先週、友人の結婚式があった。
ウェディングドレスを着ている友人はとても綺麗だった。
学生の頃の子どもっぽさはすっかり抜けきり、幸せを掴んだ大人の女性の顔をしていた。落ち着き払っている彼女にはおてんばだったあの頃の面影はなく、いつも隣にいた彼女が何だか雲の上の人になってしまったような気がした。
その前の週は「実は結婚するの」と別の友人から報告があった。長く付き合っている彼氏がいることは知っていたけれど、いざ結婚報告をされると驚いてしまって一瞬ポカンとしてしまった。
『結婚』という人生のゴールでありスタート地点は、子どもの頃の私にとっては夢であり、目標であった。
いつか私も優しい男の人と結婚して、綺麗なドレスを着て、幸せな家庭を築く。『いつか』の話であって、それはもっともっと先のことだと思っていた。いつの間にか周囲の人が結婚し始めるくらいの大人に、自覚がないままなっていた。それが分かった瞬間、とてつもない焦燥感が私を襲った。
私の、この勝手な焦りに振り回されてしまった彼は、不運としか言いようがない。
申し訳なかった……とは思っている。
*
彼はとても優しい人だ。
無意識のうちに、常に周囲の人間を思いやって生きているのだろうと思う。
彼は紳士……だけど、女の子がとても大好きな人だ。女の子が居れば、流れるような動作で口説き、美人が横を通ればメロメロ鼻の下を伸ばして、地の果てまで目で追ったり、どこからか用意した綺麗な花を差し出して声をかけたりする。そんな彼の行動に拗ねたり、嫉妬してしまうこともあったけど、いつしかそんな気持ちは薄れて、小さくなっていった。決して呆れたとか、見限った訳ではない。彼にとって、私は特別であると自信が持てるようになったのだ。私を見る彼の目は、他の女の子に向けるものよりも何倍も甘くて穏やかだ。かけてくれる言葉の1つ1つは砂糖菓子より甘くて蕩けてしまいそうになる。
彼が故意的にそうしていても、そうでなくても、自分に与えられた『特別』に満足感と優越感を抱いていた。
ここまでされたら、ナンパの1つくらい寛大な心で許してしまうものでしょう?
そんな優しい彼と付き合って10年は経つ。同棲してからは5年が過ぎた。
考えてみれば、彼はこれまでプロポーズをする素振りを少しも見せたことがなかった。そんな雰囲気になったこともない。
「もしかして、独身主義……とか?」
「誰が独身主義なんだい?」
「えっ?あっ?!サンジくん、いつの間に……」
「君が悩ましげにしてる時からずっと居たよ。驚かせてごめんね」
「いや、騒いじゃって私もごめん」
思った事を思わず口から溢したら、彼が近くにいた。
いい事を考えていたわけではない。思わず声が上ずってしまい、更にあたふたする私を一瞥すると彼は困ったように微笑んだ。「考えすぎはよくないよ」そう言って差し出された彼の手にはマグカップが2つ。くだらないことで唸っていた私を見かねて飲み物を用意してくれたのだろう。小さな事にも気がついて当たり前みたいに細やかな配慮をしてくれる彼は、やっぱり優くて、少し心配になるくらいだ。
……正直、この状況に満足してしまっていた私がいる。
彼の近くに居られるなら別にいいじゃないか、と。確かにいいかもしれないけれど、どっち付かずのこの状況に、もう終止符を打ってもいい頃ではないだろうか。
彼との子どもが欲しいし、あたたかな家庭を築きたい。ただ、今のこの状況に甘んじてずっと彼からの言葉を待ち続けるなんて時間的余裕は私には残されていない。私はもう決して若くはないのだ。
今が幸せならそれでいいじゃないか!と言われたら「そうだ」としか言いようがない。思いやりのある素敵な男性と出会って、特に不自由や揉め事もなく一緒に生活している。贅沢な悩みだと言われてしまえばそれまでだ。
それでも、私は少し疲れてしまったのだ。小さな頃から夢見てきた、清楚で華やかなウェディングドレスに心踊るプロポーズ。私が勝手に期待していただけなのだけど、期待してしまったって仕方ないじゃないか。長い間ずっと一緒に居て、毎日が楽しくて、こんなに優しくしてくれて、慈しむように触れてくれて……。私と一緒に居てもいいなって少しは思ってくれてるかなぁとか、もしかしたらプロポーズしてくれるかもって思ってしまっても仕方ないでしょう。
期待してもう何年も過ぎた。待つことに、少し疲れてしまった。
いっそ私からプロポーズしようかと何度も思ったけど、彼が独身主義だったとして、結婚願望が強すぎる私に引いて、去ってしまったらと考えると怖い。結局は私自身もどっち付かずだ。結婚したいならサンジくんにその気があるのか無いのかさっさと確認すればいいのに、サンジくんが近くから居なくなってしまうくらいならこのままでもいいか、なんて気持ちもある。
こんな自分が一番嫌だ。
彼が折角用意してくれた飲み物に一口も口をつけずに、カップをローテーブルに置く。最近の出来事を落ち着いた声色で話してくれていた彼は、ピタリと話すのを止めると不思議そうに私を見た。「気分じゃなかった?」と、私を気遣う彼の言葉が優しくて、こんなに我が儘でちっぽけな自分が情けなく感じてくる。
それでも、喉まで込み上げてきた言葉が再び飲み込まれることは無く、堰を切ったように溢れ出してきた。
「あのね、サンジくん」
「なんだい?」
「友達がね、結婚したって前に言ったでしょ?」
「あァ、仲のいい子で、結婚式にも行ったって言ってたよね?」
「うん。すごく綺麗で、幸せそうでね。……いいなぁって思ったんだ。」
「……」
「あのね、サンジくん。わたし、わたしね、」
「……!ちょ、どうしたの?!どこか痛い?」
「え、なに?」
「泣いてるじゃないか」
彼の綺麗で長い指が私の頬を這う。ポロポロと流れる涙を心底困ったような顔をして彼は拭う。
聞きたいことも、思ってることもたくさんあって、それを彼にぶつけたいのに纏めきれなくて、色んな思いが涙になって溢れてくる。
サンジくんは私と結婚したい?私はしたいよ。あなたが好き。でも、サンジくんがしたくないならこのままでもいいよ。だって、離れて行かないで欲しいから。どうか、私を一人にしないで。
本当はサンジくんとの子どもが欲しいし、サンジくんと家族になりたいけど、サンジくんが私を置いてどっか行っちゃうほうが嫌だ。
「さんじくん、さみしいよ」
「寂しい?」
「サンジくんの隣に、ずっと居たいよ。繋ぎ止めるものが何もないから、今のままじゃ不安だよ」
涙を拭ってくれていたサンジくんの手が止まる。
最悪だ。何もかも支離滅裂だ。こんなハズじゃなかった。
止めようと思っても涙が止まらない。小さな子みたいに駄々こねて泣いて、彼を困らせてしまった。
「ごめん、私、面倒くさ……」
「ごめんね」
私の言葉に被せるように、彼は少し震えた声を出す。
驚いて見上げると、焦ったような、悲しげなような、憤っているような、色んな気持ちが入り交じった複雑な表情をした彼と目が合った。
彼はグッと唇を噛むと、ラフな部屋着のジャンパーのポケットに手をつっこむ。出てきた手には控えめな色をした小さな箱が握られていた。
「ずっと前から用意してたんだ。どんな風に言おうか、どんな風に渡そうか考えてた……けど、本当に、待たせすぎたよね」
「……」
「君をこれからもずっと、おれだけの、一番のプリンセスにするための言葉だから。一番格好いい言葉を贈りたくてモタモタしちまってた。考えるほど分からなくなっていって、いつしか言うタイミングすら見失って……。いや、その、君はきっと、ずっとおれの近くにいてくれるだろうからって呑気に構えすぎてた。不安にさせて、悲しませてごめんね」
小さな箱の蓋が彼の手によって開けられる。中から出てきたのは上品な煌めきを放つ小さなリング。サンジくんは私の左手を優しく持ち上げて、左手の薬指にその指輪をはめた。ぴったりのサイズだった。
「一言、もっと早く素直に君に言えばよかった。絶対君を幸せにするよ。……おれと、結婚してくれませんか?プリンセス」
「……さんじくん」
「ん?」
「うれしい、うれしいよぉ」
「おれも、幸せな気分だ」
「世界一愛してる」と伝えたいのに喉が引き攣って上手く言葉が出てこない。ポロポロと涙が出てくるけど、今はさっきとは違って幸せな気持ちでいっぱいだった。
言いたい言葉の代わりに、彼を強く抱きしめた。
*
「私、ワガママな上に面倒な女でごめんね」
「そんな君も含めて好きさ。おれの方こそ、不甲斐なくてごめん」
「そんなサンジくんも好きよ」
「かなわねェなぁ」
リビングのソファに座っていつも通り会話をする。
薬指に輝く指輪だけが、いつもと違っていた。彼からのプロポーズが現実のものだったんだと証明する指輪が視界に入るたびに、ワクワクドキドキして浮かれてしまう。自然と口角が上がって、「ふふふ」と声が漏れる。とてもだらしない顔をしていることだろう。
「さっきから楽しそうだね、プリンセス。おれも混ぜてくれませんか?」
「いいよ。ほらっ、サンジくんも指輪見て。嬉しくって楽しい気持ちになってくるでしょ?」
「君が可愛くて指輪に集中できないな」
「またそんなこと言って……」
言っていることはいつも通りなのに、彼は何だか浮かない表情をしていた。彼の顔を隠そうとしているかのように垂れるブロンドの髪を指でそっと横にはらう。揺れた彼の瞳と目が合った。
いたたまれなくなったのか、彼は目を逸らすと、一瞬、迷ったような素振りを見せてから口を開いた。
「おれさ、もっとスマートにプロポーズするつもりだったんだ。夜景が綺麗な所とか、静かな海とかで二人っきりで君の手をとって、手の甲にキスして、愛の言葉を贈ろう……って思ってた。最高の思い出を作りたかったはずなのに、空回っちまって恥ずかしくて、どうしたらいいのか分からねェ」
「私は、サンジくんと一緒ならどんなところでも素敵な場所になるよ。今だって、いつもと代わり映えのないマンションの一室だけどさ、私と、サンジくんの二人っきりであることには変わらないでしょ?海であっても、ここであっても、サンジくんから手の甲にキスしてもらったら最高の思い出になると思うな。私にとって大切なのは、サンジくんが居るかどうかだから」
そっか、と彼は納得したように呟くと、ソファから立ち上がって、私に向かい合うようにして床に片膝をついた。戸惑う私の左手をとると、何かを確かめるみたいに軽く握る。ピクリと震えた私の指に、彼は少し口角を上げる。それが恥ずかしくて咄嗟に引こうとした私の手を制するように彼はまた握って、私を伺うように見上げるとニコリと笑った。その笑顔に何も言えなくなって、ゴクリと唾を飲み込む。彼は視線を手の甲に戻して長い睫毛を伏せると、ゆっくりとした動作で柔らかな唇を手の甲に当てた。ドクドクと心臓が跳ねて苦しい。
この一瞬、目の前がチカチカして、まるで絵本の中の世界に迷いこんでしまったかのようだった。
「本当に、お姫様になったみたい」
「いつだって君はおれのプリンセスさ」
「じゃあサンジくんはプリンス?」
「おれは君のナイト兼プリンスかな」
「それは心強いねぇ」
「ドレスと式場、次の休みに選ぼう」
「その前に婚姻届貰いにいこうよ」
「……実は、もう貰ってるんだ」
「え?」
「君の名前書いて、出すだけ……って、くそ、なんか格好悪ぃ」
「んふふ、格好悪くないよ。こんなに一緒にいたのに、まだまだ私の知らないサンジくんがいるのね」
「ゲンメツされないように努めていきたいなァ」
「きっと、一生ゲンメツしないよ。私の方こそ呆れられないようにしないと」
「君に惚れ直しはしても呆れたりなんかしないさ」
きょとん、としたサンジくんの瞳には拍子抜けしたような私の顔が映っている。私の瞳にも、サンジくんのきょとんとした顔が浮かんでいる事だろう。
今まで思い悩んでいた事が吹っ切れて、肩の力がドッと抜ける。どちらからともなく笑い声が漏れた。
数ヶ月後には、私は世界で一番素敵な旦那さんの隣で、世界で一番幸せな花嫁になっていることだろう。
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