優しさに揺れて溶けて君になる



季節は冬、真っ只中だ。
連日寒い日が続いているけれど、今日は誰かが片付け忘れていたバケツの中の水がカチコチ凍ってしまうほどの、凍てつくような寒さだった。あまりの寒さに手がかじかんで思うように動かなくて、何をするにも苦労した。
明日にはこの寒さもちっとはマシになるだろうよ。と、誰かが言った言葉を信じて眠りにつこうとした訳だけど、これがなかなか眠れない。かれこれ二時間は布団の中にいるのに、寒さのせいでちっとも眠くならない。
丸まってどれだけ暖をとろうとしても、自分の体温で布団を暖めることすらもままならなくて、ずっとどこか冷たいような寒いような感じがしてブルリと震える。
このままでは、埒があかない。いつまで経っても眠れやしない。布団から出るのは億劫だけど、湯たんぽでも何でも、暖をとれるものが手に入ればきっと眠れるだろう。自分にそう言い聞かせて、震える体に鞭を打って布団から出た。

空気に晒された肌は、すぐにでも凍ってしまいそうだった。布団にいた方がまだマシだったかも、なんて少し後悔しながら船の中を歩く。酒を飲んでいた人も、はしゃいでいた人も、みんな寝落ちてしまったのか、耳栓しても意味がないくらいに騒がしかった廊下は、自分一人しか船に居ないのかと思うくらいにシンと静まり返っていた。まるで自分だけ別の場所に迷い込んでしまったような気分になって、少しの不安を抱きながら誰かを探すようにゆらゆらと視線を泳がせる。ふ、と見た廊下の先の部屋……位置的に食堂あたりから、ほのかに灯りが漏れていた。
誰かがいることにひどく安心してホッと息を吐く。
まぁ、それはそうとして。食堂の灯りがついているということは、もしかして誰かつまみ食いでもしているのだろうか。バレたらただじゃ済まないのに、とんだ命知らずがいるみたいだ。こっそりと中を覗いてみると、息を潜めながらこそこそ動くエースの背中が見えた。つい先日、つまみ食いしてこっぴどく怒られたのにまだ懲りてなかったのか。
「悪い子、みーっけ」
「うわっ!……お前かよ」
ビクッと肩を揺らして彼は振り向く。声の正体が私だと分かると、言い訳しようとしたのであろう大きく開いた口を閉じて、あからさまにホッと肩を撫で下ろした。夜中のつまみ食いがバレたというのに悪びれもせず、驚かすなよと言いたげな表情をされて、なんだか腑に落ちない。
「また、こんな夜中につまみ食い?2度目はないってこの前言われてたでしょ」
「我慢できねぇくらい腹減っちまったんだから仕方ねェだろ。絶対誰にも言うなよ。……つーか、そういうお前も腹減ってここに来たんじゃねェのかよ」
「違うよ。灯りが見えたから来たの。……寒くて眠れなくてさ、湯たんぽとか何かあたたかいもの、どこあるか知らない?」
目をまんまるにして「寒いのか」と彼は呟くと、顎に軽く手を添えて少し考える素振りをみせる。パッと何かひらめいたような表情をした後、入り口付近で棒立ちしている私の手を引いた。私の手に触れた彼の手は、ぽかぽかとしていて温かい。無意識のうちにぬくもりを求めていた私の手は、彼の手を緩く握る。ビクリと彼の指先が大きく振れた。
「本当に、冷てェな」
「エースはあったかいね」
「まァ、能力者だしな。……ちょっと、ここ座ってろ」
彼は、ふいっと顔を背けると、私に椅子に座るよう促した。座った私の膝に、その辺りにあった毛布をバサリと被せると彼はキッチンへと足を運ぶ。
少し高めに位置する戸棚の扉を開けて、小さめの鍋を取り出すとコンロの上に置いてカチリと火を点ける。そのまま迷いなく、まるで業務用のような大きな冷蔵庫の前に立つと、慣れたような手付きで扉を開けた。
「なにか作るの?」
「あー、ホットミルク」
「へぇ、作れるんだ」
「バカにしてんだろ」
「違う違う!してないよ」
「信じらんねぇな」
ジトリ、と私を一睨みした後、彼は手元の牛乳パックに視線を戻す。鍋にゆっくりと牛乳が注がれていく。まろやかなミルクの甘味を想像して、思わず口元が緩んだ。
牛乳を冷蔵庫に戻した彼は次に、蜂蜜が入っている大きめのビンを戸棚から取り出した。パコンと耳障りの良い音を立ててビンの蓋を開けると、琥珀色の宝石みたいな蜂蜜をスプーンから溢れるくらいにすくい上げて鍋に入れる。ぶら下がっていた木ベラを少々乱雑に取ると、くるくると手際よく牛乳と蜂蜜を混ぜ合わせた。
生肉を自分の炎で豪快に調理しそうな普段のエースからは想像できないほどの手さばきに、ほぅ、と思わず息が漏れる。
そうこうしているうちに、フツフツと沸騰する音が聞こえてくる。その音だけで体がじんわりと温まってきそうな気がした。「これくらいか」彼は小さく呟くと、火を止めてマグカップにホットミルクを移す。とろけるような甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「いい匂い、すごく美味しそう。……それにしても、眠れない時は暖かい飲み物だなんて発想が、エースにあったことにびっくりしちゃった。おれの炎で暖まっていくか?とか言うかと思ってた」
「お前、本当に失礼なヤツだよな。……隊員のやつが前に言ってたんだよ。暖かい飲み物飲んだらよく眠れるんスよ〜ってな。」
「今のってモノマネ?似てないね」
「うるせェな、静かに待ってろよ」
ほら、と差し出されたマグカップ。湯気と共に蜂蜜の香りがふわふわ浮かんでくる。期待にコクリと喉が鳴った。
一口、ミルクを口に入れるとまろやかな甘みがフワリと口内に広がる。程よくあたたかくて飲みやすい。
ゴクゴクと勢いよくミルクを喉に流しこんでいく私を、彼は机に肩肘をつきながらじっと眺めていた。
「なに?そんなに見て……」
「これで共犯だなァって思ってな」
「共犯?」
「真夜中の食堂漁りの共犯」
疑問符を浮かべた私に、ニヤリと笑って彼は言う。共犯だなんて冗談じゃない!ペナルティを考えるだけで恐ろしくなってくる。……いや、それより真夜中に食糧を漁るような、わんぱくすぎる女だと思われる方が心外だ!きっとからかわれるなんてものじゃ済まないだろう。一日中、いや、一週間はふざけて、やいやい言われるに違いない。
「い、いやいや!何か食べたのはエースだけだし、飲みものはさすがにセーフでしょ?」
「共犯者がいると心強さがちげェな」
「ちょっと!本当に巻き込みやめてってば!」
「巻き込んでねェっての。飲んだのは事実だろ」
「そりゃあ、飲んだけどさぁ」
一緒に朝飯抜きだなァ。とふざけた調子で言う彼を小突く。もう立派な大人なのに、親にイタズラがバレちゃう前の子どもみたいなやり取りをしていることが面白くて、じわじわ笑いが込み上げてきた。耐えきれずに、ぶはっと息を漏らした私を見てエースもヘラリと笑った。
胸の内から、じんわりとあたたかくなっていく感じがする。あんなに寒くて堪らなかったのに、今は不思議とへっちゃらだ。そう思うと、次の瞬間にはなんだかとっても眠たくなってきて、大きなあくびを一つする。
「おい、コップ片付けといてやるから寝ろ」
「はぁい」
部屋に帰ることを促すように私の背に軽く置いた彼の手は、やっぱりお日さまみたいに温かくて安心する。
「ねぇ、エース」
「ん?なんだよ」
「また、ホットミルク作ってね」
「お前が、自分で作った方が美味いんじゃねェの」
「エースが作ったのがいい」
「……そうかよ」
「気が向いたら作ってやるから。いいから早く部屋戻れよ」と、背を押されて食堂から追い出される。部屋から出る寸前、チラリと見えた彼の顔は、ほんのり赤く色づいていた。

部屋に戻る足取りは、自分でも分かるくらい軽やかに感じる。憎らしいと思っていたこの寒さも、なんだか悪くない。いつもより、よく眠れそうな気がした。

翌朝、エースはつまみ食いがバレて、しこたま叱られた挙げ句、朝食抜きにされていた。飲み物はもちろんセーフだったけど、私は見事に寝坊して朝食を食いっぱぐれてしまったので、結局意図せず、二人揃って朝ご飯抜きになったのだった。
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