天文台なら君に届く

 その子のことは、随分面倒くさそうに生きる子だと思っていた。毎日起こることにそんなに一喜一憂して、さぞ疲れるに違いない。家に帰ったら、すぐに夕飯を食べて風呂に入って、いつの間にか寝るような生活を送っているのだろう。
 そう思って、ミョウジさんって早寝そう、と言ってみるとミョウジさんは目を見開き「そうなの、国見くんすごい。どうしてわかったの?」と大袈裟に喜んでみせた。そして瞳の中に星空が広がっているとおもうくらいにぱちぱちと目を輝かせる。その輝きに俺は思わず口を噤んでしまい、何を話そうとしていたのかも忘れた。すると俺に代わってなのか、丁度部活の連絡事項に来ていた金田一が代わりに呆れたような声を吐き出す。
 
「誰でもわかるだろ、そんなの。お前はいつの間にか寝てそう」
「うそ、そうなの?」
「自分のことだろ」
 
 ふたりの気安いやりとりに俺は口を挟む暇さえなかった。口を噤んだまま、くるくる踊るように動くミョウジさんの口と珍しく楽しそうに話す金田一の顔を交互に見つめる。ふたりは、北一で3年間同じクラスだった。背が高く、目つきもそこまで良くはない金田一は女子から遠巻きにされることが多かったが、このミョウジさんという存在のおかげなのか、気さくに話し掛ける女子は少なくなかった。
 
 ミョウジさんは俺の視線に気付き、首を傾げながら「私になにか付いてる?」と聞いてきた。不躾な視線だっただろうか。一瞬ヒヤリとしたがミョウジさんの顔や雰囲気からは嫌悪感は感じない。そのことを確認し、首を横に振る。
 別に、よく喋るなあと思っただけ。俺の返答に金田一がぎょろりと目を見開いた。金田一はこういう顔を割とよくする。それは、大体俺の事をあまり知らないやつと俺が話す時に多い。おい、国見、と上擦った、焦ったような声で金田一が俺を呼ぶので、俺はうんざりした。
 この言葉に悪意はないし、俺は噂に聞く関西圏の人間のように言葉の裏に意味を込めない。ミョウジさんの口がよく動いて、それが俺の倍くらいは話すということ。それを喋るな、という意味で勘違いされることはまあ、たまにある。別にそれでいい。
 だが、ミョウジさんは、笑った。
 
「そうなの。わたし、口から生まれてきたって親にも言われる」
「……くち?」 
「そう。おしゃべりだから。少し静かにしてって。でも国見くんは優しいね。静かにしろ、うるさいって言わないから」
「……初めて言われた」
「うそ、こんなに優しいのに」
 
 みんな知らないんだね。にこにこ笑ってそう話すので、肩透かしを食らった様な気持ちになる。何かを期待していたわけではないけど、自分の想像とあまりに反応が異なっていた。それに対して、どう反応したらいいのかこちらが戸惑う。そんな俺の顔を見て、金田一は声を出して笑った。
 どうしてこうも、俺の周りは大声で笑う奴ばかりなのか。俺はそう思いながら、ただ首をすくめた。ふたりは笑っている。なぜか不思議と居心地は悪くなかった。
 
 
 席が隣になったミョウジさんはある日、唐突に「国見くんは好きな人いる?」と質問を俺に投げかけてきた。質問をする相手を間違っていないか一応確認してみると、不思議そうな顔で「わたし、国見くんって言わなかった?」と首を傾げられたので間違ってはいないようだ。
 
「好き、って恋愛?」
「うん、恋愛」
「……ミョウジさんは、いるの」
 
 すきなひと。俺が呟いた言葉に、ミョウジさんはうーん、と長く思案する。如何にも考えている、と主張するように組まれた腕。そしてその上で上下に動く人差し指。とんとんとん、とリズミカルに動くその指を俺はずっと見ていた。永遠にも感じた、それは多分一分にも満たないような短さだった。
 いないかなあ。
 その言葉に酷く安堵した自分がいて、自然と眉間に力が篭もる。なんで、ミョウジさんに好きな人がいなくて、安心するのか。ついこの間まで金田一と仲がいい女子、というだけの位置付けでしかなかった存在だというのに。
 国見くんは、と自然な流れで同じように問われて、俺は少しだけ慌てながら答えた。
 
「……い、ない」
「そっか。お互いいつか素敵な恋愛しようね」
 
 そう言うとミョウジさんは、最近ハマっているという恋愛漫画を取り出した。随分重たそうな鞄だとは常々思っていたが、そんなものまで出てくるのかと感心してしまう。
 しげしげと俺が見つめるとミョウジさんは俺がどうやらその漫画に興味がある、と思ったらしい。このシーンが、セリフが、と楽しげに解説してくれた。相変わらずよく動く口だな、と思いながらも俺はその声に耳を傾ける。不思議とミョウジさんの声はずっと聞いていたいと思うのだ。
 別にその漫画に興味はない。家のリビングにもよく似たような表紙が転がっているのを見たことがあっても、読みたいとは思わなかった。
 だが、如何にも、な絵柄の雰囲気と淡い色調の表紙は見ているだけで甘ったるくて、その持ち主に恐ろしいほど似合っていると思った。
 
 
 
 ミョウジさんが告白されたらしい。隣で友達とひそひそとしながら微かに聞こえたワードでそのことを察した。ナマエは恋愛に夢見すぎだよ、付き合ってみたらいいのに。そう勧める友達にミョウジさんは困ったような顔をしている。それじゃあ今年の点灯式も行けないね、と軽く笑う友達に悲しげに眉を落とし、かもね、と呟いたミョウジさん。
 点灯式。恐らく、駅前の派手なイルミネーションのことだろう。その点灯式になんの意味があるのかはわからないが、ふたりが話している話題から察するに恋愛関係のあれやこれに違いない。
 ミョウジさんが恋愛にどこか夢見がちなことはまあ、たしかに頷ける。少し前に楽しげに語っていたあの恋愛漫画。実際俺からすれば「そんな男いないよ」の一言に尽きた。
 例えば、他の奴らが面白可笑しく主人公を揶揄う中、相手役の男だけが庇うとか。体育祭で転んだ主人公を横抱きで抱え上げて保健室に連れていくとか。放課後の教室で向き合って、告白か、という時に邪魔が入ったり、とか。
 ミョウジさんがここ、素敵なの、と俺に紹介したどれもが夢に溢れていて甘ったるかった。フルーツシロップに更に砂糖と蜂蜜を突っ込んだような甘さ。
 実際、もしかすると好きな子がからかわれていたらそれとなく助ける男はいるのかもしれない。だが大半は自分の世間体もあるから裏でさっき大丈夫だった、と声を掛けるだけだろう。体育祭で転んでも恥ずかしいから顔を上げられないなんて子はいないし、そこに駆け寄って抱えあげる男は稀有だ。俺ならしないし、やろうとすら思わない。
 
 初めて付き合う人はわたしがちゃんと好きな人がいい。その言葉に思わず自分の視線がミョウジさんを捉える。困ったように下がった眉毛がぴくりと動いて、俺の視線に返すようにこちらを向いたミョウジさん。
 やば、見過ぎた。すぐに逸らして、次の授業の教科書を机の引き出しから取り出す。すると、ミョウジさんはそれを知ってか知らずか「ほらもう次の授業始まるよ」と慌てたように会話を終わらせた。すごすごと自分の席へ戻っていく友達の背中を見ながらごめん、うるさかったよね、と聞こえるか聞こえないかギリギリの声でミョウジさんは俺に囁きかける。
 
「いや、うるさくなかった」
「そう?ならよかった」
「……告られたのは、聞こえたけど」
「えっ」
「付き合うの?」
 
 答えなんかさっきしっかりと自分の鼓膜で受け止めたくせに、気が付けばそう訊ねていた。ミョウジさんは口を少しだけ開いたままの状態で数秒の間動きを止める。なんで俺がそんなことを聞くのか分からない。きっとそう思っていたんだろう。俺も、なぜ自分がそんなことをミョウジさんに聞いたのか分からなかった。
 
「つ、きあわない」
「へー」
「……国見くんは、彼女欲しいとか思う?」
「……どう見える?」
「んー……どうなんだろう。あんまり、そういうことに興味なさそうには見える、かも」
「あー確かに、それは当たってる」
 
 言い得て妙だと、自分で思った。恋愛にああだこうだと騒ぐことを馬鹿らしいとまでは思わない。でも、自分がそうなることはあまり想像できない。他の奴らはあの子が可愛い、とか優しい、とかそういう話で盛り上がることがあるようだがそもそもそこまで興味が無い。ミョウジさんの目に映る俺は、今の通りなのだろう。
 だから不思議なのだ。どうして、こんなにもミョウジさんの一挙手一投足が気になるのか。ミョウジさんが誰と付き合おうが別れようが、好きになろうが、好かれようが俺には一切の関係がないというのに。
 国見くんが好きになる子はきっと素敵な子だろうな、と呟いたミョウジさんは穏やかな顔で笑っていた。ミョウジさんは、俺のことをとてつもなくいい人だと思っているらしい。優しくて、バレーも上手で背の高い国見くんは、ミョウジさんの中でさぞモテているようで俺は面食らってしまった。その後すぐに自分でも久しぶりに聞く笑い声が飛び出す。
 俺の笑い声にミョウジさんは不思議そうに首を傾げた。俺、思ってるよりモテないよ。俺の返事にやっと安心したように笑うミョウジさんを見ると、俺の心臓の奥が少しだけ温まったようなそんな気がした。
 
 
 
 ミョウジさんは別に生きにくいと思ったことは無いそうだ。よく色んな人に思ってることすぐ口に出すよね、と言われるらしいが、元来の性格なのか目立って嫌われることはないようだった。それどころか飾らない性格と出し惜しみなどしない笑顔に好かれるばかりのようで、俺はなんだかそれが少し、面白くなかった。
 数学の授業中、眠そうな横顔を見ながらそう考えていると、向けられた視線に気付いたのか、たまたまなのかよくわからないタイミングでミョウジさんの眠たげな目がこちらに向く。ゆっくり、へらりと笑った顔にああ、この子が俺のことを好きになってくれればいいのに、と脳内に浮かんだ。
 もしも俺がミョウジさんの彼氏なら、ミョウジさんの止まらないお喋りをずっと聞いてわざと興味のなさげな相槌を打って、聞いてるの?とぶすくれる頬に触れるのに。
 苦手そうに見える数学もテスト前になったら図書館とか駅前のファミレスで教えるのに。
 楽しみにしているというクリスマスのイルミネーションだって一緒に行くし、大晦日には電話でもなんでも同じ時間を共有するのに。
 そこまで考えて、自分はなんて傲慢なんだろうと我に返った。好きになってさえくれれば、自分がミョウジさんを誰よりも幸せにできると信じきっている。そんな自分に辟易した。
 そうか、俺はこの子が好きなのか。うつらうつらとしている間抜けな横顔を見ながら、俺はこんな自分に初恋がやってきたことを知った。
 
 
 
 これが恋なのだと理解をしたところですぐに行動に移せるほど自分が情熱的な人間ではないことを俺はよく知っている。今日も、ミョウジさんの隣の席。人がちょうどひとり分入るくらいの間隔を開けたそこに座って、耳触りのいい声を聞く。ミョウジさんの声だけは妙に鮮明に聞こえるのだから、人間というのはどうやら欲に忠実に出来ているらしい。
 今日は件のイルミネーションの話をしているようだ。なんでもその点灯式を恋人同士で見ると永遠の愛が約束されるとかなんとか。やはりそういうことか。そんなことあるわけがないのに、夢を見るようなうっとりとした目が輝いていてすぐにその思考は消した。
 だが、ミョウジさんは生憎とその日は欠員が出てしまったようで急遽バイトのシフトが入っているのだ、と眉毛を下げている。また来年行けるといいな、と呟いた声がいつもより暗かった。
 
  
 今日は思っていたよりずっと寒い。芯から冷えるような風にぶるりと震えた体を縮こませて、ぐるぐると巻いたマフラーに顔を埋めた。鼻がつんと痛む。まだ終わらないのだろうか。ズボンのポケットから携帯電話を取り出そうとする手が、ミョウジさんの声に反応して止まった。
  
「国見くん?」
「……アルバイト、お疲れ」
「え、どうしているの?」
「練習試合、ここの近くで、前通ったらミョウジさんがいたから」
「そうなの?だから待っててくれたの?」
「まぁ……」
「うれしい。ありがとう」
 
 嘘は少しの真実を混ぜるといい、とどこかで誰かが言っていた。それを思い出して、俺の口からはすらすらとそれっぽい言葉が飛び出していく。練習試合がミョウジさんのアルバイト先の近くだということは本当。前を通ったのは、ここにミョウジさんがいると知っていたから。別に窓からミョウジさんの姿が見えたから立ち止まったわけではなく、ここにいると知っていたから待っていたのだ。
 俺の言葉の全てを信じてにこにこと目を細めて笑うミョウジさんに、いつかこのことを話すときが来るのだろうか。そう考えていると彼女の温かい手が、控えめに俺の手の甲へ触れる。その瞬間、ひ、という悲鳴のような声と共に離れていってしまった。
 なに、と聞くと国見くんの手、氷みたいと至極驚いた顔をするミョウジさん。そのくるくると変わる表情をもっと見たい、という邪な欲望が自分の腹の底でむくむくと膨らんでいくのを感じる。そして、そう思ったときには俺の手はすでに彼女の頬と首の境目辺りに触れていた。
 つめたい、やめて、と騒ぐミョウジさんが可愛くて面白くて俺は漏れ出る笑い声を抑えるために自分の手の甲で自分の口を抑える。たしかにこれは死人のように冷たい手だ。ごめん、面白くて、と謝るとミョウジさんは唇を尖らせ、不服そうに国見くんって優しいのか意地悪なのか分からないね、と呟いた。
 
「俺は多分優しくないよ」
「うそ。わたしのおしゃべりに付き合ってくれるし、こうしてわざわざ待っててくれるし、絶対にいい人だよ」
「それは、ミョウジさんにいい人だって思われたいから」
「……わたしに?」
「そう」
 
 どうして、と訝しげに俺を見上げるミョウジさん。その目は不安そうで、でもいつかの日のように煌めいていて。ああ、やっぱりこの子の目に映っている自分の姿は悪くないと思った。どうしてそう思うのか。それはもう決まっている。俺はきっとあの日からずっと、この子が俺を好きになってくれればいいのに、と思うと同時に、この子のことが好きだったのだ。
 俺の手が自然とミョウジさんの丸い頬に触れようとする。それをなけなしの理性で止めて、自分の手はコートのポケットへと戻した。
 そんな俺の様子をじ、と不思議そうに見つめるミョウジさん。その頬に、俺は、何気なく触れられるようになりたい。笑わせたいし、出来るなら幸福を感じる瞬間を分かち合いたい。不思議そうに見上げる目が、俺を見つめるときにもっと輝いていてほしいと願わずにいられない。
 そんな祈りを込めて、俺はポケットの中の手を握りしめてミョウジさんの問いに答えた。自分でも笑ってしまうくらい、情けなく震えた声だった。
 
 
「ミョウジさんのことが、好きだからだよ」