砕いて砕いて砕いてごっくん

どうして男の人って釣った魚には餌をやらないっていうか、付き合う前になにもかも手に入れたがるのに手に入れた瞬間、お前とはいい友達だよ?みたいな顔して俺もお前も悪くないよねって、でもここで線引きしておこうよってそんなライン引いてくるんだろう。

そんな私の恨み言を頬杖を付いて聞いている雅人くんは食べ終わったお皿を端に寄せて、さっきから人差し指でひたすらにテーブルを叩き続けている。興味が無いのだろうか。それでもこのお店で以前アルバイトをしていただけの私の話を聞いてくれるんだから彼の性根の良さが窺える。


高校を卒業し、三門市から離れた大学に進学した私はちょうど一年半ほど前にアルバイトを辞めた。それでも長期休みで実家に帰ってきてはふらりと立ち寄る私を優しく出迎えてくれるこのお店はどうしても居心地が良くて、入り浸ってしまう。よくない。迷惑だということはよく分かっているけれど、それでもここの人達の優しさに甘えて毎回閉店間際に覗き込むのだ。
今日も年末ということもあって久々に地元の友人達とお酒を少し飲んでから立ち寄ると、こんな遅い時間に、なんて呆れられる。けれどその後すぐに笑って雅人がいるから送って貰うといいわ、なんて言ってくれた。私はありがとう、とお母さんの背中に声をかけて、その後ろの方で、は!?と年相応に怒るこのかげうらの次男、雅人くんに会釈をした。

彼が夕食を今から食べると言うので、その前の席に腰掛ける。時刻はもう22時を回ろうとしているのに、随分遅い夕飯だね、と言うとついさっきまでボーダーの任務に当たっていたらしい。
さっき帰宅し、まだ片付けを済ませていないテーブルに晩御飯を用意されたようだ。
確かに見渡すとほかの座席はすっかりと綺麗に整えられて、座敷の床が鈍く光っているのにこのテーブルだけ座布団が出ている。腰掛けた箇所から広がるひんやりとした座布団の感触が懐かしくて笑っていると店の奥の方から、随分小綺麗になっちゃって、なんて揶揄う様なお母さんの声がする。そんなことないよ、なんて返したが以前お盆の時期に帰ってきた時と自分の様子が違うことは私がいちばん分かっていた。

前まではスカートなんて履かずにスキニーパンツやジーンズ。体のラインが出るなんて恥ずかしくて体型の分かりにくい少し大きめのスウェットばかり着ていた。要するにセンスはゼロ。女子力なんて無縁。お風呂上がりにクリームを塗るなんて行為は気が向いた時だけ、顔の保湿もスプレータイプの化粧水を振りかけてその辺のクリームを雑に塗り込むだけ。髪の毛のトリートメントなんて友達がこれいいよ、というのを適当に聞き流してきた。その時のことを知っているここのお店の人たちとこの格好で会うのは少し恥ずかしかったけど、もうそんな服たちも処分してしまったから。そう自分に言い聞かせる。

私の膝小僧が出たチェックの台形スカートを見て雅人くんは目を逸らした。短ぇな、と呟かれた言葉に似合わないかと聞くと、そうじゃねぇよとぶっきらぼうな言葉が返ってくる。彼のこの粗雑な言葉遣いを聞くと、ああ三門市に帰ってきたんだなあと懐かしくなるのだから不思議だ。

雅人くんが器用にお好み焼きを引っくり返すのを見ながら、私はぽつりぽつりと呟くように話をする。最近変えたクッションファンデーションがいい感じなのに匂いがキツイとか睫毛のエクステは似合わなかったとか絶対に雅人くんは興味なんてなさそうな話題にもふーん、と相槌を打ってくれる。

「それでね、新しく始めたバイトが案外楽しくって。友達も増えたの。それでそこの人が私はこういう方が似合うって色々考えてくれてね」
「……それで趣味が変わったってわけか」
「変わったって言うか……まあ、そうかなぁ。え、似合わない?」
「別に」

いいんじゃねぇの、と雅人くんは綺麗に焼いてソースや鰹節を振りかけたお好み焼きを4等分に切った。それをお皿に移して食べながら、私をちらりと見る2つの目。私はそんな視線から逃れるように自分が着ている服や出掛ける前に巻いた毛先を見た。体にラインに沿うようなクリームベージュのニットは去年までなら絶対に着なかったし、髪の毛だって寒いから下ろしていただろうけど綺麗に整えることなんかしなかっただろう。雅人くんのいいんじゃないかという評価は正直擽ったい。それでもどこか心が冷えるのを感じた。

そんな私に気付いたのか、よく分からないタイミングで雅人くんは盛大な舌打ちを漏らす。あまりに脈絡のないその音に肩がびくりと波打った。その拍子に私の耳元で静かな鈴の音のような、軽やかな音がして思わず耳を抑える。自分では絶対に選ばないような派手で重たいピアスは、首を揺らす度に髪の毛やニットに引っかかって不快なのに私はそれをほぼ毎日好んでつけているのだ。

「その耳のヤツだけは、趣味が悪ぃな」
「……あはは、やっぱり?」
「それ、穴開けてんのか」
「うん。これを付けるために、開けたんだけど……夏は、膿んじゃって血が止まらなかったよ」
「痛そーだな」

雅人くんはあっという間にお皿に乗っけた四分の一を食べ終わって、更にとった2つ目ももうあと何口かで食べ終わるところだった。箸の持ち方が綺麗。でも返事は少し、というかかなり淡白だった。夏。ここを訪れた時、雅人くんはちょうど留守でその時もたしかボーダーのお仕事の関係でいなかった。私は、あのとき、今よりほんの少しだけボロボロで、ああ、雅人くんがいなくてよかったと思った記憶がある。彼は、なんというか、本音を見透かすのが上手い。きっと人をよく見ているんだと思う。だから取り繕った笑顔をしていればすぐに小突かれていたし、体調不良を隠してお店に立てばすぐに裏方に引っ込められていた。

そして話は冒頭に戻る。雅人くんは私の話を一頻り聞いたあと、規則正しいリズムで刻んでいた人差し指のメトロノームを止めてもう一度盛大に舌打ちをした。そんな気持ちわりー男が好きなのかよおめぇは、と大きな溜息と共に吐かれた言葉に私は俯く。
私の初めてをなにもかもあげた人だった。夏の恋は続かない。ひと夏の恋。火遊びみたいな恋だと言われればそれまでだったけれど、私はたしかにその人のことが好きだと思ったのだ。

「その人がね、私の耳の形が綺麗だねって言ったの。最初は、何それって思ったんだけど……そのうちそんな細かいところまで見てくれて、綺麗だって思ってくれるんだって思ったの」

その人はよく、私の耳を撫でるように触った。可愛いね、綺麗だね、素直だね。その指で、唇で私の体に恋人らしく触れるのに。恋人に向けるであろう言葉は決して、その口からは紡がなかった。長いなと思った、大学の夏休みはその人と会うととてもあっという間で、楽しくて、それでも会ったあとは寂しくて、会えない時間は誰と会っているんだろうとか、優しく私を撫でた手で違う人の頭を撫でてるのかとか。考えてもしょうがないことばかり考えて、毎日吐きそうな思いばかりしていた。
そして、夏休みが終わるし、なんてよく分からない前置きの言葉の後、うちに来ない?と何日かぶりに来たメッセージに逆らうことなく私はその人の家に行った。

「その人の家、一人暮らしなの。お姉さんも妹もいなくって、女友達は呼んだことないんだって私の頭を撫でたのに。……ピアスがね、落ちてたの」
「もういい」
「それが、これによく似てて。それで……」
「うるせー、もういいっつってんだろ」

ガシャンとヘラを動かした雅人くん。音につられて顔を上げると、額を小突かれる。頭の中に響いた鈍い音と熱を帯びるほど痛むおでこに生理的に涙が込み上げた。痛いよ、と小さく抗議すると、黙らねーおめぇが悪いと雅人くんはポケットからマスクを取り出す。そして空になったお皿や使い終わったヘラを手に立ち上がった。送ってく、待ってろ。そんな言葉を呟くと洗い場に向かっていく。スタスタと歩いていく後ろ姿は、前に見た時よりもずっと大きくなっていた。

「雅人くんは最近どう?楽しい?」
「どうもこうもねぇよ。普通」
「そっかぁ……。私、三門市に残ればよかったな」
「……なんで」

私の体の半分位の距離を開けて少しだけ後ろを歩く雅人くん。彼は昔から帰りが遅くなる度にこうして家まで送ってくれた。何も変わらない優しさに口角が上がるけど、やっぱり同時に冬の寒さとは別で冷え切る心の一部。その部分はきっと、夏からなんにも変わっていないのだろう。あの人は、送ってくれなかったなぁ。
私が今住んでいる都会の空は、ビルやマンションの隙間から見えるのだけどとてつもなく狭くて、そして地上の人工的な光に負けて星なんてひとつも見えない。三門市も場所によるけれど、その空なんかよりよっぽど空気は澄んでいるし星だって綺麗に見える。立ち上っていく自分の吐いた白い息を見ながら、ここには雅人くんがいるから、となるべく冗談のように聞こえるような明るい声で答えた。

「……その耳の貸せ」
「え?ピアス?雅人くん何に使うの?」
「いいから早くしろアホ」
「えー……まあいいけど」

立ち止まってキャッチを外す私に、イライラとした様子で手のひらを向けてくる雅人くん。寒そうな彼の鼻は少し赤らんでいる。同じくかじかんだ指先でモタモタと外したピアスをその手のひらに置いた。なのに依然として引っ込まない手に首を傾げると、さらにイライラした様子で、どっちもだよ馬鹿と罵られる。どっちもなんて言ってないじゃん、と思ったけど倍返しで言い返されそうなので私はその言葉を飲み込んで同じようにもう片方も外して渡した。

「って!あ!ちょっと!」

渡した瞬間に滑り落ちたピアスを容赦なく踏み付けて、挙句グリグリとすり潰すように入念に動く雅人くんの足。まだ足りねーか、と確かめるように足を上げてピアスだったものがまだ微かに形を残しているのを見ると今度は勢いよく足を振り下ろした。あー……と自分の口から悲しいのかなんなのか分からないような声が漏れる。高かったのになぁ。まあでも趣味じゃなかったしなぁ。なんとなくあの時あの人の部屋で見つけたものに似てたから、買ってみただけで。買ったその日に、やっぱり似合わないことを理解はしていた。だから、だから、見返そうと思ったんだ。逃した魚は大きかったんだ、と少しでも思わせたかった。後悔して欲しかった。もっと大事に大切にすればよかったって。

壊れていくピアスを見ながら、気が付けば私の頬には涙が伝っていた。雅人くんが踏んで壊していくピアス。コロコロと私の足元に転がってきたジルコニアが慰めるように光ってみせる。ああ、そうだ。こうして欲しかったんだよ。
ひと夏の恋で終わった私をみんな可哀想にと慰めてくれた。見返してやろうよと手伝ってくれた。それでも私はみんなの中で、夏の火遊びに使われた可哀想な女の子だった。
私は、可哀想な女の子になりたくなんかなかったのに。振られたとしても強くてかっこいい女の子でいたかったのに。容赦なく踏みつける雅人くんの姿は、私のなりたかったそのものだった。

バラバラになったそれを拾い上げてきちんと歩いた先にあるコンビニのゴミ箱に捨てるお行儀の良さに泣きながら笑うと、眉根を寄せた雅人くんはどっちかにしろ、とうんざりとした様子で言う。じゃあ泣くから、見ないでね。私がそう言うと彼はいつも通り私の斜め後ろに立つと、不細工な顔なんて誰が見るかよ、と呟いた。不細工なんて女の子に向かってなんてことを言うんだろう。それでも離れない距離から伝わる、ほんの少しの温かさに救われた。

「私、大切にされたかったなぁ」
「……そのうち見つかんじゃねーの」
「珍しく優しいね」
「うるせー」

そのうちね、と笑う私と雅人くんはいつも通り家の前で別れた。次はいつ会えるかな。夏休みかな。それとも春休みにまた帰ってこようかな、なんて思っていたのに次の日不服そうな様子で玄関に立っていた彼はジブリの素直になれない男の子みたいに私に手のひらサイズの紙袋を差し出してきた。私がなあに?と聞く前に踵を返して出て行ってしまったので、首を傾げながらリビングに戻ってそれを開けると中から華奢なデザインのピアスが出てきた。
昨日壊しちゃったから?意外と律儀だなあと思っていると私の手元を覗き込んだお母さんがきゃ、と嬉声を上げた。

「誰から貰ったの? 付けてみたら?よく似合うと思うわよーきっとあんたのこと大好きなのね、それ選んだ人」
「え、そうなの?なんで?」

だってピアス贈るのって、いつどこでも自分の存在を感じてほしいって意味なのよ、というお母さんの言葉に私はドキリとした。いやいやそんなわけないよ、だって雅人くんだよ、と首を横に振る。でもあの子あんたのこと大好きじゃない、と茶化すように言うので私は自分の部屋に逃げ帰った。鏡の前でもらったピアスを付けてみると、元からそこにあったかのように馴染んでいる。可愛い、と素直に思えた。キラキラと輝く飾りに指で触れると、そこから幸せが流れ込むような感覚がする。

ああ、やっぱり、三門市に残るべきだったかもしれない。

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