※貞操観念の低い女の子と生駒くんがテーマの作品です。随所にそのような描写がありますので注意してください。
私は多分だとかきっとだとか、そういう曖昧な表現ばかりを好んで使う。いつだって自分の選択や考えに対して自信が持てないからだ。だから生駒くんのように自分の突き通す信念、芯のある行動をする人の脳内を覗いてみたいと思う。彼のような人は、迷うことがあるのだろうか。いつだって、不思議なのだ。
確固たる自分とは、全く同じ存在の違う何かが現れた時何を持って自分を証明するのか。出された課題を転送したスマホ画面を見ながら考える。
「最近付き合い悪くね?」
「んー……そうかな?」
「イヤイヤ誤魔化せないでしょ。え、それイコマくんと付き合ったから?」
いつも通り食堂で生駒くんの講義が終わるのを待っていると、私がよく行くコーヒーショップのカップを2つ、テーブルに置いて我が物顔で私の前に座った男の子。最近は全くと言っていいほど連絡さえとらなかったし、向こうからもなにもなかった。そう、彼は以前、私が友達と喧嘩した時に慰めてくれた男友達だ。名前はたしか吉田くんだか田中くんだか。薄ぼんやりとした印象でしか名前を覚えていないのは、ここ半年で生駒くんとの思い出が色濃く私の中に刻み込まれているからだろう。彼は無遠慮に自分のことを棚に上げて、まるで今までの付き合いが疎かになったのは私が悪いからとでも言うように開口一番、そう言った。
正直、うんざりする。なのだけれどここで無視を決め込んだり、図太い態度など取ろうものならきっとあることないこと言いふらされるに決まっているので、私は口元に笑みを張りつけた。
「イコマって話したことないけどアレなの?束縛激しいとか?」
「んー……どうだろう?」
「えーじゃあお前には合ってないでしょ。もっと自由に遊んでいいよって懐の大きい男にしとけよー」
「あはは、そんな人いないでしょ」
「俺とかどうよ?寂しかったんだよー?また飲みに行こう、な?」
行かないけどね。そう思いながら田中くん(仮)の話を適当に聞き流す。置かれているコーヒーショップのカップには、アイスコーヒーというラベルが貼られていた。この人私が寒い日にアイスコーヒーを飲むって記憶違いしてるんだなあ。私の視線の先を追って田中くん(仮)はここのお店好きだったよね?と途端に嬉しそうに笑う。うん、好きだよ。でもアイスコーヒーじゃないよ。そう少し嫌味でも言ってやろうかと思ったその時、はっきりと私の名前を呼ぶ生駒くんの声がした。振り返ると明らかに怒気を孕んだ瞳を、何故か少し切なそうに揺らしながら立っている生駒くん。その姿が頼りなくて、私は慌てて立ち上がる。
そんな私に、田中くん(仮)は戸惑ったような声を上げたけど聞こえないふりをして、テーブルに置いていたスマホを片手に生駒くんへと駆け寄った。
「お疲れ様、生駒くん。お腹空かない?」
「……えっと、スマン……会話途中に割り込んでもうて」
「ん?あぁ……大丈夫だよ。友達だからあとで話せばわかってくれるでしょ」
「友達、なん?」
「……多分、友達?」
生駒くんは私の煮え切らない答えに、口を結ぶ。そして息を吸い込んだ。なにか話したいことがあるんだろうか。私はいつの日かそうしたように、彼の言葉をじーっと生き物のように動く喉仏を見つめて待つ。だけれど、生駒くんは最後に大きく唾を飲み込むと、ええわ、行こか、と笑った。いつものようにキラキラとした笑顔ではなく、なんだか苦虫を噛み潰したような、そんな印象を覚える笑顔で、私は少し切なくなった。
生駒くんの様子が明らかにおかしい。先日の田中くん(仮)との接触後から急に可笑しくなった。その日のお昼はいつも一緒に行っていたカレー屋さんではなく、何故かコーヒーショップでサンドイッチを食したし、いつもは飲みたがらないお酒を進んで飲もうと言ってきたり。彼が何を考えているのか分からないでもなかったけれど、なにがしたくてそうするのか分からない。確かに私はコーヒーショップが好きだし、好んで食べるのはお米よりもパンの方が多い。お酒を飲むことも嫌いじゃない。だけど、別に生駒くんとなら何でも楽しかった。
でもそれは彼に伝わってなんかいないし、なんなら多分。私がそういうことを我慢している、そんなふうに思ったのかもしれない。そしてそれは思わぬ形で、生駒くんの耳に入るのだった。
たまには、と彼の講義が終わるのを食堂ではなく講義室の前にあるベンチに腰掛けて待っていると講義が終わったのか開け放たれた扉から楽しげな話し声が聞こえ、思わず聞き耳を立てる。
「生駒くんの彼女って、あの子だよね?」
「ん?あぁ、俺の彼女なぁ、ごっつ可愛ええ子やねん。ほんでめっちゃモテはんねん。しゃーないよなぁ、あんだけ可愛ええし優しいし、ほんま悪いとこあらへんねんもん」
「たしかに可愛いよねー」
でも、男好きだって噂あるけど平気?とまるで盗み聞きしている私を嘲笑うかのように生駒くんを取り囲む女の子が悪気もなくそう言った。聞かなきゃ良かった、そう思ってネックレスの飾りに指をかける。男女数人の輪に囲まれる生駒くんは何も言葉を発さない。
彼が否定の言葉を紡がないのを合図にしたその人達は、大学の一部で巡っている私の噂について話し始めた。友達と一緒なのにナンパについて行くらしい、女とつるむのは面倒だから男といるらしいけど、本当は男好きらしい、男の奢りで飲むお酒は最高って言ってたのを聞いたことがある。
中には事実に基づく話もあったけれどほとんど根も葉もない噂だった。極めつけには彼氏が1週間毎に代わるという話や、生駒くんと付き合ってるのも彼がボーダーで外部から来た人だからだ、なんて話も出てきた時にはさすがに頭が痛くなり、こめかみを押さえる。生駒くんはなんにも言わない。私は、扉の向こうを覗き込むような勇気はなくて、立ち去った。やっぱりいつもと違うことはするべきではないな、と思ったが、それでも生駒くんと一緒にいたかったのでいつも通りの食堂のテーブルに腰かける。
壁にかけられた大きな掛け時計の秒針の音だけをただ聞いて過ごしたが、私の中に駆け巡る悪寒のような気味悪さは依然として拭えない。
背後から呼ばれる名前に、私は笑顔で答えられただろうか。何事も無かったかのようにいつも通りの顔で現れた生駒くんは、あの後何を聞いて、何を思って、何を話したんだろう。盗み聞きをしてしまった手前、彼に何かを尋ねることは憚られる。いつものようにしなくてはならない。彼が気にしていないのならそれでいいじゃないか。私の中の黒い翼を持つ意地悪い天使がそう囁く。
生き死にを選ばれる裁判に掛けられたような気持ちのまま私は、生駒くん、と彼の名前を口にした。その時、調度良いのか悪いのか、全く顔も出していないサークルの先輩が通りがかり笑顔で私の名前を呼んだ。
「久しぶりー!元気だったか?最近顔出さねぇから心配してたんだよ。今日飲み会あるけど、時間あるなら顔出して……って悪い!……友達?」
「あ、えっと……」
「彼氏です」
「おお!彼氏くんね!よかったら彼氏くんも連れて来いよ!」
彼が昔からやっていたという居合と呼ばれる剣術の如く凄まじい速さで切り返した生駒くんの声を、何の気なしに笑って返すその人は以前声をかけてきた田中くん(仮)よりもずっといい人だ。
だけれど、その気のいい体育会系の先輩は私の話を聞かずに、ぽんと私の肩を叩いてさっさと歩いていく。思い出したかのように軽く振り返り、場所は連絡するわ、と爽やかに去っていくので行かないという意思表示すらも出来なかった。
台風のようなその人があっという間に去って、私たちの間に僅かに気まずい沈黙が走る。どうしようか、そう思って私はまたネックレスを弄った。今日、任務やったわ、と生駒くんが思い出したかのように態とらしく大きな声を上げる。せやから、行ってきてええよ、となんてことのないように笑う生駒くん。見上げたその顔をきっと私はずっと忘れないと思う。
生駒くんはいつも上がっている凛々しい眉毛を下げて、その顔に悲しさや寂しさを称えていた。それは恐らくダメな顔。嫌な顔。本音を飲み込んだ、苦しい顔。いつもキラキラと輝くその人にそんな苦しい顔をさせるのは、私だ。
「あのさ、生駒くん」
「ん?どないした?」
「……別れても、いいんだからね」
「……は?」
スマホがテーブルの上で短く震える。おそらく先程の先輩が律儀にも今日の飲み会の集合場所を連絡してきたのだろう。なんて間の悪いことだ。私は震えるそれをスリープボタンを押して止める。行動は冷静だったが、頭の中はめちゃくちゃだった。生駒くんに聞きたいこと言いたいことが溢れては消えていく。
ねえさっき何話してたの?何を聞いたの?それが本当だって思ってるの?私が今日の飲み会に行っても、あなたは平気なの?ねえ、私になにか、言いたいことも聞きたいことも、本当にないの?
だと言うのに私から出た言葉は、やっぱり自分を守るためだけの言葉だった。何も考えたくない、聞きたくない、否定されたくない。なら、生駒くんなんて、生駒くんなんて、いないほうが。
何言うてんねん、と沈黙を切り裂くように生駒くんの怒りに震えた声が聞こえた。初めて聞く彼の声に思わず息を飲む。
「何言うてんの?別れるとか、なんで、そないなこと」
「……私、生駒くんが思ってるような女の子じゃないもん」
「俺が思っとる?」
「もう、いい」
「ちょ、」
生駒くんって私の何がそんなに良くて、あんなふうに告白してくれたんだろう。そんな疑問を頭に浮かべると、途端に自分がとてつもなく器量が狭く人の機敏に乏しい人間なのだと思い知らされる。だけれどそれを自分で彼に事細かく説明することは、プライドに似た何かが許さない。早々に会話を諦めた私は、手で押えていたスマホを持ち上げて彼の入ってきた扉とは反対方向の扉を目指して踵を返した。生駒くんは、勿論と言えば、そうだったが、立ち尽くしたままだった。
逃げるように転がり込んだ六畳一間のワンルーム。ベッドに飛び込むと安いコイルが少しだけ軋んで私の体を押し返す。安くて出来るだけ可愛い機能的なものを。そんな思いで選んだ白いヘッドボードがお気に入りのフロアベッドを誰もが可愛らしくて私らしいと笑ったけれど、生駒くんだけがこのヘッドボードええなぁ、本もスマホも置けるやんと顎に手を置いて真剣な顔で言ってくれた。
私が大切にしたかったことに細かく気付いて、そしてそれをなんの含みもなしに口に出してくれる。そういう生駒くんが好きだった。そんな生駒くんに、私は何も返せない。彼と私は何もかもが違っていて、彼はあの時私を見放した友達と同じで、何もしなくても人と一緒にいることが出来る人。
ベッドの足元で転がったトートバッグからスマホのバイブレーションの音がした。きっと生駒くんだろう。起き上がってそれを確認すること、飲み会を断る連絡をすること、突然音もなく始まった生駒くんとの交際のこれからについて考えること。それら全てがとにかく面倒になった。やめたい。やめられたら楽になるのに。私はふて寝を決め込んで、化粧もしたまま枕に顔を埋めた。