良い匂いがする。香ばしい、お菓子の匂い?そして見覚えのある景色。シミひとつない眩しいくらい真っ白なテーブルクロスの引かれた円卓。中央には摘まれたばかりの生き生きとした生花。クリーム色の壁が食欲をそそる広い店内には大勢のお客さん。


「ナマエさん」


名前を呼ばれ振り返ると、クロッシュを被せたお皿を持つ男の人。あぁ、貴方は。ちゃんと見るとしっかりシェフの格好なのに、目の覚めるような青色の大きなスカーフと留め具の宝石、その金髪碧眼もあって、初めて会った時 王子様かと思った。


「ナマエさん」


う〜ん、美味しそうな匂い。貴方の料理は本当に美味しくて、食文化の違いなんて全く気にならなかったな。


「ナマエさん」


そんなに呼ばなくても聞こえてますってば。それで、今日はどんな料理をーーー





「いい加減起きなさいこの寝坊助が!」

「ふぁいっ!?」


突然の怒鳴り声に目が覚める。夢にしちゃ随分と声がリアルだったようなーーー


「ポケモンを放っていつまで寝こけるつもりですか!起きなさい!」

「?! えっ ズミさん!?本物?!!」

「このズミに偽物がいるとは初耳です」


目の前には夢の中にも出てきたズミさん。だけどここにいるズミさんは夢の中とは違い私服姿だ。本物か疑うのもしょうがない、ここはカロスにいるズミさんが気軽に来られる距離じゃないんだから。


「あの、ここカントーで・・・!」

「そうですね」

「なんでここに?!」

「どなたかが桜の写真を自慢げに送ってくるもので、本物が見たくなりました」


それ私じゃん・・・!


「ここへはどうやって・・・!」

「【最近見つけた桜の穴場】という写真の位置情報を元に来ましたが」


位置情報とか見れるんだ知らなかった!!


「四天王とお店は・・・?!」

「休みをいただいてきました。それより貴女は寝過ぎです。貴女のポケモン達がお腹を空かせていたのでミアレガレットを与えましたが構いませんね?」

「うわわ!みんなごめーん!!ありがとうございますズミさん!」


食べたらすぐ、もう声が届いているかもわからない距離で元気よく遊んでいる私のポケモン達。唯一側にいてベッド変わりになってくれたウインディを撫でると、貰ったガレットが美味しかったのか上機嫌だった。


「貴女もいかがです、ミアレガレット」

「えっ!いいんですか?!是非いただきたいですっ」


どうぞ、と差し出されるガレットを受け取る。このお菓子の匂いはついさっき嗅いだ覚えがある。


「あ!ガレットの匂いだったんですね!」

「何がです?」

「さっき夢の中にまで匂いが届きしたよ!偶然にもズミさんのお店で、ズミさんに会っている夢でした!」

「・・・ほう、鋭いですね。これは私が作ったものです」

「そうなんですか!?お菓子も作れるなんてさすがズミさん!」


いただきます!と口にしてから一口頬張る。う〜ん、サックサクの食感にアーモンドの風味と塩味がマッチしてて美味しい!!


「美味しいです!」

「それは良かった」


話したい事は沢山あるけど、口に食べ物を含んだまま話すと怒号が飛んできた過去の経験を思い返して、ガレットを食べ終わってからズミさんとの会話に戻る。


「桜を見に来たんですよね?どうですか感想は!」

「えぇ。遠目で見た時の神聖さと、見上げた時のこの包容力・・・まさに芸術。こちらの人々が桜を愛して止まないのも頷けます」

「桜にかこつけてお祭り騒ぎができるっていう理由も大きいですけどね!普段物静かな人でも花見の席では多少浮かれますし! そうだズミさん!お花見といったら屋台ですが、時間があったら回りませんか?屋台のある所に案内しますよ!」

「それは是非お願いしたい。料理のヒントになるかも知れません」

「任せてください!」


胸をドンと叩いて自信の程をアピールする。伊達にズミさんに桜の写真送ってないからね!
さてズミさんの希望を聞こうと思ったところで、クスリと笑う声。


「どうしました? あ!屋台楽しみですか?!」

「フフ・・・そうですね、とても楽しみです。私も柄になく浮かれているのでしょうか」

「花見ではよくあることですよ!」


うんうん。花見に浮かれるのは万国共通だな!あの気難しいズミさんでさえ浮かれちゃうなんて相当だし。


「桜もそうですがーーー」


一人納得していると、ズミさんが口を開いた。

その時ちょうど大きな風が通り過ぎて、揺らされた木々の葉音に続く言葉が聞こえづらくなる。風に攫われた桜の花びらが舞う中、勘違いで無ければズミさんの口はこう動いた。



何より、貴女に会いたかった。



「・・・へ?」


いや待って。ちゃんと聞こえた訳じゃない。聞き間違いかもしれない。私の願望による幻聴の可能性だってある。だから赤くなったりでもしたら変に思われるし、顔よ熱くなるのやめて!

ズミさんの吊り目の三白眼が優しく弧を描く。こんなに穏やかに笑える人だったんだ。あぁ駄目だ、その表情だけでも心臓が落ち着かない。待って、本当に待って。ズミさんはなんて言った?


「カロスとカントー・・・すぐに会える距離でないのなら、」


ズミさんの手が伸びてきて、私の髪に優しく触れる。一撫でして、ゆっくり離れた。中指と人差し指に挟まれた桜の花びら。


「また、貴女の夢にお邪魔するとしましょう」


その花びらに口付けする一連の動作が、スローモーションで脳裏に焼き付いた。




君恋し、春
君恋し、春




聞き間違いじゃ、なかったみたい。