▼見えない剣先が喉を裂く
最近、浮気をしていた彼氏と別れた。浮気相手だった女の子は私なんかより何倍も綺麗でスラリとしてて比べ物になんてならなかった。私が別れようと切り出した時、彼はあっさりと承諾した。わかっていたはずなのに、私はそれがどうしようもなく悲しく感じた。愛してるって、ずっと一緒に居ようねって言ってくれてたはずなのに。もうこんなにも気持ちが離れてしまっていた、なんて。惨めで笑い飛ばすことも出来ない。何も言えない私を彼はしばらく見た後、「じゃあ。」と冷たく言い残して立ち去った。私は何も間違ったことなんてしてないのに、なんで私だけがこんなにも惨めで苦しいの。行き場のない悲しさだけが心にぽつんと残って涙になって溢れ出た。ぽろりと涙が一筋頬を伝うと同時に携帯から軽快な音楽が流れる。急いで見ると、ディスプレイには"トド松"と表示されていた。ズズ、と鼻をすすって涙を拭った後深呼吸をしてから電話にでた。
「もしもし!いきなりごめんね、今大丈夫だった?」
「うん、全然大丈夫だよ!どうしたの?」
「これからお昼一緒に食べたいなーって思って!」
「おお!いいねぇ。どこ集合?」
「いつものカフェにしよ!」
「了解!じゃあ今から行くね!」
少し着崩れた服装を正して化粧を直す。目は幸いにも赤くはなってなくて安心した。トド松くんとこれから会うというのに、頭の中は別れた彼でいっぱいだった。最低な彼のはずなのに、それでも楽しかった思い出の方が多くて胸がキリキリ痛かった。
カフェの扉を開くとカランカランと気持ちのいい鈴の音が鳴った。あたりを見渡すとトド松くんは既にいたようで、ヒラヒラと手を振っていた。
「ごめんね、遅れちゃったかな……」
「大丈夫、僕も今来たところだから!」
トド松くんはにっこり微笑みながら私にメニューを差し出して今日は僕の奢りだから好きなの頼んでね。と有無を言わさぬ声で言った。「そんなこと言ったら、いっぱいたべちゃうんだから……」そう言ったら「バイトしたから平気だもん。」と得意気に笑った。
しばらくして頼んだ品物が全部届いた。カチャ、とフォークを手に取り私はパスタに手をつけた。食事を摂り始めてしばらく経った後、トド松くんが少し真剣な瞳で私を見つめた。
「ちよこちゃん、彼とはどうなったの?」
あまりにタイムリーな話しすぎて思わず肩がビクッと揺れた。忘れられないなんて情けなくて言えない。食べる手を止めて俯くとトド松くんもフォークを置いて何も言わずに優しく私を見つめた。「大丈夫だよ。」って言ってくれてるみたいでだんだんごちゃごちゃしていた頭が片付いていく感じがした。
「別れたんだけど、忘れられないの。彼が今でも好きみたいで。」
小さな声で、呟くように言った後恐る恐るトド松くんの顔を伺う。ほんの一瞬。見間違いかと思うくらい一瞬だけ、彼の顔がぐにゃりと負の感情に歪んだ気がした。一瞬の出来事ということもあって怖かったけど私はどうしたのか聞けなかった。聞いてもきっとはぐらかされるだけな気がした。
「忘れられないんだ……。でも、カップルが別れたらよくある事だしきっとすぐに忘れられるよ!」
「そう、かな。」
「うん!何かあったらボクを頼ってくれてもいいし!」
「うん……。ここもね、よく彼と来てたの。至るところに思い出があって参っちゃうよ。」
無理矢理口角を上げたけど、うまく笑えてたかな。視界がだんだんと潤んでいくのがわかる。誤魔化すようにパスタを口に運んだ。
トド松くんは、「ちょっと、ごめんね。」と言った後、少しスマホを触った。あまりに真顔で触っているものだから用事でもあったのかもしれないと申し訳なくて「用事入った?」と尋ねると「友達にちょっと連絡しただけだから大丈夫!」とにっこり笑った。少しだけその笑顔が怖かった。
その後、トド松くんはたくさん面白い話をしてくれた。主にお兄さんがクズすぎるって話だけど。とても優しそうで個性豊かなお兄さんばっかりで、トド松くんがこんなに素敵な人になる理由がすこし分かった気がする。くすくすと笑っていると、お店に新しいお客さんが入ってきた。昼時だし気にすることではない。すぐに視線を逸らしたけど、聞こえてきた声に、私はもう一度その客を見ざるを得なかった。
元彼だ。しかも彼女と一緒。こっちの席に向かって歩いてくる。逸らしたいのに、逸らせない。楽しそうに腕を組みながら歩いてる。私だけにしか見せていなかった笑顔をあの女の人にもみせている。「どうかした?」と尋ねるトド松くんに返事も返せなかった。どうして入口が見える席に座っちゃったんだろ。どうしていつもこんなにタイミング悪いの。
彼たちとちょうどすれ違う。女の人と目が合った。
「ねぇ、この人めっちゃ見てるけど知り合いなの??」
ちょんと彼のほっぺをつついて綺麗な女の人は言う。前までそこは私の場所だったのに。やめてよ、やめてよ。言葉はどれだけ頑張ってもでなくて喉が痛い。
こっちを見た彼と目が合った。彼はすぐに私から目線をそらす。
「さぁ、知らね。」
「そっかぁ〜。」
"知らない"その言葉がズンと心に刺さった。
彼にとってはそれだけの存在だったのか。耐え難い程惨めでこらえていた涙が一気に溢れ出した。
「ちよこちゃん。」
向かいの席にいたはずのトド松くんは、私の隣に移動してストンと座る。そして優しく背中を撫でてくれた。
「ボクに全部委ねてよ。ボクを利用していいよ?全部忘れさせてあげる。ボクはひどいこと言ったりしないよ。」
「とど、まつくん。」
「うん、泣いていいよ。」
「……ひっ、う、っすき、だったのに、」
彼の言葉はひどく甘い。私の傷口に優しく染み込んでくる。ビリビリ痺れて全部彼に預けたくなる。傷心の時に優しくされると気持ちが揺れるってこういう事なんだ。
彼の胸にそっと顔を埋めた。
私の頭を、彼は割れ物に触るかのように優しく撫でる。あまりに心地よくて、そのまま眠ってしまいそうになった。
*見えない剣先が喉を裂く*
あのときも、このときも、トド松くんはいつもすべて知っているかのようなタイミングで私の視線を導いた。まぁ、そんな事今更どうでもいいけど。