水葬する誰かの名前

 嘘を見抜けるだなんてなんて寂しい力なんだろうと思った。彼には嘘は通じない、そういう副作用だから、と私の隊の隊長は言った。それって言っていいものなんですか、思わず問いかけた私に隊長は、いずれみんなが知ることだよ、と少しだけ意地悪そうに笑う。だから君も空閑のことで何か知っていることがあれば共有してほしい。そう真剣な顔で言われ私は頷いた。
 きっと私が少し前まで玉狛支部に身を寄せていたからだろう。知っていることですね。私の前置きにごくりと唾を飲む音が聞こえる。
 そのあと私の口が紡いだ言葉に隊長は一瞬目を見開いてそうか、と頷いた。
 
 
 しとしとと朝から降り続いている雨は今日は止まないらしい。学校から本部への道すがらじくじくと痛むこめかみの辺りを抑えていると大きな足音を立てて私を後ろから追い抜いた生駒さんが教えてくれた。そう言うん気象病?やったっけ、と気遣わしげに見つめてくるのが気まずくて、あはは、と笑い返したが、きっと相手が影浦さんや荒船さんだったら噛みつかれていたかもなあと、思い返して今更少しだけ反省した。
 そのまま私の隣に並んだ生駒さんはそうや、と色々頭痛に効くのだというものを並べてつらつらと口を良く動かしてくれる。
 関西の人ってみんなこの人のようによく喋るのだろうか。生駒さんの止まらない口を見つめてそう思ったけれど、同じ隊である水上さんはそこまで多くのことを口にする人ではないことを思い出して思考を止めた。
 水上さんだってきっと仲のいい人や気心知れた人とならよく喋るのかも。想像つかないけれど。
 それでもきっと関西人という括りの中でもよく喋るのであろう生駒さんのおかげで私ははい、とかそうなんですね、とかそんな相槌を打つだけで済んだのはありがたい。
 お節介な人だ。そう思ってしまったのはきっと頭痛のせい。
 迅さんからよろしく、と言われたのを正直に受け止めてくれているので、生駒さんの優しさは素直に受けとった。
 
 雨が降っていると頭が痛くなる。この体質はずっと昔から変わらない。今日みたいな日は寝ているに限るのだけれど、やっと慣れてきた本部内に与えられている自室のベッドで丸まっていると余計に気分が滅入ってしまう。
 
 どうしたものだろうか。そう思いながら大きく深い息を吐いて頭痛に苦しんで短絡的になった頭の中で考えた。換装体になればこの気怠さや地味に悩ませてくるちくちくとした頭痛からも離れられる、ランク戦にでも顔を出そうか。そう思い立って立ち上がり、椅子に掛けていた上着に腕を通した。
 
 楽しそうに笑う声や悔しそうに唸る声であったり、いつだって騒がしいそこにはよく見かける顔触れも、初めて見る真新しい制服を着込んだ顔も沢山並んでいて、今まで過ごしていた玉狛支部とは勝手が違うことを思い知る。適当にブースに入るか、と空いているところを探して視線をめぐらせていると、背後からぽん、と肩を叩かれた。
 振り返るとそこにはよ、と片手を挙げて笑う空閑くん。そうか彼はよくここに顔を出すんだった。どきり、と高鳴る心臓を抑えて、空閑くん、と彼の名前を呟くと久し振り、と微笑まれる。
 
「珍しいね、ランク戦。俺とやる気にでもなった?」
「……ならないよ。空閑くん強過ぎるもん」
「10本で5本先取、負けたらアイス、奢ってよ」
「……負けても恨みっこなしね」
 
 
 
 結果は普通にぼろ負けだった。1本ヤケクソで放ったフルアタックが予期せぬヒットをしてほぼまぐれで取れた1本以外、私の胴体は下半身は離れっぱなし。9回目の意識が浮上する感覚に瞼をあげて無機質な天井を見上げる。途端に襲いかかってくる頭痛とさっきまでとは勝手が違う重たい体にやっぱり嫌気がさした。やっぱり空閑くんには敵わないなぁ、と吐き出した声は震えていて、情けなくて笑いが込み上げる。
 
 そりゃそうか。だって彼は私とは生まれも育ちも違う玄界民なんだから。
 
 そう思ってしまう自分が嫌いだ。B級隊員の端くれでしかない私がなぜ限られた人のみに伝えられているこの事実を知っているのかというと、それは少し前に遡る。空閑くんが玉狛支部に身を寄せ始めた頃だ。
 その頃イレギュラーで発生するゲートに頭を悩ませていたボーダー。そしてなぜかその日に限って毎日持ち歩いていたトリガーを自室に忘れてしまっていた私は、目の前に現れたトリオン兵に自分の命もここまでなんだと言うことを悟っていた。
 私はボーダー隊員にはよくいる第一次侵攻によって家族を亡くした方の人間で、他にやることもなく寄る辺もなかったのでなんとなくボーダーに入隊。才能は飛び抜けていたわけではないけれど、劣っていたわけでもなかったようで順当にC級から割とすぐにB級隊員へと昇格することが出来た。
 そして玉狛支部では小南先輩に可愛がられ、指導を受けることも出来たし、なにより亡くしてしまった家族のように温かい空間を得ることが出来た。
 今まで、運が良すぎたのだろう。だから普段なら忘れるはずもないトリガーを忘れて、本来なら指定区域でしか発生しないようになっているゲートが私の通う学校の近くに発生し、私の前にトリオン兵が現れた。ふよふよと意思を持っているのかいないのか、分からないような不規則な動きをするそれ。じりじりと後退する私に狙いを定めるように同じくじりじりと迫ってくる。
 
 もう、終わりだ、そう思った瞬間とんでもない爆音と爆風。思わず両腕を顔の前に出して、風が止んだ頃そっと目を開けると赤いふたつの眼が私を不思議そうに見つめていた。
 ダイジョーブ?まるで小さいこどもに声をかけるような舌ったらずな口調。明らかにボーダー隊員ではないのに、身に纏うそれはブラックトリガー特有の雰囲気を醸し出している。私がなぜそれが分かるのかというと、迅さんの持っているそれと彼が身に纏っているそれがよく似ていたからだ。
 
「だ、大丈夫。ありがとう……あなた、何者?」
「俺?俺はユーマ。空閑遊真」
「……空閑くん、あなたのそれ、ブラックトリガー……ボーダー隊員じゃ、ないのに」
「……あちゃー、修に怒られる」
 
 そんなことを言いながらも顔に全く困惑の色はなく、むしろ口笛を吹いている彼に唇を噛み締める。ボーダーではない者がブラックトリガーを所持。更に戦闘能力も並ではない。玄界民だ。私にも分かる。一難去ってまた一難。どうしたものか、と知らず知らずのうちに握りしめていた手に更に力を込めた。
 
「ナマエ、大丈夫。コイツは敵じゃないよ。むしろ、俺たちの味方」
「じ、迅さん」
 
 そこにふわりと現れた迅さんは私にほら、と自室に置き去りになっていた私のトリガーを手渡してくれる。途端に広がる安心感。ふう、と息を吐くと私をじっとりと迅さんの視線が包み込んだ。なんですか、と首を傾げる私に迅さんは数秒の間考え込んで、なんでもないよ、と頭を押さえつけるように撫でてきた。
 
 空閑くんとの出会いはそんな感じで、彼は迅さんの言葉の通りボーダーが抱えていた問題を一気に解決してくれた。こんな玄界民もいるのか、と凝り固まっていた私の中の玄界民へのいとも簡単に塗り替える空閑くん。
 どこか掴みどころがなくて、お茶目な一面もあって、助けてと言えば必ず助けてくれる彼に私が惹かれるのは時間の問題だった。
 そしてその想いが行く宛をなくすことも。
 
 

 空閑くんは遠くない未来で死んでしまうそうだ。これ盗み聞いてしまったことだから、誰にも、本人にも言ったことがない。空閑くんがなぜ年相応の体ではないのか、成長期だと言うのに体が少しも大きくならないのか、金銭感覚がズレてるのはなぜか、人より人を殺す方法をよく知っているのはなぜか。
 それは彼が本物の戦場を渡り歩いて来たからに他ならない。そこで家族を亡くしたこと。自分自身も本体は死に向かっていること。
 本当は聞いてしまったことを謝りたくて、扉を開けようとしたのに、私はそれが出来なかった。あまりにも苦しい事実だった。
 そんな話、この三門市には掃いて捨てるほど転がっているのに。私は、私の好きな人がそうである、ということがどうしようもなく悲しくて辛かった。ひゅ、と音を立てそうになる喉を手で押さえつけて自室に籠る。そんな人にどんな顔で、助けてくれてありがとう、だなんて言葉がかけられるか。私は何度も何度も自分に問い掛けたけれど、いくら待っても答えなんて出なかった。
 
 そんなことばかりを考えて過ごしている私に迅さんは暫く本部で過ごした方がいいと言う。いつもの冗談めいたような話し方ではなく、真に迫るような話し方だった。純粋に疑問を感じ、どうして、と問えば迅さんは少し困ったように眉を下げて笑う。
 そして、自分にはそういう存在はいないけれど、もしも妹がいたなら私みたいな子だと思うんだ、と答えになっていない言葉を返してきたので私は益々首を傾げてしまった。
 私のその訝しげな様子に迅さんは心底困ったような顔をする。察しの悪い私はそこで漸く気付いた。ああそうか、彼の副作用がそう言っているのだろう、と。言葉を多く語らないのは自分の言葉が私の未来に大きく作用してしまうからなのだろう。
 迅さんは途端に押し黙る私の肩をとんとん、と叩くと俺はナマエには笑っていてほしいんだ、と言った。正直、笑えるような自信は到底湧かなかったけれど、迅さんが凡そ幸せだと思えるような未来のために私が玉狛に残ることは違うのだろう、と言い聞かせて私は迅さんの言う通りにしたのだ。
 
 
 
 迅さんの言う通りにしたことによって、私は空閑くんのことを考える時間が減った。空閑くんとの関わりが物理的に少なくなったからである。罪悪感に似たような胸をずしんと重くさせる圧迫感を感じることが減って、私は少しだけ心が楽になった。
 心のどこかできっと、空閑くんを好ましく思うことは辛いことなのだと私は本能的に知っていたんだと思う。大切なひとを失うことには慣れていたけれど、慣れていると言うことと悲しくない、ということは決して同じことではない。私は、多分もう次に誰か大切なひとを失ってしまえば、どうにかなってしまう。
 
 
 少し遅れて出てきた私をにんまりと笑って出迎えた空閑くんは、アイス買いに行くぞ、と笑った。先ほどまで私の頭の中で動いていた彼と同一人物のようには到底思えないような明るさに少し目を細める。彼が選んだのはいつも通りのソーダ味のアイスバーだった。
 別にアイスが食べたいわけではなかった私は何も買わずにいると、空閑くんは自動販売機でジュースを買ってくれたので、ありがとうついでに硬貨が使えるようになったのか、と聞くと唇を尖らせる。
 
「違いはよく分からないけどね」
「ふふ、でも前みたいに紙のやつ、って言わなくなったね」
「先輩方が教えてくれるからな」
「……そう、よかった」
 
 なんとなく彼からもらったという事実に缶のプルタブを開けることに気が引けて、私は爪の先でかりかりとなぞる作業を続ける。すると、空閑くんは私を横目で見ながら、どうして隊長に何も言わなかったんだ、と私に尋ねた。
 先日私が今属している隊と玉狛第二はランク戦をして、結果は玉狛第二の勝利に終わっている。その作戦を立てる際に、玉狛にいたのだから、とまだ公にされていない空閑くんをはじめとしたメンバーのトリガー構成や性格その他諸々のことを聞かれたけれど、私は答えなかった。空閑くんはそのことを言っているのだろう。
 
「特に、意味はないよ。トリガー構成だって私がいた時にはまだ検討、って感じだったし、誰かに言えるほど玉狛第二のことを知ってたわけじゃないから」
「……ふーん」
「それに、空閑くんたちは、A級を目指しているけれど、私はそうじゃないし」
 
 私の人差し指の爪に当たってかちかちと音を立てる缶を見つめながらそう答えると、空閑くんはもう一度ふーん、と興味なさげな声を出した。そして数秒間何かを考え込むように黙った後、嘘だろう、と言う。感情が読み取りにくい声だった。
 どきり、と心臓が低い音を立て、ばれないようにそっと唾を飲み込む。ばれてはいけない。私が彼らの、彼の事情を盗み聞いてしまったこと、空閑くんのことを憎からず思っていること。下手に喋ると、彼の瞳には嘘が分かってしまうので、私は言葉を選んで慎重に口を開く。笑顔を貼り付けることは、慣れていた。
 
「どれが、嘘だと思うの」
「……言いたくないなら、無理には聞かないぞ」
「……答えたことに嘘はないよ。それは、本当。空閑くんたちのこと、事実ではないことを言って今の隊のみんなを戸惑わせたくなかった」
「それは嘘じゃないみたいだな」
 
 空閑くんは唇を尖らせて、ふむ、と呟く。玉狛で出会った頃から変わっていないその癖なのだろうか、よく見かけていた仕草が懐かしくて笑ってしまった。あはは、と言う私の笑い声を聞いて空閑くんは、なーんだ、と心底安心したような声を漏らす。もう残り一口になっていたアイスを軽く口に放り込む空閑くんに首を傾げると、空閑くんはにっこりと笑って見せた。
 
「元気が無さそうだったから、気になってたんだ。ナマエは笑っている方がいいぞ」
 
 迅さんごめんなさい。もう遅かったみたい。開けることがなかった缶が思いの外鈍い音を立てて地面に落ちる。どうした、と言わんばかりの空閑くんの手が転がっていく前にそれを手で止めた。
 好きになりたくない。彼を好きになったとしてもその先が私の小さな頭では到底思い浮かばないし、きっと幸せとは形容し難い日々が待っているのだと思う。それに彼が私の想いに何か希望めいたことを答えるだなんて思えない。
 私は多分この先ずっとボーダーに所属し続けないと思う。何故なら性格が不向きだからだ。ランク戦もいくら相手が傷付かない換装体だとしても銃で撃ったり、刃で切り裂いたり、そういうことは出来ることなら避けたい。したくない。許されるなら、したくない。
 だから、学生の身分が終われば、自然とそうであることが当然のように此処を去る。三門に住み続けるのかもしれないけれど、一般人として生きていくのにボーダー内で知り得た知識など不要だ。記憶改竄処置を施されるのだから、きっと此処で出会った人を忘れる。
 当たり前のように私の幸せを願ってくれた人がいたことも、何度も命を救われて生き延びてきたことも空閑くんが空閑くんという人だったことも、全てを忘れて。
 
 ねぇ、空閑くん。私の呼びかける声に棒切れだけになったアイスだったものを咥えて空閑くんは私を見つめた。
 忘れてしまうなら、忘れられるなら、今だけは苦しくてもいいんじゃないだろうか。なんとなく他力本願過ぎるような考えを持って私は笑顔を貼り付ける。その方がいいと彼が言ってくれたから。
 
 
 「私が、君を好きって言ったら、困る?」
 
 
 私の言葉に空閑くんはじっとりと何かを探すような目付きで私を見つめた。私の顔の辺りを見つめているのに、一向に交わらない視線が、彼の答えを物語っているようにすら思えてほんの少し泣きそうになる。
 まるで目当てのものが見つからなかったように息をひっそりと吐いた空閑くんは遅れて答えた。
 「困らないぞ」にっこりといつものように挑戦的に笑う彼の声色は本当にいつもと、それこそ冗談を言う時の声と全く変わらない。
 そっか、冗談だよ、と答えてみせる。その答えに空閑くんは何も言わなかった。彼の感情の読み取りにくい綺麗な瞳には、今、何が映っているのだろう。いくら目を凝らしてみても、特に何も持ち得ない私の目には何も映らない。
 
「これ当たったってこと?」
「うん。当たり、もう一本貰えるよ」
「そうか。じゃあ、当たりはナマエにあげる」
 
 暫く沈黙が続いた後、空閑くんは何もなかったかのように私に咥えていたアイスの棒を見せる。焦げたように印字されている当たり、の無機質な文字の意味を問うてくる彼に私も何もなかったように振る舞った。
 だからこれは俺に頂戴、そう言って私が先ほど落とした缶を振って見せる空閑くん。いいよ、と答えた声は震えていなかっただろうか、笑顔を貼り付けることに精一杯だった私にはもう分からない。
 ふ、と思い出したように痛み出す頭。きっと彼が譲ってくれたアイスは食べることはなく、きっと最後のその瞬間まで冷蔵庫の隅に置いておくことになる。そして最後、此処を後にするその日、何もかも忘れた暢気な私によって捨てられるそれを思って私はやっぱり少し泣きそうになった。
 当たり、と楽しそうに口笛を吹いて歩き出す空閑くんの背中を追いかけながら、ぼんやりと考える。
 私には貴方みたいに人の嘘を見抜く力は無いけれど、もしも、私の目にそれが見えたなら、きっと。いや、願望だ。
 空閑くんの周りをどんよりとした靄で覆っていてほしいだなんて。 

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