恋ってなぁに



『恋とは、特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいと思う感情。また、特定の人に強く惹かれること』

辞書をひいて出てきた堅苦しくて機械的な言葉にグッと眉を顰める。難しい言葉の意味を知りたくて辞書を手に取ったのに、更に難しい言葉を突きつけられて困り果ててしまった。もっと感情的に端的に教えて欲しい、なんて辞書に求めても仕方の無いことなのだろうけど。
一緒に居たいと思えばそれは恋なのか。大切なら、それはもう恋なのか。惹かれるとは一体何なのか。淡々と並べられた文字の羅列に疑問を投げかけても、当然のことながら欲しい答えは返って来ない。パタリと辞書を閉じると同時に、自然と口からは重々しいため息が零れた。

「これは随分大きなため息だねプロデューサー、何か悩み事かな?」
「わ、一彩くん」

誰もいないと思っていたところに、突然声をかけられてビクリと肩が跳ねる。慌てて振り向くと、申し訳なさそうな顔をした一彩くんが立っていた。叱られる前の子犬のような表情に、グッと喉が詰まる。

「……驚かせてしまったかな。君があまりに悩ましげだったからつい声をかけてしまったんだ」
「えっと、そんなに深刻そうだったかな?」
「ウム。……その、もし良かったら僕に悩みを打ち明けてみてはくれないだろうか?悩ましげな君を見るのは何だか心が痛むよ」

彼はトン、と手のひらで胸を1つ叩いて、澄んだ瞳を私に向ける。彼の空色の瞳はいつだって真っ直ぐで綺麗だ。大きくて宝石みたいな瞳で見つめられると、考えていることを全部を見透かされてしまいそうでどこか居心地が悪いのに、どうしてか目が離せなくなる。今だって、私が何も言わずとも一彩くんに全て見透かされてしまっているんじゃないか……なんて思っているけど。まぁ、仮に彼が私の考えていること全て分かったとして、その素直すぎる性格から考えるに、知らないフリ、聞こえなかったフリなんて出来ないだろうから、全部口に出しちゃうんだろうな。
……パチンと目を瞬かせて私の言葉を今か今かと待ちわびる彼をチラリと盗み見る。うん、当たり前だけどきっと彼にはそんな特殊な能力はないのだろう。

「ええっと……、すごくくだらないことなんだけど、いい?」
「ウム、もちろんだよ!」
「その、恋ってなんだろうって思ってたんだ」
「……こい?」
「うん、辞書で引いてみてもよく分からなくて。でも、1回なんだろうって考え始めたら頭の中をずっとグルグルして止まらなくなっちゃってさ」

……口に出してみると、思った以上にくだらないことだった。真剣な顔の彼に流されて話してしまったことをちょっとだけ後悔する。恋とはなんだ、なんて自分らしくない。恋する乙女か?いいや、私はそんなキャラじゃないだろう。変に思われてしまったかもしれない。そう思うと急に恥ずかしくなって、何となく生ぬるい空気を誤魔化すように、はは、と笑いを零した。乾いた笑いは誰にも拾われること無く部屋に落ちて消える。
……もしかしなくても一彩くんにドン引きされているのだろうか?そんなのキツい、辛い、立ち直れる自信が無い。だけど今更、もっと考えて行動しろ馬鹿野郎と自分を叱りつけても時間が戻るわけでもない。
若干の恐怖心を胸に抱きつつ、恐る恐る彼を見上げると、眉間に皺を寄せて訝しげな表情をする彼がいた。ネガティブな表情が見慣れなくて、思わず「ぇ、」と小さく声を漏らしてしまう。

「君には、好ましく思っている異性がいるのかな」
「あ、えっ?どういう、」
「君が恋とはなんだろうと言った時、とても胸がモヤモヤしたんだ。相談に乗ると言ったのは僕なのに、気分が良くなくて、君の話をあまり聞きたくなくなってしまった」

「感情の制御も満足にできない自分が情けないよ」吐き捨てるようにそう言って、彼が1歩、私との距離を詰める。どこか無垢で幼げな顔立ちとは裏腹に、彼のスラリと高い身長が、程よく筋肉のついた体が、骨ばった手が、嫌でも視界に入ってきて目眩がする。こんなの、目に毒だ。可愛らしい男の子だと思っていたのに、途端に逞しい青年に見えてしまって頭の中がグツグツと茹だるように熱くなってくる。咄嗟に1歩下がろうとした私の手を、彼が引き止めるように掴んだ。

「恋ってなんだろうと、そう言った君の表情が可愛くて。でも君は誰を思い浮かべてその言葉を言ったのだろうと思ったら、悲しい気持ちになったんだ」
「ま、まって、」
「君が可愛らしい顔をする相手が、僕であって欲しいと思った。譲りたくないって、そう思ってしまったんだ」

あつい、手が熱くて、触れてる部分から溶けそうだ。こんな風になっちゃうなんておかしいのに、一彩くんは仕事仲間で、素直でいい子で、まるで弟みたいで、ドキドキするなんておかしいのに。それなのにもう、一彩くんの事が気になって堪らないのだ。かっこよくて、息が苦しい。

「君のことを考える度に、胸が苦しくなってしまう。欲が出て、ずっと一緒に居たいって、隣にいるのは僕だけがいいって、そう思うんだ」
「……っ、ぁ」
「僕らしくないのは僕が1番よくわかっているよ。でも、君にどうしようもなく惹かれているんだ」

真っ直ぐに浴びせられる言葉の全てが甘ったるくて、胸がいっぱいで、悲しくないのに視界がじわりと滲む。
彼の男の子らしい手が引き止めるのは私だけがいい。全てを射抜くような空色の瞳が映す女の子は私だけであって欲しい。彼の真っ直ぐな感情が、全部私だけのものになればいいのになんて。
本当にどうしようも無い、好きだったんだ。ふとした時に彼の顔が浮かぶのも、一彩くんを見る度に燻っていた気持ちも、彼に対する恋慕の感情の表れだったのだ。

「……ねぇ、教えて欲しいよ。これって恋なのだろうか?」

窓から風が吹き込んできて、辞書のページがパラパラと捲られる。ふわりと彼の真っ赤なくせっ毛も揺れて、擽ったそうに目を細めた。その僅かな動きですら、どうしようもなく愛おしい。

「わたしに、教えてくれるんじゃなかったの?」

口から出た言葉は可愛げのないものだったけど、一彩くんは、「そう言えばそうだったね」と言って可笑しそうに笑った。

「僕と、恋について勉強しよう」

私が返事をする前に、彼のあたたかな体温にぎゅう、と包み込まれた。それがとても心地よくて、私も彼の背にゆっくりと腕を回した。
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