ロマンスを連れて逃げ出した




(sss恋を知れ!のつづき)





私は今、廊下を駆けていた。


好きだと言った後、ポカンとする彼の顔を見て、自分は今、とてつもなく大胆な告白をしてしまったのだと数秒遅れで理解した。いつでも余裕綽々な彼のペースを崩してやりたくてした言動が、同時に自分自身も崖っぷちに追い込む羽目になってしまっていたなんて。……あまりの軽率さに軽く目眩がする。
「じ…じゃあ!ごゆっくり!」
「は、おい待て!」
「さようなら!」
勢いに任せてドアを開けて廊下にバタバタと転がるように出る。私を引きとめる彼の声がしたけど、全部聞こえないフリをしてそのまま走り出す。暫くすると、後ろから賑やかな声が聞こえてきた。
「サボくん!まだ仕事終わってないよね?!どこ行くつもり!」
「いや、その、待ってくれ!ちょっとだけ…」
「ダメ!」
どうやら丁度、コアラちゃんがやって来たらしい。なんとタイミングの良いことか。
部屋に戻される彼の声を軽く聞き流して、私は自分の部屋に向かって一度も止まることなく廊下を全力で駆け抜けていく。「おわっ!危ねぇ、走るな!」「ごめんなさい!」というやり取りを数回した後、やっとのことで自室にたどり着く。大した距離はないのだろうけど、今の私にとっては果てしないような道のりに感じた。
「っ、はぁ……はぁ……」
素早く部屋に入ると、ドアにもたれるようにしてその場に座り込む。心臓がドキドキする。走ったせいなのか、彼の名前を呼んだせいなのか、はたまた告白したせいか。
「……サボくん。」
胸の鼓動がとても早くて、むずむずする。どれだけ呼吸を整えても、息をするのが苦しかった。



次の日から数日間、私は任務で出たきり帰る事が出来なかった。任務の間はなるべく気を引き締めようと頑張ったけど、やっぱりあの日の事が時々頭をよぎる。
帰って彼に任務の報告をする時、どんな顔をしたらいいんだろうとか、サボくんって呼ぶのすごく照れてしまいそうだなとか、色々考えては「集中しろ!」と相方に叱られた。私の表情を見た後、仕方がないなと言わんばかりの顔で相方は口を開く。
「いいか?悩みがあるなら早めに解決するのが吉だ。」
「……ごめん、そうだよね。」 
本当にその通りだ。任務の時も上の空だなんて、命を落としかねない。何とかしようと決意して、いざ本部に帰ってみたら、彼は彼で任務があったらしく席を外していた。
彼が帰ってくる頃にまた私が任務に出て、それを何度か繰り返していると、気がつけば二週間以上過ぎていた。もうあの時から会話も、挨拶すらろくに出来ずにこんなに日が経ってしまっている。
参謀総長である彼は多忙な身だ。考えることも、しなければいけないことも多い。あんな些細なことなど、きっともう忘れてしまっているに違いない。いつの日からか、だんだんとそう思うようになった。あり得ないくらい都合のいい考えだけど、それに身を任せると少しだけ楽になるような気がした。意識しすぎて彼と話せなくなってしまうことが一番嫌だ。それなら私も早く忘れてしまいたいな、と記憶を振り落とすように頭をブンブンと横に振る。
「何してるんだ?」
「うわ!びっくりした……」
後ろから突然声をかけられる。驚いて振り向くと、資料の山を抱えた彼がいた。
「久しぶりだな。今暇か?」
「暇だけど……どうしたの?」
「資料運ぶの手伝ってくれねェかなって。」
「すごい量だね……一緒に運ぶよ。半分ちょうだい。」
「すまねェな、助かる。」
半分ちょうだい、と差し出した手に乗せられた資料は全然半分にも満たない量で、これじゃあ手伝っている意味を感じないくらいの軽さだった。
「ちょっと、こんなの半分じゃない。」
「そうか?半分だろ。」
「おおざっぱすぎるよ。……ねぇ、もっと持つってば。」
「いいから、ほら早く行くぞ。」
すたすたと前を歩いていく彼は、もうこれ以上何を言っても聞き入れてくれそうになかった。果たしてこれは手伝いになっているのだろうか。
多少の疑問を感じるが、聞いてくれないならどうしようもない。彼に大人しく着いていくことにした。
「こんなに顔合わせなかったの久々だな。」
「そうだね。なんか任務続きで疲れちゃった。」
「忙しいのは落ち着いたか?」
「ん、一応ね。参謀総長さんはまだまだ多忙かな?」
「……まァな。」
久しぶりに聞いた彼の声に、不思議と懐かしさを感じる。それがなんだか可笑しくて、自然と口角が上がった。
思ったよりも普通に会話が出来ていて、ほっとする。会話もままならないなんて最悪の状況は免れたみたいだ。任務の期間は丁度いいクールダウンになっていたのかもしれない。
お互いに任務期間中の話をしているうちに、資料室に到着する。「大切な資料が置いてあるのに、こんなに端に追いやられたような場所にあるなんて不便極まりないよ」と小さく愚痴を溢すと「全くだなァ。」と彼は少し笑って息を吐いた。



「ふぅ、こんなもんかな。」
「片付けまで手伝ってもらって悪いな。」
「気にしないで。あの量一人で片付けてもらう方が心苦しいよ。」
「ありがとう、本当に助かった。」
資料が整理された本棚を見上げる。粗雑に入れられていた資料も、ついでに綺麗に仕舞い直した。目当てのものを探そうにも探せなかったあの資料室が、見違えるほど綺麗になって大満足だ。コアラちゃんに報告して見てもらおうかな、誉めてくれるかも。なんて考えながら得意げにフフン、と鼻をならした。
「さて、そろそろ戻ろっか。」と口を開いた私に、後ろから影が差す。背後から伸びてきた手は、私の目の前にある本棚にトン、と置かれた。
……途端に、なんだか熱っぽいような、クラリとしてしまいそうな雰囲気に部屋全体が飲み込まれる。
なに、これは。さっきまで、全然こんな感じじゃなかったのに。どうして?……後ろから覆い被さられているような体勢は、まるで私を逃がすまいとしているようで戸惑いが隠せない。
耳元に彼の息がふぅ、とかかって体がピシリと固まった。
「なっ……さ、参謀総長、」
「また戻ってる。」
「え?」
「名前で呼んでくれって言っただろ?」
何もかも忘れられてる……なんて、そんな都合のいい話はやっぱりなかった。忘れ去ろうとしていた告白の記憶がまた脳裏によみがえる。思い出して、意識し始めたら止まらない。あの日のことも、今の状況も、全てが恥ずかしくてきつく目を閉じた。
「あの日は呼んでくれたのに、なんで呼んでくれねェの?」
「……いまさら、やっぱり恥ずかしい、から。」
「へェ、それだけ?」
「わ、忘れてるなら参謀総長のままでいいかなって思って……」
「忘れてねェよ。」
彼は私の肩を掴んでくるりと振り返らせる。あまりの羞恥に俯く私の顎に、優しく手を添えてそっと持ち上げた。彼と視線が絡む。彼の目は、ただ真っ直ぐに私だけを見つめている。
「忘れるわけねェだろ。お前がおれを好きって言ったことも。」
息が止まった。もう何も言えない。
どれだけ言い訳したって、逃げられないし、忘れられない。あの日みたいに、胸がドキドキして息が苦しくなる。
「なァ、おれもお前のこと好きって言ったらどうする?」
目を見張る私を見て、彼は満足そうに笑った。ああ、やられた。してやられた……!
彼は私に触れていた手を離して「じゃあ、戻るか。」と一言残して資料室を後にする。
どうするだなんて、そんな言い方ずるい。また、私に全部言わせる気なんだ。私だって彼の口から直接聞きたいのに。
……でも、案外彼も余裕はないのかもしれない。彼の頬が、うっすらと赤みを帯びていたのを私は見逃さなかった。照れ隠しで逃げたのならば、このまま、彼の言い逃げを成功させてやる訳にはいかない。
ちゃんと、私に恋してるって言ってもらわなきゃ。
「待って、サボくん……!」
早足で去る彼の背を追いかけた。
名前を呼ばれた彼の肩は、誰が見ても分かるくらいに大袈裟に跳ねた。
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