焼き上げる瞬間だって君を想ってた



「だだいまぁ〜」
「あ、おかえり!」

ポカポカと暖かい太陽の光が部屋を満たす、ちょっと眠たい午後のことだった。柔らかくて気の抜けるような、優しい声が玄関から響く。条件反射のようにして素早く立ち上がり、パタパタと足音を立てて玄関に向かうと、スーパーの袋を掲げてニパッと笑うニキくんがいた。お仕事帰りにスーパーでおつかいをお願いしたんだけど、袋の膨らみを見るに私がお願いしたもの以外にも何かを買ってきているみたいだ。

「ニキくんおつかいありがとう。ねぇねぇ、他にも何か買ってきたの?」
「おつかいくらい、いくらでもするから気にしないでね。これはね〜、クッキーの材料買ってきたんすよ!荷物はこのまま僕が運ぶから君はゆっくりしてて」
「ニキくんのクッキー大好き……!ゆっくりなんてしてらんないよ!ニキくんニキくん!私、型抜きしたい!」
「うんうん、そう言うと思ってカワイイ型が売ってたから新しいの買ってきましたよ〜」
「やった!」

でもまずは手を洗わないとね〜、なんて言って彼は興奮気味の私の手を引いて洗面所に向かう。ニキくんにならって私もしっかりと手を洗ったけど、生地を作るのはニキくんだし、正直私の出番はそこまでない。本当にただの型抜き係だ。それなのにニキくんは私に彼とお揃いのエプロンを着させたりと甲斐甲斐しく世話を焼いている。
手持ち無沙汰で私がぼーっとしている間にも、ニキくんは早速慣れた様子でエプロンをつけて生地作りに取り掛かっていた。材料を入れて混ぜる姿も、まとまった生地をこねる姿も、すべての工程に無駄がなくて綺麗だ。
出来上がったご飯やお菓子を思い浮かべて楽しそうに料理する彼の姿を眺めるのが、私は一等大好きだ。彼が料理をする姿を観察するのが、彼との生活の楽しみの一つだった。どんな食材でも美味しくしてしまう魔法使いのような彼の手に、クッキーの生地がどんどんこねられていく。
ニキくんのクッキーはさくさくだけど、ふわっとしていて口の中に入れて少し噛んだら溶けるようにして無くなってしまう。どんなお菓子屋さんのクッキーよりも美味しくて絶品だ。

「私ね、ニキくんのクッキー大好き」
「あはは、それさっきも聞いたような……」
「何回も言いたくなるくらい美味しいってこと!」
「気に入ってもらえて僕も嬉しいっす」
「早く出来ないかな〜、食べていい?」
「焼いてないんだからだめに決まってるでしょ!ほら、君の仕事は今からなんだから」

燐音くんでもクッキー生地を生で食べたりしないのに……なんてブツブツと言いながら私に型を渡すニキくん。燐音くんと比べられているのはなんだか腑に落ちなかったけれど、気を取り直して型抜きの形を選んで可愛い形に型抜いていく。ハート、星、クマ、お花、ネコなどなど、調子よく進めていく私に彼は「上手っすよ〜」とか「新しい型抜き可愛いでしょ」とか時々声をかけながら見守ってくれていた。

「あとは焼くだけだから、君はリビングで休んでてほしいっす」
「私も焼くの見るよ?」
「いいからいいから、手伝ってくれてありがと〜」

……ニキくんが、私に甘すぎるくらいに甘いと自覚したのは最近だった。今日だって、私は型抜きしただけなのに半ば押し切られる形でリビングのソファーに座らされるし。私なんかより、仕事行っておつかいまでしてくれて、クッキー生地こねてくれたニキくんの方がよっぽど疲れているだろうに。まぁ、私がそれを言ったところで、きっと彼は「僕がやりたくてやってるんだから君は気にしなくていいんすよ」なんてサラッと言ってのけるのだろう。そう言われたら何も言えなくなっちゃうんだから、彼は天然の甘やかし上手なのかもしれない。
そんな事を考えているうちに、だんだん瞼が重たくなって、意識はゆったりと柔らかな夢の世界に吸い込まれていった。


「おーい、起きて〜!」
「んー……?」
「出来たっすよ」

優しい声に導かれるように意識が浮上する。ふわりと鼻腔をくすぐったのは甘いクッキーの香りだった。微睡む意識の中でもクッキーに対する欲は真っ直ぐなようで、グゥと小さくお腹が鳴る。眠気と食欲の狭間で揺れている様子が可笑しかったのか、彼は「ふ、」と吹き出すように笑うと私の口元に出来たてのクッキーをそっと運んだ。

「……にきくん、もうたべた?」
「ん?まだっすよ。……ほら、早く口開けて。食べていいっすよ」

ふと浮かんだ疑問を彼にぶつけてみると、思いもよらない答えが返ってきた。いくら私に甘いニキくんと言えども、焼き上がった1回目は、お腹が空いた彼が食べてしまっているものだと思っていた。それなのに、寝ている私を起こして、一番最初のクッキーを私に食べさせてくれようとしているのである。彼の言葉に押されて口を開くと、ポンッと可愛い形のクッキーが口に放り込まれた。ゆっくりと咀嚼して飲み込む。やっぱりさくさくでふわふわだ。美味しくて思わずふふ、と笑みをこぼすと、彼も嬉しそうに微笑んだ。彼が持っている皿からクッキーを一つ取って彼の口に持っていく。一瞬ビックリしたような顔をした後、彼はパーっと眩しいくらいに笑ってクッキーを頬張った。

「……ニキくん、どうして一番最初に私にくれたの?」

強請るように私を見るニキくんの口に次のクッキーを運びながら、気になっていたことを聞いてみる。彼はキョトンとした後、なはは!と楽しそうに笑った。何となくムッとして、答えを促すように彼の頬を突くと「ごめんごめん」とまた笑って口を開いた。

「焼いてる時もこねてる時もず〜っと、美味しいって言ってくれてる君の顔が浮かんで。それで胸が一杯になってたまらなくて、僕が食べたいって気持ちより先に君に食べて欲しいって思ったんすよね」

変って自分でも思うんすけど…なんて恥ずかしそうに目をそらすニキくんに私も胸がいっぱいになる。いつも優しくしてもらってばかりで、彼に何かを返せていることのほうが少ないけど、それでも彼はそんな私に呆れることもなく好いてくれているという事実が、嬉しくて堪らなかった。

「ううん、変じゃない。嬉しい、ニキくん大好き、一番好き」
「僕も、大好きっすよ。今日のクッキーもね、君が好きって言ってくれてたな〜って思って作ろうと思ったから」
「私ニキくんに甘やかされてばっかり」
「僕がしたくてしてるからいいんすよ」
「やっぱり、ニキくんってそう言うよね」
「まぁ、僕、本当に君だから甘やかしたいって思ってるからな〜。お腹と背中がくっつきそうなくらいにお腹空いてたけど、すっごい食べたかったけど、それでも焼きあがるその瞬間までず〜〜っと君のことばっかり想ってたんすよね」

ニキくんが料理をしているときの嬉しそうで楽しそうな表情は、いつも私を思ってくれていたんだ。ご飯やお菓子よりも彼の中が私でいっぱいになってくれていたことが嬉しくて嬉しくて、思わずギュッと抱きついて頬に唇を押し当てる。驚いたように硬直した彼だったけど、ゆっくりと抱きしめ返してくれて、直後頬に柔いものが触れた。

私の生活の中心がいつの間にか彼になったように、彼の生活の中心に当たり前みたいにして私が存在していたということが、嬉しくて仕方がないのだ。

title 誰そ彼
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