わたしをひとりにしてくれない神様



物心つく頃には、自分が他人から嫌われるということに人一倍敏感であると自覚していた。
人にかけられる迷惑に対してはさほど何も思わないけれど、自分が人に迷惑をかけるのは、消えたくなるほど申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまうのだ。人を不愉快な気持ちにさせたくない__いや、この気持ちはきっとそんないいものなんかじゃなくて、私が不愉快な人間だと他人から思われたくないだけなんだと思う。人からの評価を常に考えて行動して、やりたいことも思うようにできないというのは、人によっては窮屈で馬鹿らしい人生だと思われるんだろうなと思う。だけど、私はこのやり方でうまく人間関係を保ってきたのだから今更どうこう変えられるものではなかった。

こんな私にも、驚くほどにとびきり素敵な彼氏がいる。彼はいつも自信に満ち溢れていて、自由奔放でハキハキしていて、やりたい事はしっかりとやるような、私と正反対の人間だ。太陽みたいに眩しい笑顔が綺麗で、所作も堂々としている。他人を引きつけるようなその雰囲気は、もはや生まれ持った天性の才能と言えるだろう。彼のとろけるようなアメジストの瞳に見つめられるたびに、私はいつも擽ったいような、もっと見てほしいような、たまらない気持ちになるのだ。活力と自らへの誇らしさを浮かべた彼の瞳に、私なんかが映る事が恐れ多くて、でも喜ばしい。私が少し口角を上げただけで、彼も嬉しそうに微笑み返してくれるのが私はとても好きだった。
正反対の私達だけど、どこか噛み合っている……のだと思う。周りを気にすぎるくらい気にして、やっと人間関係を保ってる私と、奔放な振る舞いで人を巻き込むが、常に人に愛され囲まれている彼。どこが噛み合っているのかと聞かれたら答えられないけど、別れずに恋人関係が続いているのだからなんだか可笑しい。


そんなことを考えていると、トン、と日和くんの肩が私に触れた。……今日、彼はオフの日で、前からこの日は一日中二人でゆっくり過ごそうと決めていた。午前中は適当に家事を済ませて、午後からは特に何をするわけでもなく二人で並んでソファに腰を掛けていた。彼のお気に入りの茶葉で紅茶をいれて、私のお気に入りのお店の焼き菓子を食べる。そんな幸せな休日であるはずなのに、突然不安になってネガティブ思考に陥ってしまっているのだから、私は本当にどうしようもない人間だ。

__どうして、日和くんは私なんかと付き合ってくれているのだろう。そう考えてしまうことが悲しいけど、不思議で仕方がない。今までも何回かその疑問は頭の中に浮かんでは消えていた。だって、私たちは正反対で、私には人に特別好かれる要素も取り柄もない。「一体、私のどこがいいんだろう」そう思うと鉛みたいに胸が急に重たくなって、泣きたいような気持ちになってきた。
このまま下を向いていたら涙が落ちてしまいそうで、読んでいた本にしおりを挟んで閉じる。気を紛らわせるように紅茶を啜ると、ほんの少しだけ心が落ち着いた。さっき触れた肩は、今もずっと重なったままだ。日和くんの優しい体温がそこから伝わってきて心地いい。もっと触れたいと思うのに、万が一拒絶されたら、鬱陶しいと思われたらと思うと、それを伝える勇気は出てこなかった。彼がそんなひどい事を思うはずがないのに。私はやっぱり最低だなぁ、なんてまた視線を下に下げると、ふっと影が差す。条件反射のようにパッと顔を上げると、私を見つめていた彼と視線が絡んだ。

「また下を向いていたね。なにか不安になったの?」
「えっと、はは、ごめんね」
「謝ることではないね。きみがたまにそうなってしまうこと、ぼくはよ〜〜く知っているからね」
「……ほんとにごめんね。面倒、だよね」
「面倒?まさか!ぼくはね、いつだってきみのことを甘やかしたいって思ってるんだから。きみは不安になった時しか甘えてくれない……うーん、不安になってもそこまで甘えてはくれないけれど、まぁでも、きみをこれでもかというくらいに甘やかす理由が出来るんだから、面倒だなんて思うわけないね。それとも誰かに言われたの?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど」
「……もしも、きみにそういう事を言う人が現れても、それはきみのことをな〜んにも知らない人間が言ってるだけなんだから、きみは何も気にする必要なんてないんだよ」

彼は優しそうな瞳をさらにきゅっと細めて穏やかに微笑む。彼の声に、張り詰めていた心がゆっくりと溶かされていくような感覚になって、やっぱりまた泣きそうになった。彼と話していると、甘えてもきっと彼は受け入れてくれるという自信が少しずつ湧いてきて、恐る恐る彼の胸に頭を預ける。ふふ、と彼は嬉しそうな声を漏らすと優しく私を包み込んだ。

「そうそう、もっと甘えるといいね」
「日和くんは、いつもやさしいね」
「優しいのはきみのほうなんじゃないかな。ぼくはきみくらいにしかこんな事しないし。……きみが不安になってしまったり、疲れてしまったりするのは、優しすぎて誰にでも心を配ってしまっているからだとぼくは思うね」
「そんないいものじゃないよ」
「どうして?」
「……奉仕とか、善意だけじゃなくて、人からどう思われるのかとか、そんなことばかりをずっと気にしてるだけ。でもそのくせ、私って全然…だめで、……っ、」

情けなくて悲しい。最後の方は喉が閉じてしまってまともに声も出せなかった。色んなことを気にするくせに要領が悪いから上手く行かない。どれだけ人のことを気にして動いても、無限に気になってしまって結局不安になる。嫌われたくない。人から見放されて、一人になることが怖くて仕方がない。
彼の背中に回す腕に、無意識に力がこもる。彼の前では気が利いて、面倒くさくなくて、いつも笑顔で、表面上だけでも誰からも愛される人でいたかった。それくらい素敵な人間なら、彼の隣に立っても少しは許されるような気がしていたから。
我慢しきれずに嗚咽を漏らすと、彼は私を包む腕に力を込める。強く抱きしめてくれているけど、その力加減には私を気遣う優しさがあって、その心地よさにまた甘えてしまいたくなる。

「……他の誰かがきみのこと嫌いになったとしても、ぼくはきみがずっと大好きなのに…それだけじゃだめなの?不安?」
「え?」
「ぼくだけは、ずっときみのそばにいてあげる」
「うれしい……けど、私はもっと頑張らないと。私、全然日和くんと釣り合ってないから」
「ふぅん……釣り合ってないとか、そんなのきみが決めることじゃないし考える必要全くないね。このぼくが、きみじゃなきゃだめだと思ってきみを選んだんだから、むしろ自信を持つべきじゃない?」

自信を持つべき、なんて考えもしなかったことに驚いて思わず涙が引っ込む。キョトンとする私を覗き込むと、彼は困ったように微笑みながら私の頬を伝う涙を拭った。「みっともない顔をみてほしくない」と少しの抵抗を見せてみたけど「大丈夫、かわいいね」と一蹴されてしまった。そう言われてしまうと、もう何も言えなくなってしまう。
私の頭を撫でた後、彼は額にそっと唇を落とした。

「謙虚なのはきみのいいところだけど、だめな部分でもあるね。きみはとても素敵な人間なのに、正当な評価をしてあげないなんて頑張ってるきみが可哀想」
「そう、かな」
「そうだね。……きみがちゃんと理解するまで、ぼくの一番愛するきみは、誰よりも優しくて素敵な人だって何回でも言ってあげる」

ぼくがこう言ってるんだから、これならきみもきみのことをちゃんと認めてあげられるようになるね?彼はそう言うと、今度は私の頬に口付けた。思わぬ接触にビクリと体が跳ねて距離を取るために後ずさろうとするけど、彼の腕に未だ包まれたままの私が少しも動けるはずがない。私の間抜けな行動に、彼はまた「可愛い」と呟いて笑い声をもらす。私が大好きな柔らかなアメジストの瞳は、たった一人、私だけを映して好きだと叫んでいる。それが嬉しくて、彼が愛おしくて、そっと彼の頬に触れると、彼は満足そうな表情を浮かべながら私の手に頬をすり寄せた。もうこの頃には、随分と不安な気持ちが薄らんでいたことにはっと気がつく。また彼に助けられてしまったけど、不思議と消えたくなるほど申し訳ない気持ちにはならなかった。
「ありがとう」と彼に向けて言葉を紡ぐ。彼はパチリと瞬くと、一層眩しい笑顔を浮かべた。

日和くんは、私が辛いときには必ずそばにいてくれる。
大好きな日和くんが、私が嫌いな私を包み込んで全部好きだって認めてくれるから、私も少しは自分の事を好きになれそうな気がしてくるんだ。

title 確かに恋だった
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