02.

支配人から連絡を受けて買い出しを早めに切り上げた監督を出迎えたのは三角だった。
「カントクさんおかえりなさーい」
「ただいま」
荷物持つよ~と両手に塞がっていた荷物を軽々と持ち上げる。
「ありがとう。三角くん、ずぶ濡れの女の人連れて来たって聞いたけどその人は?いるの?」
「いまお風呂はいってでてきたよ~」
「着替えはどうしたの?」
「オレの着てもらった~」
支配人からの電話で大方事情は聞いたけれど会う前にちゃんと三角くんに話しを聞くべきだろうか?
(支配人見当たらないし……)
町内会の寄り合いがあるとは言っていたがもう出掛けたのか。
「しきのうた、カントクさんも気にいるとおもう」
舌足らずな物言いで「早く会って」と腕を引かれ談話室に繋がるドアを開ける。
「騒がしくやって参りましてそのまま東へ東へ」
女性の威勢のよい声が聞こえて正座をした女性がタッタタンッと軽妙に手のひらで太ももを叩いて音頭を取っている。向かいには春組のシトロンがおり、アイコンタクトもとりながら彼も軽妙に己の太ももを叩いている。
(馴染んでる……?)
一瞬立ち止まった監督をよそに三角は喜色ばんだ声をあげた。
「わぁ楽しそ~オレもやる~!」
さんかく!と言って手でサンカクの形を作って突っ込んでいった。
「おかえり、監督」
伏見だった。
「臣くん」
三角が机の上に置いた買い物袋を持ち、ちらっと中身を覗いた。生ものがないか確認しているのだろう。
「ただいま。あの女性って三角くんが連れてきたっていう?」
三角くんの服を着ているから間違いはなさそうだけど。
「あぁ、最初は他愛ない話をしてたんだがシトロンさんがやってきて落語の話題になって盛り上がってる最中なんだ」
(落語……)
「カントクただいまヨ~!」
「逆だよシトロンくん」
続けてただいま。と律儀に返すと件の女性と目があってにこりと笑いかけられた。さっと席を立たたれ、急いで挨拶をする。
「初めまして、劇団MANKAIカンパニー監督兼主催の立花です」
「彩都です。可愛らしい方ね」
「でしょ~だからしきもお芝居しよー?」
和やかな空気が一瞬締まる。
「だから、でお芝居はしないし、入らないって言ったよね?」
口調はなるべく柔らかく、全く気にしていない口ぶりを意識する。
「うちの斑鳩が彩都さんの歌声を気に入ってスカウトしたとは聞きましたが……」
「演劇キョーミないネ?」
四季の頭の中で友人の顔が浮かんだ。
「なくもないけど、仕事に影響でそうだし生半可な気持ちで「はい、入ります」とは言えない」
あの変わり者が劇団の話しをするときは目を輝かせて喋る。いつだって楽しそうに。それだけできっと居心地もいいだろうし、始めたらのめり込むだろう。でも、それはまずい。
「さっきの落語とてもワキワキしたヨ。シキ、時には好奇心も大事ネ」
「そうなんだけどねぇ……歌っていっても鼻歌だしメロディもテキトーだし期待されるものじゃないと思うんだけど」
一方的な流れに対して彩都さんは怒らず、冷静である。シトロンくんとのやりとりにも興味深いものがある。本音を言えば歌声を聞きたいが本人は入ることを否定しているし、この状況もよくない。スカウトするにも筋が必要だ。
「斑鳩くん。彩都さんの歌声は私も聞いてみたいけど、入らないと言ってます。無理矢理はダメです」
いつもより丁寧な口調はスカウト対象者を前にするそれではなく、お客様対応の口調だ。カントクは説得してくれないと察する。
「はーい……」
「もし、少しでも興味が出てきたらいつでも声をかけてください。アンサンブル募集してます」
笑顔を向けて、深々と頭を下げた。
「しきいやだった?ごめんなさい」
眉根を下げて今にも泣きそうな顔は、楽しそうに屋根を駆けていた青年と同じ人物なんだろうか?そこまで落ち込みようを表現されると言葉を選ばないといけない気がして
「屋根の上にあがって走り出した時はどうしてくれようとはおもったけど、楽しかったし……君はいい子だね」
気にしてないよと言いたかっただけなのに思わずよしよしと頭をなでてしまった。
「…………」
三角はふと思い出す。じいちゃんもよく頭をなでてくれたと。何故今それを思い出すのか、分からないけれど脳裏に焼き付いた思い出に、なにかが胸にせまってくるような気がした。

「おや?そこにいるのは彩都くんではないか」
帰宅した有栖川が、目を丸くして驚きつつも嬉しそうに口角をあげている。
「あーやっぱり劇団ってここの事だったんだなーそうかそうかー」
1人得心している彩都についていけない。
「知り合いなんですか?」
「彼女はワタシの友人だ。舞台も何度か来てもらっている。おや?ワタシを訪ねて来たわけではないのだね」
「ま、成り行きってやつ」
「oh!シキもシュージン?」
シトロンの言い間違えに伏見が優しく正す。
「もしかして詩人ですか」
「それダヨ!」
「あはは、詩人ではないよ。物書きではあるけど」
何を書いてるか当てるネ!とシトロンが盛り上がっている時に、斑鳩はこそっと有栖川に聞いた。
「ほまれはしきのうた聞いたことあるの~?」
「歌かい?ふむ……すぐに思い出せないな」
彼女とカラオケにも行ったことなどないし、聞いても鼻歌ぐらいか……いやどこかで?
「実は三角くんが彩都さんの歌声が次の冬組の公演の劇中歌にぴったりだからとスカウトして」
「ほぉ。彩都くんを歌で抜擢するなんて愉快な話しじゃないか」
カラカラと笑い、更に続けた。
「歌のシーンは僅かだしやればいいんじゃないのかね?」
「軽く言ってくれるな……」
「あぁ思い出したよ7年前の賛美歌を歌い上げた声ならぴったりだと思うがね」
有栖川にそう言われるならば試してみるのもいいかもしれないが、舞台となれば拘束時間がでてくる。スケジュールなど色々確認が必要だ。
「拘束時間が出てくるだろう?」
「あぁ……まぁ君の歌声と心持ち次第にもなってくるが本番では録音したものを流しても構わない」
そうだろう?監督くん。と同意を向けたら肯定の返事が返ってきた。
(録音なら有りか……そうなれば時間に縛られないし、いやそもそも歌声を聞かせてからだろ……?アリスもいるし……)
「……明日、改めて返事をしてもいいかな?」
服も返さないといけないしね。柔らかく笑んだら三角の顔が花が咲いたように明るくなった。
「さんかくあげる~!」
「まだ分からないから!とりあえず連絡先いいますね」



夕食後、自室に戻ったMANKAIカンパニー総監督の立花は改めて明日以降のスケジュールを確認していた。
彩都さんのことを脚本担当の皆木、相談役にも近い古市に話しをしたら概ね快諾。彩都さんには明日の14時頃に訪ねていただくことになった。
(もし参加となれば……出番は少しだけど重要なシーン。仕上げられるかな……)
今回の冬組では歌が流れる。著作権フリーの音源を借りて流す予定だった。綴くんがイメージしているものを見つけるのは難航し、それでも舞台内容が損なわないレベルの音源は決まっていたのだ。そこに動物と意思疎通できたり、タイムリープに気づく三角くんが「みつけたよ」と言うのだから期待してしまう。
(いや、仕上げてもらおう。誉さんの友人というのには驚いたけど……できれば参加してほしいな)
ちらりと時計に目を向ければ23時前。明日も早いし寝る前に水を飲もうと談話室へ降りていく。
煌々と灯りがついて話し声も聞こえた。
「何観てるの?」
明日が休みの学生組が何名かおり、休日前夜はそそくさと自室の部屋にこもるはずの至さんもいた。三好が振り返る。
「カントクちゃん。黄昏ってドラマの再放送やってて。二期が始まる前に一挙放送だって」
「へぇ!二期やるんだ」
一昨年放送されたドラマはその年の話題をさらった。回を重ねるごとに視聴率は上がり、平均視聴率は25%。町工場を舞台に倒産の危機、大企業の圧力、立場を超えた友情など骨太の人間ドラマとリアリティが受け、実力派俳優の演技も魅了されるところだ。この原作が掲載されている雑誌が少年誌であることも話題となった。
「円盤持ってるけど毎回5分のオマケコーナーみたさにいる」
茅ヶ崎は両手でスマホを持ってゲームをしており、その5分以外興味はなさそうだ。
「インチキエリートがドラマみるとか意外」
瑠璃川の辛辣な物言いには今では誰も驚かない。そしてこの言葉には納得してしまう。
「それな。ドラマやってた時オンラインに人集まんなくてさ。そしたら皆ドラマみてるとかいうし職場でも話題だったからとりあえずみたら沼にハマっちゃったんだよね。原作は電子で揃えてる」
大人しく見ていた三好が隣にいた向坂に抱きつく。
「ふぅー!しびれるー!!!やばたん!俺も言ってみてー!」
「カズくんおちついて」
「うるさいぞお前ら!何時だと思ってやがる」
眉間にシワを寄せた団員たちのお父さん的存在の古市。折角いいところなのに雷とお説教は回避したい。
「フルーチェさんもみよーよ!」
「あぁ?……黄昏か」
古市の「それなら仕方ないか」という雰囲気を醸し出したことに至は「まさかの」と小さく呟いた。
「いいドラマだ。演技の勉強にもなるだろ。だが静かにしろ近所迷惑だ」
はーいと大人しく言い、本編終了後のオマケコーナーも終了した後第二期メインキャストが発表された。そこには髪を黒く染めた、皇天馬の姿があった。
「えーー!!!!」
キャストコメントはほぼ聞こえず、般若のような顔をした劇団の父が静かに現れた。