月の傾斜
初夏の生ぬるい空気が汗ばむ首すじをするりと撫でる。お祖母さまに頼まれたおつかいの内容を頭の中でくりかえしながら、市場に向かう道を歩いている。
(……あ、)
ふと顔を上げると、昼の空にあまり馴染みのない白い月がぼんやりと浮かんでいるのが見えた。珍しいものを見つけると、なんだか今日が特別な一日になるような気がして嬉しくなる。そんな胸中でふんふんと鼻歌まじりに歩いていると、――
「ヒャッ、」
突然、首の後ろに冷たいものが押し当てられ、驚いたわたしはちいさく悲鳴を上げて立ち止まる。慌ててふりかえると、にこにこ上機嫌な笑みを浮かべたおとこのこ――総司くんとばちんと目が合った。……どうやら『冷たいもの』の正体は、彼の手の中にある濡れたてぬぐいだったらしい。
「……」
彼の求める反応をしてしまった自信があって、すごく悔しい。そういうわたしを眺めながら、当の本人は「どうかした?」とわざとらしく問うてくるのだ。
「こっちの台詞なんですけど……」
「んー? そうなの?」
「……」
むっとくちびるを尖らせると、案の定、彼はけらけらと楽しそうに笑い声を立て始める。そもそも試衛館からいくらも離れたこんな場所で何をしていたのだろう。わたしと同じようにおつかいでも頼まれた? そんなふうには全然見えないなあ、とぼんやり思いながら、ふたたび総司くんに視線を向ける。
「暑そうだったから、涼ませてあげようと思って」
「そっか……ありがと……」
そもそも濡れたてぬぐいを持ち歩いている時点で、いたずらをしようという魂胆が見え見えである。そう疑いたくもなるくらい慣れた手つきで行われた犯行だった。
「君は? 買い物にでも行くの?」
「うん。おつかい」
ふうん、と今度は総司くんが気の抜けた返事をする番だ。「じゃあ、僕もついて行こうかな」と、軽い調子でそんなことを言う。
「……ひまなの?」
「うん」
まっすぐな視線で返事をされて、思わず笑ってしまった。ひまなら仕方ないか。きっとひとりぼっちでおつかいをするより、総司くんとふたりの方がうんと楽しい。
「ね、良いでしょ」
小首を傾けながら問う彼は、正しく年相応のおとこのこに見えた。普段、兄弟子たちに囲まれ、精一杯背伸びをしている総司くんとは違う……きっと、わたしだけが知ることを許された彼の一面なんだろう。
「良いよ、せっかくのお天気だし」
こくりと頷いたわたしに対し、総司くんの表情がぱあっと明るくなった。わたしが断らないこともわかっているはずなのに、そうやって律儀に喜ぶところはかわいいなと思う。
「遅くならないうちに、早く行こう」
はい、と差し出された彼の手を迷いなく握る。
視線をもちあげると、さっきと同じ位置に白い月が佇んでいるのが見えた。『今日は特別な一日になるような気がし』たのは、あながち間違いでもなかったみたいだ。