微笑みノックアウト



自分しかいないはずのキッチンで、カタンと聞きなれない音が聞こえた。またルフィのやつがメシをねだりに来たのか?懲りねぇやつだなと呆れて振り返ると、そこには少し申し訳なさそうな顔をした、最近仲間になったばかりの愛らしい女の子が立っていた。予想外の訪問者に、咥えた煙草を思わず落としそうになった。

仲間になったばかりだからなのか、それとも彼女の元々の性格なのか、彼女がちょっとしたワガママやお願いを口にすることは少なかった。たまにお願い事をする時は、いつも決まって心底申し訳なさそうな顔をする。もう少し、甘えたり、頼ってくれたりしてもいいんだけどなぁと思うのは、おれの我が儘なんだろう。甘えるのも頼るのも、実際なかなか難しいもんだ。
固まった様子のおれに戸惑いながらも、彼女はおずおずと口を開いた。
「あの、休憩の邪魔しちゃってごめんなさい。ちょっとだけ、お願い事があって……」
「邪魔なもんか。おれの所に来てくれて嬉しいよ!お願いってなんだい?」
「クッキーが食べたいんだけど、作ってもらってもいいかな?突然だし、今日じゃなくてもいいの。明日でも、明後日でも……」
「お安い御用さ、プリンセス。少し待っててね」
あぁ、なんて可愛らしいお願いだ。
めったに要望を言わない彼女がおれにお願いをしてくれたという事実が嬉しい。しかも、おれの得意分野ときた。彼女のお気に召すような、世界一美味いクッキーを作らねぇといけねぇな。
「今日じゃなくても……!」と、あたふたする彼女をカウンター席までエスコートする。
「ここで待っててね」
「……うん」
おれの言葉に、彼女は少し迷って、コクンと頷く。
和らいだ表情からは、クッキーへの大きな期待が伺えた。



「いただきます」
「召し上がれ」
できたてのクッキーを彼女は待ちきれないと言わんばかりにパクパクと食べる。一枚食べるごとに上がっていく口角を見るに、お気に召したらしい。
「紅茶はいかがですか、プリンセス」
「んん、ありがとう」
彼女がいつも好んで飲んでいる紅茶を差し出すと、食べていたクッキーに口内の水分を奪われていたことを思い出したのか、コホンと息を詰まらせた。こんなに夢中になって食べてもらえるなんて、コック冥利に尽きる。
彼女は慌てて紅茶をゴクリと飲むと、ホッと一息ついた。
「とっても美味しかったぁ……本当にありがとうね。サンジくん」
「こちらこそありがとう。君に喜んでもらえて、おれは幸せだ」
空いたカップに紅茶のおかわりを注いで、彼女と視線を合わせる。数秒後、彼女はハッとして勢いよく下を向いた。髪の毛の隙間から見える頬は、若干赤らんでいるように見える。膝の上に行儀よく乗せてある手を、ぎゅっと握りしめると、彼女は何かを決心したように息を飲んで顔を上げた。
「いつも、美味しい料理をありがとう。私、サンジくんが作るもの、どれもすごく、その……好きだよ」
「え、」
「いつも、言えないから。伝えるなら、今かなって」
そう言って彼女はえへへ、とはにかむ。
混乱しているおれをよそに「晩御飯の準備とか、もし私に何か手伝える事あったら言ってね」と、言い残すと彼女は足早に部屋を去った。
ちょっと待ってくれ、本当にこれは参った。……今この部屋には、とんでもない間抜け面を晒した男が一人、取り残されている。あんなにパッと笑う彼女は初めて見た。今までに見たことのない笑顔だった。花がほころぶような笑みとは、まさにこの事なんじゃねェのか。
さっきおれは、彼女のあの微笑みを独り占めしてたのか。
「あー、くそ……ずりィな」
心臓が早鐘を打つ。気を紛らわせるように煙草をふかしても、彼女の笑みが脳裏にこびりついて離れない。笑顔1つで心の全てを奪われるなんて、あまりに単純な男すぎねぇか、おれってヤツは。
……でも、仕方ねぇだろ。おれの料理を食べて、おれを思って笑ってくれた。嬉しくないわけないし、もう一回くらい笑顔を見せてくれねぇかな、とか考えてしまってもおかしくないだろう。
とびきり美味しいご飯をだして、とびきり君を甘やかしたら、君はもっと笑ってくれるのだろうか。

彼女が控えめに申し出てくれた手伝いを口実に、夕食前の時間を二人で過ごしてぇなと考えるおれは、きっと誰が見ても下心丸出しの格好悪い男に見えるに違いない。それでも、もうどんなに格好悪くても、おれは止まれそうにない。
「恋はいつでもハリケーンってか」
すっかり短くなった煙草の火を消して、彼女の背を追いかけるように部屋を出た。

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title by. chocolate sea
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