例えば、出身地のイメージの割に物腰が柔らかく見えるところだったり、その割に少しだけ冷めたような目をたまにするところだったり。そういう垣間見てしまった瞬間にこちらがひやりとするようなところは、彼の一部であって、彼自身では無いのだと私は最近思うのだ。
隠岐孝二くん。ボーダーの隊員で泣きボクロが少しだけ大人の魅力を醸し出すかっこいい男の子。この三門市でボーダーに入隊してるということは、足が早いだとか頭がいいだとかそういうものよりもとてもその人自身の価値を推し高めるものである。要するに、彼はとても人気者だ。
彼は関西の出身らしく、言葉を発するものならその独特のイントネーションさえも彼の溢れる魅力の一つに数えられる。私たち年頃の女の子というのは、どうしても他にない特別なものが大好きで、等しく自分もそうでありたいそうなりたいと思うことがすごく多い。そして好きな物と同じようなものになりたがる。こういう心理を同一化、と呼ぶらしい。
私の前に座り、丁寧に日誌の空欄を埋めていく隠岐くんはすごく綺麗に整った顔をしている。モテるでしょ、と以前聞いた際にはイヤイヤそんなんでも、と飄々と躱されてしまったけれど彼がモテないなら多分世の中の誰もモテないはずだ。今日の欠席者の名前を2人で確認しながら、私は彼のチャームポイントばかりに目を向ける。
「隠岐くんの泣きボクロ、とっても可愛いね」
「可愛ええて……そんなん言われたの初めてやなぁ。言われたことないで」
「そう? 女の子はそういう特徴すごく憧れるんだよ。羨ましい」
「そんなもんなん?せやったらそのホクロも憧れられるんやないん?」
隠岐くんはそう言って私の左目の近くを触れるか触れないかの距離で指さした。触れてくれてもいいのにな、なんて邪な考えを持ちながらも私は彼の綺麗に整った指先を眺める。これ、描いてるんだよ。そう言うと隠岐くんは一瞬目を開いてそれから、女の子ってほんまに大変やん、と言うとへにゃりと笑う。隠岐くんの笑顔は時折力が抜けるような、そんな脱力感を孕んでいて私も同じように眉を下げて笑った。相変わらず、というか、いつも通り何を考えてるか掴みどころのない人だなあと思う。
私はこの人のことがとっても好きだ。癖のある黒髪も綺麗に整った顔も聞き取りやすい安心するような低い声も意外と白い肌も全部大好き。身体的特徴が殆どなのは、私が彼について何も知らないから。人付き合いこそするし、別に嫌われているわけでも特別好かれているわけでもない。ただ、なんとなく。本当になんとなく、一本、線を引かれているようなそんな違和感にも似た何かを私は時々彼から感じる。
ここから先は、入ってこないでね。有無を言わせないような完璧な笑顔で完璧なバリケードの向こう側に佇んでいるようなそんな感じ。
そもそもとしてじゃあなんでそんな人のことを好きなのか。そう言われると理由なんてない。ただ単純に初めて見たそのとき、私はこの人だと確信が走った。この人と付き合いたい、付き合う。多分。絶対。それからは彼の視界に入ろうと努力をしてみたり、とにかく彼が気になっているというのを友達にいち早く知らせたりした。それは喧嘩や揉め事をしないための予防線だったけれど案外いい方向に作用して、私たちは今この通り席が前後になって日直なんて一緒にやっている。友達様様だ。
そして今、私が振り返るような形でひとつの机に向かい合っている。隠岐くんの書く文字を見て、それから隠岐くんの顔を見て、その動きを繰り返していると困ったような声で、そんな見られとったら穴が開くわ、と彼が笑った。バレてたんだ。視線に敏感なんだね、と冗談めかして言うと、職業柄やんな、と答えが返ってくる。職業柄、ボーダーでのことだろうかと私が考えていると、静かな室内には大きすぎるほどの音で隠岐くんプラスチックの筆箱が教室の床に落ちた。どうやら書き進めていた隠岐くんの腕が端に寄せられていた彼の筆箱に当たったらしい。アカンわ、というような声をどこか他人ごとのように漏らしている彼は拾う素振りを見せないので、私が一旦立ち上がり床にしゃがみこむ。一応他人のものであるので、拾うね、と声をかけると一瞬の間を置いておおきに、と彼が呟いた。
「ホクロって、そういうペンで描いてはるん?」
「え?……これは、油性ペンだからさすがに、違うかな」
「へぇ……ほら、今日雨やのに落ちてへんからなんでやろなぁて思ってなぁ。油性ペンやろかって」
「そういうことかぁ。うふふ、隠岐くんってそういうのよく知ってそうなのに意外だね。ちゃんとそういう化粧用のペンがあるんだよ。水じゃ落ちないやつね」
床にちらばった隠岐くんの筆箱の中身を拾っていると、彼の油性ペンを手に持った私に彼が心底不思議そうにそんなことを言うので私は少しだけ笑う。そのペンもできるだけ丁寧にしまいながら、次に手を伸ばした。床の柄が透けて見える定規はあちこち傷がついていて年季を感じる。物持ちが良いタイプなのかな。思っただけに留めたつもりがどうやら口から出ていたようで、カリカリとシャーペンの動きをとめずに隠岐くんがうーんと悩ましいと言わんばかりに唸る。大事にしよ、て思うもんは大事にするかもなぁ。その言葉に私は、そうなんだねと頷いて最後にシャーペンの芯を拾った。HB、0.3ミリと書かれたそれが彼によく似合うなあと思った。
「別に描かんでもええやん」
「……ホクロの話?」
「そうそう。描かんでも十分可愛ええし」
「えー……」
これは、可愛いか可愛くないかっていう話ではないんだけどなぁと私は自分の人差し指でそこにあるであろう偽物のホクロをなぞる。私が拾い上げた筆箱にシャーペンをしまいながら、隠岐くんはおおきになぁと間延びした声で言ってきたのでただ頷いて返した。そこではたと気づく。隠岐くんは今、可愛いって言った。とてつもなく自然と、まるで息を吸って吐く動作と同じようにごく普通にその言葉を言うもんだから私もすんなりと受け止めたけど。可愛い、可愛いって言った。
「今気付いたけど、可愛くないよ!」
「はは、ずいぶん時間差あるツッコミやん」
「だってすっごく普通に言ったから!」
「可愛ええもんには可愛ええて言うてええんよ。知らへんかった?」
「ええええ……それは、ちょっと」
「て、言うても先に俺のホクロ可愛ええ言うたやん」
パタン、とプラスチックの蓋を閉めた隠岐くんは今まで見た事がないくらいに楽しそう。今まで真正面から見つめられたのが不思議なくらい恥ずかしくなってしまった私は俯いて自分のプリーツスカートのひだを数えてみた。規則正しく並ぶそれは毎日いつどのタイミングで隠岐くんに見られてもいいようにアイロンをかけているけど、今はもうその行動すら彼に見透かされていそうで恥ずかしい。そんな私に隠岐くんは日誌をペラリと捲りながら、初めて見た時から可愛ええ子やなあと思っててんと語り続ける。
「俺結構照れ屋さんやねん。知っとった?」
「そんな感じ、しないよ」
「あれま」
赤い舌をちろりと見せておどけて見せた彼は、そのまま続ける。
せやから近寄りたいと思ってんけど、近寄って欲しくあれへんなあとか考えとってん、と言う声は少しだけ寂しそうで私は思わず机に投げ出されていた彼の手の指先だけを握った。指先を握って近くなったはずの距離は依然として縮まらず、こんなにも近くにいるのに隠岐くんは何故か壁の向こう側のような気がしてならない。
壁を越えたい、そうは思うけれど握った指の温度が冷たくて、私はそれを出来ずにいる。こんなにも、何も知らないことが怖いことだなんて知らなかった。
「どうして、近寄って欲しくないの?」
「……しんどいやん。ホンマに好きになってしもうたら、しんどいやん」
「しんどい?」
「今何してはるんやろ、誰と居てはるんやろ、俺やないヤツと楽しゅうやってはんのやろかって思ってまうねん。俺、そうは見えへんってよう言われるんやけどなぁ」
多分好かれたらしんどいヤツやねん、と最後に締めくくった隠岐くんは、するりと糸のように私の手の拘束から指を引き抜く。それにめっちゃ好きな子にはにこにこ笑うててほしいし、とまるで自分が好きになったらその子はもう笑えないとでも言うような言葉に、私は少しトゲを感じる。いま、線を引かれた。明確な線びきだ。だから好きになりたくない。そういう理由を並べられて、私はどうしたらいいか分からなくなる。
「しんどくてもいいのに」
「イヤイヤ、疲れてまうて」
「束縛大丈夫だし」
「アカンわ。俺めっちゃ聞いてまうし」
「聞けばいいよ。全部答えるよ」
「俺、多分みんなが思うとるよりもずっとジコチューなんやけどなぁ」
隠岐くんは困ったように笑う。癖のある黒髪がその拍子で揺れた。今朝の雨で少しだけいつもより広がっている髪の毛に触れてみると、意外と柔らかくてびっくりした。触ってみないと分からないこともあるんだ。髪が柔らかいね、猫っ毛だと言う私の言葉に隠岐くんは目を見開いた。それから斜め下に目を向けて、くるくると自分の髪を弄ぶ私の指を掴む。さっきとは真逆の体制になった。
「指、思うとった通りめっちゃ細いやん」
「そう?」
「こんなんポキンやて」
「指はそうかもだけど、私は結構頑丈だよ。風邪もそんなに引かないし、骨も強い方。毎日牛乳飲んでるし」
「せやけど」
まだまだ言い返そうとする隠岐くんに私は大きく息を吸って遮る。彼が引いた線を私は飛び越えたかった。そこに佇む彼の手を握りたいし、謎が多い彼のことをもっともっと知りたい。知ったから、何が起こるのか私には分からないけれど。何も起こらないのはいやだ。
「私、いつでも笑えるよ。大丈夫」
隠岐くんは私の言葉に、そういう意味と違うんやけどなぁとまた困ったように笑う。けれども今度は私の指だけを握るのをやめてそっと手を重ねてくれた。その手のひらは暖かくて、やっぱり触れてみないと分からないことっていくらでもあるんだなと思ったけど言わない。そんなこと言わなくても彼だってきっと分かってるだろう。その証拠に彼の指が私の手の関節を確かめるように動いていた。
彼の生きている世界と私の生きている世界は違う。多分見えているものだって違うはずだ。普通にただ生きてる女子高生と、三門市、ひいては世界を守るような機関で戦う彼だ。だからきっと彼の言うことを全て理解するなんて出来はしないのだけど。私は彼の一面だとかそういうことではもう満足なんてできない。彼が引いたボーダーラインなんて足で踏んで超えてやる。
「隠岐くん。好きなものとか嫌いなものとか教えてよ。私もっと隠岐くんのことが知りたい。何考えてるとかどこにいるとか誰といるとか。私のこと教えるから、教えてよ」
私がそう言うと隠岐くんは殺し文句やんと笑った。困ったような笑顔じゃなくて少し晴れやかな笑顔。そして好きなものをポツリと零すように教えてくれる。1番はじめに並べられたネコという随分可愛らしい好きなものは、猫っ毛の彼らしくて私は少し嬉しくなった。その後最後に筆箱を散らばして挙句拾わせたことを謝ると、嫌われたかったと言うので私は少しムシャクシャする。ムカつくので両手でその癖毛をグシャグシャにすると散らばった前髪の向こう側で隠岐くんは楽しそうに笑った。
わかって欲しい。私はないホクロを描いてあなたと同じようになった気分になるくらい好きなんだよ。嫌いになんて、なれないよ。