどとにかく何かしらの駆け引きが行われている、ということは分かって、私はいつの間にか手に汗を握って試合を見守っていた。
「う、わぁ……!」
「超インナーかっこいい!!」
特に、先程の様子とは打って変わって大エースの名に相応しい活躍を見せる木兎光太郎に私は目を奪われていた。
ぶわり、何かが私に駆け巡るような感覚だ。
特に力強いスパイクを打つ背中は、とても綺麗で見蕩れる。自分で手拍子を要求してくる姿は子どものような無邪気な笑顔で、それに釣られて私もいつしか笑顔で試合を見ていた。
不思議な人。私はバレーをしているわけじゃない、していたこともない。精々体育の授業でやったことがある、程度なのに。
一緒にバレーがしたい、ずっと見ていたい、頑張りたい。そんな風に思っていた。
結局その試合は彼のチームが負けてしまったけれど、私は未だかつて無いほどの満足感で満ちている。ドキドキと鳴り止まない鼓動で「どうだった?」と挑戦的に笑う同僚に「凄かった」と在り来りな感想しか言えないくらいには、感動していた。
「私ちょっと御手洗行くね。待ってて!」
「分かった」
奥にある女子トイレへ小走りで駆けていく背中を見守りながら私は壁に背を預ける。凄かったな。試合が始まる前考えていたいやらしい考えなんて全て吹き飛んで、私の脳裏には高く跳ぶ木兎光太郎の背中が焼き付いていた。
どうしよう。ファンになったかもしれない。
ぼんやりとする思考の中でそんなことを思った。試合の興奮がまだ冷めないのか、熱を持っている頬に手の甲を当てているときゅ、と床に靴が擦れる音がして顔を上げる。
「あ」
「ん?」
「ぼ、木兎光太郎……!?」
「呼び捨て!新鮮だな!そうだよ!」
「あ、すみません……つい」
「あははは!大丈夫だよ、慣れてる。試合見てくれてたの?」
額や首筋にまだ流れている汗をタオルで拭きながら現れたその人。木兎光太郎は失礼な私にも人懐っこい笑顔と声で笑い飛ばしてくれた。
木兎選手?木兎さん?木兎光太郎さん?スポーツ選手とこんなにも近距離で話すことなんて初めてな私は、急に現れたまたとない機会にどうしたらいいのか分からなくなる。
人の往来も少なくなって、入口付近は混んでいるからとわざわざ奥の方に来たのが恐らくラッキーだった。
木兎光太郎さんはそのまま足を止めて私を正面から見つめる。
間近で見るその人はコートの中でも大きく感じたけれど、実際対峙すると私なんて小人になった気分だ。平均的な身長であると自覚があったけれど、男性を見るのに真上を向くような感覚は初体験で新鮮である。
「み、てました……」
「そうなんだ!どっち応援した?俺達?」
「えと、付き添いだったんですけど……その、はい。木兎光太郎さんのチームを」
「そうなんだー!負けちまったの、ごめんな!せっかく来てくれたのに」
「いえ!全然!えっと……凄かったです。本当に」
「マジ?サンキュー!俺どうだった?普通だった?」
「え?すごかったって……」
普通だった?とまるで犬が褒めて欲しいと言うようにキラキラした瞳をする木兎光太郎さん。しっぽが付いていたのなら、きっと千切れんばかりに振られているんだろう。
普通って褒め言葉?なんなんだろう。凄いんだって。そう困惑するのが伝わったのか、彼は急にしょんぼりとし始めた。
「そうかー……まだ普通のエースには見えないかぁ……」
「あ、そういうことですか。エースだと思いました。なんなら大エース。普通に」
「ホント?よっしゃー!それならいいや!良かったらまた来てね!ホーム戦は大阪なんだけどこっち方面はたまに来るから!」
じゃあね、と止めていた足を再び動かし始めた彼。恐らくこの通路の奥にある関係者のみのスペースに行くんだろう。汗を拭いながら歩いていく後ろ姿、汗の水分で張り付いたユニフォーム越しに彼の背中の筋肉がうっすらと見えた。
すごいなぁ。ただただそんなことを思う。きっと小学生の方がもっとマシな感想を言うのに、私の頭の中はそんなことばかりだった。
なにか、伝えたい。彼が歩いていく先から同僚がトイレから出てくる姿が見える。彼女も生木兎光太郎に目をギョロっと見開いて、握手をしてもらっていた。
「あ、あの!!」
「うおっ!なに?どーした?」
「私、本当は、もっとやりたいことがあって……朝だってもっと早く起きて、普通に朝ごはん食べて、普通にお弁当作って、普通に働いて……そういうことがしたいんです」
「そーなんだ!いいじゃん!やりなよ!」
廊下に響き渡る程の大きな声を出して彼を振り向かせた私に同僚が唖然としている。普段の私ならここでもう羞恥を感じているだろうし、なんなら声をかけることすらしない。
だけど、私は彼を、木兎光太郎を見て変わりたいそう思ってしまった。
同僚と握手していた手をゆっくりと離して木兎光太郎さんは私を振り返る。私もそこに近寄るように何歩か駆け寄った。
「私にとって……普通ってすごく、難しいんです。でも、普通に、なりたくって……」
「それすっっげーーーわかる!普通ってチョームズカシイよね!」
「えっ」
「これ内緒?ヒミツ?にしてほしいんだけど、俺高校3年の春高までフツーが出来なくってさー……1人で普通ってチョームズカシイよ。わかる」
うんうんと頷く木兎光太郎さん。何かを思い出すように話す姿に、私は驚いて言葉を飲み込んでしまった。彼は、こんなに普通にまるで息をするようにあんなに凄いプレーをするのに。そんな人でさえもそれはやっぱり難しいんだ。
黙っている私に木兎光太郎さんが歩み寄ってくる。ほんのりとまだ熱さの篭っている大きな掌が私の肩に優しく1回だけ叩くように触れた。
「だから、頑張ろーぜ。そのフツーに飯食ったり作ったり働いたり?そういう人たちが応援に来てくれるから俺達も頑張れるわけだし、な!俺も頑張るよ!もし次来たら、その時頑張ったこと教えてよ」
きっと彼のいる世界で、バレーが強くて上手いなんて当たり前で、その世界を生き抜くためにどれだけの努力を重ねたって足らない。
そんな努力と、私の日常の積み重ねを同等だと言うこの人が、なんで人から愛されるのか少しだけわかった気がする。
私、この人のこと好きだ。応援したい。素直にそう思った。
満面の笑みで笑う木兎光太郎さんは「覚えておくから名前教えて!」と言うけれど、私に名乗るような勇気はなくて悩む。彼の向こう側で楽しそうに笑う同僚。
「社畜ちゃんで覚えといください」
「シャチク?なにそれ?」
「会社の奴隷ってことです」
「ドレー?よく分かんないけど分かった!シャチクちゃんね!次会ったら名前教えてね」
今度こそじゃあな、と去っていた木兎光太郎さん。それと入れ違うようにしてこちらに駆け寄ってくる同僚は興奮気味に私に話しかけてくる。「めっちゃ話してたじゃん!あれもう認知だよ認知!やばい!」なんて言葉はもう右から左で、私はもう何をどう頑張るのか、まずはどこから私の普通のレベルを上げるのか、そんなことばかりを考えていた。
ホームは大阪なら、次もしも行けたとしても冬の長期休みしかない。そこまであと2ヶ月半くらいある。そんなに時間が無い。
まずは朝の早起きを習慣づけられるようにしよう。でなければ私は彼に名前を言えないのだ。
私は、早くあなたに名前を覚えてもらいたい。