虹彩カウントストップ

 明司という苗字なのに、自分は三途だと名乗る男の子がいた。その子は素行がとても悪くて、少しでも気に触ることをしてしまうととんでもない目に遭う、と有名だった。
 気に触ること、というのがみんなイマイチ分からなくて、よく聞くのは話していたら急に殴られた、とか胸ぐらを掴まれて凄まれた、とか。同じクラスになっても時々しか現れない彼が、珍しく教室に納まっていると空気が凍ったのをよく覚えている。
 何がトリガーになるか分からない問題児。それが彼、三途春千夜くん。
 
 物騒な名前だけれど、その名前とは裏腹に彼はとっても綺麗な見た目をしていた。サラサラの金髪だったり、長い睫毛だったり、宝石を埋め込まれたような緑がかった瞳だったり。私は時々しか来ない彼をそっと眺めることが大好きで、見る度に、ため息を吐いた。
 彼の名前が春千夜、という神秘的な輝きを持った素敵な名前だと言うのはいつだったか、クラスの掲示物を何の気なしに眺めていた時である。春、千、夜なんて、彼らしい素敵な名前だろうと思った。
 きっと春に生まれたんだ、でなければ春、なんて漢字使わないよね、と抑えられない興奮をそのままに友達に話したことを昨日の事のように思い出せる。馬鹿だ。だけど恋に恋する乙女の思考回路なんてそんなもの。 見た目がいいのはわかるけど三途くんだよ?と呆れる友達に、なんであの魅力が分からないのかと首を傾げたのも数え切れない。
 けれどもきっと今の私が、その時の私に会うことができるなら、きっと止める。だって、そこでやめていれば、私はこんなに彼への想いを拗らせることはなかっただろうから。
 
 
 
 
 春千夜くんが春生まれじゃないことを知ったのはわりとすぐのことだった。
 久しぶりに顔を出した彼に渡さないといけないプリントがあって、でも、彼は学校へ来るなりふらりと姿を消してしまった。
 席が近いから、と適当な理由で押し付けられたプリントを片手に彼を探していると、眩い金髪が揺れるのが見えて、私は、蝶々を見つけた子どものようにゆっくりと近寄る。
 
 喧嘩をするくらいだから、気配にはとても敏感なのかと思ったけれど、そうではなかったようだった。
 
 なるべく足音を立てないように、古臭い廊下に自分の靴底が擦れないように。これ以上はないんじゃないか、そう思うくらい、とても気を遣って歩いて、中庭に佇む彼の後ろ姿が見えるような窓辺まで辿り着く。
 梅雨独特の体をむわりと包み込む湿った空気。私の髪の毛はその湿気でまとまりが効かないというのに、彼の髪の毛はそれさえも寄せつけないのかはたまた髪質なのか綺麗なストレートを保っていた。
 
 ついさっきまで降っていた雨で辺りは湿っていて、その中に佇む彼の後ろ姿はあまりにも幻想的で少し見蕩れる。カメラがあったならきっとそれを記録として残した筈だ。でも持っていなかった私は、それを記憶として脳に刻み込む。その時の中庭の雰囲気、湿気、梅雨独特の匂いと新緑と淡い色をした紫陽花。そしてその中でも一際輝く彼の後ろ姿。
 息を呑んでその姿を見つめていると、ちょうど私の方からは死角になっていた位置から小柄な、春千夜くんとは少し違う金髪の男の子がひょっこりと顔を出す。
 彼は有名人だったから、私は直ぐにその名前を呟いた。
 
「ま、マイキー……くん?」
「んー……ダレ?オレになんか用?」
「あ、えっと、違くて……その、あか、違う、三途くんに、渡すものが……」
「三途……」
 
 あー春千夜か。そう呟いて、まるで何か面白いおもちゃでも見つけたような楽しそうな笑みを浮かべたマイキーくんはそのままの笑顔で春千夜くんの脇を小突く。やるじゃん、なんて声が聞こえて、なにか重大な勘違いをさせているのでは、と思っているとマイキーくんがこちらに向き直った。
 
「三途のカノジョ?誕生日祝いに来たの?三途もスミに置けねェなー」
「へ?誕生日?」
「あ……あれ?違った?アハハ」
 
 ヤベェ、と小さく漏らしたマイキーくんは人差し指で頬を掻くとまあいいや、とにっこり笑う。祝ってやって、コイツ今日誕生日なんだ、そう言ってそのまま帰るのか校舎と反対の方へと歩いて行ってしまった。
 取り残されたのは校舎の窓辺に立つ私と未だに無言を貫き、私に背中を向ける三途春千夜くんだけ。ぽたり、と窓枠から雨の滴が落ちる音にハッとして、三途くん、と彼の背中に声を掛ける。
 すると酷く緩慢な動作で、ゆっくりと彼がこちらを向きじとりとした視線が私に向けられた。なんで、だとか、どうして、だとかそんな風な目をしている。責められている、のかな、そう思って、なんだかごめんね、と言うと春千夜くんは絶対にそうは思ってないような不機嫌をありありと示した声色で別に、と呟いた。そしてすぐに踵を返して中庭から去ろうとする。
 
「ま、待って」
「……ンだよ」
「えと、その、プ、プリント、これ渡してって言われた、から」
 
 はい、そう言って窓から手を伸ばすとぽたり、と雫がプリントに落ちて染みになった。あ、やばい、そう思ったけれど一連の流れを春千夜くんもしっかりと見つめていて、その瞬間、気に食わないことがあると暴れる、というあの噂が頭を駆け巡る。な、殴られるかも……びくびくとしながらも彼の一挙手一投足を見守った。
 けれども彼はプリントに広がっていく染みには目もくれず、ごく普通な様子で私からそれを受け取る。悪ィ、なんて小さな、恐らく彼なりのお礼まで聞こえて私は首を傾げた。聞いていた噂とは違う。
 
「……その、染み、怒らないの?」
「別に。見ねェし」
「そ、そっか」
「……コレだけか?」
「うん……あ、その」
 
 今度こそ、と体を動かした春千夜くんを呼び止めて、誕生日おめでとう、と言うと春千夜くんは一瞬目を見開いた。そのあと視線を迷わせて、瞼を伏せる。濡れた地面、至る所から滴り落ちる雨粒だった雫、太陽の光が反射して輝いたそれに包まれて長い睫毛を伏せる姿はとても絵になっていた。
 彼はちろり、と視線を上げて私を見つめると軽く頭だけを下げて踵を返してしまう。マイキーくんの後を追うように昇降口に向かってしまうので、本当にプリントを見る気は毛頭ないのだろうと思った。
 でも、なんとなく、彼には噂とは違う、一面があるんじゃないか。私はそう感じてしまって、そして、そこから、長く始まる彼への片思いが始まったのだ。
 
 
 彼は全く学校に来ないわけではなかったけれど、本当にごく稀にしか現れなかった。それこそテスト期間のほんの数日であったり、1日いることなんて滅多になくて、1番多く見かけたのは午前中の数時間のみ。
 でも彼を見掛けると嬉しくて、私はこれまで感じていた畏怖に似た感情なんてどこへやら。三途くん、三途くん、と話し掛けた。
 彼は私をいつも鬱陶しいと言うような目で見つめたけれど、決して厄介者扱いはしない。うんざりとした声でなんだよ、と必ず答えてくれた。
 春千夜って名前だから春生まれかと思った、とか、学校に来ない時は何をしてるの、とか、マイキーくんとは仲がいいの、とか。本当に色んな質問をして、彼は答えられるものにだけ頷いたり、違ェ、と一言だけ呟いたりして答えてくれて、私はそれで彼に関することの知識を深める。
 
 彼は私の質問にふたつほど答えるといつも決まって席を立った。ふらり、と少し心配になる線の細さの背中を揺らして歩いていくのだ。行く先はやっぱり中庭で、あの日私が立っていた窓辺からは少し見えにくい位置に腰掛ける。
 私は休み時間になる度に彼を探して、それで彼のサボり場所を見つけた。
 確か、その時は、窓に彼の金髪が反射していた。だから、私は彼を見つけることが出来て、私はそれが嬉しくて彼に駆け寄って、三途くん、見つけた、と笑いかけたのだ。そんな私を地面に座り込んだまま見上げた三途くん。緑が綺麗な瞳からは相変わらず輝きが放たれている。
 モノ好きなオンナだな。そんなようなことを彼は呟いた。もう記憶は曖昧だ。なんせ10年ほど昔のことである。
 
 彼のことを春千夜くん、と呼ぶようになったのはそれから割とすぐのことで、初めて呼んだ時こそあのじとりとした目で見つめられたけれどやめろとは言われなかった。まだ恋に恋していた若い私は、そんな彼の反応を嬉しく感じていて、用もないのに春千夜くんと事ある毎に名前を呼んだのをよく覚えている。
 彼が私の名前を親しげに呼ぶことは無かったけれど、そのあと学校にさえ現れなくなってしまった彼のことを思えば、その時間は本当にかけがえのないものだったのだと、ふ、とした瞬間、思い浮かんだ。
 
 
 
 三途春千夜という世にも珍しい名称を、私は忘れたことがない。その字面の強烈さに忘れる人の方が珍しいかも知れないけれど、それ以上に私は彼の内に秘められた、繊細さを忘れられないのだ。
 伏せられた睫毛の1本1本の美しさ、言葉遣いこそ粗暴なのに、優しく壊れ物に触るような繊細な手付きで私に触れる指先、呆れるような溜息で隠すように笑う顔。
 私は彼を彩る全てが大好きで、最初こそ恋に恋するだけのうら若い乙女だったけれど、会えなくなってしまった今でも彼を想い続けている。
 
 
  
 毎年カレンダーを買い換える度に、必ず確認してしまう今日この日も、何もかも変わらない。何回目だろうか、今年はもう何回目か分からなくなってしまって自分で笑ってしまった。ふふ、と鼻から漏れる笑い声を自分の耳で聴きながら、7月3日の日をなぞって、上がっていた口角がどんどん下がっていく。
 彼の誕生日をまともにお祝いすることは1度もなかった。だって彼はその次の年には学校に来なくなってしまって、卒業式にだって来なくって、マイキーくんだってどんどん変わって、気軽に声をかけられるような雰囲気ではなくなってしまったから。
 
「春千夜くん、今年もまたキミの誕生日が来たね」
 
 おめでとう、そう言って一人暮らしの部屋を出た。今日もまたいつも通り何も変わらない日常を送る。思い出の中の彼だけが、私の中で息をして、私はそれに縋るだけ。
 
 
 いつだったか、誰かに言われたことがある。三途くんはもうすごく悪い人なんだと、それこそ口には出せないほど。
 ただそれを聞いたから、と言って私の中の何かが変わるわけではなかった。あの古臭い校舎で過ごした1年にも満たない日々のように、彼の綺麗な髪の毛が揺れていないだろうか、鼻筋の通った見るだけで溜息が漏れるような横顔が通り過ぎないだろうか。そんなことばかり考えて歩く。
 最初こそドキドキしながら歩いたこの高層ビルが立ち並ぶオフィス街は、もう目を瞑っても、何がどこにあるか頭に思い浮かぶほどに慣れてしまった。
 
 目新しいものは何一つない。いつもの標識、いつものコンビニ、いつもの野良猫。変わらない日常。私の片手には毎日買うコンビニのおにぎりとペットボトルのお茶が入ったビニール袋。何も、変わらない、筈だった。
 
 横断歩道の信号を見上げようとして、上げた視線の先に、珍しい髪色の男の人が映った。髪の毛がピンク色だ、黒いマスクなんて珍しい、スーツも派手だなあ、と色んな情報が頭をめぐって、急速に回転する。そして、なぜか、ひとつの答えを私の脳は弾き出した。

「はる、ちよくん」
 
 春千夜くんだ。絶対にそうだ。記憶の片隅にいる彼は金髪で、今とは似ても似つかない髪色だけれど私は確信を持って彼が三途春千夜その人だとそう言える。どうしてそう思うのか、それは分からないけれど、私の全てが彼が春千夜くんで、そして、今、彼の手を取らないともう二度と会えないと、そう言っていた。
 
 はるちよくん、はるちよくん、と壊れた玩具のように繰り返して私は信号が青になった瞬間駆け出した。ガサガサと手元で音を立てるビニール袋が邪魔で鬱陶しくて手放したくなったけれど、ぎゅ、と握り直してもうずっと先の方を歩くその人の背中を追いかける。
 ああ、やっぱりそうだ。相変わらず線が細くて、でも昔より少し猫背になっている。まだ金髪だったあの頃はすごく姿勢が良かったのに、どうしてだか、少しだけ寂しそうな背中に見えた。
 
 追いかける私に気付いているのかいないのか。彼は止まる気配は疎か、歩く速度さえ緩めない。スラリと長い足がスタスタと地面を蹴る姿は素晴らしく美しいけれど、私の息はどんどん荒れていく。止まってよ、待って。置いていかないでよ。せっかく会えたのに。
 社会人として働く上で欠かせない道具のひとつ、ヒールのパンプスが恨めしい。カツカツカツ、と軽快な音を立てて走っていたのに、私はいつの間にか止まってしまって、じくじくと痛む足は靴擦れしてしまっている。
 
「春千夜くん……」
 
 彼を追いかけて知らず知らずのうちに人通りの少ない裏路地に来てしまっていたようだ。湿っているアスファルトから独特な匂いが立ち上ってきて、クラクラする。
 足が痛い、座りたい、仕事に行かなきゃ、今何時なんだろう、春千夜くん、どこに行ったの、会いたい、会いたい、会いたいよ。
 きっと座り込んだら、もう立てない。どうしよう。でも足は痛いし、走って首筋や額に滲む汗も気持ち悪い。これまでずっとずっと見ないふりをして蓋をしてきた、春千夜くんに会いたいという気持ちが溢れ出て、苦しい。
 
 
「春千夜くん、バカやろう……会いたい、会いたいよ……」
「アホ、誰がバカだワ」
「へ」
「バカはテメェだろーが」
 
 もうダメだ、と膝から力が抜けて地面に座り込んでしまいそうになった私の腕を掴んだのは、やっぱり、ピンク色の髪の毛をした春千夜くんだった。彼はさっきまでしていた黒いマスクを外して、口の端の傷が痛々しい口元を惜しげも無く曝している。
 彼はこれまで、というか、中学生だった頃、頑なにその傷を見せなかったのに。月日が経つのは恐ろしいなあと呑気なことを思った。
 バカはテメェ、と呆れたように私を見つめる春千夜くんは頭から足まで私に視線を巡らせて、ケガ、と一言だけ呟く。
 
「ケガ……というか、靴擦れ、で」
「卸したばっかりのクツか?」
「違う、違うよ、違うの。さっき、交差点で、春千夜くんを見つけて、私、会いたくて、話したくて」
「……ん」
「追い掛けたの。でも、は、はる、春千夜くん、止まってくれなくて……」
 
 怖くて、寂しくて、会いたかったの、と溢れ出る気持ちをそのまましどろもどろに伝えると春千夜くんは私を見下ろす。さっきまでの呆れた顔ではなく、あの、初めてちゃんと言葉を交わしたあの日のように相変わらず長い睫毛を伏せて、輝く瞳に影を落とし、感情の読み取りにくい目で私を見つめた。
 
「春千夜くん」
「……ンだよ」
「今、幸せ?」
「……テメェに関係ねェだろ」
「あるよ。だって、私、あの中庭で話したあのときから、キミの事だけが大好きだから」
 
 春千夜くんは私の言葉にぱちぱちと音が鳴りそうなほど瞬きをしてそのあと視線を下にずらす。大好きなの、好きだよ、だから、笑って欲しいの、幸せでいて欲しいの。
 ゆっくりと離され解放された手で、彼のスーツの裾を握る。皺にならないといいな。いや、なってもいいかも。そのシワを見て、ああそういえばあんなしつこい女もいたよなぁなんて不意に思い出して、そして、いつか忘れて欲しい。嘘、忘れないで欲しい。
 私の中の矛盾は、私の瞳から涙となって溢れ出て、そして、地面にポタリと音を立てて落ちた。
 
「全部好きだよ。綺麗な顔も、長い睫毛もサラサラの髪の毛も。今の、そのピアスも、スーツも、髪色も。少し不器用で、でも、ちゃんと優しいところも、今、みたいにケガとか、細かいところに気付いてくれるところも……好き」
「……で、」
 
 なンだよ、テメェはオレに何を求めてンだ、アァ?そう凄まれて、私は少し笑った。やっぱり不器用だと思ったからだ。彼は、怒る時、いつだって誰かの、特に、マイキーくんの為に怒っていた。何も知らない誰かがマイキーくんをバカにしたり、根も葉もないことで批判したりしていると、彼は決まってその拳を振るう。
 今だって、わざとなのだろう。そうやって突き放したような言葉を私にぶつけて、わざと遠ざける。いい思い出なんてひとつ残らず壊して、嫌な思い出だけを残すのだ。
 凄んだ筈の女が笑い出して、戸惑ったであろう春千夜くんに、答えを返す。
 
「求めてない。今日会えただけでも嬉しい。我儘を言っていいなら、本当はずっと一緒にいたいけど、そばに居たいけど、キミの邪魔には、なりたくない」
「……やっぱ、オマエ、バカだな」
「バカでいいよ。私ね、キミに笑ってほしいだけなの。ずっと幸せでいて欲しいとか、そんなこと言わないから、せめて、私と話した時だけでも、春千夜くんが笑ってくれたら、それでいいの」
 
 私がそう言うと春千夜くんは、眉根を寄せて、苦しそうな顔をした。やっぱり、彼は優しい人だと、そう感じて、私は彼のスーツの裾をぎゅ、とさらに握る。きっとシワになってしまっただろうな。良い布地は割とシワになりやすいんだとどこかで聞いた。夏用に誂られたのだろう、風を通しやすそうな薄手なのにしっかりとした手触り。それを指先から感じて、彼が間違いなくここにいることを再度確認する。
 
「春千夜くん、誕生日おめでとう」
「あー……そうか、今日」
「プレゼント、当たり前だけど持ってなくて……その、何か欲しいものない?そしたら次、会う時に持ってくる」
 
 あー、と私に握られたスーツをそのままに春千夜くんは俯いてしまった。また次の機会を望む私の浅はかさに呆れたのだろうか。さすがに自分でも無理矢理だな、と思う約束の取り付け方だ。優しい彼は、プレゼントなんて用意されたら受け取りには来るのかもしれないから、その可能性があるなら、私は彼に会いたい。
 でも、いらない、って言われたら。きっともう会えない。そのいらないの返答は、私のことも要らないということだろう。長すぎた初恋が、今まさに、終わるかもしれない。彼の言葉を聞くのが怖くて、涙が再び込み上げてくる。
 
「じゃあ、オマエ」
「……ん?」
「何も持ってねーンだろ。じゃあオマエをオレに寄越せ」
「な、に?」
「……オマエは、オレのこと探すの上手ェから、ほかのとこにいたら、面倒だし、だったら、オレの目の届くところにいろ」
 
 ただ、幸せかどうかは保証しねェし、明日死ぬかもしれねェけど、テメェが選べ。彼はそう言うとスーツを掴んでいた私の手を握る。冷たくて、ゴツゴツした感触。縋るような、でも、すぐに離れてしまいそうなそれぐらいの力でゆるゆると握られて、不器用な人だと思った。
 
 バカなのはやっぱり、キミだよ春千夜くん。
 その言葉は飲み込んで、ビニール袋を掴んでいた手を離す。そしてそのままその手で春千夜くんの冷たい手を握った。
 選べるなら、キミがいる方しか選ばない。キミがいない方を選べるなら、私は今ここにいないのに。バカな人。
 込み上げていた涙は引っ込んで、私は声を出して笑った。やっと、見つけたよ、春千夜くん。
 私の足元でがさり、とビニール袋が音を立てた。


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