着飾る女を見抜いてみせてよ



「……よし」

最後の仕上げに、桜色のリップを唇にひく。
化粧も、髪型も、服も、靴も。私にとって全部武器であり、世の中に出て戦っても傷つかないための武装だ。私に似合う化粧をして、私に似合う髪型にして、私に似合う服を纏って、私に似合う靴を履く。
そうして私はやっと、あなたの隣が似合うような、誰よりも可愛くて完璧な女の子になるのだ。



人の悪意には慣れていた。ド直球の悪口から、ネチネチとした鬱々しい嫌がらせまで。表面上の好意、下心が隠された褒め言葉、綺麗や可愛いという言葉の裏に隠された嫌味。今こうして思い返すと、学生時代の自分がいかに人間関係に恵まれていなかったのかがうかがえる。……いや、そもそも私という人格に問題があったから、そういう人間しか集まって来なかったのかもしれないのだけれど。
唐突に浮かんだ嫌な思い出に、頭が鈍い痛みを訴え始める。色々といらない事を考え出すと、腹が立つと同時に気持ちが沈んだ。別に今更思い出さなくたっていいことなのに馬鹿みたいだ。

__人の悪意には慣れていたけど、それで傷つかないわけじゃなかった。



今日は日和くんとデートの日。姿見で入念な最終チェックをしていたら家を出るのが少し遅くなってしまって、駆け足で集合場所へ向かう。息を切らしながら走ったかいがあって、到着時間は集合の15分前。休日を謳歌する人たちの集合場所に使われるそこは、すでにたくさんの人で賑わっていた。彼の姿を探してキョロキョロとあたりを見わたすと、ひときわ目立つ上品なスプリンググリーンの髪色が目に入る。思わず「あ、」と声を漏らすと同時に、スマートフォンから顔を上げた彼と目が合った。私の姿を視界にとらえた彼は、元々柔らかな目元をさらに優しく緩める。

「……あ、やっと来たね?こっちだよ!」
「おまたせ!ごめん、待ったよね」
「謝らなくてもいいね。まだ集合時間前だし」
「今日こそは日和くんより早く来ようと思ってたんだけど遅くなっちゃった」
「気にすることじゃないね。ぼくが早く来たくて来てるだけだからね」
「ん〜、てっきり、ぼくを待たせるなんて悪い日和!なんて言われちゃうかと思ってたんだけど」
「なぁに?全く、ぼくがそんなこと言うわけないね!……うんうん。きみは今日もかわいいね、いい日和!」
「ちょ、っと!またそういうことを言って……!」

「どういうこともそういうことも、思ったことしか言ってないね!」彼は恥ずかしげもなくそう言うと、胸を張って私の手を引く。楽しそうに前を歩く彼はキラキラしていて、綺麗で、堂々としていた。

良くも悪くも、彼の言葉に裏表はない。私は彼のそういう真っ直ぐなところが好きになった。人間関係に辟易していた学生時代に突如現れた、自分の気持ちに真っ直ぐで素直で綺麗な日和くん。しゃんと胸を張って歩いている高潔な彼を、好きにならないわけがなかった。
「ねぇ、そのヘアアレンジは自分でしたの?かわいいね」なんて言われた日にはヘアアレンジ本を買い漁って端から端まで全部試したし、それに追随してメイクの勉強にも力を入れ始めた。彼に似合う女の子になりたくて、彼の隣に立ちたくて、私に出来る努力は全部した。

「…ぇ!……ねぇ!聞いているの?」
「え?」
「もう!全然聞いていないね、悪い日和!」
「ご、ごめんね。ぼーっとしてた」
「具合が悪いの?」
「大丈夫だよ、人多いなーって思ってただけ。元気元気!」

日和くんとのせっかくの楽しいデート中だっていうのに他のことを考えてしまうなんて大失態だ。彼は少し怒った様子で頬を膨らませたけれど、それすら可愛らしく見えてしまうから仕方が無い。まぁでも実際、怒る仕草は形だけで、彼は心配そうに私を見つめてくれていた。心配をかけておきながら最悪な考えかもしれないけれど、それが泣きたくなるほど嬉しくて、でも伝えたら重くなりそうだから静かに彼の手を握る。彼は一瞬驚いたように目を瞬かせた後、ひどく嬉しそうに笑って握り返してくれた。光の粒がぱちぱちと弾けるようなその笑顔が眩しくて、私もつられるように口角を上げた。

手を繋ぎながら、大型ショッピングモールを二人で見てまわる。ふと背後から視線を感じて目を向けると、可愛らしい女の子たちがこちらをチラチラと見ながら色めき立っていた。会話の内容はわからなかったけど「かっこいい」と部分的に聞こえた単語にモヤモヤとした感情が湧き上がる。容姿端麗な彼がどこに行っても目立ってしまうのは仕方がないことだった。分かってはいるけど、それを思い知るたびに彼に釣り合うようにもっと可愛くならなきゃいけないという気持ちがぐるぐると頭の中を巡る。日和くんの隣を堂々と歩いても恥ずかしくないように、彼に愛想尽かされないように。他人に後ろ指をさされないように、笑われないようにするために、私は可愛くならなくてはならない。一種の強迫観念のようなものだった。『私が好きなものよりも、私に似合うものを買う』自分でそう決めたはずなのに、時折たまらなくしんどくて苦しくなる。自分に似合わないからと諦めたものが今までいくつもあった。興味があっても私に似合わなければ全部切り捨てた。仕方がないことだと思いながら、心のどこかで納得できなくて、いつもポッカリと胸に穴が空いたような虚無感におそわれる。自分が一番苦しんでいるだなんて、目も当てられなくて滑稽だ。

「どうかしたの?やっぱり具合悪い?」
「あ、いや、ううん、なんでもない」

ぼーっとしていたら、また心配をかけてしまった。今日はなんだかうまくいかない。学生時代の事を思い出してしまったからだろうか。せっかくのデートなのに最悪だ。なんとかしないといけないと思って彼に笑顔を向けてみても、彼は納得していないような顔をしていた。
少し休もうか、と彼は穏やかな声を私に向ける。私が返事をする前に彼が足を向けたのは、人通りの少ないベンチだった。こんな場所もあったのか、なんて思いながら彼の隣に腰を下ろす。盗み見るように彼に視線を向けると、すでに私を見つめていた彼とバッチリと目が合った。澄んだ彼の瞳が、ただ一人私を見つめている。宝石がはめ込まれたような綺麗な瞳に見つめられると、全部見透かされているような気分になって落ち着かないのに、不思議と目をそらしたくない。彼に見られると、心臓を鷲掴みされたような感じがして、夢中にならずにはいられなくなる。見つめ合って数秒、彼はふふ、と微笑むと、おもむろに口を開いた。

「……かわいい」
「え?」
「きみは、誰よりもかわいいね」
「な、なんで今そんな……」

尻込みする私の手を日和くんはそっと包み込む。その顔は胸が痛くなるほど優しくて、だけど有無を言わせぬ真剣さがあった。

「本当はきみには自信を持ってほしいけれど、それが難しいならぼくの言葉を信じてほしいね。ぼくが好きなきみのこと、きみにも好きになってほしいから」
「……すき?」
「うんうん、大好き。ぼくのために、いつも一生懸命なところも、頑張り屋さんなところも、全部大好きでかわいいね」
「そう、かなぁ」
「そうだね。……だから、今からきみの好きなものを見に行こう。きみにはなんだって似合うんだから」

彼の言葉に私の今までの全てが報われていくような感じがする。背伸びして、何でもないような顔をしながら、彼の隣にふさわしい女の子になれるように頑張ってきたけれど、本当は気づいてほしかった。頑張って頑張って、ずっと置いていかれないように走って、でも彼は誰よりも魅力的な人だから、最近はそれでも追いつけなくてどうしようと何度も泣きたくなった。相応しくない、でもおいて行かれたくない、もっと完璧な女の子になりたいのにこれ以上どうすればいいのか分からない。
震える息を漏らした私を落ち着かせるように、彼は私の髪に触れてそっと撫でた。慈しむように触れる柔らかな手に、緊張しきっていた心がゆっくりと溶ける。

「なーんにも気にしなくても、ぼくは初めからきみしか見えていないのに」
「でも、」

私は可愛くないといけないから。その言葉が喉に詰まってしまって出てこない。言いたいことはあるのに、掠れたかすかな嗚咽が出てくるばかりだ。

「わたし、かわいくなりたい、けど」
「うん」
「ひよりくん」
「ん?」
「あのね、ちょっと、疲れちゃったよ」
「きみはきみのままで十分なんだから、無理をしなくたっていいんだよ」

やっとのことで絞り出した声は、あまりにも情けないものだった。外で泣くなんて、化粧がとれてしまうから今までは絶対ありえない事だったのに。いつだって完璧でいなければならなかった。どこから見ても完璧に可愛くて、誰が見ても彼にふさわしい女の子でいなくちゃいけなかった。……でも、他の誰に何を思われても日和くんが可愛いって、大丈夫だよって言ってくれたらそれでいいのかなぁ、なんて思い始めているだなんて、ちょっと単純すぎるだろうか。
色んな人に指をさされて釣り合ってないって言われても、日和くんが私を認めてくれるなら私はきっとそれだけで幸せだ。

「化粧、とれちゃったな」
「どんなきみも世界一かわいいね」

化粧ボロボロなのに可愛いは嘘だよ、って言おうとしたけど、彼があまりにも愛おしそうな顔をして言うから、やっぱり何も言えなくなってしまった。

title誰そ彼
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