かわいいはきみのために



揺れる彼女の髪に手が伸びたのは無意識だった。
自分がやらかした事に気がついたのは、彼女の髪を梳くように触れてしまった後だった。動揺して大きく震えそうになった手をどうにか抑える。俺の手にどうか彼女が気がつきませんようにと無謀なことを願いながら、パッと手を離す。離したと同時に、彼女はつぶらな澄んだ瞳で俺を見上げた。クリっとした瞳をかたどるように並んでいる長い睫毛を揺らして不思議そうにパシパシと目を瞬かせる。彼女のたったそれだけの動きで何故か胸がいっぱいになってしまって息が詰まった。

「だ、黙って触っちゃってごめんね、髪の毛にゴミがついてて……」
「え、そうなの?全然気づかなかった!取ってくれてありがとう」
「どういたしまして」

触れ方は、どう考えてもゴミを取り除くものでは無かった。どうしたって誤魔化しきれない言い訳なのに、彼女は「恥ずかしいな」なんて言いながら軽く髪を触って頬を緩める。分かってて合わせてくれているのか、それとも本当に気づいてないのか、はたまた俺に対する警戒心が無さすぎるのか。どれにしても少し物悲しいというか、格好がつかない、というか……。

彼女の事が気になり始めてから、衝動的に行動してしまうことが増えた。触れたいと思ったら思わず触れてしまったり、話したいと思ったら自然と歩み寄ってしまったり、他の男の子と談笑していたら、モヤッとして割って入ろうとしてまったり。最初はこんなのじゃなかったのに。日に日にこの衝動性は、俺自身では制御出来ないほど大きくなっていっている気がする。

「おーい、薫くんボーッとしてどうかした?疲れてる?次の現場行けそうかな?」
「……え?あぁ、うん!大丈夫だよ、心配かけてごめんね」
「頑張りすぎたらだめだよ」
「ちょっと考え事してたんだ。ありがとうね、俺は元気だよ」

少し心配そうな顔をしながらも、納得したように彼女は前を向いてまた歩き始める。……と、同時に俺は頭を抱えた。あぁ、最悪。もっと、気の利いたことを言えばよかった。さっきの返答は少し素っ気なかったかな?せっかく心配してくれたのに。嫌な奴だと思われてはいないだろうか。彼女はそんなこと考える人じゃないけど、どうしても気になってしまう。
人との会話も世渡りは、ある程度上手い方だと思うけど、彼女の前だとどうしてもいつもみたいに上手くいかない。

俺に会いに来てくれた女の子たちに、砂糖のような甘い言葉をプレゼントすることは俺にとっては自然なことで、囁く言葉に恥じらいを感じることは特段なかった。どんどん浮かぶ甘やかな言葉は、女の子たちを見ると自然と溢れ出るものであって、それを相手に伝えるのは俺の中で彼女たちに対する誠意やマナーみたいなものだった。
そんな俺が、彼女の前ではどうだろう。衝動的に行動してしまう一方で、気の利いた言葉も、いつもなら出てくる甘い言葉の1つすら出てこない。彼女の前に立つといっぱい感情が湧き出て来るのにどれも言語化するのが難しい。胸のあたりがむず痒くて、体温も上がって、余裕なんてあっという間になくなってしまう。

余裕なんてないくせに、恥ずかしいくせに、隣を歩く彼女から目を離せなかった。彼女を見つめる今の俺は、どんな顔をしているだろう。UNDEADのみんなには、とてもじゃないけど見せられたものじゃないだろうな。情けないって言われるかもしれない。緩む頬は自分の意志ではどうにもこうにもならなくて、もう隠しきれなくなってしまっている。

……彼女が不意に立ち止まって、また俺を見上げた。ビクリと肩が震える。俺の変な顔、見られてしまったかもしれない。それは困る、とても困る、まだ確証が持てないこの気持ちを一応隠しているのに。
彼女は零れ落ちそうなほど大きな瞳を一瞬だけ俺に向けて、すぐにフッと横に逸らした。見つめ合うなんてそんなハードルの高いことできないから助かったんだけど、なんとなく不満というか、名残惜しさがある。……なんて、また変なことを考えてる。ダメだダメだ。気を抜いたらこうなる。気を取り直して、どうしたのか彼女に尋ねようと俺が口を開くよりも先に、彼女の言葉が静かに廊下に落ちた。

「……さっき」
「えっ?」
「さっき、ゴミを取っただけだって、薫くんは言ってたけど。もしかして撫でてくれたのかな、なんて思っちゃって。その、思って……」
「……っと、」
「あ、はは……。ぅ、やっぱり、き、気にしないで!」
「あ、ぇ、待って!」

もご、と彼女の口が何度か躊躇いながらも遠慮がちに開かれる。控えめで形のいい小さな唇に、少し赤く染まった頬。妙にドキドキしてしまって、見てはいけないと思いながら視線を逸らせない。どうか今は俺を見ないでくれと祈っているくせに、彼女を見ることをやめられないという矛盾。もう最悪、俺って本当に馬鹿なのかも。
はぐらかすように1つ笑った彼女は、突然くるりと方向転換して俺の制止を振り切り歩き出そうとする。

「ねぇ、待ってよ!」
「待たない」
「お願い、」
「か、おるくん」

彼女の手首を引き寄せるようにして咄嗟に掴んだ。プロデューサーとしてキビキビと動き回っている彼女の腕は思ったよりも何倍も細くて心配になる。あまり力を入れて彼女の腕を掴んだつもりは無かったけど、それでもなんとなく心配になって力をまた少し緩めた。俺が彼女を掴む力に拘束力なんてほとんど無い。それでも彼女に振り払われるかも、なんて不安は不思議と無かった。

顔が見えなくても分かる。ちらりと見える彼女の耳が赤い。ねぇ、君は今どんな表情をしてるの?どんな気持ちで、俺にその台詞を言ってくれたの?なんだか泣きそうだ、胸がいっぱいになる。
……可愛い。もう嘘をつけない、誤魔化せない。稚拙な言い訳だって出てこない。どうしたって、彼女が可愛くて愛おしくて仕方がないんだ。ファンに向ける愛ではない、家族に向ける愛でもない、それは俺が今まで感じてきたものとは違う、もっと特別な感情。

「逃げないで」
「変な事いっちゃってごめんなさい、その、忘れて欲しい、です」
「忘れたくないよ」
「……っ、わ、忘れてくれないと困るよ」

君が好きだと、口をついて出そうになった。
女の子に意地悪するなんて有り得ないのに、困らせたいと、ほんの少しだけ思ってしまった。忘れたくないんだ。俺の一挙一動で変わる彼女の表情も、俺のために紡いでくれる言葉も、全部全部俺のだから余すことなく拾い集めたい。
この気持ちを衝動に任せて君に伝えたら、困ったようにまた顔を更に赤くするだろうか。それとも花開くように笑ってくれるだろうか。どんな反応を見せても、きっと可愛いんだろう。俺はもう彼女の全部が可愛くて仕方がないんだ。1度認めてしまえば、驚くほど簡単で単純な感情。俺は彼女の一番になりたい、俺の隣で幸せそうに笑ってる女の子は彼女がいい。

「それなら俺、君を困らせちゃうかも。ごめんね」

忘れたくないって意味伝わったかな。伝わってたらいいな。特別なんだよ、君が初めてなんだ。こんなに自分が見えなくなるくらい、泣きたくなるほど胸が苦しくなるの。

往生際が悪くて情けない俺だけど、もう少しだけ待ってね。あと少ししたら君に世界一可愛いって、好きだって言えそうな気がするから。

title 失青
ALICE+