盗むのが遅すぎた春先に



見て見ぬふりの呼吸音の別視点



おだやかな春の風のような、そんな優しい笑顔が印象的だった。



女の子はみんな、砂糖の塊のようなそんな子ばかりだと思っていた。
甘ったるくてべたべたしてて。俺はそんな女の子が面倒だけど大好きだった。
機嫌を損ねたって、いつの間にか元に戻っているし、かわいいよと言えば嬉しそうに笑ってくれる。そんな砂糖菓子のような女の子がとてつもなくかわいいと思っていた。でも、そんな女の子の中であの子は少し違っていた。かわいいねって言ったら少し困ったような、どうしたらいいのかわからないような顔でありがとうと言ったのだ。俺は初めて彼女と言葉を交わしたとき、そんな彼女に驚きを隠せなかった。引っ込み思案で前に出ない。言いたいことも大きな声で言えない。関わったことのないタイプに逆に面相臭さを感じながらも彼女と話すうちに何となく彼女に惹かれた。いや、単純に彼女が好きになった。笑顔がとても可愛くて、それに気づいた瞬間から俺の世界の中心は彼女になったのだ。
彼女が困れば手を差し伸べて、彼女が笑えば俺も笑った。謙虚に微笑む彼女が、とても愛おしく感じた。しかし、俺はついに彼女に何も伝えることなく学生時代時代を終えたのだった。それでもかっこ悪い俺は彼女に縋って、いや、彼女の弱みにつけこんでズルズルと彼女の親しい友人に居座り続けた。強い押しに弱い彼女は直ぐに絆されてしまうし、人を思いやっていつも行動している彼女は、俺にも嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。

久々に出会った彼女は一段と綺麗になっていた。大人びた顔つきになっていたが、笑顔は相変わらず人懐っこくて可愛らしい。学生時代の心の昂りを思い出してしまいそうになった。
かっこ悪い所をみせてしまいそうで、何となく恥ずかしくてアルコールをどんどん口に運んだ。おいしいおつまみに酒はどんどん進む。頬を赤らめて美味しいねと笑う彼女は最高に可愛らしかった。 アルコールが頭の中を支配してぼーっとする。体が動くままに机に突っ伏した。ふわふわしていい気分だ。仕方がない人だと、少し呆れたようにそして慈しむような声が降ってくる。心地いい。

しばらくの沈黙のあと、少し震えるような弱々しい声が静かな部屋にドスンと落ちた。

「おそ松くん。わたしね、お見合いしなきゃいけなくなったんだ。」

一気に酔いが覚めていくのが分かった。頭が妙に冴えて思考が駆け巡る。嫌だ、誰にも取られたくない。あの木漏れ日みたいに柔らかい笑顔も鈴が鳴るような声も慈悲深い誰よりも優しい心も。ずっと隣で見てきたのに、誰にも取られないようにずっとずっと、ただ幸せになって欲しくて......。
…そうだ。幸せになってほしい。俺と居たってきっと幸せにはなれない。こんな、俺みたいにずるくてクズでろくに働きもしない男なんかより、そのお見合い相手の方が何倍も彼女は幸せになれるはずだ。だから知らない。彼女が泣きそうなのも、俺に縋るように声を出したことも、俺に「どうしたいの」って聞いて欲しいことも。胸の奥につっかえている黒いもやもやも。知らない、全部知らない何も見ていないし聞いていない。辛いのはきっと今だけだ。その人と結ばれればきっと幸せになれる。いつか子供ができて、家族が増えてそして一緒に年老いて、幸せそうに微笑むのだ。俺の大好きな笑顔で。

胸が痛くて張り裂けそうだった。
俺の大好きな笑顔を本当は誰にも渡したくなかった。でも、遅すぎたのだ。全部が遅すぎたのだ。

もっと早ければ。
学生時代に君の手を掴んで好きだとそう言えていたなら。笑顔が好きだ、声が好きだ、優しさが好きだ、指先が冷たい手も、赤くてかわいい頬も何もかも大好きだと言えていたなら。

今、こんなにすれ違いだらけの大人にならなかったのだろうか。

......いや、考えても遅いのだ。何もかも。俺達は大きくなりすぎた。もう、大人なんだ。
なにか特別なことがある訳でもないのにドキドキと胸が高鳴っていたあの時の春は、もう戻っては来ない。大人になったら春なんて、ただの季節の流れの1部になってしまうのだ。なんの面白みもない臆病な大人になってしまった。
もしも今、彼女の手を握って、一緒に逃げようと言えたのならばまた彼女は俺に笑いかけてくれるのだろうか。


盗むのが遅すぎた春先に


俺は、臆病だから見て見ぬフリをするのだ。


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title by.星食

20181229
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